尾張水神伝 ~SF世界の天使っぽい種族に転生したけどワープ事故で戦国時代の日本に漂着しました~ 作:Lavian
1589年(天正17年)。
江戸の建設が始まってから五年が経った。
江戸普請奉行には信長の息子の織田信忠が任じられていた。安土城の執務室に信忠からの報告が届いた。
「江戸の主要な建物が完成いたしました。江戸城、港、学校、すべて予定通りに仕上がっております」
セララはその報告を配下から聞き、すぐに立ち上がった。
「ついに完成したんだね。行ってみたい」
「式典の準備も進めております。北条様をはじめ、関係する方々を招いての落成の儀を三か月後に予定しております」
「うん、分かった。でもまずは式典の前に自分の目で見てみたいな」
信長がその様子を見て口を開いた。
「まずは先に行って見てくるが良い。落成の儀は三か月後だが、お前は今すぐに江戸を見たいのだろう」
「信長さんはお見通しだね。先に江戸まで飛んで見てくるね。一週間ぐらいで戻ってくると思う」
セララは翼を広げて、安土城の執務室の窓から飛び立った。
江戸の上空に着き、セララは上空から町を眺めた。
かつて広がっていた湿地はもうどこにも見当たらなかった。
整然と区切られた通りが幾何学的な模様を描いている。盛り土によって持ち上げられた地面の上に、白壁の建物が立ち並んでいた。水路が町の隅々まで張り巡らされ、その上にいくつもの橋が架かっている。
セララはゆっくりと高度を下げ、通りの上空を飛んだ。
道を歩く人々が空を見上げて手を振った。子供たちが歓声を上げ、母親に「水神様だ」と教えている姿も見えた。学校からは子供たちが声を合わせて文字を読む声が聞こえてきた。
通りの所々には共同の水汲み場があり、水を求める人々の列ができていた。竹や木の管を通って届いた水が、絶えることなく注ぎ口から流れ出ている。桶を抱えた女たちが順番を待ちながら、近所同士で言葉を交わしている姿が見えた。井戸に頼っていた頃には考えられなかった光景だった。
市場には色々な店があった。米や野菜を山のように積んだ屋台、朝獲れの魚を並べる店、絹や木綿の織物、瀬戸の陶磁器を扱う店も見える。屋台の一角には、サツマイモやトウモロコシ、赤く熟れたトマトが並べられている店もあった。南蛮から渡ってきたこれらの作物も、今ではすっかり江戸の市場に根付いていた。
荷を担いだ行商人が通りを駆け、天秤棒の両端に提げた籠が左右に揺れていた。客が品物を手に取り、値段を交渉する様子があちこちで見えた。
市場の外れには料理屋が軒を連ねていた。香ばしい匂いが漂う店先には、水神ピザの看板を掲げた店もあれば、和風ハンバーグを売りにする店もあった。湯気を立てる鍋から味噌の匂いが漂う店もあり、客が暖簾をくぐって出入りしている。岐阜や安土で生まれた料理が、こんな遠くの土地にも伝わり、根を張っていた。
市場の近くには治療院があった。白い壁の建物に、水神教の印を掲げた旗が立てられている。これまで各地に広めてきた衛生の知識と治療の方法をもとに、医術を学んだ者たちが常駐し、怪我や病の者を診ていた。
入口の前には、何人かの患者が順番を待っていた。腕を布で吊った男、子供を抱いた母親、年老いた者に手を貸す家族の姿が見えた。出入りする人々の中には、晴れやかな顔で出てくる者もいれば、付き添いの家族に支えられてようやく歩く者もいた。怪我や病に苦しむ人がいても、すぐに頼れる場所がここにはある。
その先には、職人たちが集まる区画があった。鍛冶屋から火花が飛び散り、絶え間なく槌音が響いている。他にも様々な音や声があちこちから混ざり合って聞こえてきた。
(皆、それぞれの場所で頑張ってくれてるんだ)
セララはそう思いながら、さらに先へと飛んだ。
町の外周、大きな森を背にした場所には水神教団の大社が建てられていた。白壁の社殿が連なり、参道には灯籠が並んでいる。商人らしき身なりの者、子供を抱えた母親、農具を背負った男、武士の一団。様々な身分の人々が、同じように手を合わせて祈りを捧げていた。
