尾張水神伝 ~SF世界の天使っぽい種族に転生したけどワープ事故で戦国時代の日本に漂着しました~   作:Lavian

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第三十七話 天下布武と甲賀の忍び

 1568年(永禄11年)。

 

 岐阜城に足利義昭が訪れた。

 

 将軍の座を求めて諸国を転々としてきた義昭にとって、勢力を伸ばす信長と水神様は頼るべき存在だった。信長はその来訪を歓迎しながら、義昭を利用しようと計画を練っていた。

 

 その日の夜、信長はセララを呼んだ。

 

「上洛する」

 

 と信長は言った。

 

「義昭さんを将軍に擁立するため?」

 

「そうだ。これは好機だ。義昭を奉じて上洛すれば、天下に向けて動く大義名分となる」

 

 信長は続けた。

 

「天下布武。武をもって天下を治める。それが儂の志だ」

 

 天下布武。セララは前世の記憶の中でその言葉を知っていた。信長がこれから歩む道の宣言だ。この人はここから、本当に天下へ向かっていく。

 

「セララ、共に来てくれるか」

 

「もちろん。信長さんの頼みだからね」

 

 信長がわずかに表情を緩めた。

 

「お前が一緒にいれば、水神の存在が京にも広まる。水神教は民のためにもなるし、既存の仏教勢力への対抗にもなる」

 

「ボクも京の民が苦しんでいると聞いているから、少しでも役に立てれば良いなって思うよ」

 

 長く続く戦乱の中で、京は荒れていた。飢えに苦しむ民がいると、丹羽から聞いていた。水神様として何かできることがあるなら、したかった。

 

 上洛の準備が始まった際、セララは信長に頼み事をした。

 

「食料と物資を大量に京へ運んで欲しい。軍が動くだけじゃなくて、民を救う準備も一緒にしてほしいんだ」

 

「民心を掴む意味もある。分かった、手配しよう」

 

 軍備も整っていた。フリントロック銃を多数配備した織田軍は、この時代の軍としては格段の戦力を持っていた。多くの銃が並んだ隊列は、他の大名には真似できない強さがあった。

 

 

 

 

 

 

 進軍が始まると、近江の六角氏が障害として立ち塞がった。

 

 六角義賢と義治の父子が率いる六角氏は、上洛の道を塞ぐ位置にいた。居城の観音寺城、支城の箕作城と和田山城も防備を固め、織田軍を迎撃する構えをみせた。

 

 信長は支城の箕作城から攻略を開始した。

 

 フリントロック銃を装備した部隊が先頭に立ち、整然とした隊列が山道を進む。六角の物見が織田軍の接近を知らせた時には、すでに射程距離に入っていた。

 

 最初の銃声が響いた。

 

 六角の兵たちが身を伏せ、怒鳴り声が飛び交う。しかし敵が態勢を整える間もなく、二発目、三発目が続いた。

 

「なぜ、もう撃てるのだ……」

 

 六角の兵の一人が呟いた。火縄銃であれば、一発撃った後は火縄を整え、火薬を込め直し、次の一発まで相当の時間がかかる。その間に距離を詰めるのが、これまでの戦い方だった。しかしフリントロック銃はその隙を与えない。構え直した瞬間には、もう次の弾が来ていた。

 

 銃声が止まない。

 

 左から、右から、正面から。整然と並んだ織田軍の銃兵たちが交互に撃ち続け、戦場に弾の嵐が絶え間なく降り注いだ。六角の兵たちは前に出ることも、陣形を立て直すこともできず、じりじりと後退するしかなかった。

 

「退け、退けっ!」

 

 指揮官の叫び声が山に響いた。しかしその声すら銃声にかき消された。

 

 箕作城の守将は城壁の上からその光景を見ていた。城外の味方が崩れていくのを止める術がない。援軍を送れば同じように撃たれる。籠城しても、この兵力差ではどうにもならない。

 

 箕作城が落ちるまでさほど時間はかからなかった。支城の和田山城もまた、同様の運命を辿った。

 

