尾張水神伝 ~SF世界の天使っぽい種族に転生したけどワープ事故で戦国時代の日本に漂着しました~   作:Lavian

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第五十六話 本能寺の変

 1580年(天正8年)。

 

 羽柴秀吉の播磨攻略が完了した。

 

 信長の版図はさらに広がった。日の本の大名の多くが従属し、天下統一は現実の形を帯びてきた。

 

 それからの信長は次の動きを素早く決めた。四国の長宗我部元親討伐のための手配を進め、自ら動く準備を始めた。

 

 そして信長は京の本能寺に滞在することになった。

 

 その話を聞いたとき、セララは動きが止まった。

 

 本能寺。

 

 前世の記憶の中で、その言葉は特別な意味を持っていた。本能寺の変。明智光秀が謀反を起こし、織田信長が討たれた事件。日本史の中で最も衝撃的な出来事の一つとして、誰もが知っていた。

 

 安土城が完成したあの日から、セララは甲賀の忍びに頼んで明智光秀の様子を密かに探らせていた。二年間、目立った動きはなかった。明智は織田家の中でも重用され、表向きは忠実な家臣として振る舞っていた。これまでの報告に不審な点はなく、セララは少しずつ警戒を緩めかけていた。

 

 本能寺の変が起きる条件が、本当に揃っているかどうかは分からない。この世界はセララが関与することで歴史が変わっている。起きないかもしれないと思う気持ちもあった。

 

 しかし、信長が本能寺に向かうと聞いた瞬間、その油断は消えた。

 

 歴史が早まっているならここが正にその舞台になる可能性がある。

 

 信長の息子の織田信忠も京都の妙覚寺に滞在する事となっており、これも史実と一致していた事がセララの警戒心を高めた。

 

 セララは甲賀の頭目を密かに呼んで改めて指示を出した。

 

「これまで明智さんの様子を見てもらっていたけど、今回は特に警戒してほしい。本能寺に同行して隠れながら状況を監視してほしいんだ。それに何かあれば信長さんと信忠さんを救出できるよう準備しておいて」

 

「これまでの監視で不審な動きはございませんでした。今回、何か根拠が?」

 

「確信があるわけじゃない。でも、本能寺に信長さんが滞在するこの機会だけは可能性を潰しておきたいんだ。確実では無いから信長さんには秘密でお願いしたい」

 

 頭目は頷いた。

 

「水神様のご依頼とあれば。少数で動きます」

 

「ありがとう。頼んだよ」

 

 二年間、信長には何も告げずにいた。それが最善だと頭では分かっていた。でも、信長と毎日顔を合わせながら黙っているのは、思ったより居心地が悪かった。いつも正直に話してきた相手にこうして黙っていることがこれほど苦しいとは思っていなかった。

 

 本能寺の変について目立った対策をせず、明智の監視を続けていたのは『信長が本能寺に滞在している時に謀反が起きる』という本来の歴史をなぞる為だった。

 

 何も無ければそれで良い。でも何かあったなら絶対に信長を救出するとセララは決意していた。

 

 

 

 

 本能寺への移動は密かに行われた。

 

 信長の一行が京へ向かう中、セララは少し離れた位置から甲賀の忍びと共に動いた。京に入ってからは本能寺の近くに身を潜めた。

 

 本能寺の周囲は静かだった。

 

 信長の護衛は少なかった。大軍を引き連れての移動ではなく、少数の供回りだけで滞在している。攻められれば脆い状況だ。

 

 織田家の主力が全国に散らばり、信長と息子の信忠だけが京都周辺にいる。謀反を起こすなら絶好のチャンスだった。

 

 一日が過ぎ、二日が過ぎた。

 

 三日目の夜明け前、甲賀の忍びが戻ってきた。顔が変わっていた。

 

「水神様、動きがあります。明智の軍勢が京に向かっているとの報告です。数は一万を超えるとの事です」

 

 セララの体が緊張した。

 

「方向は?」

 

「本能寺の方向です。間違いありません」

 

 ついに来た。本能寺の変が起こったのだ。

 

 だが明智の軍勢は京に向かっている所だ。今なら間に合う。

 

「甲賀の忍びは明智の軍に偽情報をばら撒いてかく乱して時間稼ぎを。それと信忠さんの救出も頼んだよ。ボクは信長さんの元へ飛んで行く」

 

