尾張水神伝 ~SF世界の天使っぽい種族に転生したけどワープ事故で戦国時代の日本に漂着しました~   作:Lavian

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第三十九話 京の民が見た希望

 五条に住む大工の源吉は、四十年近く京で生きてきた。

 

 京で生まれた源吉にとって、崩れた建物や路地裏の死体は見慣れた日常だった。三好の連中が暴れ、松永が好き勝手をし、誰が京を支配しているのかも分からない。関所は増える一方で、荷物を一つ運ぶたびに銭を取られた。夜になれば盗賊が出る。町衆が寄り合って自分たちで見張りをしなければ、財産どころか命も守れない。

 

 そんな暮らしが当たり前になっていた。

 

 大工としての腕はある。しかし修繕を頼む者がいない。頼んだとしても、その銭を払える者が少ない。京の建物が朽ちていくのを、源吉はただ眺めるしかなかった。

 

 だから尾張の軍が上洛してくると聞いたとき、源吉は戸を閉めて家の奥に引っ込んだ。

 

「尾張の田舎者が来る。どんな乱暴をするか分からん」

 

「荷物は隠しておけ。軍が来れば略奪されるのが世の常だ」

 

 と近所の人が口々に言った。

 

 源吉も同じことを思っていた。これまで何度も繰り返されてきたことだ。強い軍が来れば、弱い民が被害を受ける。逃げるか隠れるか、それしかない。

 

 源吉は荷物を隠し、家族にも用心するように言って過ごした。

 

 しかし、軍が京に入ってくると想像していたものと様子が違った。

 

 軍が京に入ってきた。確かに大軍だった。旗が揃い、隊列が整っている。しかし通りを行く兵たちは、店に手をかけなかった。荷物を漁らなかった。民に暴力を振るわなかった。

 

「どういうことだ」

 

 と源吉は戸の隙間から覗きながら言った。

 

 翌日も同じだった。その翌日も。

 

 恐る恐る戸を開けて通りに出ると、隣近所の者たちも同じように出てきていた。みな怪訝な顔をしていた。

 

「略奪がない」

 

 と染物屋が言った。

 

「本当だ。何も取られていない」

 

 噂が広まった。

 

 織田の殿様は一銭でも盗んだ兵は死罪にするのだという。わずかな盗みでも容赦しない。だから兵たちは民に手を出せない。最初は信じられなかったが、目の前で起きていることがそれを証明していた。

 

 

 

 

 

 数日後には盗賊の話が聞こえなくなった。

 

 夜になっても見張りをしなくて済んだ。通りを歩いても怖い思いをしなかった。いつの間にか、京の治安が戻っていた。

 

「信長様の軍が盗賊を追い払ったそうだ」

 

 と米屋が言った。

 

「それは本当なのか」

 

「本当らしい。五条の橋の近くで盗賊の集まりをまとめて討ったと聞いた」

 

 関所もなくなった。

 

 長年、荷物を運ぶたびに銭を取られていた関所が、次々と撤廃されていった。商人たちが喜んで荷を運ぶ姿が見えた。市場に品物が増え、値段が下がった。

 

「これほどのことをしてくれた大名は、今まで一人もいなかった」

 

 と染物屋の主人が言った。その目に、久しぶりに見る明るさがあった。

 

 

 

 

 その翌日、織田軍の使いの者が五条の通りを歩き回り始めた。

 

「大工はおらぬか。仕事がある」

 

 という声が聞こえ、源吉は思わず顔を出した。

 

「俺は大工だが、どういう仕事だ」

 

「京の建物の修復だ。荒れたままになっている家屋や橋の修繕を信長様が命じられた。腕のある大工を探している」

 

「銭はどうなる」

 

 源吉は率直に聞いた。これまで何度も踏み倒された経験がある。口約束で働かせておいて、後で銭を払わないという話はよく聞いた。

 

「腕前に見合った額を日払いできちんと支払う」

 

 使いの者は迷わず答えた。

 

 信長の軍が略奪をしなかったのは本当だ。関所を撤廃したのも本当だ。であれば銭も本当に払うかもしれない。

 

「分かった。やろう」

 

 翌日から仕事が始まった。

 

 現場に行くと源吉以外にも大工が十数人集まっていた。京のあちこちから集められた職人たちだ。みな腕には覚えがある顔ぶれだった。

 

 最初に修復するのは五条近くの橋だった。長年の傷みで板が腐り、危うい状態が続いていた。材木は織田軍が用意していた。道具も揃えられていた。

 

