尾張水神伝 ~SF世界の天使っぽい種族に転生したけどワープ事故で戦国時代の日本に漂着しました~ 作:Lavian
1562年の夏が近づく頃、養蜂の成果がようやく実を結んだ。
設置した木箱の巣から、こんもりとした蜂の巣が取り出された。煙を当てながら慎重に作業した村人たちが、蜂蜜の詰まった巣を持って城に届けてくれた。黄金色に輝く蜂蜜が木桶に溜まっているのを見て、セララは思わず顔がほころんだ。
「やっと採れた」
「待った甲斐がございましたな。想像以上の量でございます」
と丹羽も満足そうだった。
養鶏の卵は以前から安定して届いていた。牛乳も試験的に始めた牛の飼育が軌道に乗り、毎日少量ずつ手に入るようになっていた。
これで全ての材料が揃った。
セララが作りたかったもの、プリンだ。
前世で何度も食べた。滑らかで、甘くて、口の中でとろける。この時代にはない菓子だが、卵と牛乳と甘味があれば作れる。カラメルソースは砂糖を焦がして作るものだが、蜂蜜で代用できるはずだ。
セララは台所に入って調理を始めた。
まず蜂蜜を小鍋に入れて弱火にかけた。ゆっくりと加熱していくと、色が濃くなり始める。泡立ちが落ち着いて、香ばしい匂いが漂ってきたところで火から外した。焦がし蜂蜜だ。これを器の底に薄く敷いた。
次に卵を割って卵液を作る。牛乳と蜂蜜を加えて、よく混ぜ合わせる。混ぜた液を布で漉してから、器に静かに流し込んだ。
「蒸籠で蒸すよ」
台所の者が蒸籠を用意してくれた。湯気の上がる蒸籠に器を並べ、蓋をして弱火でゆっくりと蒸していく。強火にすると気泡が入って表面がぼこぼこになる。ゆっくりが大事だ。
蒸している間、甘い匂いが台所に広がった。
しばらくして蓋を開けると、表面が滑らかに固まっていた。揺らすとぷるりと動く。成功だ。
氷の魔法で冷やしてから信長に出した。
信長が器を眺めた。黄色みのある固まりが、底から透けて見える焦がし蜂蜜の濃い色と重なっている。
「これは何だ」
「プリンっていうお菓子だよ。卵と牛乳と蜂蜜で作ったんだ。底に焦がした蜂蜜が敷いてあるよ」
信長がさじを入れた。するりと刃が通って、柔らかく崩れた。口に運ぶ。
「……甘い。今まで食べたことのない柔らかさだ」
「蒸すと卵がこういう固まり方をするんだよ。ぷるぷるしてるでしょ」
「こんな菓子が作れるとは」
と信長は言いながら、また一口食べた。
「実に美味い。セララよ、これを毎日の献立に追加できるか?」
「蜂蜜が安定して手に入るようになったから、毎日は難しくないよ。でも甘い物の食べ過ぎは体に毒だから、1日の間に食べて良いのはプリンと水神餅のどちらか片方を1個だけね」
「なに?こんなに美味いのに、プリンと水神餅のどちらか片方しか食えぬと言うのか」
信長はぐぬぬと唸り、プリンと水神餅を交互に献立に載せるよう命令した。
それ以来、信長の夕食には甘味としてプリンか水神餅が出されるようになった。特別な日には城の者たちにも振る舞われ、初めて食べた武将たちが揃って目を丸くした。
また、養蜂によって蜂蜜以外に採取できたものとして蜜蝋があった。蜜蝋は蠟燭として使われるほか、蝋を塗る事で防水加工となる事から書物や地図、木製・革製武具の防水加工に用いられた。特に火縄銃の火縄に蜜蝋を染み込ませることによる防湿改良に役立った。
養蜂によって得られる蜂蜜・蜜蝋は高値で売れるため、尾張の農村の産業として広まっていくのだった。
プリンが好評で浮かれていたある日、信長から呼び出しがあった。
「松平家から使者が来た。清洲同盟の話が進んでいる」
「松平家というと……」
「三河の松平元康だ。今川から独立した若い当主で、織田と手を結ぶ意向があるという。来月、清洲城に来ることになっている」
松平元康。
セララの頭の中で、前世の記憶がはっきりと動いた。
松平元康、後の徳川家康だ。江戸幕府を開き、日本を統一した人物。歴史上で最も長く天下を治めた政権を作った人間が、もうすぐ清洲城に来る。
内心でウキウキしているのを、表情に出さないよう気をつけた。信長には転生前の知識のことは話していない。歴史を知っているということは、これからも秘密にしておく方が良い。下手に話してしまうと歴史がどう転ぶか全くわからないからだ。
「同盟の会談の場でセララに頼みがある。元康は水神様に会いたいという希望を持っているそうだ。友好の証として、神の奇跡を見せてやってくれないか」
「もちろん大丈夫だよ」