 支城の箕作城と和田山城を落とした織田軍は観音寺城へ向けて進軍を始めた。

 

 六角義賢と義治は観音寺城で防備を固めていたが、支城を相次いで攻略された状態では、包囲されて落とされるのが目に見えていた。援軍の見込みもない。

 

 六角の父子は戦わずに観音寺城を捨てて逃げ出した。

 

 こうして近江の六角氏は排除され、上洛の道筋が確保された。

 

 

 

 

 

 

 一連の戦の報告を受けた信長だが、その表情は満足した顔ではなかった。信長は六角の父子を逃がした事を悔しがっていた。

 

「六角義賢と義治が甲賀に逃げ込んだ。忍びと連携されると厄介だ。探し出して仕留めるのは難しい」

 

 と執務室で信長がセララに語った。

 

「甲賀の忍びって厄介なの?」

 

 セララが信長に質問した。

 

「うむ。甲賀は六角氏と主に契約を結んでいる忍び集団だ。隠密やかく乱に長けているため、六角の父子が甲賀に匿われたのなら見つけ出すのは容易ではない」

 

 セララは少し考えてから話しかけた。

 

「信長さん、忍びってどういう形式で雇っているの?」

 

「忍びは主に甲賀と伊賀がある。織田軍でも既に何人か忍びを雇い入れておる。必要な時に呼ぶ契約だ」

 

「信長さん、これを機会に忍び集団を織田軍に取り込むのはどうかな。必要な時だけ契約するんじゃなくて、忍びの里と丸ごと契約するの」

 

 信長が真剣に考え始めた。

 

「ふむ……興味深い。続けてくれ」

 

「六角氏は甲賀と主に契約してたんだよね。それを鞍替えさせられないかな。好待遇で常時雇用、織田家の専属という条件で雇って、他の国に雇われない仕組みにするの。情報収集は戦において重要だし、組織化することでより強力になるよ」

 

 信長は考えを纏める。

 

「忍びを集団で雇用するとして、現状の必要な時だけ雇う方式と比べると、利点は専属雇用と組織化、問題点は銭が多くかかるということだな」

 

「織田家は銭がたっぷりあるから問題点は解決だね。六角氏が戦に負けた今が良い機会だし、甲賀と交渉してみたらどうかな」

 

「うむ。六角氏は観音寺城で戦わずに逃げ出したおかげで求心力を失っておる。高い銭を払い、さらに忍びの身分を保証すれば甲賀の鞍替えは可能かもしれん」

 

「甲賀の忍び集団を雇うとして、他に何が問題になるかな」

 

 信長は少し考えてから言った。

 

「甲賀からすれば、六角の父子を織田に売る形となるな。それは甲賀の矜持が許さんかもしれん」

 

「だったら六角の父子の命を助ける方向に修正するのはどう?甲賀が織田に仕えれば六角の父子の命を助けて、出家して余生を送ることを約束する。それを条件として交渉してみるのはどうかな」

 

 信長が頷いた。

 

「父子の命を担保に使いながら甲賀の顔も立てる、か。上手い考えだ」

 

「甲賀にとっては負けた六角氏についていて心中するより、勝ちそうな織田について好条件で雇われる方が良いはずだよ。情報収集の専門集団として組織ごと抱えられるなら、悪い話じゃないと思う」

 

「うむ。セララの案でやってみよう」

 

 交渉の使者が甲賀に向かった。

 

 信長が交渉を進める間、セララは運ばれてくる戦で傷ついた人々の怪我を回復魔法で癒して回った。

 

 

 

 

 

 

 甲賀の里では頭領が縁側に腰を下ろし、腕を組んで黙っていた。

 

 使者が持ってきた織田家からの条件書をすでに三度読んでいた。内容は把握している。待遇は破格だ。専属雇用、身分の保証、六角義賢と義治の助命。どれを取っても、今の甲賀にとって悪い条件ではない。

 

 頭の中では分かっていた。受けるべき話だと。しかし、織田に仕えるのは感情が納得しなかった。

 

