尾張水神伝 ~SF世界の天使っぽい種族に転生したけどワープ事故で戦国時代の日本に漂着しました~   作:Lavian

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第五十三話 上杉謙信

 越後春日山城の広間で上杉謙信は一人地図を見つめていた。

 

 広間には誰もいない。家臣たちは退がらせてある。こういう時、謙信は一人で考えることを好んだ。

 

 講和の方針を決めてから二年が経っていた。

 

 主戦派の重臣たちは最後まで抵抗した。

 

「殿、織田に頭を下げるなど武田の二の舞でございます。武田は講和と引き換えに独立を失いました」

 

 主戦派の重臣がそう言った夜のことを謙信は今も覚えている。

 

「儂が頭を下げるのではない。対等な同盟を結ぶのだ」

 

「同盟と称しても、実質は従属でございます。武田を見れば分かります」

 

「ならば聞く。このまま戦い続けて越後の民はどうなる。田畑は荒れ、若者は死に、女子供が飢える。それが義か」

 

 主戦派の重臣は黙り、何も反論できなかった。

 

「儂は義のために戦ってきた。民を豊かにすることも義だ。民が苦しむ戦を続けることはもはや義とは言えぬ」

 

 謙信の意思は強く、反対派の声は徐々に小さくなっていった。長い議論の末、家中の意見が統一されたのは今年の春だった。

 

 謙信は地図の上に視線を戻した。織田の勢力圏が広がっていた。尾張、美濃、近江、摂津、越前、そして畿内。かつて信長包囲網を形成していた勢力は、今やほぼ消えていた。浅井、朝倉は滅んだ。比叡山は焼かれた。石山本願寺は降伏した。武田は講和した。

 

 そして今、西では毛利が織田と対峙している。毛利との戦いが終われば、次はおそらく自分達が織田と戦になるだろう。

 

 儂はこれからどう動くべきか。

 

 謙信の迷いはここ数年で大きくなっていた。織田と武田が同盟を結んだのが決定的だった。武田が東の脅威でなくなれば、織田は北陸に兵を集中できる。石山本願寺の降伏によって織田の国力はさらに増している。民が豊かになり、兵が増え、武器が改良されていく。その差は時間が経てば経つほど開いていく。

 

 今、織田と戦になったとしよう。一戦に限れば勝ち目がある。

 

 しかし連戦は無理だ。そして、数年後はその一戦の勝敗だってどうなるか分からない。

 

 謙信は目を閉じた。軍神と呼ばれてきた。戦場では負けたことがない。しかし、織田は戦場で戦わず、国力で上杉に勝負を仕掛けていた。

 

 兵士や銃の数、経済力、水神教。国力での勝負は既に負けが見えている。負け戦で生き残るにはどうしたら良いのか、その方法を謙信は知っていた。

 

 

 

 

 1577年(天正5年)春。

 

 岐阜城の謁見の間に上杉謙信が座っていた。織田と講和を結ぶため、謙信が岐阜城に訪れたのだ。

 

 セララは信長の隣で謙信を見た。

 

 五十近い年齢だが眼光が鋭い。戦場で鍛えた体は老いを感じさせなかった。謙信の目がセララを捉えた瞬間、謙信は深く頭を下げた。

 

「上杉謙信と申します。水神様、お目にかかれて光栄です」

 

「水神のセララだよ。こちらこそ、遠いところまでありがとう」

 

 謙信はセララの翼とヘイローを見つめていた。驚いた様子はなかった。事前に十分な情報を集めていたのだろう。その目には敬意があった。

 

 信長が口を開いた。

 

「謙信殿、わざわざ岐阜まで来たのだ。話すべきことがあるのだろう」

 

「はい。まず最初に、水神様に一つお聞きしたいことがございます」

 

 謙信はセララに向き直った。

 

「儂は毘沙門天を篤く信仰しております。毘沙門天は仏法の守護神。その儂が水神様に対してどのような感情を持っているか分かりますか」

 

 セララは少し考えてから答えた。

 

「石山本願寺の件を気にしている?」

 

「その通りです」

 

 謙信は静かに言った。

 

「水神様は石山本願寺を降伏させ、改宗を強いた。仏法の拠点であった本願寺を滅ぼしたとも言える。仏法を守護する毘沙門天に仕える者として、水神様が仏敵であるならば、儂は水神様の手を取る事ができない」

 

 謙信の言葉は真剣だった。儀礼的な問いではない。本当に答えを求めている目だった。

 

「仏敵であるというのは否定するよ」

 

 セララははっきりと言った。

 

「ボクは仏教を許容しているよ。人々がどの神を信じるかはその人の自由だから。来世に救いを求めて仏様に祈ることは、何も悪くない」

 

