尾張水神伝 ~SF世界の天使っぽい種族に転生したけどワープ事故で戦国時代の日本に漂着しました~ 作:Lavian
1599年(慶長4年)。
戦国札遊戯が発売されてから二年が経過した。戦国札遊戯は江戸から日の本の各地へ広がり、公家や武家から庶民まで幅広い人気を獲得していた。
特に京の公家や教養を重んじる武家の間では雅で風流な遊戯であると認識され、武将札を召喚した際に句を詠む事が流行。そこから発展し、戦国札遊戯の強さと優雅さを高める道、『札道』が自然発生。
「京の都ではこのように戦国札遊戯が流行し、札道は茶道と並ぶ侘び寂びを持つに至ったらしいぞ」
信長が戦国札遊戯の現在の状況について語ると、それを聞いたセララは背景が宇宙になった猫のように呆気にとられた間抜けな表情を浮かべた。
「ええ……札道って何?この札のどこに侘び寂びがあるの?」
「セララはまだ精神が子供だから分からぬのだ。今日は儂が侘び寂びについて教えてやろう」
そう言って信長が各種の札についての侘び寂びを得意気に教えてくれた。
丁寧に仕込んだ罠札に相手がまんまと嵌った時に『侘び』を感じ、苦労して手札に引いてきた切り札の武将札があっけなく撃破されるときに『寂び』を感じる……とのことだったが、セララにはいまいちピンと来ないのだった。
そんなやり取りがあった数日後。
江戸城の執務室でセララは地図を広げて日の本の北方、蝦夷地と呼ばれる大きな島に注目していた。蝦夷地とは現代で言う北海道の事だ。
「信長さん、長重さん。南の海の向こうばかり見てたけど、日の本の北にも手を伸ばしたい土地があるんだ」
「蝦夷地か」
信長が地図を覗き込んだ。
「幕府としてアイヌと正式な関係を築いたことは無かった。でも、これからはアイヌの人々とも仲良くして日の本の一員になってくれたら良いと思うんだ」
セララは地図の上を指でなぞった。
「それにアイヌの人々が持っている毛皮は防寒着に使えるし、南蛮でも需要があるはずだよ。今よりも交易を活発にできれば双方の得になると思って」
丹羽長重が控えめに口を挟んだ。
「セララ様、一つ懸念がございます。蠣崎氏が既に蝦夷地南部で和人とアイヌの交易を取り仕切っております。幕府が直接アイヌと関係を結ぼうとすれば、蠣崎氏の面目を潰すことになりかねません」
セララが地図の北海道南部に指を置く。この領地を管理しているのが蠣崎氏だ。
「そこなんだよね……」
セララは腕を組んだ。
「蠣崎氏を無視するつもりは無いよ。取引は蠣崎氏を通じてでも構わないけど、アイヌの人たちに公平な取引になってるか、幕府としてちゃんと目を配りたいんだ」
「セララらしい考えだな」
信長が頷いた。
「ならば、蠣崎氏には正式に命じるべきだ。アイヌとの取引は必ず公平に行うようにと」
「でも、それだけだと蠣崎氏にとって損な話になるから断られるかも」
セララは少し考えてから続けた。
「代わりに、江戸幕府の費用で蠣崎氏の領地に大きな港を建設しようと思う。今はまだ小さな館しかないみたいだから、しっかりした港ができればこれから日の本各地の船が蝦夷地に立ち寄るようになるはずだよ」
「港、でございますか」
丹羽長重が目を見開いた。
「うん。いずれは日の本の各地に港を立てて船での行き来を盛んにしようと考えていたんだ。その港建設をこの機会に行って取引材料にする。蠣崎氏にとって、幕府の後ろ盾で立派な港を持てるのは悪い話じゃないはずだよ。それに、幕府の役人も港に常駐しやすくなるから公平な取引が行われてるか目を配りやすくもなる」
「なるほど。損をさせるだけでなく、しっかりと利をお与えになるのですな」
丹羽長重が納得したように頷いた。
「港を建設する場所は宇須岸が良さそうかな」
セララは地図を見ながら言った。宇須岸は前世の日本で言う函館の場所だ。
「蠣崎氏に話を通した後、ボクが直接アイヌの集落を回って話をしてみようと思う」
「セララ様が直接、でございますか」
「うん。琉球の時と同じだよ。百聞は一見に如かず。それに、アイヌの人たちは集落ごとに長がいて、一人の王様が全体を治めてるわけじゃないって聞いてる。だったら、一つの場所で交渉を終わらせるんじゃなくて、いくつかの集落を回って、それぞれの声を聞きたいんだ」
「集落を回り、一つ一つ丁寧に進めるということですな」
「その方がきっと友好的な関係を築けるからね」
それから会議で詳細な条件を話し合い、蠣崎氏とアイヌへの対応が決まった。
それから数か月をかけて蠣崎氏への使者が送られた。
蠣崎氏当主はアイヌとの取引を公平に行うようにという幕府の命令に難色を示した。しかし、その見返りとして大規模な港が築かれるという申し出を聞くと大いに喜んだ。蠣崎氏は使者を通じて感謝の言葉を伝え、アイヌとの取引を公正に行うことを約束した。
港の建設は江戸で培われた土木の知識を持つ職人たちが派遣される形で進められることになった。基礎工事や水路の整備など、江戸で積み重ねてきた技術がここでも活かされることになる。
