尾張水神伝 ~SF世界の天使っぽい種族に転生したけどワープ事故で戦国時代の日本に漂着しました~ 作:Lavian
1564年(永禄7年)。
清州城の授業部屋が手狭になってきた。
最初は16人だった生徒が、気づけば倍以上になっていた。水神様の授業があると聞きつけた城下の商人や職人が参加を希望し、近隣の村から来る者も現れた。部屋に入りきらずに廊下で立ち聞きする者まで出てきた。
セララはある朝、授業の後に丹羽に言った。
「そろそろ部屋のサイズが限界だよね」
「はい。先日も廊下に十数名が溢れておりました。このままでは授業が成り立たなくなります」
「うん。だから学校を作りたいんだ」
丹羽が目を上げた。
「学校、でございますか」
「授業を受けられる場所を、ちゃんとした建物として作るんだよ。二種類考えてる」
セララは端末を操作して、考えていた内容をまとめた図を映し出した。
「一つ目は大学。上流階級の人や専門職の人向けに、専門的な知識を教える場所だね。今やってる授業の発展版みたいなものだよ。もう一つは小学校。庶民や子供向けに、文字の読み書きや基礎的な知識を教える場所だよ」
「大学と小学校……二つを分ける理由は?」
「教える内容と対象が違うからだよ。専門的な話は基礎がないと理解しにくいし、子供や庶民には分かりやすい基礎から教えた方が良い。それぞれに合った場所があった方が効果的だと思う」
丹羽は頷きながら聞いていた。
「参加者を集めるにはどうするつもりですか。学校に来るように強制することはできませんし、庶民は仕事を休んでまで授業に来るかどうか」
「昼食を無料で出すよ。どちらの学校も」
丹羽が少し驚いた顔をした。
「無料で食事を……」
「農業の知識、栄養の知識、衛生の知識、算術の知識が広まれば、人々の生活の質と仕事の質が上がる。そうすれば尾張全体が豊かになるはずだよ。豊かになった分は税収にも反映されるから、最終的には元が取れると思う」
丹羽はしばらく考えてから、表情が変わった。
「なるほど。昼食を提供することで足を運ぶきっかけを作り、授業で知識を得てもらう。知識が広まれば生産性が上がり、国が豊かになる。仰る通りでございますね」
「信長さんへの提案として話してみてもいい?」
「ぜひ。私からも後押しいたします」
信長への提案は、その日の夕方に行われた。
セララが学校の構想を説明すると、信長は珍しく質問を重ねた。費用はどれほどかかるか、どこに建てるか、何人を収容できるか、誰が教えるか。授業料を取るのか。
セララはひとつひとつに答えた。費用はセララの桶狭間戦の報酬を使用する。場所は城の近くが良い。収容人数は最初は大学が五十人、小学校が百五十人を目標にする。教える人間は、これまでセララの授業を受けてきた生徒たちに分担してもらう。授業料は無料の予定だ。
「お前が全部教えるわけではないということだな」
「そう。ボクが全部教えると限界がある。ボクの授業を受けた生徒が、次の生徒に教える。そういう仕組みにすれば、知識が広がる速度が上がるんだよ」
「許可を出そう。ただし、昼食と授業料が無料なのは小学校だけとし、大学では昼食と授業料を有料とする。大学まで無料だと志の低い者が昼食目当てで来ないとも限らんからな」
信長が昼食と授業料の部分を修正して許可を出した。
「ありがとう、信長さん。確かに無料だと色々な問題が起きるかもしれないね」
「うむ。それと、建設の費用と昼食の費用は共同で出す。お前一人に負わせるのは道理が通らん」
こうして学校の建設が決まった。
翌日、セララは丹羽と、これまで授業を受けてきた生徒たちを集めて話し合いを始めた。
「学校で使う教科書を作りたいんだ。みんなの力を借りたい」
「教科書、でございますか」
と丹羽が言った。