「ならば、なぜ本願寺を」

 

「信仰を悪用した人間がいたからだよ」

 

 セララは続けた。

 

「石山の僧の中には、来世の極楽を約束するかわりに民から銭や作物を搾取する者がいた。仏様の名を使って権力を求めている人がいた。そういう人達を一掃したかったんだ。でも、それは仏教そのものを否定しているんじゃない」

 

「仏様に敵対したのではなく、仏法を悪用する僧を罰したという事ですか」

 

「うん。仏様が民を苦しめることを望んでいるとは思えないからね」

 

 謙信は沈黙し、セララの言葉を丁寧に噛み砕くように考えていた。

 

 やがて謙信は深く息をついて言った。

 

「分かりました。水神様は仏敵ではない。次は信長殿です」

 

 信長が腕を組んで言った。

 

「ほう。次は儂か」

 

「はい。信長殿は第六天魔王を名乗っておりますが、仏に敵対する意思はありますか」

 

「儂が敵視するのは堕落し、腐敗した坊主どもよ。仏の代わりに腐敗した坊主どもに罰を下しているとも言えよう」

 

 信長はそれが当然であるかのように、堂々と言い放った。

 

「ふむ……嘘では無さそうです。ですが、全てを語っていない。そうですな」

 

 謙信が信長を鋭い眼光で睨み、問いかける。

 

「…………」

 

 信長は沈黙して謙信を睨みつける。

 

「信長殿。話してくれなければ信用できませぬ」

 

 謙信は一歩も引かず、信長に問いかけた。

 

 睨み合いが続いたが、先に折れたのは信長だった。

 

「……仕方あるまい。儂が第六天魔王を名乗った理由は、一向宗の矛先をセララから逸らすためというのが本当の理由だ」

 

「えっ?信長さん、そうだったの?」

 

 セララが驚いて信長に聞き返した。

 

「うむ。一向宗は水神を非常に敵視していた。それこそ、暗殺を試みてもおかしくない程であった。故に、儂が仏敵である第六天魔王を名乗る事でセララへの敵視を分散させたかったのだ」

 

 信長は本当の理由を白状した。

 

 セララはその言葉を聞いて嬉しくなった。信長がこんな形で自分を守っていたとは思っていなかった。

 

「……信長さん、ありがとう」

 

 セララは小声で言った。信長は視線を謙信に戻したまま、短く「うむ」とだけ答えた。照れているのか、その横顔は少し固かった。

 

「なるほど。それが信長殿の義であったと。であれば、第六天魔王を名乗るのも仕方ありませんな。仏敵では無いと認めましょう」

 

 謙信は納得したように頷いた。

 

「信仰の話はこれで終わりだ。本題に入ろう」

 

 信長はやや強引に話題を変えた。セララを心配していたことがばれてしまったため、照れ隠しだったのかもしれない。

 

 謙信は信長に向き直った。

 

「儂は織田家との講和と同盟を望んでいます。理由は申し上げるまでもないでしょうが」

 

「武田との同盟により、織田の東の脅威がなくなった。石山本願寺も落ちた。織田が北陸に集中すれば、越後は苦しくなる。そういうことだな」

 

「その通りです。儂は義のために戦ってきた。しかし民を豊かにすることもまた義であります。このまま戦い続ければ越後の民が苦しむ。それは儂の望むことではない」

 

 信長は謙信を見た。その目に、わずかな尊敬の色があった。

 

「謙信殿、お前は大局が読める男だな。多くの者は攻められたり、負けそうになって初めて頭を下げてくる。しかしお前は儂と戦う前に自ら来た」

 

「戦う前の今だからこそ、対等に話せます」

 

 謙信は淡々と言った。

 

「負けてから来れば、条件を押しつけられるだけです。今なら互いに利のある話ができる」

 

 信長は笑った。

 

「良いだろう。同盟を結ぶ。条件を話し合おう」

 

 セララは二人のやり取りを見ながら、武田の勝頼との会談を思い出した。あの時も、同じような話があった。しかし謙信の言葉には勝頼とは違う重みがある。勝頼は現実を冷静に計算していた。謙信は現実を見ながら、同時に自分の義をどこに置くかを考えていた。

 

 その違いが、二人の武将の個性だとセララは感じた。

 

 講和の条件が一つずつ決まっていった。越後への水神教団の布教許可、農業知識の提供、学校の建設。上杉家からは越後の産物と、相互の軍事協力の約束。どの条件も、互いに利のある内容だった。

 

 最後に謙信が言った。

 

「水神様、一つだけ聞かせてください」

 

「なに?」

 

「あなたは戦のない世を目指しているのですか」

 

 セララはためらわずに答えた。

 

「そうだよ。信長さんと一緒に」

 

