阿良々木暦は止まらない   作:ぼんぼーる

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「——ちょっ、ちょっと待って下さい!」

「ン……なんだい、暦くん」

「いやいや、『いいだろう』って……え、それ、羽川には何もしないってことで合ってますか!?」

「それ以外の意味に聞こえたんなら、君はもう少し国語の勉強をした方がいいな。大学受験するってヤツがそんなんじゃあ、先が思いやられるぞ」

 ひどく呆れられた。

 いやまあ、本当に他の意味があると思った訳ではないが、しかし、瞬時には理解し難い返答だったのは確かだ。

 だって、こんなにもあっさりと、露伴先生が引き下がるなんて、思いもしなかったのだ。

 当然の如く露伴先生が僕の要求を跳ね除けて、なんやかんやで能力系バトル漫画もかくやの展開となり、一悶着も二悶着もありつつ、最終的に話数をいくつも消費するような事態に発展すると、そんな覚悟でいたというのに。

 呆気なく、話がついてしまった。

 哀れにも行き場を失った僕の覚悟は、ファイティングポーズをとったままで、固まってしまっている。覚悟というのは、固めるのもそうだけど、緩めるのだって、容易じゃないんだぞ。

「……どうしてですか?」

 思わず僕は、そう訊いてしまった。

 良い事ではある。

 露伴先生が手を引いてくれるというのは、僕にとっては望み通りなのだから、間違いなく良い事なのだ。

 しかし、何というか——腑に落ちない。

 不自然だと言ってもいい。

 ほぼ初対面の人間に対して言うのは変かもしれないが、それでも、あの露伴先生がそんなに簡単に諦めるものかと、そう思ってしまう。

「どうして、と言われてもな。大人しく引き下がってやるんだから、君にとっては喜ぶべきことのはずだろう?」

「そうですけど……」

「だったら、それでいいじゃあないか。一体何が気になるって言うんだ」

「……うーん」

 そう問われると、即答はできない。

 煮え切らない僕の態度に、露伴先生は業を煮やしたのか、面倒臭そうに息を吐くと、がしがしと頭を掻いた。

「……分かったよ。理由を説明すればいいんだろ」

「えっ」

「『えっ』——じゃあないッ! 気になって仕方ないって顔を君がしてるから、しょうがなく説明してやると言っているんだッ!」

 また怒られた……。

 段々分かってきたけど、露伴先生割と沸点低いな……。

 思い通りに事が運ばないと——特に、やりたいことを邪魔されると、めちゃくちゃ怒るタイプと見た(そうすると猶更、今の状況が不思議でならないが)。

 まるで、子供みたいな性格の人だ——なんてことは、とてもじゃないが面と向かって言えないけれど。どんな恐ろしい目に遭わされるか、分かったものじゃないしな。『ヘブンズ・ドアー』と呼ばれていた力を抜きにして考えても、怖い人だ。

 露伴先生は、二度は説明しないからな、と言ってから、話を始める。

「僕が、羽川という少女から手を引く理由だが——単純に、そう決めていたからだ」

「決めていた……?」

「ああ。さっき暦くんのことを読んだ時、()()()()()()もらったんだがね。どのくらい持続したかは分からないが、あの後暫くの間は、僕に()()()()()ってこと、思い出せなかったんじゃないか?」

「確かに、そうでしたけど……、書き込んだって、それ、もしかして……?」

 記憶の、封印。

 僕の記憶はあの時、確かに欠落していた。

 どうやってそれを成したのかという点については、ずっと疑問に思っているところではあったけれど、今の発言を聞く限り——そういうことなのか?