大社は祈りの場であるだけではなかった。社殿の奥には巫女や教団員を育てるための学びの場があり、ここで学んだ者たちが各地へ派遣されて、農業の知識や水神教の教えを広めていく。江戸の大社は、関東一帯における水神教団の拠点としての役割も担っていた。
「熱心に参拝してくれてるみたい。本物の神様になったんだし、これからも日の本の皆を助けてあげないと」
セララは独り言をつぶやくと大社の後ろの森に目を向けた。
社の裏手に広がる森は、伐採が禁じられていた。これだけの町を作るために多くの木材が必要だったが、この森だけは手をつけないと、セララが最初に決めていた。木々の間から鳥のさえずりが聞こえ、町の喧騒とは違う静けさがそこにはあった。
「木材は喉から手が出るほど欲しかったはずだけど、この森は計画通りに残されてる。皆が理性的で良かった」
セララはほっとした気持ちで、もう一度全体を見渡してから港の方へ向きを変えた。
港には大量の船が出入りしていた。荷を積んだ船、人を運ぶ船、漁に出る小舟。岸壁には荷揚げをする人々の声が響き、活気に満ちていた。
「この港は江戸の中心になる。ここから日の本の各地や海外へ向けて船が出発するんだね」
セララは空を飛びながら感慨深く呟いた。
一通り江戸の上空を飛び回った後、セララは町の中央である江戸城の前に降り立った。
白い壁と黒い瓦の天守が堂々とした姿でそこに立っていた。かつて北条氏の支城だった頃の小さな城の面影はもうどこにも見当たらない。石垣と堀は当時の土台を活かしながらも大きく拡張され、安土城ほどの規模ではないものの、これから日の本の政治の中心となる城として十分な威厳を備えていた。
「水神様」
声がして振り返ると、江戸普請奉行の織田信忠が駆けつけてきた。
「来てくださったのですね。ご覧の通り、江戸の町は無事に完成いたしました」
「信忠さん、本当にありがとう。すごく綺麗な町になったね」
「セララ様の図面と奇跡、それと皆の努力の結晶でございます」
信忠は穏やかな顔で町を見渡した。
「基礎工事をしっかりと行ったため水はけも問題なく、建築に異常はありません。主要な建物や住居は完成しましたので、今後は江戸の町の規模を拡張していくことになるでしょう」
「問題無いなら良かった。難民への仕事の割り振りはどう?」
「難民への仕事の割り振りも順調です。建築や開拓村での農業などを割り振っており、仕事を日々の暮らしに困る者は少なくなっております」
信忠の回答にセララは安心し、これなら大丈夫だと判断した。
その後は数日江戸城に滞在し、江戸の町を十分に見て回って満足した。
セララは飛行して安土城へ帰還し、三か月後の落成の儀に信長と共に参加する予定を立てた。
三か月後、江戸で落成の儀が執り行われた。
江戸城の前に大勢の人々が集まっていた。信長、秀吉、丹羽をはじめとする織田家の重臣たち。北条家の代表者。各地から招かれた大名たち。そして、噂を聞いて集まった江戸の民衆たちが、江戸城を取り囲むように並んでいた。
セララは江戸城の正面に立ち、集まった人々を見渡した。
北条の代表者が前に進み出た。
「水神様。あの湿地に町ができるなど、最初は正直、半信半疑でございました。しかし今、こうして目の前に広がる町を見ると水神様の神託は正しかったのだと確信いたしました。これからも北条は江戸の発展に協力いたします」
「ありがとう、北条さん。これからもよろしくね」
セララがそう言うと、北条の代表者は深く頭を下げた。
織田信忠が前に進んだ。
「セララ様、父上。江戸の普請奉行に任じられてからの五年、本当に多くのことがございました」
信忠はそう言って少し笑った。
「湿地の改良、難民の受け入れ。次々と課題が現れましたが、その都度、セララ様や現地の者たちと共に乗り越えてまいりました。今日、この日を迎えられたことを心より嬉しく思います」
「信忠さんがずっと現場で動いてくれたからだよ。本当にお疲れ様」
セララが労うと信忠は一礼した。
信長は息子の顔を見て頷いた。何も言わなかったが、その目には誇らしさがあった。