「頭領」

 

 配下の男が近づいてきた。最近、中忍に上がったばかりの若者だ。

 

「織田の条件、受けるべきかと存じます。六角様はすでに観音寺城を捨てて逃げられた。求心力を失った主君に殉じることが、甲賀の利になりましょうか」

 

 頭領は中忍を一瞥した。

 

「分かっておる」

 

「では」

 

「分かっておるが、簡単に答えが出ないのだ」

 

 頭領はゆっくりと息を吐いた。

 

「我らは長年、六角家に仕えてきた。その六角家を織田へ引き渡す。それがどれだけ合理的な判断であっても、裏切りには違いない。忍びとして後に引きずるものがある」

 

「しかし、命は助かります。甲賀が動けばこそ、義賢様と義治様が生きられる」

 

「それも分かっている。だが鞍替えというのは銭と命の話だけではない。筋の問題だ」

 

 中忍は少し考えてから言った。

 

「……では、織田家に鞍替えするのではなく、神の導きに従うという解釈であればどうでしょう」

 

 頭領が顔を上げた。

 

「水神様のことは、我らも調べました。尾張と三河と美濃で、民のために雨を降らせ、五穀豊穣をもたらし、飢えを救ってきた神だと聞いています。その水神様が義賢様と義治様の命を救う道を示されたと考えるならば、甲賀は神の意志に従ったと言えます。六角への忠誠よりも神の意志を優先しただけです」

 

 若い忍びが出口を示してくれた。頭領はこの意見について考え始める。

 

 信長への鞍替えであれば断る選択肢しかない。しかし中忍の言う通り、水神様の導きに従うという解釈であれば話は変わる。甲賀は筋を曲げない。だからこそ、筋の通る理由が必要だった。

 

「水神様について、もう少し詳しく教えてくれ」

 

 中忍が集めた情報を語り始めた。水神様の情報はどれも善良な神であることを示し、民の事を想って行動しているのが伝わって来た。この神であれば、と頭領は思った。

 

「……返答を出す。条件を一つ付け加えよ」

 

 中忍が頷いた。

 

「信長殿には仕えられない。だが、水神様であれば話は別だ。我らが仕えるのは水神様のみ。それが甲賀の答えだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後、使者が戻ってきた。

 

「甲賀側から追加の条件を示されました」

 

 広間がざわめいた。

 

「追加の条件とは?」

 

「はい。まず甲賀の頭領がこのように申しておりました。『我らは長年六角家に仕えてきた。その六角家を実質的に織田へ引き渡す形になることは、忍びとして容易に呑める話ではない』と」

 

 信長は黙って報告を聞いている。

 

「しかし、と続きがございます。『水神様は人を救う神だと聞く。我らが水神様の導きに従い、六角の父子の命を救う道を選んだと解釈するならば、話は変わる。織田家に鞍替えするのではなく、神の意志に従って動くのであれば、甲賀は交渉に応じる事ができる』とのことです」

 

 なるほど、とセララは思った。

 

 忍びにとって主君を売ることは、どれだけ合理的な判断であっても後ろめたさが残る。しかし神の導きという大義名分があれば、その後ろめたさを薄めることができる。甲賀は理由を求めていたのだ。

 

「甲賀の考えは理解した。それで、具体的な条件はどうなのだ?」

 

「『信長殿には仕えられない。だが、水神様であれば喜んで家臣になる』とのことです」

 

 信長が頷いた。

 

「儂では無くセララを主君とするか。水神への信頼があってこその条件だな。……良いだろう。その条件を呑もう」

 

「えっ?信長さん、忍者を自分の家来にしなくて良いの?命令を聞かないかもしれないよ?」

 

 セララが驚いて問題ないのかと信長に確認する。

 

「セララの命ならば聞くだろう。であれば、儂がセララに頼めば忍びを動かせる。実質的に織田家の役に立つ事は変わらない。それに……甲賀が水神を選んだのはセララが積み重ねた信頼があってのことだ。それは儂への信頼では無い」

