阿良々木暦は止まらない   作:ぼんぼーる

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「ナア。ナアナアナアナア。暦くん。阿良々木暦くん。……君、一体どういうつもりなんだ?」

「——はっ!?」

 大いに聞き覚えのある、呆れたような男の声で、我に返る。

 いや、僕の身に起きたであろうことを考えれば、我に返るという表現は適切ではないか。

 どちらかと言うと、意識を取り戻したと言う方が正しい。

 背面に伝わる固い感触からして、僕は今、壁か何かに寄りかかって座り込んでいるのだろう。まあ、実際の所は、座り込むだなんて整った体勢ではなくて、糸を切られて崩れ落ちた操り人形よろしく、無様で不格好な姿を晒している訳だが。

 さて、周辺の景色から察するに、ここはビジネスホテルの一室だ。どうして風景のみでそこまで特定できるのかと問われれば、なんてことはない。僕が自分自身で、この部屋に這入ったという記憶があるからだ。

 そしてそれはおそらく、つい先程の事。時間にすれば、あれから一分も経っていないだろうと予測できる。

 こちらは、単なる経験則だが。

 たった今僕の身に起きた、意識の喪失。

 僕は既に、これと同じ経験をしたことがある。しかもそれは、つい数日前のことだ。

 だからこそ、その現象を起こした人物が、僕の目の前で不機嫌そうに眉根を寄せる男だと理解することも容易なのだ。

 そう。

 現象を起こした、なんて表現をしたという事はつまり、僕を襲った意識の喪失が、人為的であるということを示している。

 片膝を付き、僕の頬に左手を添えるようなポーズを取る、この男。

 Gペンの先端にも似た、特徴的なピアスを付ける、この男。

 彼の犯行であるということは、一切の疑念を挟む余地もなく、確定的なのであった。

 ……というか、顔が近いな。

 整った顔立ちをした二十代半ばの男性が、うら若き男子高校生に顔を寄せているというこの図。なんだか、危険な香りがしないでもない。

 もし仮にだが、僕の後輩である神原辺りがこの場に居合わせたのなら、どんな反応をするだろう。

「先輩が持つ魔性の色香は、年上の男性すらも虜にするという訳だな。流石は阿良々木先輩、御見それした。戦場ヶ原先輩を説得する際には、事前に連絡を頂きたいな。私も立ち会い、微力ながら口添えさせてもらおう。何、大丈夫だ。先輩程の甲斐性があれば、恋人が十人や二十人増えたとて、満遍無く愛情を注げるという事を、きっと戦場ヶ原先輩も理解してくれる筈だ。さあ、先輩。今こそ満を持して——阿良々木ハーレムを築き上げようではないか!」

 勝手に喋り始めたイマジナリー神原は、僕の脳内で、(うた)い上げるようにそう宣った。

 ……うーん、あいつが言いそうな事ではある。しかし、何故だろう。少し物足りないような気がしてしまうのは。

 既に大分アレな発言ではあるものの、相手は変態という称号に並々ならぬプライドを持つ、あの神原なのだ。僕の予想など容易く超え、ドン引きという感情すらも置き去りにするような、そんなぶっ飛んだセリフを披露してくれるのではないかと、つい期待を寄せてしまう。

 などという風に思うのは、神原に毒され過ぎているのだろうか。

 神原に毒される。

 なんだか、そこはかとなく恐怖を覚える表現だ。こう、価値観を根底から、ぐちゃぐちゃに搔き乱されそうというか。

 加えてそこに、過ぎるという装飾までくっついているのだから、お手上げである。そんなのもう、手遅れも手遅れ、どろどろのぐずぐず、原型なんて小指の爪の先程も残らない程に——。

 …………。

 うん、これ以上考えるのは止そう! 何の益にもならないどころか、むしろ害しか及ぼしそうにないしな!

 そんな訳で。

 そんな事よりも。

 神原という巨大過ぎるノイズの所為で盛大に話がずれたが(別に今回神原は何も悪くないのだけれど。強いて言うなら日頃の行いだ)、今はこの状況をどうにかする方が重要だ。

 未だ仏頂面を浮かべる男に対し僕は、ありったけの不平不満と遺憾の意を示すべく口を開いた。

「露伴先生、出会い頭にヘブンズるのは、勘弁して欲しいんですが……」

「……その、ヘブンズるとかいう謎の言葉は、もしかしなくても僕の能力の事を指してるんだろうな。時代と共に新たな言葉が生まれるのは自然だとしても、何でもかんでも動詞にするのはナンセンスだと、僕は思うがね」