式典が進行し、信長が演説する番となった。
「儂はかつて、この江戸という選択に懸念を抱いていた。何もない湿地に大量の銭をかけて町を作るなど、無謀な賭けだと思っていた。しかし、それでも儂達はセララの神託を信じて江戸の地を開拓して町を完成させた。セララの神託によれば江戸の町は素晴らしい発展を遂げると言う」
信長の声が集まった人々に響いた。
「セララよ、お前の未来予知では江戸の町はどのような町になるのだ」
信長がセララに問いかけた。
「それはもう、すごい規模の町になるよ。京や安土の何倍もの人が住むんだ。日の本の全てが江戸に集まってくる。海外を含めても有数の素晴らしい町になるんだ」
セララは未来の東京を思い浮かべながら自信を持って言った。
「皆の者、セララの言葉を聞いたな。江戸は水神が未来の繁栄を約束した町なのだ。セララの言葉を信じ、江戸の町を発展させていこうではないか!」
信長の演説に民衆が歓声を上げた。
あちこちから江戸の町の発展や拡張に向けた声があがり、信長は満足そうに頷いた。
セララも笑顔になり、江戸の発展計画に考えを巡らせていた。
やがてセララの演説の番となり、セララは江戸の町の建設に関わった皆に感謝を述べた。そしていよいよ江戸の町の完成を宣言する番となった。
セララは皆に良く見えるように数メートルほど浮き上がり、目立つように翼を大きく広げた。
「江戸城及び江戸の町が完成をここに宣言するよ。そして同時に江戸幕府の開府となる。本日より、日の本の政の中心はこの江戸の地となる!」
集まった人々から歓声と拍手が上がった。
子供たちが歓声を上げ、大人たちが拍手を送る。商人たちが互いに肩を叩き合い、職人たちが自分たちの仕事の成果を誇らしげに見上げていた。
式典の喧騒の合間にも市場では商いが止まることなく続いていた。遠方から来た商人が、江戸の特産品になり始めた品を売り込み、地元の住人がそれを値切る声が聞こえる。江戸の町は活気に満ちていた。
式典が終わり、夜になった。
セララは江戸城の天守閣に一人で立ち、町を見下ろした。
夜になれば江戸の町も静かになっていた。行きかう人々の姿も無くなり、昼間の町と比べると少し寂しさを感じた。
信長がセララの隣に立った。
「江戸の町が完成し、江戸幕府が開府された。人々はお前の導きによって暮らしていくことになる。セララよ、お前はどんな治世を目指すつもりだ」
信長がセララに尋ねた。
「長い付き合いだし、信長さんはボクが口に出さなくても分かってるでしょ」
「うむ。だが、分かっている事でも口に出すことに意味があるのだ」
「ボクが目指すのは平和で優しい世界だよ。皆が争わず、飢えず、希望を持って暮らしていける。そんな政治を行っていけたらよいと思う」
信長は笑みを浮かべた。
「良い方針だ。だが、お前は理想ばかり見て現実が見えていないことがある。故に、儂や江戸幕府の者達がお前を支えてやらねばな」
「うん。ボク一人じゃ間違える事もあると思う。だから皆を頼りにしてるね」
「任せておけ。儂が生きている間は、お前を盲信するような幕府にはせん。だが……もし遠い未来、皆がお前を盲信するようになり、お前が無理だと思ったら幕府を畳んでも良い。そういう法も今の内から仕込んでおく」
「信長さん、それって良いの?せっかく苦労して皆で作った江戸幕府なのに……」
セララが困惑しながら言った。
「構わん。重要なのは江戸幕府そのものより、日の本の未来だ。江戸幕府が駄目になったならば、もう一度幕府を作り直せば良い」
「ありがとう。でも、そんな日が来ないように努力するね」
「うむ。全てを自分で決めようと思うな。積極的に配下に仕事を振るように意識するのだ」
それから信長と江戸幕府の仕組みや法について話し合った。
セララが理想論を出し、信長が現実的な案に修正する。あるいはその逆で、信長の案をセララが修正する。
数十年後、信長がいなくなったとしても江戸幕府でこういう議論をして物事を決定できたら良いなとセララは願った。