尾張水神伝 ~SF世界の天使っぽい種族に転生したけどワープ事故で戦国時代の日本に漂着しました~ 作:Lavian
1572年(元亀3年)秋。
甲賀から届く報告の量が急に増えた。
セララはその報告を読みながら、眉をひそめた。武田信玄が甲府を発し、大軍を率いて西へ向かっているという内容だった。その規模は二万七千。信長包囲網に加わり、上洛を目指して動き始めたのだ。
セララはすぐに信長のもとへ向かった。
「信長さん、武田信玄が動いた。三河と遠江に向けて進軍している」
地図を広げながら報告すると、信長は珍しく表情を引き締めた。
「ついに信玄が攻めて来たか」
「もしかして、この時期に信玄が攻めてくることを予想してた?」
「薄々な。しかしこれほど早く動くとは思っていなかった。甲賀の情報は正確か」
「複数の忍びからの報告で一致してる。間違いないと思う」
信長は地図を見つめたまま、しばらく黙っていた。
「武田信玄は儂が最も警戒する男だ」
信長がそう言うのをセララは初めて聞いた。他の大名についてここまで率直に言うことはなかった。
「それほど強いの?」
「戦の巧さでは、おそらく今の日本で並ぶ者はいない。騎馬隊の使い方、兵の統率、地形の読み方。全てが一流だ。家康のみでは正面から勝てない」
「援軍を増やした方が良い?」
「当然手配する。ただ……」
信長は少し考えた。
「お前も三河に行ってくれるか。直接戦闘をさせる気は無いが、後方支援を頼みたい」
「分かった。同行するよ」
三河に入ったのは、木枯らしが吹き始めた頃だった。
久しぶりに顔を合わせた家康は、以前より少し老けたような気がした。しかしその目に、折れない芯があった。
「水神様が来てくださったなら心強い」
家康はセララを見て言った。しかしすぐに表情を引き締めた。
「しかし武田信玄は並の相手ではございません。掛川も二俣も次々と落とされています。信玄の軍は強い」
「甲賀からも同じ報告が来てる。武田軍は整然としていて、略奪も少ない。統率が取れてる証拠だね」
「はい。兵一人ひとりの練度も高い。これほどの敵を相手にするのは、初めてかもしれません」
セララは家康に今回の自分の役割を伝えた。
「ボクは直接戦闘には出ない。甲賀の情報整理をするのと、後方支援をして怪我人を治療するよ。それと、戦の最中に上空から敵の動きを監視して家康さんに伝えようと思う」
「上空から……それは頼もしい。しかし戦の最中に連絡を取る手段は?」
「ボクの羽根に魔法をかけておくよ。これを耳につけておいて。上空からボクの声が直接聞こえるようになるから」
セララは自分の羽根を一枚抜いて、念話の魔法を付与した。白い羽根がほのかに光る。
「戦が始まったらこれを右耳に括りつけておいてね。ボクが上から見たことを直接伝えるよ。家康さんからボクへの返事は届かないけど、報告を聞いて判断に活かしてほしい」
「承知しました。これほど心強い支援は他にありません」
家康は羽根を両手で受け取り、大切そうに懐にしまった。
武田軍が浜松城に迫ったのは、十二月のことだった。
しかし信玄は城を攻めなかった。攻めずに西へ向きを変え、ゆっくりと動き始めた。
その報告を受けたセララは、すぐに家康のもとへ走った。
「家康さん、これは罠だよ」
「罠、でございますか」
「信玄さんは浜松城を攻めるつもりがない。城外に引き出したいんだよ。堅固な城を攻めるより、野戦で決着をつける方が武田軍には有利だから」
家康は地図を見つめた。武田軍の動きを指でなぞりながら、静かに考えている。
「確かに……城を無視して西へ向かうというのは、おかしな動きですな」
「籠城した方が良いと思う。城の中にいれば武田軍も簡単には攻められない」
「しかし……」
家康が言葉を止めた。
外から使いが飛び込んできた。息を切らした若い兵だった。
「申し上げます。武田軍が三河の村々を荒らしながら進んでおります。このままでは民が」
報告を聞いて家康は拳を握りしめた。
セララは家康の目を見た。揺れていた。城に籠って民を見捨てるか、危険を冒して打って出るか。
「家康さん」
「水神様、民を見捨てることはできません」
家康はそう言って立ち上がった。
「打って出ます。ただし今回は罠と分かっている。準備を整えた上での迎撃です。銃兵を最前列に置き、騎馬隊の突撃を迎え撃つ。水神様、情報を引き続きお願いいたします」
「分かった。甲賀に武田軍の動きを追わせる。何か変化があればすぐに伝えるよ。それに戦場ではボクも支援する」
家康は頷き、陣の準備に取り掛かった。
12月22日、三方ヶ原台地。
徳川・織田連合軍三万が、武田軍二万七千と向き合った。
冬の風が台地を吹き渡り、両軍の旗がはためいた。
家康は最前列にフリントロック銃部隊を展開させた。整然と並んだ銃兵たちが、武田軍に向けて銃口を構えている。後列には槍兵と騎馬隊が控えていた。
武田軍が動いた。
騎馬隊が先頭に出た。風を切るような速さで駆けてくる。武田の騎馬隊は戦国随一と言われる精鋭だ。地響きが台地を揺らした。
「銃兵、撃て」
家康の命令が飛んだ。
最初の銃声が鳴り響いた。それを合図に、次々と銃声が連なった。絶え間ない銃弾の嵐が、突進してくる騎馬隊の先頭に降り注いだ。
馬が倒れた。騎馬隊の先頭が崩れた。
「怯むな、突っ込め」