 だけど、そんなことが出来るのなら、出来てしまうのであれば、露伴先生の有する力は、僕の認識よりもずっと、無法なものだということになる。

 信じ難い思いで露伴先生を見遣ると、彼は胸ポケットからペンを取り出し、僕にもよく見えるよう眼前に掲げてみせた。

「本というのは結局のところ、紙だ。価値としてはそこに印刷された文字列自体にあるが、素材が紙である以上、ペンで文字を書けるのは道理だろう。……ここまで言えば察しが付くとは思うが、僕の能力は、対象を本にして読むだけじゃあない。書くこともできる。そして書き込んだ内容は——真実となる。勿論、なんでもって訳にはいかないがな」

「じゃ、じゃあ……僕の記憶を封じた方法は、それだったってことですか?」

「『岸辺露伴の自己紹介を聞いて以降のことを忘れる』——僕は君に、そう書かせてもらった。本になっている間のことを覚えていられると、都合が悪いからな。……だが懸念もあった。暦くんの肉体が、純粋な人間ではなく、吸血鬼のそれであるということさ。その高い治癒力ゆえに、君は、本にされてなお意識を保てていたのだと、僕は推測した。だったら——それが書き込みに一切影響しないとは、考え難い」

「!」

「だから僕は、元から決めていたんだ。もしも、吸血鬼としての並外れた治癒力が、僕の書き込みすらも、綺麗さっぱり消し去ってしまえるのならば、そして暦くんが、僕を止めるために追ってくるようならば、その時は——潔く手を引こうってな」

 ……そうか。そういう理屈だったのか。

 恥ずかしい限りではあるが、僕は今の話を聞いてようやく、自身の身に起きたことを正しく理解できたのだった。

 先刻。

 忍は、自覚することが大事だと言った。僕の記憶が欠けている原因が、外部にあることを自覚しろ、と。

 つまり、『書き込まれた』とまでは理解できなくとも、何かをされたのだと認識することによって、治癒力の影響範囲を、物理的な負傷以外にまで拡大した。

 それが、僕が記憶を取り戻せた理由——換言すれば、()()()()を消せた絡繰りという訳だ。いわば治癒力が、書き込みに対する消しゴムの役割を担ったのだ。

「その結果君は、僕の前に再び姿を現した。これまでのやり取りを鑑みても、きっと僕の懸念は、残念ながら的中したんだろーな。本当に、残念だ」

「……でも、だとしてもまだ、疑問が残ります」

 露伴先生が語った理由は、ひとまず納得のいくものだった。

 細かいことを言えば、いくら僕が吸血鬼の肉体を持っているといっても、露伴先生の能力が完全に無効化される訳ではないし、少なくとも分単位では気絶させられるのだから(今の僕は吸血鬼の力が先程よりも高まっているから、もっと早く復帰できる可能性は高いけれど、そんなこと露伴先生は知る由も無い)、どうにかして僕の目を逃れつつ羽川を狙うことはできそうなものだが、それをしないということは、何かしら彼の中に判断基準があって、それに従った結果そういう結論に至ったということなのだと思う。

 だから、その辺りは一旦触れずにおこう。

 だがそうなると、また別の疑問が生じる。

 それは、ならば先程のやり取りは何だったのか、ということだ。

 僕が記憶を取り戻しており、なおかつ羽川への取材を止めようとしていることには、割りと早い段階で気付いていたはずだ。

 であるにもかかわらず、露伴先生は、僕と問答を行い、その末に漸く諦める旨を口にした。

 始めから結論を出していたのなら、あんな試すような会話は、不要だったはずなのに。

「そりゃあ、暦くん、決まってるだろう。そんなもの——」

 露伴先生は、なんてことないといった風に、言った。

「——君の反応が見たかったからさ」

 あっけらかんと。一切悪びれる様子もなく。

 そう言い放ったのだった。

「えー……?」

「僕は君に興味があるんだ。間違いなく、僕に勝るとも劣らないような、珍しい体験をしているはずの君に、な。……だが、惜しいことこの上ないが、僕は君を読むことはできない。だったらせめて、反応を見たかった。君は、友人に危機が迫った時どうする? どんな行動に出て、どんな言葉を吐く? それを為そうとする僕に、どんな感情を向ける? この岸辺露伴が、絶好のネタを掴むチャンスを、むざむざドブに捨ててやるんだ。それくらいは教えてもらわなきゃあ、割に合わないね」

「……普通に会話するんじゃ、駄目だったんですか?」

「駄目に決まってるだろうッ! ……いいかい? そんなんじゃあ、リアリティが生まれないんだ。追い詰められた時こそ、その人間の本性が見える——なんてことを言うつもりはないが、追い詰められた時のリアルな反応なら、見ることができる。真に迫っていないと駄目なんだよ。例えばだが——カフェでコーヒー片手に談笑している最中、『今この瞬間に突然警察がやってきて、君を逮捕したらどうするか?』、なんて話題を急に振られたとして、君、真剣にその現場を想像できるか? なんてことのない、雑談の一環として消費されて、終わってしまうだろう。そんなものには、何の価値もない。僕が見たいのは、生々しい生きたリアクションなんだから。そのためには、状況設定ってやつが、しっかりしてる必要があるんだ」

 ……。

 ……あー、なんだ。つまるところ。

 僕は露伴先生の掌の上で、まんまと踊らされていただけということか?

