尾張水神伝 ~SF世界の天使っぽい種族に転生したけどワープ事故で戦国時代の日本に漂着しました~ 作:Lavian
1579年(天正7年)。
信長とセララは安土城の執務室で甲賀からの報告を受け取っていた。
羽柴秀吉の播磨攻略は順調であり、年内には毛利を降伏させられるとの事だった。
また、奥羽を支配する伊達氏と、関東を支配する北条氏が降伏と従属を願い出た。武田や上杉と講和を結んだ織田に敵対するのは無謀だと考えたのだろう。伊達氏と北条氏の降伏により、信長は日の本の東部を完全に支配した。
播磨攻略が年内に終われば、残るは四国と九州である。
信長の天下統一は目前に迫っていた。
翌日、信長とセララは朝食を共にしていた。
「セララよ。今日は城下町で相撲大会が行われておる。共に相撲観戦に行こうぞ」
朝食を食べ終えると、信長が声をかけてきた。
「相撲大会?」
「ああ。毎年この時期に行われる大会だ。今年は特に有力な力士が揃っていると聞いた」
信長が相撲好きだということは、清洲の頃から知っていた。相撲の話になると目が輝く。普段の鋭い政治家の顔と、相撲観戦の時の純粋に楽しんでいる顔は全然違う。
「いいよ。一緒に見に行こう。楽しみだね」
「うむ!では昼前に出発するぞ」
信長は満足そうに言った。相撲好きの仲間を増やしたいという気持ちが、顔に出ていた。
護衛を連れて城を出た。
初夏の日差しが城下町の通りを照らしていた。人の往来が多く、どこからか焼き魚の香りが漂ってくる。相撲大会の日は城下が活気づく。店を広げる商人、家族連れ、遠くから来たと思われる旅姿の者たち。通りを歩くだけで、安土の城下町が賑わっているのが伝わってきた。
城下町の広場にはすでに多くの人が集まっていた。相撲の土俵が中央に設けられており、周囲にぐるりと人垣ができている。土俵という形式は数年前にセララが考案し、各地の相撲大会に広まったものだ。
水神様が来たと気づいた人々がざわめいたが、信長が手を上げて制すると、皆は静かに見守る態勢になった。
上の席に信長とセララが並んで座った。見晴らしの良い場所から土俵全体が見渡せる。
大会が始まった。
行司の張り上げる声が広場に響き、最初の取り組みが始まった。まだ序盤の若い力士たちが次々と土俵に上がり、ぶつかり合う。砂が舞い、どよめきが上がる。押し出される者、廻しをつかんで投げを打とうとする者。土俵の上で二人の体が絡み合い、一瞬で勝負が決まる。
「あの足の運びを見よ。体が大きい方が有利に見えるが、実は足腰の使い方次第で覆せるのだ」
と信長が言った。
「信長さん、詳しいね」
「相撲は戦と同じだ。体の大きさだけが全てではない。技と読み、一瞬の判断力がものを言う」
信長の指差した先の力士が、次の取り組みでも勝った。
「ほんとだ。勝ったね」
「だろう。足腰が強ければ押されても堪えられる。それに素早く動ける。相撲の強さの根本はそこだ」
試合が進むにつれて、強い力士が絞られていった。序盤の取り組みとは違い、勝ち残った者たちは一人ひとりが際立った体格を持ち、動きに無駄がない。ぶつかり合う音も重くなり、土俵の砂が大きく舞うようになった。
準決勝が終わって、決勝の組み合わせが決まった。
昨年度の優勝者——体格は城内でも見たことがないほどの巨漢だ。身の丈が高く、肩幅が広く、ひと目で圧倒的な体格差が分かる。
対する挑戦者は、それよりずっと小柄だ。でも目が鋭く、足の運びが軽い。
「これは面白い組み合わせだな」
と信長が前のめりになった。
「体格差がすごいね。挑戦者の人、勝てるのかな」
とセララも言った。
「見ていろ。体格の大きい者が必ずしも勝つとは限らん」
両者がにらみ合った。巨漢は動じない。挑戦者は目を細めて、相手のどこかを見定めていた。
立ち合いの瞬間、巨漢が真っ向から押し込んできた。重さと力をそのまま乗せた、正面からの圧力だ。地面が揺れるような勢いで、腕と肩が挑戦者の胸元に叩きつけられた。