 言いつつ、肩を竦める彼。

 割とはっきり不満を表明したつもりだったが、この男——岸辺露伴は、何ら意に介すことなく、どこ吹く風で、平然と軽口を返してくる。

 まあ、うん。

 反省してくれるとも、謝罪してくれるとも、欠片も思ってなかったから、別に意外でも何でもないんだが。

 出会って数日という短い付き合いではあるものの、僕は既に彼の事を、とんでもなく我儘な人間であると理解しているのだ。

 漫画家、岸辺露伴。

 怪異とは違う——異能を持つ男。

 所謂、超能力者——のようなものだと思ってくれとは、本人の談。

 彼は、とてつもなく自分勝手な男なのである。その極まり方と来たら、傍若無人という四字熟語が脳の基底にインプットされているのではないかと、思わず疑いたくなる程だ。

 不遜っぷりだけで語るなら、毒舌女王こと僕の彼女である、戦場ヶ原ひたぎとも張り合えるかもしれない。

 とはいえ実際の所、この二人の会話なんて、恐ろしくて想像もしたくないが。

 どう転んだとしても、諍いが起こるに決まっているのだから。

 そんな事を思いつつも、しかし僕は、これ以上言葉を尽くしても意味がないと分かっているので、取り敢えずといった風に引き続き露伴先生に抗議の視線を送り続けておくのだった。

「オイオイ、そんなに恨みがましい目で見ることないじゃあないか。別に、ぶん殴って気絶させたって訳じゃあないんだぜ?」

「気絶はさせてるでしょうに……」

「人聞きの悪い事を言うなよな。僕はそんなつもり無かったってのに、君が勝手に気を失っただけだろ。むしろ僕は、気絶した君を壁に立てかけてやったんだぜ? 介抱したと言い換えたっていい。感謝こそされど、がたがた文句を言われるような筋合いは無いね」

「結果が分かっててやってるんだから同義だろう!」

 というか、立てかけるって。無機物に対するような表現を使わないで欲しいものである。

 ああ、そうそう。

 いい加減にそろそろ、彼が持つ能力について、触れておくこととしよう。

 岸辺露伴という人間が持つ、異質な能力。

 曰く——対象を本にする力。

 本にして、その記憶を、内心を、読む。

 強制的に、侵略的に、プライバシーもへったくれもなく、土足で踏み入る。

 厳重に鍵がかけられた心の扉を、事も無げに開いてしまう——恐るべき能力。

 しかも、それに加えて、発動時には対象を昏倒させるというおまけつきだ(到底、おまけという言葉で済ませていい効果ではないが)。

 これまでに、怪異が関わる幾つかの事件に首を突っ込んで来た僕をして、堪らずチートだと騒ぎ立てたくなるような、途轍もない性能である。

 それが、岸辺露伴の異能。

 名を——『天国への扉(ヘブンズ・ドアー)』。

 もっとも、その力を行使される側にしてみれば、天国とは真逆も真逆、地獄のような心地なのだが。何せ、やろうと思えば、個人情報を抜き取り放題なのだ。住所や家族構成なんて序の口で、クレジットカードや銀行口座の暗証番号まで思いのままである。

 露伴先生が漫画のネタを探す事にしか興味が無い故に、そのような非道な行いは実行に移されていないのだが(無許可で記憶を読む行為も、十分に非道だという点は置いておいて)、もしもこの力を得たのが、欲望に塗れた悪人だったらと思うと、流石に笑えない。

 ともあれ、正に今僕は、その能力の餌食になっている最中なのである。

 上手く力を入れられずに動かせない全身が、その事を証明している。目視こそできないものの、きっと僕の手足は今、幾枚もの紙の集合体のように変化していることだろう。そんな体で、自重を支えて立ち上がれる訳もなく。

「取り敢えず、これ解除してもらえます? さっきから微妙に、体勢がきつくて……」

「慌てるなよ、勿論すぐ動けるようにしてやるさ——君にしっかりと、苦情を言わせてもらった後でね」

 ……まじか。

 僕、この状態のまま、苦情を言われるのか。

 いや。

 いやいや。

 いやいやいや!

 どう考えても、文句を言いたいのはこっちなんだが!?

 もしも僕が何か気に障ることをしてしまったのだとして、せめて先に身体の自由を返して欲しい!

