尾張水神伝 ~SF世界の天使っぽい種族に転生したけどワープ事故で戦国時代の日本に漂着しました~ 作:Lavian
1575年(天正3年)夏。
武田との講和から間もなく、セララは甲斐を訪れた。
勝頼との約束だった。布教だけでなく水神様の姿を民に見せてほしいという要望に応える形で、セララは甲府の城下を回り、農地を見て、村人たちと話をした。
甲斐の地は山に囲まれ、川が多かった。水は豊かだが平地は限られている。農民たちは限られた土地を懸命に使い、米や麦を育てていた。
訪問の三日目、勝頼がセララを呼んだ。
「水神様、一つご相談がございます」
勝頼の表情には、これまでの会談で見せなかった不安があった。
「どういう内容かな?」
「甲斐には古くから奇病がございます。腹が膨れ、やがて衰弱して死に至る病です。毎年のように患者が出ております」
「腹が膨れる病気……」
セララは少し考えた。前世の記憶の中に似たような病があったような気がする。日本のどこかの地域で、長く原因不明の病として恐れられていたという話を、テレビか本かで読んだ記憶があった。しかし病名までは思い出せない。
「水神様の奇跡で治せないものでしょうか」
「ボクの奇跡は怪我には効くけど、病気には効かないんだ。傷を治したりはできるけど、体の中の病そのものを治す力は無いんだよ」
「左様でございますか……」
勝頼の顔に落胆が浮かんだ。
「それでも、水神様の知識でなんとかなりませぬか。この病のせいで、毎年何人もの民が命を落としております」
セララはその言葉を聞いて考えた。
奇跡で治せないなら原因を探るしかない。前世の知識の断片を頼りに何か役に立てることがあるかもしれない。
「分かった。調べてみるよ。できるだけやってみる」
「ありがたきお言葉です」
勝頼は深く頭を下げた。
第一段階として、セララは病気についての記録を集めることから始めた。
甲斐の役人に頼み、各地の村の過去の患者の記録を取り寄せた。いつ発病したか、どこの村か、どんな症状だったか。地味な作業だったが、まずは現状を知ることが第一歩だった。
「これだけ集めてもただの数字の山だね」
セララは端末に記録を入力しながら呟いた。情報を整理するための表を作り、村ごとに患者の数を打ち込んでいく。
一通り入力が終わると地図上に患者の数を色分けして表示させた。色の濃淡が甲斐の地図に浮かび上がった。
「あ……」
セララは地図を見て息を呑んだ。
山間部の村にはほとんど患者がいない。一方で、特定の川沿いの村には色の濃い部分が集中していた。
「山では少なくて、特定の川の近くで多い。これは何か関係があるはずだよ」
セララは勝頼に報告した。
「川の近くの村に共通点がありそう。次はその村の中で誰がかかりやすいかを調べたい」
「村の者の生業や暮らしを調べるという事ですな。承知しました。すぐに役人を手配いたします」
第二段階の調査は患者の多い村への聞き取り調査だ。
勝頼が手配してくれた武田の役人達に対し、セララは村ごとの聞き取りを頼んだ。質問内容は事前に細かく決めてあった。
誰が発病したか、その人の仕事は何か、何を食べているか、どこの水を飲んでいるか、日々どんな生活をしているか。
「発病した方々を調べると、共通して田んぼに入る仕事をしております。米作りの農民は発病が多く、畑作業をする者や、職人、狩人、武士、商人など田んぼに入らない者はほとんど発病しておりません」
と武田の役人達が報告した。
セララは報告を聞きながら考えた。
田んぼに入るかどうかで発病率が変わっている。
「飲み水が原因じゃないと思う」
とセララは言った。
「飲み水なら身分に関係なく誰でも飲むはずだよね。武士の家でも商人の家でも、同じ水源から水を引いていることが多いから。でも農民だけがかかりやすい。そして田んぼに入るという行動そのものが関係しているはずだよ」
「田んぼに入る事が原因、でございますか」
「うん。だから次は、田んぼやその周辺に何か特別なものがあるかを調べたい」
第三段階の調査では、流行している地域の自然環境を細かく見て行く事にした。
武田の役人を多く動員し、足りなければ水神教団の甲斐出身者にも頼んで発病者の多い村を歩いて貰った。田んぼ、用水路、湿地、川辺。村の水回りを一つずつ丁寧に。水辺あるいは水中にどのような生物や植物がいるかを細かく記録するように指示した。
やがて報告書が上がってくると、それを確認していくうちにある共通点に気づいた。
記録を見比べると、奇病の流行している地域では小さな貝が多い。逆に、奇病の流行っていない地域では小さな貝がいない。
セララは端末に記録をつけながら、確信が強まっていくのを感じた。
