尾張水神伝 ~SF世界の天使っぽい種族に転生したけどワープ事故で戦国時代の日本に漂着しました~   作:Lavian

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第五十九話 ローマの少年

 1581年(天正9年)。ローマ。

 

 マルコは十二歳の少年だ。

 

 ローマの港町オスティアの近くで生まれ育ち、父は漁師、母は市場で魚を売って生計を立てていた。毎日の暮らしは単調だった。朝早く父が漁に出て、母が市場で声を張り上げ、マルコは弟妹の世話をしながら家の手伝いをする。それが当たり前の日々だった。

 

 その日常が変わったのは教会の壁画がきっかけだった。

 

 日曜の礼拝のあと、マルコはいつものように教会の中を見て回っていた。古い壁画や聖人の像を眺めるのが好きだった。そこで見慣れない絵に気づいた。

 

 白い翼を持ち、頭上に光の輪を浮かべた少女の絵だった。聖人の絵にはよくある構図だが、その少女の顔はどこか幼く、それまで見てきたどの天使とも違う雰囲気があった。

 

「神父様、これは誰の絵ですか」

 

 マルコは礼拝堂の隅にいた老神父に尋ねた。

 

「ああ、それは新しい絵だよ。東方の島国に降臨した熾天使様だ」

 

「熾天使様?」

 

「そうだ。何年か前、ローマ教皇庁が調査団を送った。日ノ本という国に翼とヘイローを持つ天使が現れたという報告があってね。調査の結果、本物の熾天使様であると認定されたのだよ」

 

 マルコは興味を持った。神や天使は存在すると信じてはいたが、それは天国にいる存在であり、地上にはいないと思っていたからだ。

 

「本物の熾天使様?聖書に出てくる熾天使様が地上に降臨されているのですか?」

 

「うむ。驚くべきことに本当に降臨されているとの事だ。この話を聞いた時、私は嬉しくて泣いてしまったよ。聖書に書いてあることは本当だったのだと思ってね」

 

 神父は懐かしそうに語った。マルコはその話に引き込まれた。

 

「その熾天使様は地上に降臨してどんな事をしているのですか?」

 

「困っている人々を助けているそうだ。雨を降らせ、傷を治し、農地を豊かにし、学校を作り、子供たちに文字を教えているという。遠い異教の地にありながら、神の御業を地上で行っているのだ」

 

 マルコは絵をもう一度見た。少女の優しげな表情が何かを語りかけてくるような気がした。

 

「もっと知りたいです」

 

「ならばあの本を読むといい」

 

 神父が指したのは、教会の小さな書架だった。そこに革張りの本が一冊置かれていた。

 

「『尾張水神伝』という。東方から伝わった熾天使様の記録だ。翻訳されたものが最近この教会にも届いた」

 

 マルコは本を手に取ったが、開いてすぐに困った顔をした。見慣れない言葉がぎっしりと並んでいる。

 

「神父様、これは……読めません」

 

「ああ、すまない。それはラテン語で書かれた原本だ。お前はまだ習っていなかったな」

 

 神父は少し笑って書架の奥からもう一冊、薄い本を取り出した。

 

「こちらを読むといい。教区の信徒のために簡単なイタリア語に訳した要約だ。内容は同じだがこちらなら読めるはずだ」

 

 マルコは渡された本を受け取った。さきほどの本より薄く、装丁も簡素だったが、開いてみると見慣れた言葉が並んでいた。

 

「こっちは読めます……!」

 

「良かった。原本ほど詳しくはないが、熾天使様の御業の大筋は分かるはずだ」

 

 マルコは本を手に取った。重みはさほどないが、表紙には原本と同じ、見たこともない文様が彫られていた。

 

 

 

 

 その日からマルコは暇さえあれば教会に通い、尾張水神伝を読んだ。

 

 最初は難しい言葉も多く苦労した。しかし、読み進めるうちに夢中になっていった。

 

 雨の降らない村で人々が困っていたところに天使が現れ、雨を降らせる話。怪我をした人々の傷を治し、農業の知識を伝え、人々の暮らしを豊かにしていく話。学校を作り、子供たちに文字を教える話。光る剣を持ち、戦で活躍する話。

 

 マルコの暮らす港町にも字を読めない者は多かった。学校という場所がどんなものか想像するだけで胸が高鳴った。

 

「熾天使様はどんな所に住んでいるんだろう」

 

 マルコは本を読みながら何度もそう思った。

 

 本の中には見たこともない言葉がたくさん出てきた。サムライ、カタナ、ショーグン。聞いたこともない響きが却ってマルコの興味をかき立てた。

 

 

 

 

 マルコは神父に熾天使様の話をするように何度も頼み、神父は教皇庁が熾天使様の実在を認めた時の話をした。

 

「実は、私には教皇庁で働く古い友人がいてな。あの時のことを何度も書状で知らせてくれたものだ」

 

 神父は少し懐かしそう語った。

 