 羽川に接触するってのも、僕を釣るための餌でしかなくて——いや、それは違うか。

「……ちなみにですけど、僕が追いかけてこなかったら、どうするつもりだったんですか?」

「どう、と言われてもな。普通に、羽川って少女の居場所を探していただけだと思うが」

 ああ、そうだよな……。

 僕が記憶を取り戻して、なおかつ追いかけてきたら諦めるって、そう言ってたもんな。裏を返せば、その条件を満たせなかった場合は、手を引くつもりは更々無かったということだ。

 つまり露伴先生は、僕が再び現れるか否かで行動を変える気ではいたが、しかしその実、どちらであっても、一定ラインの利益を得られるようにしていたという訳だ。

 強欲過ぎる……。

「まあ、何にせよ、最低限は満足させてもらった。この場合、()()()()()()()と言った方がいいかもしれないが。ともかく、宣言通り羽川という少女には、手を出さないと誓うよ」

「……羽川以外だったら、とかもナシですからね」

「…………」

「何ですかその沈黙……。まさかですけど、そのつもりだったんですか……!?」

「……チッ」

「舌打ちしたこの人! 図星だったんだ!」

「——うるさいなあッ! いちゃもんつけて騒ぎ立ててるんじゃあないぞッ!」

「しかも逆切れされたっ!?」

「……ッ! ……ハァ~~~~ッ。分かったよッ! 君の友達には手を出さないッ! これで満足かッ!?」

「……友達以外なら、とかも——」

「~~ッ! 君しつこいぞッ! しないと言ってるだろうがッ! 僕を通り魔か何かだと、勘違いしてるんじゃあないだろうなッ!?」

 額に青筋を立てて、激昂する露伴先生。

 正直、当たらずも遠からずでは——という言葉は、どうにか呑み込むことに成功した。

 燃え上がる火柱に対して油を注げるほど、僕は怖いもの知らずではないのだ。

「クソッ……! 君とは波長が合うんじゃないかと思っていたが、どうやら僕の見込み違いだったらしいな……。惜しいところで噛み合わない感じがするよ」

「それを言ったら僕だって、露伴先生がここまでの変人だとは思いませんでしたよ……」

「フン……。事あるごとに、自ら進んでトラブルの渦中へ入っていくような人間には、言われたくないな」

「……読んだんですか?」

「多少な。君らの呼び方に倣えば、()()、だったか。深い事情までは読めなかったが、君が毎度女性を(はべ)らせながら、無茶なことばかりしているということは、なんとなく分かったよ」

 言い方に悪意こそ感じるけれど、否定はできないのが辛い!

 誓ってわざとではないのだ。

 怪異絡みの事件が発生してしまうのは僕の意思ではないし(首を突っ込むのは自分の責任だが)、そこに高確率で女の子が関わっているのも、僕が望んでいることではない。

 ……女の子の知り合いが増えること自体は、嬉しいけどな!

「……ついでに、一つ忠告しておくぞ」

 露伴先生は突如、神妙な表情で、そう言った。

「何ですか、急に……」

「僕だって別に、未成年の模範となるような人格者じゃあないし、大人としての責任ってのも、大して意識したことはない。だが、それでも、年上の人間として、知ってしまった者として、正しい道を示してやる必要があるんじゃないかと、そんな使命感にも似た気持ちを、僕は初めて抱いたんだ」