「発病者の多い村には小さな貝がいて、少ない村にはいない。これは関係があるはずだよ」
第四段階として、セララは流行地と非流行地を徹底的に比較した。
水質、土の性質、作物の種類、村の規模。考えられる要素を一つずつ書き出して、両方の地域で違いがあるかを確認していった。
多くの要素は、流行地と非流行地で大きな違いがなかった。水質も似たようなものだったし、作物も同じように米を育てていた。
唯一はっきりとした違いがあったのが、小さな貝の有無だった。
「他の条件はほとんど同じ。でも、この貝がいるかいないかだけが違う」
セララは端末に表示された比較表を見ながら、自分の考えをまとめていった。
前世の記憶がおぼろげに浮かんできた。
貝が関係する病気。水の中の生き物が、人に病気をうつす。そんな話を、前世のどこかで聞いたことがある。寄生虫という言葉が頭の中に浮かんだ。小さな生き物が体の中に入り込んで、病気を引き起こす。
「この貝が、虫か何かを持っているんだと思う。病気の原因になる、目に見えないくらい小さな生き物を」
セララは勝頼に説明した。
「貝そのものが直接病気を起こすわけじゃなくて、貝の中で育った何かが、水の中に出てくる。それが田んぼに入った人の皮膚から体の中に入って、病気を引き起こしているんじゃないかと思う」
「皮膚から、でございますか」
「うん。だから田んぼに素足で入る農民がかかりやすくて、水を飲むだけの武士や商人はかかりにくいんだと思う」
勝頼は腕を組んで考え込んだ。
「では、どうすればこの病を防げるのでしょうか」
「二つ考えてる」
セララは指を二本立てた。
「一つは、この貝を駆除すること。村の用水路や田んぼの周りから貝を取り除いていく。完全に無くすのは難しいかもしれないけど、数を減らせば発病する人も減るはずだよ」
「もう一つは?」
「田んぼに入るときに、素足じゃなくて何か履物を履くこと。革製の足袋みたいなものを作って、皮膚が直接水に触れないようにするんだ。そうすれば、皮膚から入り込むのを防げると思う」
勝頼は深く頭を下げた。
「半年もかけてここまで調べてくださったこと、感謝の言葉もございません。すぐに対策を始めます」
「まだ確実とは言えないよ。試してみて、効果があるか確認していく必要があるね」
「それでも、何もせず嘆くよりは、はるかに前進です」
調査が完了した1575年の冬から甲斐の各村で対策が始まった。
革職人には田植えや田の手入れに使う足袋と手袋の製作が依頼された。最初は動きにくいと不満を言う農民もいたが、勝頼の名で奨励されたこともあり、徐々に使われるようになっていった。
用水路に住む貝の駆除作業も行われた。村人たちが総出で貝を取り除き、川や用水路の手入れを徹底するようになった。駆除作業の際は革製の足袋と手袋が支給され、使用が厳命された。
対策開始から数えて翌年の冬、セララは甲斐から届いた報告を読んだ。
完全に病気がなくなったわけではない。しかし、対策を始めた村では、新たな発病者の数が明らかに減っていた。
「効果が出てるみたいだね」
セララは報告書を見ながら呟いた。
信長にもこの話をすると、腕を組んで言った。
「奇病の正体を奇跡ではなく調査で見つけたか。お前らしいやり方だな」
「奇跡で治せたら早かったんだけどね。でも、原因が分かれば対策ができる。それは奇跡が無くてもできることだから」
「それこそが知識の力だな。武力でも信仰でもなく、物事の理を解き明かす力だ。今回の調査のやり方と結果を大学で講義すると良い。そうすれば、別の地域、別の原因で起きる奇病は大学の生徒が解決するかもしれぬ」
「うん、そうしてみるよ。衛生の教科書にも追加するね」
信長の言葉にセララは笑みを浮かべて頷いた。
魔法では無理な事でも、知識があれば届く事がある。知識を広めて行けばきっと様々な病気を治す事ができるはずだとセララは思った。
このエピソードで出てくる甲斐の奇病は日本住血吸虫という寄生虫による奇病です。
川に生息するミヤイリガイ(中間宿主)に寄生し、田んぼで裸足作業をする人に寄生しました。
史実の実際の撲滅成功は昭和時代で、ミヤイリガイ駆除と水路のコンクリート化が決め手でした。
この物語においてはコンクリートを大量確保できないため、ミヤイリガイ駆除と、田んぼに素足で入らないようにする対策となりました。
完全撲滅はできませんが、患者を減らす対策となります。
なお、第50話(次の話)から少し時系列が前後します。
・1575年夏に奇病調査開始。冬に調査完了。
・1575年冬に奇病対策開始。
・1576年が第50話で次のエピソード
・1576年冬に奇病対策の結果報告が届く(本話の最後の部分)