 源吉は現場を見渡してから、仕事の段取りを組み始めた。腐った板を外して新しい板に替える。支柱を補強する。単純な作業だが、丁寧にやれば長く持つ。

 

「大工の棟梁はおるか」

 

 という声がして、源吉は手を挙げた。

 

「俺が仕切ろう。皆、指示通りに動いてくれ」

 

 源吉の仕事ぶりは京でも知られていたため、誰も文句を言わなかった。

 

 大工たちは黙々と手を動かした。腐った板が外され、新しい板が打ち込まれていく。久しぶりに思い切り腕を振るえる仕事だった。

 

 夕方になって仕事が一区切りついたとき、使いの者が銭の入った袋を持ってきた。

 

「今日の分だ。一人ひとりに渡す」

 

 約束通り日払いだった。源吉は袋の重さを確かめ、自分が予想した以上の銭が入っている事に驚いた。

 

(本当に銭が払われた)

 

 源吉は隣の大工と目を合わせた。相手も同じことを思っているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのころ、別の話が町中に広まり始めた。

 

 物資が配られているという話だ。

 

 源吉は半信半疑で聞いていたが、広場に行ってみると本当だった。米が積まれおり、味噌もあった。列に並んだ人々が順番に受け取っていく。

 

 塩、薬、布はここには無いが、織田軍のいる建物まで行って申請すれば貰えると説明された。

 

「なんで無料なのだ」

 

 と源吉は隣に並んでいた老人に聞いた。

 

「水神様の恩恵だそうだ」

 

 と老人は言った。

 

「尾張に水神様がいて、その恵みをこうして配っているのだという」

 

「水神様とは何だ」

 

「本が無料で貸し出されているから読んでみるといい。字が読めないのであれば、紙芝居も行われているからそちらを見に行けと宣伝していた者が言っていた」

 

 米と一緒に薄い冊子が渡された。表紙に尾張水神伝と書いてある。

 

 幸い、源吉は字を読むことが出来たので、家に帰ってから本を読んだ。

 

 セララという存在の話だった。頭上に金色の輪が浮かび、背中に白い翼を持つ幼い少女の姿をした水神が、尾張に降り立った。雨を降らせ、井戸を掘り、怪我を治し、やがて桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った。

 

 尾張水神伝は物語として面白く、食事をするのも忘れて読み続けた。最初は水神様について半信半疑だったが、物語が進むと源吉はすっかり水神様のファンになっていた。

 

 水神様が京に来ているのであれば会ってみたいと源吉は思った。

 

 

 

 

 

 受け取った尾張水神伝を家に持ち帰り読み進めた源吉だったが、翌朝、通りに出ると見慣れない光景があった。

 

 広場の一角に、白い翼の紋様が描かれた幟が立っていた。その前に十数人が集まっている。幟の前に立つのは、旅装の若い男だった。手に絵の描かれた大きな板を持っている。

 

「これが水神様でございます」

 

 男が板を掲げた。金色の髪、赤い瞳、白い翼、頭上に金色の輪。尾張水神伝に書いてあった通りの姿が、絵として描かれていた。

 

「水神様は尾張に降り立ち、民を助けてこられました。雨を降らせ、井戸を掘り、怪我を治し、農業の知識を広めた。そのおかげで尾張の村々は豊かになりました」

 

 男の語り口は分かりやすかった。難しい言葉を使わず、具体的な話を交えながら進めていく。字が読めない者でも、話を聞けば水神様のことが分かるようになっていた。

 

 源吉は少し離れた場所から見ていた。

 

 集まった人々の中に、老人がいた。子供を連れた母親がいた。職人らしい男たちがいた。みな熱心に耳を傾けている。

 

「水神様の教えはただ一つ、人に優しくすること。それだけでございます。難しい修行も、銭を納めることも必要ありません。人に優しくできれば、誰でも水神教の信者です」

 

「本当に銭はいらないのか」

 

 と老人が聞いた。

 

「いりません。水神様は見返りを求めて民を助けているわけではございませんから」

 

「では、どうして物資を配るのだ。それには銭がかかるだろう」

 

「尾張が豊かになったのは水神様の知識のおかげです。豊かになった分を、困っている方々に届けているのでございます」

 

 老人は納得したように頷いた。

 

「なるほど。水神様は慈悲深いのだな」

 

 子供たちは絵を見せてもらうために前に出ていった。男は子供たちの目線に合わせてしゃがみ、一人ひとりに丁寧に説明していた。

 