武田の指揮官が叫んだ。しかし銃声は止まらない。一列が撃ち終わると次の列が前に出る。再装填した列がまた撃つ。波状の射撃が続いた。
武田の騎馬隊は正面を突破できなかった。
しばらくして、武田軍の動きが変わった。
騎馬隊が左右に散り始めた。銃兵の側面を突こうとしているのだ。これをセララは戦場の上空から見ていた。イーグルアイの魔法を使って視力を強化し、翼をはためかせ、絶対に矢の届かない高度から俯瞰している。そして魔法によって遠距離から念話で連絡していた。通信相手は家康だ。
(家康さん、武田軍の騎馬隊が動いたよ。左右に散って銃兵の側面を狙ってる)
家康はセララから事前に渡された羽根を右耳に括りつけており、念話を拾っていた。受信専用であり、家康からの発信は出来ない。
上空のセララからの念話を受けて即座に槍兵を両翼に展開させた。側面を突こうとした武田の騎馬隊が、待ち構えていた槍兵にぶつかった。
「なぜこれほど読まれている!」
武田の武将が怒鳴った。
武田信玄は本陣から戦況を見ていた。銃の脅威は想定していた。しかし情報が正確すぎる。織田・徳川連合軍には何らかの情報網がある。
銃兵の正面突破は難しい。側面を突こうとしても読まれている。ならば銃兵の処理能力そのものを超えるしかない。
武田軍は事前に決めていた銃兵対策の陣形があった。分散突撃の陣形だ。この陣形を使うべきだろう。
信玄は新たな命令を下した。
「分散突撃の陣形に切り替えろ。騎馬隊を細かく分けるのだ。十騎ずつの小集団に分散させ、各集団がそれぞれ異なる方向から同時に突撃する。銃兵に一度に狙える的の数を超えさせろ」
武将たちが頷いた。整然と動いていた武田軍が、瞬く間に小さな集団へと再編成された。
上空のセララはその動きを見て息を呑んだ。小さな集団がバラバラに来たら、銃兵は一度に全部を狙えない。
(家康さん、武田軍が変わった。騎馬隊を小さな集団に分けて、多方向から同時に突撃してくる構えだよ。銃兵だけじゃ対処できないかもしれない)
家康は報告を受けて即座に判断した。
「銃兵を二列に減らし、空いた人員を槍兵に回せ。銃で仕留めきれない分は槍で止める!」
陣形が素早く組み替えられた。
武田の小集団が動き出した。十騎ほどの塊が、左から、右から、正面のやや斜め方向から、ほぼ同時に駆けてきた。銃声が複数の方向に向けて散発的に鳴り響く。一つの集団を止めれば、別の集団が迫ってくる。
連合軍の銃兵が対処に追われ始めた。
しかし家康の陣形の組み替えが効いた。銃で仕留めきれなかった小集団に、槍兵が立ちはだかった。完全には止められなかったが、突破口を開けさせなかった。
連合軍の左翼が押され始めた。兵が対処しきれず、じりじりと後退する。
上空から俯瞰するセララは家康に通信を届けた。
(家康さん、自軍の左翼が押され始めたよ!正面はまだ余裕がある!)
報告を受けた家康が味方の兵力を正面から抽出して左翼に寄せた。
「退くな、持ちこたえろ!槍衾を作れ!」
右翼では織田の援軍が武田の側面を押さえていた。数の有利が徐々に効いてくる。武田軍は精強だったが、各所で連合軍に食い止められ、突破口を開けずにいた。
日が傾き始めた頃、武田軍の動きが鈍くなった。
長時間の戦闘で消耗した武田の兵たちが、少しずつ後退し始めた。信玄は状況を見極めていた。今日の勝利は難しい。しかし無理に押せば損害が大きくなる。
「引け」
信玄の命令が出た。
武田軍は乱れることなく、整然と撤退を始めた。崩れることなく隊列を保ちながら引いていく。敗走ではなく、計算された撤退だった。
家康はその様子を見ながら追撃を命じなかった。
「追うな。信玄は撤退の罠も用意しているはずだ」
甲賀から届いた情報にも、武田の殿が強力な部隊で固められているとあった。追えば返り討ちに遭う可能性が高い。
連合軍はその場で陣を保ち、武田軍が遠ざかるのを見届けた。
戦が終わり、夜になってから、セララは家康のもとを訪れた。
「セララ様、なんとか勝ちました。セララ様が上空から敵の様子を連絡してくださったおかげです」
「うん。よかった」
「しかし信玄は見事な撤退でした。敗れた様子がまったくない。追撃しなかったのは正解だったと思います」
「甲賀からも同じ報告が来てる。殿の部隊が強力だったから、追ってたら危なかったと思う」
家康は頷いた。
「水神様の情報がなければ、罠にはまって城外に出ていたかもしれません。今回も助けていただきました」
「三河一向一揆の時から家康さんと一緒に乗り越えてきたんだから、当然だよ」
セララがそう言うと家康は笑みを浮かべた。
「あの頃から随分と遠いところまで来たものです」
「そうだね」
二人はしばらく無言で夜空を見上げた。冬の星が鮮明に輝いていた。
数日後、甲賀から新たな報告が届いた。
武田信玄が撤退途中に倒れたという。持病が悪化したらしい。
セララはその報告を読んで武田信玄の事を思った。
戦場での信玄の采配は紛れもなく一流だった。騎馬隊の使い方、陣形の組み替え、計算された撤退。あれほどの人物が、今この瞬間に病に伏している。敵であり、三河と遠江の民を苦しめた軍の総大将であっても、その才覚は本物だったと思わずにいられなかった。
そして、いつか信長も病や寿命で自分を置いて行くのだと想像してしまい、じわりと寂しい気持ちが広がった。
(戦が強くても、病には勝てない)
セララは窓の外の冬空を見上げた。星が冷たく輝いていた。