 セララは翼を広げた。夜明け前の暗い空に飛び立ち、本能寺に向かった。

 

 本能寺の境内に降り立つと、まだ静かだった。しかし遠くから馬の蹄の音が聞こえてきた。多い。大勢が動いている。

 

 信長の部屋に向かった。

 

 廊下で護衛の兵が声を上げたが、セララを見て動きを止めた。水神様だと分かったからだ。

 

「信長さん!」

 

 障子を開けると、信長が起き上がっていた。物音に気づいていたらしい。その目が、飛び込んできたセララを見た。

 

「セララか。何があった」

 

「明智光秀が謀反を起こした。今すぐボクと一緒にここを出て欲しい」

 

 信長は一瞬だけ静止した。

 

「謀反だと?」

 

「兵が来てるんだ。もう時間が無い」

 

 信長の目が鋭くなった。外から遠い喊声が聞こえ始めていた。

 

「……本当か」

 

「本当だよ。信長さん、ボクを信じて」

 

 信長は立ち上がった。着物を整えながら、素早く状況を判断している顔だった。

 

「明智か。あの男が……」

 

「考えるのは後で。今は逃げることが大事だよ」

 

 信長はセララを見た。その目に、複雑な何かがあった。怒りか、驚きか、それとも別の何かか。しかしすぐに顔が決まった。

 

「分かった。頼む」

 

 セララは信長を両腕で抱えた。庭に出て、翼を大きく広げた。

 

 地面を蹴った。

 

 一気に上昇した。夜明け前の暗い空に飛び立つと、下の本能寺が小さくなっていった。

 

 地上では、明智の軍勢が本能寺の門に向かって動いていた。松明の光が川のように流れている。しかし本能寺の主は、すでに空の上にいた。

 

 信長は下を見ていた。自分の本陣が包囲されていく光景を見ていた。その顔は怒っていたが、取り乱してはいなかった。

 

「明智め」

 

 と信長は低く言った。

 

「大丈夫?」

 

「問題ない……明智の謀反を察知したのは甲賀からの情報か?」

 

 セララは少し間を置いてから答えた。

 

「実はボク、二年前から明智さんの様子を甲賀に探ってもらっていたんだ。少しだけ未来の情報を知っていて、今回の謀反が起きるかもしれないと思っていたから。信長さんに黙っていたのは、知らせた場合に行動が変わってもっと対処が難しくなるかもしれないと思ったから。でも、黙っていたことはごめんなさい」

 

「……神の奇跡は未来すら知れると言うことか」

 

 信長は納得したように頷いた。

 

「謝るな。お前が動いてくれたから儂は生きている。それで十分だ」

 

「……ありがとう、信長さん」

 

「信忠が妙覚寺に滞在していたはずだ。そちらの方は?」

 

 信長は息子の信忠の安否が気になるようだった。

 

「信忠さんの方は甲賀に救出に動いて貰ってるよ。無事に脱出していると思う。甲賀の別動隊に明智軍のかく乱と時間稼ぎも頼んでるから問題ないよ」

 

「そうか。ならば良かった」

 

 信長は少し力を抜いた。安心したようだった。

 

「詳しい話は後でするよ。今はどこに行く?」

 

「安土城へ戻って態勢を立て直す」

 

「分かった。急ぐよ」

 

 翼の角度を変えて安土城の方向に速度を上げた。夜明けの空が東の方から少しずつ明るくなってきていた。

 

 下を流れる地形が速く過ぎていく。

 

 本能寺の変は起きた。しかし信長は生きている。

 

 この先どうなるかは分からない。歴史は変わった。明智光秀が謀反を起こした事実は同じでも、信長が生き延びたことでこれから起きることは前世の知識と全く違うものになる。

 

 セララは空の明るさが増していくのを感じながら翼を動かし続けた。

 

 信長が生きている。それが嬉しかった。




明智光秀が本能寺の変を起こした動機は次のエピソードでの解説となります。

史実で本能寺の変が起きたのは1582年。この歴史では2年早まりました。

セララは歴史をなぞる為に明確な謀反対策を行いませんでした。
なお、もし明智を信長から遠ざける等の謀反対策を行っていた場合、
場所とタイミングを変えて明智が謀反を起こしていました。
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