尾張水神伝 ~SF世界の天使っぽい種族に転生したけどワープ事故で戦国時代の日本に漂着しました~   作:Lavian

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第五十七話 目安箱

 1580年(天正8年)。

 

 本能寺の変から間もなく、安土城に戻った信長から討伐命令が飛んだ。

 

 明智光秀に対して各地の将に討伐の指示が出た。家臣たちの動揺は大きかった。信長が本能寺を脱出して生きているという報せが届いた時、多くの将が安堵と混乱を同時に見せた。主君が生きている。しかし謀反が起きた。この二つの事実を、誰もがうまく処理できずにいた。

 

 その中で最も素早く動いたのは羽柴秀吉だった。

 

 毛利討伐は既に完了しており、中国地方で占領と統治を進めていた秀吉は電光石火の速さで軍を返した。その判断の速さは他の将の追随を許さなかった。備中高松から畿内まで秀吉の軍は信じがたいほどの速度で移動した。

 

 乱はおよそ十日で終わった。山崎の地で明智軍が敗れ、明智光秀は討たれた。

 

 また、秀吉は明智光秀が信長宛に書いた遺書を見つけて信長に届けた。

 

 信長は自身の執務室で届けられた明智光秀の遺書を読んだ。読み進めるにつれて信長の眉が動いた。

 

 

 

 明智光秀が謀反を起こした理由は、信長を排除してセララに天下を委ねることだった。セララが治める天下泰平の世になるのであれば、自身は謀反人として礎になると。

 

 遺書にはその考えに至った経緯が記されていた。

 

 信長は天下統一を目前にしながら、征夷大将軍の座を空けたままにしていた。織田家の武将や民は信長とセララの二人で天下を治めるのが当然のように行動していた。その結果、信長とセララのどちらが天下を治めるのか、誰の目にも判然としない状態が続いていた。明智はそこに信長の迷いを見た。征夷大将軍の座は一つしか無く、二人同時には付けない。

 

 信長は武と恐怖によって家臣と民を従えてきた。それは天下統一を成すための力としては正しかった。しかし力で従えた者は、力が弱まればたちまち離れていく。明智はそう書いていた。

 

 一方、セララは違う。戦わず、奪わず、ただ知識と恵みを与え続けるだけで、民は自らセララの元に集まってきた。それは信長が武力でどれだけ威圧しても得られないものだった。

 

 信長という人間の力には限りと寿命がある。だが神への信望には限りがない。ならば、人の世の争いを終わらせるためには人ではなく神が統治するしか無い。セララこそがこの国を治めるべき存在であり、信長はその障壁になっている。

 

 自分は謀反に失敗したが、それでもどうか天下泰平のためにセララに天下を譲ってほしい。そう書いてあった。

 

 

 

 信長はぽつりとこぼした。

 

「明智め。忍耐の足りぬ奴よ。あと数年、待っておれば……」

 

 セララがこれを読めば自分のせいで謀反が起きたと感じるだろう。セララはそういう人間だ。自分には関係のない話だと割り切れる性格ではない。必要以上に重荷を背負う。

 

 それは要らぬ重荷だと信長は思った。

 

 信長はセララがこの手紙を見る事の無いよう、読み終えた後に燃やして捨てた。

 

 

 

 明智光秀の討伐が終わり、情勢が安定してから信長はセララを執務室に呼んだ。

 

「お前のおかげで儂は生きている。何でも望みの褒美を与えよう。何が欲しい」

 

 と信長は言った。普段は表に出さない感謝の感情があった。

 

「ずっと友達でいてくれればそれで良いよ」

 

 信長はその回答が来ることを分かっていたように笑った。

 

「お前ならそう言うと思っていた。ならば、少しでも健康で長生きするように努力しよう」

 

 その約束をセララは嬉しく思った。信長がセララの願いを理解し、実現しようとしてくれるからだ。

 

 それはそれとして、この約束を盾にして信長の甘味食べ過ぎ問題を止めようとセララは決意した。最近の信長はセララに隠れてこっそり甘味を多く食べている疑惑があったのだ。

 

 信長は最近、少しだけ体型が丸くなってきていた。

 

 

 

 

 それから一カ月が経過し、情勢は安定してきた。

 

 しかし、本能寺の変の後遺症が家臣団に残っていた。謀反が起きたという事実が将たちの間に微妙な緊張をもたらしていた。誰もが口には出さないが、次は別の誰かが謀反を起こすかもしれないという警戒心がわずかに漂っていた。

 

 信長はその空気を察知し、対策を打つことにした。

 

「謀反を防ぎ、家臣の忠誠を高めるために二つの手を打つ」

 

 信長はセララに向かって言った。

 

「一つ目は報酬だ。戦功に応じた領地の分配を確実に行う。手柄を立てた者が正当に報われるという実績を積み重ねれば、不満の芽は早いうちに摘める。明智のように暴走した者はともかく、大半の不満は待遇への不満から来る。そこを丁寧に潰していく」

 

「それはそうだね。頑張った人がちゃんと報われる仕組みは大事だよ」

 

「二つ目は対話だ。定期的に主要な将と個別に会う機会を設ける。儂が直接話を聞く場を作れば不満を言葉にできる。言葉にした不満は行動に移りにくい。胸の内に溜め込ませたままにしておくのが一番危ない」

 

「信長さんが自分で話を聞くの?」

 

「そうだ。人を介せば話が歪む。直接聞いた方が正確であり、将たちにとっても儂が自分の話を聞いてくれるという実感が持てる。それだけで忠誠心が変わる」

 