 

 信長はそう語った。

 

「そういう事なら……分かった。甲賀がボクの配下になってくれるのを歓迎するね」

 

 前世でも現代でも、突然こんな形で家臣が増えた人間はそうそういないだろう。セララは内心でそう思い、少し戸惑いながらも受け入れた。

 

「条件を受け入れよ。甲賀をセララの家臣とする。甲賀の組織はそのまま残し、セララを通じて指示を出す。情報の収集と伝達を主な役割とせよ」

 

「ははっ」

 

 こうして甲賀の忍びがセララの傘下に入った。

 

 その日の夜、信長がセララを呼んだ。

 

「甲賀を抱えるとなれば、銭が必要になる。忍びへの報酬はどうする」

 

「ボクが払うよ。甲賀の皆がボクのために働いてくれるんだから、ボクが責任を持って払いたい」

 

「では、こうしよう」

 

 信長が続けた。

 

「セララがこれまで尾張と美濃にもたらしてきたものは、途方もない価値がある。農業の知識、衛生の改善、温泉、銃の開発、水神教、桶狭間での勝利。それらに見合った銭を、儂が毎月セララに支給する。甲賀への報酬はそこから払え」

 

「甲賀の忍びを雇うぐらいの銭を貰っちゃって良いの?」

 

「当然だ。働きに見合った対価を払うのは、儂の筋の通し方だ」

 

 セララは少し考えてから頷いた。

 

「分かった。甲賀の皆に払うために受け取るよ。ボク自身は貰い過ぎだと思うけど、甲賀が困らないようにしたいから」

 

「それで良い。配下のために受け取るのはお前らしい判断だ」

 

 信長が言葉を続ける。

 

「一つだけ言っておく。銭が余ったからと言って民に配るなよ。お前はお人よし過ぎる」

 

 信長がセララを子供扱いするかのように言った。

 

「うん、分かった。銭が余ったら学校の建設費とか、もっと役立つ事に使うよ」

 

「……相変わらずだな」

 

 信長は苦笑した。

 

 

 

 

 

 

 それからの変化は速かった。甲賀を通じて入ってくる情報の量と質が、それまでとは比べものにならなくなった。敵の動き、街道の状況、各地の民心。戦う前に状況が分かるということは、判断の速さに直結した。

 

 丹羽が情報をまとめながら言った。

 

「甲賀を組織として抱えることにしたのは、実に良い判断でございました。個別に雇っていたときとは情報の精度が全く違います」

 

「組織で動けば分担ができるからね。一人では見えないことも、複数で連携すれば見えるようになる」

 

「流石はセララ様でございます。先見の明がありますな」

 

「えへへ。褒められると照れちゃうよ」

 

 セララは翼で自分の顔を隠しながら言った。耳が少し赤くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 上洛のための進軍は続いた。

 

 織田軍が進むにつれて、水神様が一緒にいるという話が先に広まった。甲賀からの情報で各地の民の反応も分かった。水神様の噂は尾張の外にも届いており、京の民の中にも水神様の話を知っている者がいるという報告が来た。

 

 信長はそれを聞いて言った。

 

「お前の存在は儂が思う以上に広まっているな」

 

「そうみたいだね。ちょっとびっくりしてるよ」

 

「上洛の後、京の民に姿を見せてやれ。それだけで民心が安定する」

 

「分かった。京についたら民に顔を見せて回るね」

 

 天下布武。信長が掲げたその言葉が、京に届く日は近い。




史実においては信長が六角氏を破った直後(1568年の観音寺城の戦い直後)、甲賀衆は信長には仕えませんでした。彼らは六角氏を匿い、信長に対して激しい抵抗を続けました。
その後、六角氏が再起不能に追い込まれるにつれて、甲賀衆は生き残りのため徐々に織田信長へ服従・帰順していきました。

一方、この歴史では六角氏を破った直後から甲賀の忍びを雇用したため、織田軍の諜報活動が充実することになります。


また、前話のあとがきに水神温泉の現代wiki風を加筆しました。
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