 ……こうも前振りされると、どうにも怖い。

 言ってはなんだが、露伴先生は本当に、模範になるような人じゃないと思うんだけども。

 そんな人間が、一体僕に何を教えるというのだろうか。内容次第では遠慮もなしに、お前が言うな! と返してしまうかもしれないぞ。

 そんな僕の反骨精神は、次の瞬間粉々に打ち砕かれた。

「暦くん、よく聞いておけよ——女子小学生の下着を脱がすのは、犯罪だ」

「——ぐあっ!?」

 僕は思わず、腹部を殴られたかのように、呻いていた。

 いや実際に、露伴先生の口から放たれた言葉は、僕の鳩尾を強かに打ち抜いたのかもしれない。そう錯覚してしまうくらいの衝撃だった。

 想定外のダメージだ。お前が言うな、なんて反論は、欠片たりとも浴びせる余地がない。

 うう……、というか、ほとんど読めなかったはずなのに、どうしてそこだけピンポイントで把握されてるんだ!

「知るかよ……。偶々そこだけ見えちまったんだから、仕方ないだろう。……僕にしては珍しく、これは割と本気で、君の今後を思って言ってやってるんだぜ? 僕は君がいつか、マジに捕まるんじゃあないかと疑っているぞ」

「ああ……僕と八九寺の、禁断の逢瀬が暴かれてしまった……」

「…………おい、冗談でも止めてくれよな。それ以上言うと、僕が直々に君のことを通報せざるを得なくなるぞ——というか、ショックを受けたような顔するんじゃあない。むしろ、こっちがショックだよ。あんな、特殊プレイじみたやり取りを読まされた身にもなってくれ。逆に謝罪が欲しいくらいだ」

 勝手に読んでおいて、何てひどい言い種だろうか。

 ああ、本当にショックだ。

 軽快で楽しい八九寺とのお喋りの内容が、こんな形で露わになってしまうなんて……。

「確かに君は、いろんな意味で警戒に値するヤツらしいな。それと、愉しんでいたのは暦くんだけだと思うが」

「そんなことありません! 僕と八九寺は相思相愛だ!」

「……君、いい加減にしろよ? オープンなのは結構だが、僕相手に披露するんじゃあない——ああ、ちくしょうッ。君と話していると、本当にペースを乱されるな! ……もういい、馬鹿な会話はここまでだ。無理やり話題を変えさせてもらうぜ。僕にとってはこっちの方が、本題と言ってもいいんでな」

「……本題?」

 本題って、なんのことだ?

 露伴先生は羽川のことを諦め、僕の周囲の人間も読まないと約束し(どこまで信用できるかは不明だが)、代わりに一応の利益として、僕と対峙するという経験を得ることで満足したはずだ。

 話はそれでおしまい——のはずである。少なくとも僕は、そう認識していたのだが。

「『吸血鬼』の件からは手を引くが、だからと言って、手ぶらで帰る訳にもいかない。僕がこんな田舎町まで来たのは、ネタ集めのためなんだからな。当てが一つ外れたんなら、別の何かを探す必要がある」

「そうは言っても、露伴先生に聞かせられそうな話なんて……」

 まあ、厳密に言えば怪異絡みの話があるのだが、そこには僕以外の人間も複数関わっている故に、僕だけの勝手な判断で喋る訳にもいくまい。

 加えて、いずれの件においても、それぞれの中心となった人物にとって、非常にデリケートな問題が核となっている。仮にやるとするならば、相当に(ぼか)して話すことになるだろうけれど、それすらも関係者に許可を取るのは憚られる。

 そんな具合なのである。

「……当人の了承が得られればいいってんなら、駄目元でも君に仲介役を頼みたいところだが——一旦その話は後だ。……僕が取材先の候補に直江津町を挙げたのは、ある二つの興味深い噂を聞いたことに起因している」

 露伴先生はそう言って、指を二本立てて見せる。

「一つは『金髪の吸血鬼』——これについては、君がよくご存知なんだろーがな。進んで話してくれるってんならともかく、そうじゃあないなら、もう僕にできることはない。だから僕は、もう一つの噂を調べる事にしたんだ。通称を——『黄泉(よみ)の木』。一応訊ねておくが、聞き覚えは?」