 セララは少し驚いた。信長が将たちと個別に向き合う時間を作るというのは思ったより手間のかかる話だ。

 

「大変じゃない?将の数は多いよ」

 

「大変だからこそ意味がある。儂が時間を割くということそのものが、相手への敬意になる」

 

 セララは頷いた。信長が配下に対して自身の時間を割いて手間暇をかけるのは信長らしくない行動だったが、それ故に手伝いたいと思った。

 

「それならボクも不満を聞く場を設けようか?信長さんには言いにくい事でもボクには言える事があるかも」

 

「ふむ……それはあるかもしれぬ。セララには手間をかけるが、その案を採用しよう。他にはあるか?」

 

 セララは他に良い案が無いかと考える。

 

「目安箱はどうかな。信長さん宛の手紙を入れる箱を作るんだ。手紙を書く人は全員匿名にして、誰が書いたか分からないようにするの」

 

「それにどのような意味があるのだ?手紙ではなく口頭で言えば良いではないか」

 

「口頭だと色々な物が邪魔するんだ。関係性とか、身分とか……匿名の手紙であれば、誰が書いたか分からないからより自由な意見を書けるんだ」

 

「ふぅむ。そういうものなのか」

 

 信長はいまいちピンと来ていないようだったが、セララの言う事ならばまずはやってみようと頷いた。

 

「信長さん、どうせなら武将用の箱と民衆用の箱の二種類を設置してみたらどうかな。武将用の目安箱は城内に設置して、信長さんに対する意見を集める。民衆用の目安箱は街に設置して、民衆から織田家への意見を幅広く募集するの」

 

「ほう。武将用の方はいまいち効果が予想できぬが、民衆用の目安箱については利点が分かるぞ。我らのような統治する側の意見ではなく、民と言う統治される側から見た改善案を広く集めると言う事だな」

 

「流石は信長さん、理解が早いね。物事の視点が変われば異なる意見が出る。そういう意見の中から優れた物を探して採用していくんだ」

 

「うむ。実に良い提案だったぞ。それでは丹羽に命じて目安箱を設置させるとしよう」

 

 こうして城内と城下町の二か所に目安箱が設置された。

 

 

 

 

 一週間後、セララは城下町の目安箱の内容をチェックして辟易していた。

 

「ボクを称えたり、信仰したり、感謝状だったり恋文だったりで全然政策の事が書いてない……」

 

 セララが手紙の山に顔を埋めて嘆く。

 

「セララよ、お前は自分の人気を甘く見たな。水神に手紙を届けられるとなれば、民はこぞって手紙を書くだろうよ。水神用の手紙箱と、役人に届く政策用の目安箱に分けるべきだったのだ」

 

 それを見て信長はくつくつと笑った。

 

「うう、信長さんの言う通りだね。明日からそうするよ。信長さんの武将用の目安箱はどうだったの」

 

「実はな、初日は何通か手紙が入っていたのだ。政策や戦に関する進言は問題なかったのだが、そうでは無い一通の手紙に問題があった」

 

「それはどんな問題だったの?」

 

「あまりにも戦と仕事が多く、手が回らぬという泣き言であった。これは弛んでおる、気合を入れてやらねばと思ったのだが匿名で誰が書いたか分からぬ。そこで翌日から儂は目安箱の側に立ち、誰が目安箱に手紙を入れるか監視する事にしたのだ」

 

「ああ……」

 

 セララは手で顔を覆った。その後の展開が目に見えていた。

 

「すると誰も目安箱に近寄らぬ。三日間も目安箱の側に立っていたと言うのに一通も手紙が箱に無い。故に儂は武将向けの目安箱は不要ではないかと考えている所だ。民衆向けの目安箱さえあれば良い」

 

「うん、そうだね。それでいいかも……」

 

 信長と目安箱は相性が悪い、それを悟ったセララは反論せず、信長の判断に任せた。

 

 結果として武将用の目安箱は撤去され、城下町に民衆が入れる政策用の目安箱と、水神様へのお手紙箱の二つの箱が出来たのだった。

 




明智光秀の謀反の理由は信長を排除してセララを天下に立たせる事でした。
現状、信長は征夷大将軍の座を空席にしています。
水神教を広めているしセララを大切に扱っていますが、信長とセララは対等の関係です。
信長は天下統一後の立場を明言しておらず、曖昧にした状態です。

織田家の他の家臣から見れば『信長とセララの二人で天下を治める』という状態でしたが明智は違いました。
明智は『天下を治める人物とはたった一人である』と考え、二人のどちらかが上に立ち征夷大将軍になると推測しました。

明智から見ると天下統一後、信長とセララのどちらが天下を治めるのか不明の状態です。
そのため、信長を排除する事でセララが天下を治める立場にする、というのが動機でした。
信長さえ排除できれば自分は死んでも良かったため、信長の護衛が手薄になり、信長と信忠を同時に排除できるこのタイミングを狙いました。

なお、セララは普段通りであれば安土城で内政をしている所を、秘密裏に本能寺近くに潜んでいたため、明智はセララが信長救出に来ることを読めませんでした。

明智が謀反を起こすなんて誰もが考えていなかったため、セララが事前に警戒していなければ信長にまで届く奇襲となりました。



史実の目安箱は1721年に設けられました。
訴状には住所と氏名を明記することが求められ、匿名などの場合は破棄されたと言われています。

この物語の目安箱では匿名での記載となっています。これはセララが現代人の感覚を持っていたため、匿名の方が色々な意見を募集できると思ったためでした。

ただし匿名制の場合、政策と関係のない手紙や、内容の正しさを確認しづらいという課題もありました。本編で描写された水神様への手紙もその一例です。
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