 そんな切なる要望を伝えるも、

「そもそもだな、この会話は僕が君へ質問したところから始まってるんだぜ? それに答えないままで君がべらべら喋り続けるから、いつまで経っても一連のやり取りが終わらないんじゃあないか。つまり、こんな状況に陥っているのは、暦くんの自業自得って訳だよ」

 なんて、嘯くばかり。

「理不尽過ぎる!」

「はあ……あまり大きい声を出すなよな。ここ、普通のビジネスホテルだぜ? それこそ、苦情を入れられでもしたら、君、責任取ってくれるのか?」

「う……」

 無茶苦茶で、不条理な言い分である。

 しかし。

 けれども。

 隣室に迷惑をかけるのを避けるべきだという点においては、大きな声を出すなという意見は正しいと言える(あの岸辺露伴が、他人の迷惑を考えているのかは怪しいというか、ほぼ確実に考えてなどいないのだろうが)。

 故に、僕は思わず閉口してしまったのだが、それが良くなかったのだろう。

 僕の沈黙を好機と見たのか、露伴先生は畳み掛けるようにして本題を——僕への苦情とやらを語り始めた。

「今、僕の能力で、君の直近の記憶を読ませてもらったんだがな。もう一度言わせてもらうが、君は一体どういうつもりなんだ?」

「いや、その……。そう言われましても、何の話をしているのか、僕にはさっぱりなんですが……」

「……そうかい、分からないってんなら、はっきり言ってやろう——暦くん。君は、この部屋に入る直前、考え事をしていたな? 将来への不安だとか、そーゆー所謂ところの悩みってやつじゃあなく、言うなれば記憶の整理だ。きっと、これから僕と顔を合わせるってんで、ここ数日の出来事が脳裏を過ったってとこだとは思うが」

 そう言われれば、思い当たる節はある。

 しかし、それが一体なんだと言うのか。過去を思い返すぐらい、何時だって誰だってするものであって、特段不思議なことでもないだろうに。

 そんな疑問が表情に出ていたのか、露伴先生は元から不機嫌そうだった顔を、更に険しく歪めた。

「……そのまとめた結果の出力が、小説で言うところのプロローグのような形式になっていて、尚且つ正に、小説らしき文体になっているという点については、置いておくとしよう。君の頭の中がそんな調子だってのは、この前読んだ時から分かっていた事だからな。それはそれで、興味深いとすら思っているからいいさ——だがなッ!」

 突然に立ち上がり激昂した露伴先生は、僕へ人差し指を突き付けつつ、

「問題は締めの部分だッ! ここだッ、読み上げてやるッ! 『こよみロハン』と書いてあるなッ! 語呂良く収めたつもりなのかもしれないがなあッ! 君は一体どういう了見で、勝手に僕の名前を使っているんだァ~~ッ!?」

 爆発。

 怒りに打ち震え、髪を振り乱したその姿は、正に怒髪天を突くといった様相であった。

 ……ああ、うん。

 ぶっちゃけると、丁度良さそうなものが思いついた、と思わなかったでもない。

 なんだか文字数的にもしっくりくるし、一連の事件に対するタイトルとしていい感じじゃないかと。

 そう、思わなかったでもない。

 同時に。

 勝手に名前を拝借してしまったことに対する、罪悪感のようなものが、なかったでもない。

 その意味では、露伴先生の怒りもある種、正当性を持っていると言えるだろう。

 でも。

 でも、である。

 良い訳がましいかもしれないが、それらは全て、僕の脳内での出来事なのだ。

 勿論露伴先生に直接言った訳でもなく、どころか口に出してさえいない。

 僕の心の中という、密閉され、秘された空間で完結している事柄。

 だったのに。

 『ヘブンズ・ドアー』というマスターキーによって、情け容赦なく暴かれてしまった。

 僕以外の誰も、一生知ることは無かった筈のそれが、他ならぬ露伴先生の手により、白日の下に晒されてしまったのであった。

 ……いや、仕方なくないか!?

 考えるという行為自体、そう都合よく制御できるものではないし、あくまで考えているだけなのだから、本来それは誰に咎められるでもないことなのだ。

 例えるならば、そう。

 僕が授業中暇さえあれば、制服という神秘的なヴェールに隠された下着の色を想像しながら、委員長である羽川の事を凝視してしまうのと同じように!

 誰に咎められるでもないことなのである!

 考えているだけなのだから!