「……ないですね」

 記憶を遡ってみたものの、聞き覚えはなかった。

 黄泉の木。

 どことなく、穏やかでない名称である。

 黄泉と言えば、日本神話なんかで登場する、死者の国だ。短絡的に考えるのならば、あの世に生えている木、というような意味合いになるのだろうか。

 そんな風に考えてみたが、やはり思い当たる節はない。

「まあ、だろうな。この町に関する噂ではあるが、情報源は匿名掲示板だ。正確性という観点で言えば、これほど信用できないものもない。しかし、それでも何か、ネタになりそうな気配を感じたからこそ、調べようとしている訳だが」

「へえ……そうなんですか」

 僕は曖昧にそう言った。

 何と言うか、話が見えない。

 露伴先生がその、『黄泉の木』とやらについて調査しようとしているのは分かったが、それと僕とは、何ら関係がないように思える。

「……察しが悪いなァ、暦くんは。つまり僕は、こうお願いしたいんだよ——この件を調べるのを、君も手伝ってくれ、ってね」

「……ええっ!?」

「調査にあたっては、ちょいと山を登らなきゃあならないらしいんだが、僕はこの町の住人じゃないから、土地勘がなくてね。現地の人間に同行してもらった方が、安心だと思うんだよ」

 ……う、嘘くさい!

 にやにやという擬音が、これ以上ない程に似合う笑みを浮かべている。

 この町に住んでいるからといって、山道に詳しいか否かはまた別であるし、そこに僕を選ぶ必然性もないはずだ。

 なんだ……? 露伴先生は一体、何を企んでいる……?

 調査をするということ自体は嘘ではなさそうだが、その裏に他の意図がある気がしてならない。

 そんな風にして考え込んでいると、露伴先生はまるで痺れを切らしたかのように、不意にこちらに背を向けた。

「……そうかい。君が協力してくれないってんなら、まあいいさ。結局の所、どうするかは暦くんの自由だからな。だが——僕は非常に悲しいよ。最近の日本人は冷たくなったなんて聞くが、どうやらそれは真実だったらしいな。他所の県から来た人間相手に、道案内一つしてくれないとは。実に嘆かわしいことだ。この国の未来が、不安で仕方ないよ」

 大げさに肩を落とし、悲嘆にくれたようにぼやく露伴先生。

 ……やはり嘘っぽいけれど、しかし、的確に人を嫌な気分にさせてくる。まるで僕がとてつもなく非情な人間であり、非難されてしかるべきだとでも言いたげだ。

 僕は何も悪くないはずなのに、実際に酷い行いをしているのではという錯覚すら起こしそうである。

 ……いやいや、その手には屈しないぞ。

 多分だけど、ここで頷けば面倒なことになる。

 大体、僕なんかいなくても、露伴先生なら自分一人で、大抵のことは何とかしてしまうだろう。そういう謎の信頼を、僕は彼に対して抱き始めていた。チートじみた力も持っていることだし。

 だからこそ僕はこの時点で、露伴先生の頼みは断ろうと、心に決めていた。それに対する一抹の心苦しさもありはしたものの、この決意は揺らがない——予定だったんだけども。

 露伴先生は既に、次の手を打っていたのだ。

 嘆く演技を止めた彼の手には、いつの間にか数枚の紙切れが握られていた。ひらひらと、微風にすら(なび)くような、薄くて小さな紙切れだった。

 よくよく見てみれば(吸血鬼の視力故に、本当は目を凝らす必要なんてないのだけれど)、それが、とある店で使用できる、商品の無料引換券だということが分かる。

 その券は、僕がよく知っている店から発行されているものであり、付け加えるならば、ここ最近特に売り上げに貢献しているという自負がある、とあるチェーン店のものであった。

 それが何であるかを認識した途端、他に何も考えられなくなるような、凄まじい興奮が体の芯から沸き上がってくる——正確には、僕自身の感情ではなくて、影の中に潜んでいる、忍からなのだけど。

「——お前様、行け」

 確かに声は聞こえなかったはずなのに、有無を言わせぬ口調で、そう言われた気がした。

 お前、寝たんじゃなかったのかよ……。

 とはいえ、忍たってのご希望とあらば、無碍にすることはできない。

 こうして僕は、猛烈に嫌な予感を覚えながらも、露伴先生のお願いを聞く羽目になってしまったのであった。

 ——その果てに、何が待ち受けているとも知らずに。

 

 

 

 

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