 謙信は静かに頷いた。

 

「……儂も同じです。義のために戦ってきたが、本当は戦のない世の方が良い。それは、ずっと思っていたことです」

 

 その言葉を聞いてセララは少し驚いた。軍神と呼ばれた謙信が、この戦国の時代で戦のない世を望んでいる。当然のことかもしれないが、直接聞くと胸に響くものがあった。

 

 信長が口を開いた。

 

「この会談の話が出る前、謙信殿とは敵になると思っていた。しかし、目指す場所が同じであれば話は別だ」

 

「織田家が天下を取れば、争いは減るのですか」

 

「減る。儂が保証する」

 

 信長はためらわずに言った。謙信はその目を見て深く頷いた。

 

「……信じましょう。水神様が共に目指すのであれば」

 

「じゃあ、一緒に作っていこうよ。戦のない世を」

 

 謙信は深く頭を下げた。

 

「ありがたいお言葉です」

 

 こうして越後もまた、信長の勢力圏に入った。

 

 

 

 

 上杉との同盟が成立した頃、播磨では羽柴秀吉が動いていた。

 

 1577年から秀吉は播磨に入り毛利と対峙を始めていた。

 

 毛利はかつての勢いを失っていた。鉄甲船との海戦で水軍が打撃を受け、石山本願寺の降伏で大きな同盟相手を失っていた。

 

 秀吉の進軍は情報に支えられていた。

 

 甲賀の忍びが毛利領内の動きを細かく報告し、どの城の守りが手薄か、どの将が動揺しているかが手に取るように分かった。秀吉はその情報を元に、力攻めを避けて調略を多用した。守りの薄い城には使者を送り、条件を提示して降伏を促した。戦わずに落とせる城は戦わずに落とした。

 

 また、岐阜のセララは甲賀から届く報告をまとめながら別の采配を進めていた。

 

 水神教団を播磨に派遣することだ。

 

 秀吉が進軍した地域に水神教団が続いて入っていく。護衛として甲賀の忍びを数名付けた。前線に近い地域なので万が一の備えは必要だった。

 

 水神教団は村々を回り、農業の知識を伝え、水神様の教えを語った。

 

 播磨の民は最初、警戒した。

 

 戦が来るたびに苦しんできた。支配する大名が変わっても民の苦しみは変わらなかった。だから新しい勢力が来ても信じることができなかった。

 

 しかし水神教団は播磨の民の警戒を解くために食料を配り、農具を渡した。また、養鶏のやり方を教えて鶏を村に無償で与えた。

 

 大名は奪うだけだったが、水神教は村々に物資を与えてくれる。その行動が言葉よりも早く信頼を作った。

 

 ある村の老人が水神教団の者に言った。

 

「水神様の噂の通りだ。水神様も教団のあんたらも儂らを救ってくれる。ありがたいことだ」

 

 水神様の噂は播磨にも届いていた。尾張や岐阜で起きた奇跡の話は商人や旅人を通じて西へ広まっていた。また、水神教団が来て物資の配布と共に布教する事で噂がより広まっていった。そして人々は水神様と共に歩む織田家に恭順していった。

 

 秀吉はその変化を見て満足した。

 

「セララ様の采配は見事だ。儂が攻めた土地の民心が整っていく。占領した地域に兵を駐留させずとも織田家の支配が広がっていくとは、凄まじい事だ」

 

 戦場を前線の兵士が作るなら、民心は水神教団が作る。その分業が毛利攻めを支えていた。

 

 一方、毛利側は困惑していた。

 

「民が織田に傾いている。水神教が広まるにつれて、抵抗する者が減っている」

 

 毛利の将たちがそう報告した。

 

 水神様が敵についている。それは毛利にとって大きな心理的な重荷だった。本願寺を降伏させた水神様が、今度は毛利の領地に入ってくる。民はそちらに傾く。兵の士気にも影響が出始めていた。

 

 毛利攻めは秀吉が思っていた以上に順調に進んでいった。

 

 

 

 

 岐阜でその報告を受けたセララは安堵した。

 

(戦いながら、同時に民を助けることができている)

 

 武力だけで押し進むのではなく、民の生活を良くしながら進む。その形がセララの望んでいたものだった。

 

 信長がセララに言った。

 

「今年は上杉と同盟し、毛利を追い詰めた。あとは時間の問題だな」

 

「そうだね。でも毛利はしぶとい。まだかかると思う」

 

「分かっている。急ぐつもりはない。民心を掌握していけば時間は儂の味方となる」

 

 セララは窓の外を見た。

 

 越後では謙信が民のために新しい道を選んだ。播磨では水神教団が戦の傷を癒しながら進んでいる。

 

 天下統一が着実に近づいていた。

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