挑戦者がそれを受け止めた。
ふんばる。土俵の砂が削れる音がした。足が沈む。土俵の縁に足がかかりそうになる。
「おおっ」
と周囲が声を上げた。
誰もが押し出されると思った、その瞬間だった。
挑戦者がわずかに体をずらした。ほんの少しの動きだった。しかしそれで、巨漢の押す力が空を切った。重心がずれた巨漢の体が、自分の力に引っ張られるように傾いた。
挑戦者がすかさず回り込んで、押し出す。
巨漢が土俵の外に出た。
一瞬の出来事だった。
広場が沸いた。
「そうだ!それよ!力をいなして技で勝つ、それが相撲の醍醐味だ!」
信長が膝を叩いた。
目が輝いている。本当に楽しんでいる顔だ。
「すごい!一瞬だったね!」
セララも思わず立ち上がって声を上げていた。
「あの体捌きよ。見事だった。挑戦者はずっと相手の力の方向を読んでいたのだ。だから一瞬のずれを作り出せた」
信長は興奮冷めやらぬ様子で続けた。
「信長さん、本当に相撲が好きなんだね」
「当然だ。こんなに面白いものはない」
表彰の時間になった。
信長が立ち上がり、優勝者の前に歩いた。手ずから優勝賞金の入った袋を渡す。
「見事な相撲だった。今年の優勝、称えるぞ」
優勝者が深く頭を下げた。
「セララよ。お前も今年の優勝者を祝福してやると良い」
と信長が振り返った。
「うん、そうするね」
セララは優勝者に近づいた。日に焼けた、がっしりとした体格の男だ。近くで見ると、その筋肉の量が分かる。
「優勝おめでとう。本当に見事な相撲だったよ。技を使って大きな相手に勝つなんて、凄いと思う」
優勝者が目を潤ませた。
「水神様に……水神様に直接お言葉をいただけるとは……」
そして優勝者がセララに向かって手を差し出した。握手を求めているのだと分かって、セララはその手を握り返した。
優勝者の目から涙が一粒こぼれた。
「この手は……二度と洗いません!!」
周囲がどよめいた。
セララは思わず苦笑いした。
「流石にそれはダメだよ。衛生の話を聞いた事はある?手を洗わないと病魔が……」
「し、しかし水神様と握手した手を洗うなど……」
「ボクの手は特別な力があるわけじゃないから、普通に洗ってね。むしろ洗わない方が病気になっちゃうよ」
「そ、そうでございますか……承知いたしました」
優勝者は涙を拭いながら、しぶしぶ頷いた。
信長が隣でくつくつと笑っていた。
「なんと真摯な信仰心だ」
「信長さん、笑わないでよ」
「いや、面白い。水神様に握手してもらった手を洗わないとは」
「洗ってもらうように言えたから良かったよ」
城に戻る道すがら、信長はまだ決勝の話をしていた。
「あの体捌きは見事だったな。もう一度見たかったくらいだ」
「本当に一瞬だったよね。ボクも思わず立ち上がってしまったくらいだもん」
「来年も楽しみだ。今年の挑戦者がどこまで強くなるか」
信長がのんびりとした口調で言った。こういう信長は戦や技術の話では見れなくて珍しいとセララは思った。
城に戻ってから夕食を済ませたが信長はまだ機嫌が良いままだった。今日の相撲の話を何度も繰り返し、給仕の者にまで決勝の取り組みを語って聞かせていた。
夕食の後、信長がセララに声をかけた。
「先日、宇宙についての授業をしてくれたな。星はどこまでも遠く、この地球のような星が無数にあるという話だった。それで星を見たくなった。今夜は外に出てみないか」
城の屋根に上がり、二人で並んで夜空を見上げた。
雲が少なく、星がよく見えた。無数の光が空に広がっている。眼下に広がる琵琶湖は月明かりを受けて静かに光り、空と湖の両方に星が映っているようだった。
「きれいだね」
とセララは言った。
「相撲を見て、こうして夜空を見上げる。平和な夜だな」
「そうだね」
「セララよ。お前の故郷はあの星のどこかにあるのか」