「ルイス・フロイス殿が初めて天使様の出現を光る羽根と共に本国に報告した際、友人の話では教皇庁の中でも意見が分かれていたそうだ。『懐疑派』と呼ばれる方々は、自分の目で天使様の御業を見るまでは信じないと言い続けた。光る羽根も珍しい鳥の羽根に違いないと言ったそうだ。一方で『実在派』と呼ばれる方々はフロイス殿の証言と光る羽根だけで十分だと主張した。その頃は両者の勢力はほぼ互角だったらしい」

 

「それで東方へ天使の調査団が遣わされたのですね」

 

「そうだ。しかし調査団が帰国すると状況が一気に変わったそうだ。光る羽根は熾天使様の羽根だと調査団の全員が証言した。指の欠けていた者は熾天使様の奇跡により指が復活していた。そして大司教のロドリゴ・デ・メンドーサ様が炎を纏う剣、水神刀・陽炎を持ち帰ったのだ」

 

「それほど多くの証拠があると実在派が多くなりそうですね」

 

「うむ。友人の話では実在派の勢力が一気に膨れ上がったという。人々は報告書や光る羽根だけでは半信半疑だったが、実際に目の前で振るわれる炎を纏う剣を見て誰もが言葉を失った。目に見える奇跡を前にすると疑いの言葉も急速に弱くなっていったらしい。懐疑派の方々も聖遺物を目にしてからはずいぶんと数を減らしていったそうだ」

 

 マルコが納得して頷いた。

 

「確かに炎を纏う剣を見れば考え方も変わるでしょうね。僕も見てみたいです!」

 

 神父がマルコの発言に苦笑した。

 

「ローマの民衆も皆同じ気持ちだったそうだ。一目で良いから熾天使様の剣を見てみたいとね」

 

 神父が続けて言った。

 

「民衆の間でも天使様の話はあっという間に広まり、熱狂的な人気を博した。尾張水神伝が各地の教会や貴族の屋敷に渡り、皆がその話に夢中になった。人々が熾天使様が授けた炎の剣を見ようと教皇庁に押しかけ、毎日行列が出来ていたそうだ。熾天使様から炎の剣を授かったロドリゴ・デ・メンドーサ大司教は毎日決まった時刻に炎を纏った演舞を披露し、民衆を満足させて解散させたと言う」

 

「見たかったなあ。きっと素敵な舞だったんでしょうね」

 

 マルコが炎の剣を想像しながら言った。

 

「そうだね。きっと素敵な舞だったのだろう。教皇庁へ人々が毎日押し寄せた結果、懐疑派は消滅していったそうだ。炎を纏う剣を通して民衆が既に熾天使様を認めているのだから、教会が否定する理由は無かった。教会というのは、結局のところ民のためにあるものだからね」

 

 神父はそう言って笑みを浮かべた。

 

「正式に熾天使様が認定された時にはローマ中で鐘が鳴らされたそうだよ」

 

 

 

 

 

 そしてある日、教会にもう一つの本が届いた事を神父から教えられた。神父は届いたばかりの本をマルコに貸してくれた。

 

「これはどのような本なのですか?」

 

 マルコが神父に尋ねると神父が優しく説明した。

 

「これは熾天使様が書いた物語だよ。名を鬼滅の刃と言う。炎や水の力を操る剣士たちが鬼という怪物を討っていくという話だ。きっと楽しめるだろうから読んでみなさい」

 

「炎や水の力を操る剣士……そんな人たちが本当にいるのですか」

 

「もちろん実在するとも。大司教のロドリゴ・デ・メンドーサ様は炎を纏う剣を熾天使様から授かった。帰国までの長い航海の間、常に水神刀を振り続けて呼吸の技を習得したそうだ。もしローマに鬼がやって来ても大司教様が討伐してくださるだろう」

 

 マルコは目を輝かせた。本物の天使様が書いた物語ならば、そこに描かれた鬼や剣士の技もきっと本当にあるのだろう。実際に特殊能力を操る大司教も存在するらしい。そう思うと東方の国がますます魅力的な場所に感じられた。

 

 

 

 

 夜、マルコは家族との夕食の席で、その日読んだ話を語った。

 

「熾天使様の国には学校があって誰でも文字を学べるんだ。それに、すごい剣士たちが鬼を討つ話もあるんだよ」

 

 父は笑いながら聞いていたが、母は心配そうな顔をした。

 

「マルコ、そんな遠い国の話よりも、明日の手伝いの方が大事よ」

 

「分かってるよ、母さん。でも……」

 

 マルコは言葉を選びながら続けた。

 

「いつか、その国に行ってみたいんだ」

 

 家族が一瞬静かになった。父が手を止めて、マルコを見た。

 

「お前、本気で言っているのか」

 

「うん。本気だよ」

 

 父はしばらく黙っていた。それから、少し笑った。

 

「大きな夢を持つのは悪くない。だが、東方の国まで行くのは並大抵のことではないぞ。船で何年もかかる航海だ」

 

「分かってる。でも、行ってみたい」

 