信長からの頼みをセララは快く引き受けた。
「では、頼んだぞ」
元康の来訪の日、清洲城は程よい緊張感に包まれていた。
松平元康は二十歳そこそこの若者だった。体格はがっしりとしていて、目に落ち着きがある。若いが、軽率な印象はない。同行した家臣たちと共に広間に入ってきた元康は、セララを見た瞬間に動きを止めた。
翼とヘイローに目が止まったのだろう。最初は驚き、次に真剣な表情に変わった。
「貴方が水神様でございますか」
「こんにちわ。ボクはセララだよ。元康さんの事はよく聞いてるよ」
セララは笑顔で答えた。内心では、この人が後に徳川家康になるんだという興奮があったが、それを顔に出さないように冷静に答えた。
「松平元康と申します。水神様にお会いできて光栄です」
元康がセララに向き直って、深く頭を下げた。
「セララよ。百聞は一見にしかずだ。奇跡を見せてやると良い」
信長がセララに魔法を使うように促した。
「それじゃあ、少し見せてあげるね」
セララはまず手のひらを上に向けて、アイスウォールを使った。何もない空間に氷の塊が現れた。白く濁った氷が広間の光を受けて輝く。元康の目が大きくなった。
「次は」
今度はファイアーボールを小さく制御して、氷塊に向けて放った。炎が氷に当たり、白い蒸気が広間に広がった。氷が溶けていく。
元康が息をのんだ。
「最後に飛んでみせるね。元康さん、良かったら一緒に飛んでみる?」
元康が信長を見た。信長が小さく頷いた。
「元康殿、空を飛んでくると良い。生涯忘れられぬ経験となる」
信長が許可を出した。
「……お願いできますか」
「もちろん。しっかり掴まっていてね」
セララは元康を両腕で抱えて、城の外に出た。中庭に立ってから、翼を大きく広げた。
「行くよ」
地面を蹴って上昇した。
元康が息を詰めるのが伝わってきた。それでも叫びはしなかった。高度が上がるにつれて、三河の方角まで見渡せるようになった。
「あちらが三河の方向だよ」
「……おお。空から地上を眺めるとこのように見えるのですね」
と元康は言った。高さ故の恐怖か声が少し震えていたが、目は開いていた。
しばらく飛んでから着地する。
元康は地面に降り立ってから、深く息を吐いた。それから顔を上げて、セララを見た。
「これほどのものとは……言葉がございません」
「楽しんでもらえた?」
「はい。信長殿の言う通り、生涯忘れられない体験でございます」
広間に戻ると、信長が元康に話しかけた。
「元康殿、セララはどうだ」
「本物でございます。まさか、本物の水神様が織田殿の友人でいらっしゃるとは」
と元康は言った。声に純粋な驚きがあった。
「うむ。大切な友人である。さて、儂が水神と友人であるという事は、儂と同盟を組めば元康殿も水神と友人になれる可能性があるかもしれんな」
「それは魅力的ですね。水神様との縁、ぜひ繋ぎたいと思っております」
信長と元康の会談は順調に進んだ。
その後、同盟の話し合いが一段落したところで、セララがプリンを運んできた。
「ボクが作ったお菓子だよ。すっごく美味しいから食べてみて」
セララがニコニコしながら信長と元康にプリンを配膳する。
元康はプリンを見て首を傾けた。見慣れない食べ物だったが、匙ですくって恐る恐る一口食べた。
「これは……」
元康が口の中でプリンを転がし、十分に味わって飲み込む。
「なんと柔らかく、甘い……。実に美味しゅうございます」
と元康は言った。さらにもう一口を食べ、幸せそうに味わう。
信長が満足そうに見ていた。
プリンを食べ終えた信長と元康は同盟の詳細を話しあい、清洲同盟を締結した。
史実でも結ばれた同盟だが、セララの存在がある事で同盟の条件が史実とは変わった。
信長は同盟を組む利益として水神の知識である農業改革、養蜂、養鶏、そしてプリンの作り方を元康に教えると約束し、元康はこれを大いに喜んだ。
信長は水神の恩恵を広める事で水神信仰の拡大を狙ったのだ。元康が裏切ろうとしても、配下や民が水神を信仰していればそう容易く裏切れないと言う目論見だ。また、信長は銭や兵ではなく知識を与えることで元康に恩を売った。信長は一銭も払う事無く、元康に首輪を付ける事に成功したのだ。
信長は同盟による軍事力の強化を行い、恩と水神信仰と言う枷を元康に付けた。元康は自分の領地を豊かにする知識を手に入れた。両者共に大きな利益のある同盟だった。
こうして水神様の知識は尾張だけでなく、同盟国の三河にも広まっていった。