「うん、あの中のどこかにある星がボクの故郷だよ。ここからは見えないくらい遠い場所だけど」
信長はしばらく黙って星を見ていた。
「あれほどの星の数が、全部ここと同じような世界なのか」
「全部ではないけど、中には住める星もあるよ。ボクの故郷みたいにね。星の数だけ世界がある、っていうのは大げさじゃないかもしれない」
「途方もない話だな」
「そうだよ。ボクも全部は知らない。宇宙はボクたちスカイエルフにとってもまだまだ謎が多いんだ」
信長は腕を組んで、星空を見続けた。
「いつか行ってみたいものだな。あの星々へ」
その横顔は政務をこなす時の鋭さとは違っていた。子供のような好奇心が見え隠れしている。セララはこういう信長の顔を見るのが好きだった。
「信長さんが宇宙に行けたら絶対に楽しいと思う」
「お前の故郷にも行ってみたい」
セララは少しだけ間を置いてから言った。
「いつか信長さんを招待したいな」
それは叶わない願いだとセララには分かっていた。
宇宙をまたいで人を連れていくにはワープゲートのような大規模な設備が必要だ。聖国の技術であれば作れるが、この星にはその施設がなく、セララの故郷からもあまりに遠い。たとえホワイトスワローが完全に直ってもゲートがなければ辿り着けない場所だ。
でも。
そうなったら良いな、という気持ちは本物だった。
「儂が生きている間にその機会が来ると良いが」
と信長も言った。
セララは答える代わりに星空を見上げた。
夜風が静かに吹いていた。
「信長さん、一つ聞いても良い?」
「なんだ」
「宇宙の果てはどうなってると思う?」
「儂が聞こうとしていたことをセララが先に聞くとは。天の国の者達は知っているのではないか。宇宙の果てのことを」
「それが、ボクにも分からないんだよね」
「ほう」
「果てがあるのか、ないのか。あるとしたらその向こうに何があるのか。スカイエルフの研究者たちも、まだ答えを出せていないんだ」
信長は笑った。本当に楽しそうな笑い方だった。
「セララにも分からないことがあるのだな」
「当然だよ。ボクは神でも宇宙の専門家でもないから」
「いや、それが良い。神でさえ分からないことがあるなら、人間が分からないのは当然だ。しかし逆に言えば、まだ誰も知らないことが、あの空の向こうにあるということだ」
信長は星を見上げながら言った。
「そうだね」
「それは面白い話だ。儂が天下を取ったとしてもあの星の果てには届かない。まだ誰も知らない世界が広がっているとは。人の世が続く限り、やることは尽きんな」
信長は機嫌よく続けた。
セララはその言葉を聞きながら、隣の信長の横顔を見た。
「信長さんはどんなことも諦めなくて偉いね」
「後ろを向いていても何も変わらん。分からないことがあるなら、いつか分かるかもしれないと思えば良い。届かない星があるなら、届こうとする者が次の世代に出てくるかもしれない」
「そっか」
「セララの故郷の者達も最初から宇宙を旅できたわけではないだろう」
「そうだよ。昔は宇宙に出ることもできなかった。でも少しずつ技術を積み重ねて宇宙へ進出したんだ」
「人の世も同じだ」
信長はそれだけ言って、また星空に視線を戻した。
二人でしばらく、黙って星を見ていた。
夜風が少し冷たくなってきた。
「そろそろ戻るか」
と信長が言った。
「うん。信長さん、今日は楽しかったよ」
「儂もだ。相撲も星空も、良いものは良いと分かる相手がいるとより楽しくなるな」
信長は歩きながら言った。
「それはボクも同じだよ」
安土城の廊下に戻ると夜の静けさが広がっていた。
それぞれの部屋へ向かいながらセララは空を見上げた。
廊下の窓からまだ星が見えた。
あの夜空の星のどこかに聖国がある。いつか帰れる日が来るのかどうかは分からない。でも、帰れなくても良いと今夜は思えた。
ここにも大切なものがあるから。