「授業の内容を本にまとめたものだよ。農業、栄養、衛生の知識はすでに授業でやってきたから、その内容を整理してまとめれば良いと思う。それと算術の項目も追加したいな」
「算術は商売の役に立ちますな。教科書に載せるのに相応しい項目です」
商人出身の生徒が言った。
「そうだね。教科書では四則演算と複式簿記を教えようと思うんだ。複式簿記は商人や経営者には特に役立つはずだよ」
「複式簿記とはどのような物でしょうか」
「一つの取引を二つの側面から記録する仕組みだよ。お金が入ってきたとき、どこからいくら来て、何に使われたかを両方記録する。そうすると財産の状態が正確に把握できるし、間違いも見つけやすくなる。帳簿をごまかしにくくする効果もあるんだ」
「例えば、米を売ったとき、銭が増えたという記録と、米が減ったという記録を同時につけるという理解で良いですか?」
「その理解で合っているよ」
「今の帳簿とは全然違いますな。しかし増えた銭と減った米の収支が合わない時はすぐに分かりそうです」
と別の生徒が言った。
その後も相談を続けて教科書の構成が固まった。農業の章、栄養と衛生の章、算術の章が基本的な教科書となる。
「小学校向けの教科書の構成は固まったね。次は大学向けの教科書について話し合おう」
セララは続けた。
「大学では小学校の内容に加えて、物理の章を追加したいんだ」
「物理、でございますか。どのような内容を教えるのですか」
「建築や農業に使える力の仕組みを教えるよ。例えばてこの原理。重い石を動かすとき、棒と支点をうまく使えば少ない力で動かせる。これを知っているだけで、普請や農作業の効率がぐっと上がるんだ」
「ほう、棒一本でそれほど変わるものですか」
職人出身の生徒が興味深そうに言った。
「うん、棒一本ですごく変わるのが物理の凄い所なんだ。てこの原理以外にも滑車の仕組みも教えたいな。あと、図面の書き方も教えたい。建物や農具を作るとき、頭の中にあるものを図で伝えられれば、大工や職人との打ち合わせが正確になる。言葉だけだと伝わらないことも、図があれば一目で分かる」
「図面の書き方まで教えていただけるとは、大工や職人には特にありがたい話ですな」
職人の生徒が書き取りながら言った。
「大学の物理の章は、知識を実際の仕事に活かせる人を育てるための章だね。算術や農業の知識と組み合わせれば、できることの幅が広がるはずだよ」
こうして大学では物理の章を追加することが決まった。
それぞれを担当する者を決めて、授業の内容を文章にまとめていく作業が始まった。
数日後、セララは担当者たちが書き上げてきた原稿を手に取った。
最初の一枚を読んで、首を傾げた。
農業の章を担当した者の文章は、知識は正確だったが言い回しが難しく、読んでいて意味が取りにくい。栄養と衛生の章を担当した者の文章は、逆に簡単すぎて肝心の説明が抜け落ちている箇所があった。複式簿記の章は、商人出身の生徒が書いたためか専門的な言葉が多く、商売を知らない者には意味が分からないと思われた。
三人三様の文章が並んでいた。どれも内容は間違っていないが、このまま教科書にするには問題がある。
セララは担当者たちに声をかけた。
「みんな、原稿を読んだよ。内容は良いんだけど、一つ問題がある」
「何か間違いがありましたでしょうか」
農業の章を書いた者が緊張した顔で言った。
「内容は合ってるよ。ただ、三人の文章がバラバラで、読む人によっては分かりにくい部分がある。例えばこの一文」
セララは農業の章の原稿を示した。
「『土壌の性質に応じた施肥の選択を行い、作物の成長に資する環境を整えることが肝要である』って書いてあるけど、これを庶民の子供が読んで意味が分かると思う?」
農業の章の担当者が顔を赤らめた。
「……確かに、難しすぎましたな」