 ……あれ、妙だな、一気に僕の論が正当性を失った気がするぞ。

 いや、やはり気のせいだろう。僕は何も、間違った事は言っていない筈だしな。

 何はともあれ、申し訳なさこそあるものの、僕としては反応に悩むところである。

 露伴先生の怒りようからして謝罪した方がいいのかもしれないが、このような言い訳を考えてしまっている時点で、火に油を注ぐ結果になりかねない。

 露伴先生が観察眼に優れていることに加え、そもそもとして、『ヘブンズ・ドアー』の前では、心の(うち)で思うという事は、言葉にしているのと同義であるのだから。

 さてどうしたものか。

 僕が最善の行動を決めかねていると、

「……はあ」

 と露伴先生は大きく溜息を吐いて立ち上がり、それから部屋に備え付けられた椅子へどっかりと腰を下ろした。

 同時に、僕の体から違和感が立ち消え、自由が戻ってくる。それが意味するところは、露伴先生が能力を解除してくれたということだ。

 つい数秒前までまるで、気に入っている髪型を貶されたかの如くプッツンしていたというのに、この一瞬でどんな心境の変化があったというのだろう。

 思わずぽけっとした表情で露伴先生を見つめれば、先程よりは幾分落ち着いた様子で、けれど不機嫌さ自体は隠そうともせず、言った。

「——ナメられているようでムカついたんで一言言わせてもらったが、まあそれについてはもういいさ。直接物申したことで、ある程度は溜飲が下がったんでね。それに——あまり君を虐めていると、僕という存在が一滴残らず吸いつくされかねない」

 露伴先生はそう言って、僕の足元を——正確には、僕の足元から伸びる影を見た。

 ああ、なるほど、と。

 僕も追従して、自身の影へ視線を落とす。

 何の変哲もなく、常の通りそこにある僕を象った影。

 室内故に然程色濃くはないその表面が、波打つ水面のように、微かに揺らいだ気がした。

 もっともそれは、本当に気のせいなのだとは思うが。

 僕の影に潜んでいるあいつは、まだ日が高いこの時間帯なら、眠っているだろうから。

 ……いや。案外、起きているのだろうか。肉体的にも精神的にも、結構騒がしくしてしまったし、半覚醒状態くらいにはなっていてもおかしくはない。

 ともあれ、漸く動けるようになった僕は、ひとまずその場で立ち上がり、手足をぷらぷらと振って感覚を確かめる。

 とはいえ、例え何らかの不調があったとしても、未だ僕の体に残る、あの地獄のような春休みの後遺症とも呼べる力を考えれば、数分と経たない内に元通りとなってしまうのだろうが。

「さて、暦くん」

 露伴先生は、先程までと打って変わり、平坦な口調で切り出した。

「ちょいとばかし先走って覗かせてはもらったが、そろそろ本格的に()()()()もらおうか。約束——いや、契約と言った方がいいな。その履行のために態々足を運んでもらった訳だが、ここまで来ておいて、まさか忘れたとは言わないだろう?」

「——はい」

 契約。

 それは数日前、僕が露伴先生と初めて出会ったあの日に結ばれたものだ。

 あの日、僕らは。

 数奇な巡り合わせによって出会い。

 奇妙な偶然によって事件に巻き込まれた。

 その事件こそ既に解決しているものの、結果として僕は、露伴先生にとあるお願いをすることになったのだった。

 読ませるというのは、そのお願いの対価なのである。

 正当なる対価——なのだけれど。

 やっぱりちょっと、不安になるなあ……。

「それじゃあ、楽な姿勢を取って——おい、そんなに疑ったよーな顔をするなよな。僕が読むのは今回の件に関する事だけで、他には一切目を通さないさ。事前の取り決めでそうなっているし、それに、そこも含めて本当に見られたくない情報は、そもそも()()()()()()()なっているんだろ?」

「あー、まあ、そうですね……」

 露伴先生は再び眉間に皺を寄せ、若干の苛立ちを感じさせる声で言った。

 彼の言う事は全面的に正しい。

 正しいのだが、やっぱりそれとは、別の問題なのだ。

 端的に言えば、気持ちの問題という奴である。

 苦手意識と換言してもいい(もっとも、これを得意だと言える人間などいないだろうが。少なくとも僕は、心を読まれるというのは、裸で外を歩くぐらいに恥ずかしい事だと感じる)。

 しかし、如何に気が進まなくとも、約束は約束。

 誓約書を書いた訳でもなく、実質的には強制力などないのだけれど、僕が自分で了承した条件である。

 であるならば、約束を違えるなんて事は、あってはならない。

 例え、どんなに気が乗らなかったとしてもだ。

 僕はベッドの脇に座り込むと、気を失っても倒れ込まないようしっかりと背中を預ける。それから、ほんの少しの緊張を抱えつつ、露伴先生に向けて宣言した。

「いつでも、大丈夫です」

「……よし」

 露伴先生は、静かにこちらへ歩み寄り、再び僕の顔に片手を添えた。

「それじゃあ、早速読ませてもらおうか——『天国への扉(ヘブンズ・ドアー)』」

 指を揃えて開いた手の平を、手首を軸に外側へ回転させる形で動かす。

 それは(さなが)ら、捲られる項のようであって。

 瞬間、僕の心の扉は音もなく開かれ。

 それと同時に、僕は意識を手放したのだった。

 

 

 

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