 水神様の話は本に書いてあった。しかし目の前でこうして語られると、また違う重みがあった。男は『水神様の教えはただ一つ、人に優しくすること』と言っていた。本当にそれだけであれば源吉にだって出来ると思った。

 

 源吉は今度は家族を連れて本格的に水神様の話を聞きに来ようと思いながら仕事に戻った。

 

 

 

 

 

 

 翌日、五条の橋のあたりに人だかりができた。

 

 何事かと思って近づいていくと、人々が空を見上げていた。

 

 空に、白い影があった。

 

 翼が見えた。金色の輪が見えた。小さな体が、京の空をゆっくりと飛んでいた。

 

 源吉は動けなかった。

 

 尾張水神伝に書いてあった通りの姿が、目の前の空にあった。本物だった。作り話ではなかった。

 

「水神様だ!」

 

 と誰かが叫んだ。

 

「本当にいらっしゃった!」

 

 人々が集まってきた。子供たちが走り、老人が手を合わせた。空を指差して叫ぶ者、涙を流す者、祈り始める者。

 

 白い影はゆっくりと高度を下げてきた。

 

 橋の近くの広場に、静かに降り立った。白い翼が風を受けて広がり、金色のヘイローが輝いた。小さな体。金色の髪。赤い目。見た目は幼い少女だが、その翼と輪は確かに人のものではない。

 

(水神様だ。翼があり、空を飛んだ。まさか本当に神がいるとは!)

 

 尾張水神伝を読んだ源吉は水神様の翼を見ても天狗とは思わず、本物の神であると信じた。水神様をもっと見たいと思って近寄った。

 

「怪我をしている人はいるかな。いなければ物資を配るね」

 

 水神様は怪我人がいないか声をかけ、誰も怪我人がいないと分かると物資を配り始めた。

 

 1日は食えるだろう量の米と、少々の味噌。水神様とお付きの兵たちが京の民に配っていく。

 

「物資はたっぷりあるから慌てないでね。ボク達がいる間は毎日物資を配るよ。だから明日も来てね」 

 

 水神様は物資を渡す際に一人一人に声をかけ、安心させているようだった。

 

 京でこれまで見てきたものとは全く違う光景だった。力のある者が弱い者から奪うのではなく、力のある者が弱い者に与えている。それが当然のことのように、淡々と行われていた。

 

 源吉も列に並び、水神様から物資を渡される時に思い切って声をかけた。

 

「水神様」

 

「何かな?」

 

 水神様が物資を渡しながら返答した。

 

「京の民は日々、不安を抱いて過ごしていました。しかし水神様のおかげで希望を持って暮らせそうです。京に来てくださって、ありがとうございます。」

 

 水神様は少し笑った。

 

「どういたしまして。皆がこれからも希望を持って暮らせるよう、ボクも努力するね」

 

 その後も水神様は物資を配り続け、源吉はそれを見守った。

 

 物資を配り終えると水神様は翼を広げた。羽ばたくと体が浮き、あっという間に空に消えていった。

 

 

 

 

 

 その日の夕方、源吉は隣近所の者たちと話した。

 

「信長様の軍は略奪をしなかった。関所もなくなった」

 

「水神様は本当にいらっしゃった」

 

「水神様は本物だ。一緒に来られた信長様も信じて良いだろう」

 

 水神様の目撃者は複数いて、口々に自分も見たと主張した。

 

「俺は今日まで信長様の軍に雇われて橋の修復をしていた。銭も約束通り払われた。腕に見合った、十分な額だった」

 

 と源吉は語った。

 

「本当か」

 

「本当だ。これまで何人の大名が約束を守らなかったか。しかし織田の殿様は違った」

 

「治安が戻り、関所がなくなり、物資が配られ、建物が修復される。京の都は織田の殿様と水神様によって救われるに違いない」

 

 四十年近く京で生きてきて、こんな気持ちになったことはなかった。奪われない、安全でいられる、助けてもらえる、働いた分だけ銭がもらえる。当たり前のことが当たり前でなかった年月が、ようやく変わり始めていると感じた。

 

 夜になっても盗賊は来なかった。源吉は戸を閉め、いつもより早く床についた。

 

 その夜、源吉は夢を見た。京の建物が次々と修復されていく夢だった。人々は笑顔で、悲しんだり絶望している人はいなかった。

 

 目が覚めたとき、源吉の頬が濡れていた。




6/16、大工の名前を変更しました。
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