「逆にこっちは」
今度は栄養と衛生の章を示した。
「『野菜を食べると体に良い。毎日食べよう』だけだと、なぜ良いのか、どのくらい食べれば良いのかが全く伝わらないんだよ」
栄養の章の担当者も俯いた。
「簡単に書こうとしすぎました……」
丹羽が困った顔でセララを見た。
「書き直しとなりますと、また時間がかかりますが」
「うん、書き直しが必要だと思う。でもその前に、みんなで文章の書き方のルールを決めよう。ルールがないから書く人によってバラバラになるんだよ」
「文章のルール、でございますか」
「まず、誰に向けて書くかを決める。小学校の教科書なら、文字を覚えたての子供や庶民が読むことを前提にするべきだよ。難しい言葉は使わない、一文を短くする、これが基本だね」
セララは続けた。
「それと文章を書くときは六つのことを意識してほしいんだ。いつ、どこで、誰が、何を、何故、どのように。この六つが揃えば、何を伝えたいのかが明確になる」
丹羽が書き取った。
「いつ、どこで、誰が、何を、何故、どのように……確かにこれが揃っていれば、読む側が状況を把握しやすくなりますね」
「さっきの農業の文章を例にすると、『春になったら(いつ)、田畑に(どこで)、農民が(誰が)、草木灰を(何を)、土を豊かにするために(何故)、まんべんなく撒く(どのように)』って書けば、子供でも分かるはずだよ」
農業の章の担当者が目を開いた。
「同じ内容でも、ずいぶん分かりやすくなりますな」
「この六つのルールを守って書き直してほしい。皆が修正版を書いたらボクが原稿の確認をするね」
「承知しました」
皆がそれぞれの原稿を修正していく中、複式簿記の章を担当した商人の生徒がぽつりと言った。
「水神様、一つよろしいでしょうか」
「何?」
「今の六つのルール、これ自体を教科書に載せた方が良いのではないでしょうか。文章の書き方を知らない者は、報告書や記録を書くときも同じ問題が起きると思います」
セララはその言葉を聞いて、少し考えた。
「……確かにそうだね」
丹羽も頷いた。
「読み書きを覚えたばかりの者が、次に躓くのは書き方でございます。文字は書けるが、何をどう書けば伝わるのかが分からない。その問題を解決できます」
「じゃあ、国語の章を追加しよう。読み書きや漢字を教えるのと、文章の書き方のルールをまとめた章だよ。小学校でも大学でも、基礎として教えたい」
こうして教科書に国語の章が加わることになった。
農業の章、栄養と衛生の章、算術の章、そして国語の章。
書き直しと追加が重なり、作業はさらに数週間続いた。担当者たちは六つのルールを意識しながら原稿を書き直し、セララが内容を確認して修正を重ねた。作業が深夜に及ぶこともあった。
(前世の仕事の締め切り前みたい)
セララは疲れた頭でそう思いながら、それでも手を止めなかった。
ようやく小学校用の教科書の第一版が完成した。
セララは完成した教科書を手に取って、ページをめくった。水神文字で整然と並んだ文章、図解を交えた説明、章ごとに分かれた構成。最初の原稿からずいぶん遠いところまで来たという実感があった。
「これを水神教科書と名付けましょう」
と丹羽が言った。
「また水神の名前が付いちゃった」
「水神の名前を付ければ皆がありがたく思うため便利なのです。水神教科書は内容の深さによって基礎編と応用編の二種類とし、小学校と大学で使い分けます」
建設中の大学と小学校は、城の近くに並んで建てられていた。大工たちが木材を組み上げる作業が進んでいる。完成すれば、それなりの人数が同時に授業を受けられる空間になる予定だ。
学校が完成すれば知識を持つ人々が増える。そうすればこの国はもっともっと発展するはずだ。
セララは完成した教科書を胸に抱えながら、開校の日を楽しみにしていた。