 マルコの目には迷いがなかった。

 

 母はため息をついたが、その顔には呆れとわずかな誇らしさが混ざっていた。

 

「あなたのお祖父様も若い頃は外国へ行く船乗りに憧れていたのよ。結局は地元の漁師になったけれど」

 

「お祖父様も?」

 

「ええ。海の向こうに何があるのか、知りたかったんでしょうね」

 

 マルコは自分の中に流れる何かを感じた。祖父から続く海への憧れ。それが自分の中にも流れているのかもしれないと思った。

 

 

 

 

 その後、マルコは港で働く船乗りたちに話を聞くようになった。

 

 漁師の息子であるマルコはすでに海には慣れていた。しかし遠洋を渡る大型の商船となるとまったく別の世界だった。

 

「東方の島国、日ノ本まで行く船なんて滅多にないぞ」

 

 港の老船員がそう言った。

 

「ポルトガルやスペインの船がたまにマニラまで行くことはある。そこから先はまた別の船に乗り換える必要があるだろうな」

 

「マニラ……」

 

「お前、本気でそこまで行きたいのか」

 

「うん。本気だよ」

 

 老船員はマルコの顔をじっと見た。それから、にやりと笑った。

 

「面白い坊やだ。だったら、まずは近場の船で経験を積むことだ。誰だって最初から大きな航海には乗れない」

 

「どうすればいいですか」

 

「港の見習いから始めるんだ。荷を運んだり、縄を結んだり、最初は地味な仕事ばかりだがな。それを何年もやってようやく船員として認められる」

 

 マルコは頷いた。何年もかかる。それでも構わないと思った。

 

「分かりました。やってみます」

 

 

 

 

 マルコは家族に港での見習いをしたいと伝えた。

 

 父は最初こそ戸惑った様子だったが最終的には頷いた。

 

「漁師の仕事もお前にはいい修行になっていたはずだ。船の仕事も根は同じだろう」

 

「ありがとう、父さん」

 

「ただし、危険な仕事だ。簡単に命を落とすこともある。それを分かった上で行くんだぞ」

 

「分かってる」

 

 母はマルコの肩に手を置いた。

 

「あなたが本当にやりたいことなら止めはしないわ。でも、無事に帰ってきてね。そして、いつか天使様の国の話を私たちにも聞かせてちょうだい」

 

「うん、約束する」

 

 マルコは深く頷いた。

 

 

 

 

 数日後、マルコは港の商会に見習いとして雇われることになった。

 

 最初の仕事は地味なものだった。荷の積み下ろし、縄の結び方、船具の手入れ。一日中体を動かし、夜には疲れて眠ってしまうほどだった。

 

 しかしマルコはその日々を苦には思わなかった。

 

 休憩の合間、マルコは持ち歩いている尾張水神伝の小さな写しを取り出して読んだ。天使様が困っている人々を助ける話を読むたびに、自分の今の苦労もいつか報われるのだと思えた。

 

 ある日、商会の主人がマルコに声をかけた。

 

「お前、よく頑張っているな。何か目標があるのか」

 

「はい。いつか、東方の国まで行ってみたいんです」

 

「日ノ本か。最近噂になっている熾天使様の国だな」

 

 主人は驚いた顔をしたが、それから笑った。

 

「面白い夢だ。すぐには無理だろうが、まずはこの仕事を覚えることだ。腕の良い船乗りになればいつかチャンスが来るかもしれん」

 

「はい!頑張ります」

 

 マルコは元気よく答えた。

 

 夕暮れ、仕事を終えたマルコは港の岸壁に立ち、西へ沈む夕日を眺めた。海の向こうには、まだ見たこともない国々が広がっている。その先に、熾天使様がいるという日ノ本がある。

 

「いつか、必ず」

 

 夕日が水平線に沈んでいく。海風が頬を撫でた。

 

 マルコの夢はまだ始まったばかりだった。




ロドリゴ・デ・メンドーサは水神刀を授かった後、帰りの船旅の間に鬼滅の刃の日の呼吸の演舞を覚えました。
覚えたのはあくまで演舞であり形だけなのですが、水神刀を振って炎の幻影と共に舞うため、本物の呼吸の使い手だという誤解が広まりました。
ローマ教皇庁の前の広場で、行列を作る民衆に日の呼吸の演舞を毎日決まった時刻に披露し続けたのも誤解を広める要因でした。
流石に連続で舞う事は体力的に難しいので、体力が持たない場合は部下に演舞を任せたりもしました。

また、熾天使から直接聖遺物を授かった事で権威と名声が急速に高まり、やがてその功績により枢機卿に任命されます。
民衆からの人気が物凄いため、いずれは教皇になる可能性すらも噂されています。

一般市民の反応としては日本へ行きたいと願う若者が増え、船乗りや宣教師の希望者が増加します。
東方が『天使が降臨した地』として憧れの対象になったからです。
また、日本から輸入した書物、特に水神様が関わる物が飛ぶように売れます。
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