港の話が纏まるとセララは翼を広げ、荷物を入れた麻袋を持って江戸から北へ向けて飛び立った。
半日かけて飛行して渡島半島の南、蠣崎氏の拠点に降り立ったセララはそこで一泊し、翌日、蠣崎氏から派遣された案内役の者を抱きかかえて翼で飛行してさらに北へ進んだ。
最初に訪れたのは海沿いの小さな集落だった。
木と草で葺かれた住居が並び、干された魚や毛皮が軒先に吊るされている。セララが翼を広げて降り立つと、集落の人々が驚いた顔で遠巻きに集まってきた。
案内役が集落の長に事情を説明する。村長は白髪の老人だった。
「空から降りて来た。翼もある。お前は鳥の精霊なのか」
村長が言葉を発した。セララはペンダント型携帯端末の翻訳機能を有効にしており、アイヌ語も聞き取りと会話ができた。
「ボクはセララ。鳥の精霊では無くて、日の本で神様をやってるよ。アイヌの皆と仲良くしたくて各地の村を回っているんだ」
「精霊ではなく、和人の神か……」
村長はセララの翼や頭上のヘイローを見つめていた。
「我らはアイヌの神を知っていても、和人の神については何も知らぬ。どのような加護があるのだ」
「石を食べ物に変えたり、水をお酒に変えたりできるよ。あとは植物を成長させたり、天気を変えたり、怪我を治したりとか」
セララの発言を聞いて村長が村人に指示する。やがて石と桶に入った水が運ばれて来た。
「出来ると言うのであればやってみて欲しい。聞くだけでは疑いが残るが、見れば誰もが信じる」
村長の言葉にセララが頷く。
「分かった。やってみせるね」
セララがそう言って石に手を当てて集中する。手から光が溢れ、光が収まると石はパンに変わっていた。同様の手順で木の桶の水についても葡萄のワインに変換した。
海外との貿易では毎月一本に制限しているワインだが、輸出せずにこの場で飲んでしまうのであればいくら作っても構わなかった。
セララはパンとワインの入った木の桶を村長に渡す。村長はパンを千切って食べ、ワインを少しだけ飲んで美味しさに驚愕した。
「和人の神の力は真だった。空の精霊に頼んで天気を変えたり、木の精霊に頼む力も本当であると信じよう」
村長はそう言ってパンと木の桶を近くの村人に渡し、疑う者は食べ、飲んで確かめろと言った。
「和人の神が友好を望むのであれば、我らとしても……」
村長が言葉を続けようとしたところで、村長を押しのけてアイヌの若者が前に出た。
「俺の名はレタルニシ。村長の息子だ。和人はこれまで我々の土地を奪おうとしたことがある。例え和人の神であっても、簡単には信じられない」
レタルニシの言葉には強い警戒がにじんでいた。実の父親に対してまで強く出て意見するほどだから、これまで和人に騙されたことがあるのかもしれない。
「それは……本当に、ごめんなさい」
セララは素直に頭を下げた。
「ボク達はアイヌの人々から一方的に搾取していたかもしれない。でも、これからはちゃんと対等に交換したいんだ。この地を纏めている蠣崎氏にも公平な取引をするようにって命じてきたよ」
「和人の神が蠣崎に命じた……?」
レタルニシが驚いたように長を見た。長も意外そうな顔をしていた。
「対等、とは」
「アイヌの皆が持ってる毛皮や海の幸を分けてほしい。その代わりに、日の本からは鉄の農具や米や塩を持ってくるよ」
「信じられぬ。和人の商人は我らを騙して安く物を買い叩いてきた」
「これからは違うって約束する。もし不公平だと思うことがあったら、ボクの名前を出して言ってほしい。いつでも調査する」
セララはまっすぐにレタルニシの目を見て言った。
それから麻袋に入ったじゃがいもの種芋を取り出した。
「それと、これも渡しておきたいんだ」
「これは何だ。何かの実のようだが……」
「じゃがいもっていう作物の種芋だよ。寒い土地でもよく育つし保存も利くんだ。蝦夷地の土や気候に合うと思う。今日は飛行して来たから各地の集落に一個分しか持って来ていないけど、後日、使者を送って十分な数の種芋を届けさせるよ。育て方ももちろん教える」
「米は寒い地では育てられないと聞いていたが、このじゃがいもであれば育つという事か」
レタルニシが芋を手に取り、興味深そうに眺めた。
「うん。このじゃがいもを自分たちで育てて増やせるようになれば飢えにくくなると思う。じゃがいもの種芋を贈るのは今まで不公平な取引を行ってきた事の謝罪であり、これから仲良くしたいと言う気持ちを込めているんだ」
レタルニシはじゃがいもの種芋を受け取ったが、まだ信用しきれていないようだった。
「……お前は植物を成長させる力もあると言ったな。このじゃがいもも成長させられるのか」
「うん、できるよ。今からやってみせようか。じゃがいもを植えても良い場所に案内して欲しい」
セララが頷くとレタルニシは村長と会話して了解を取り、畑へと案内した。
セララはアースシェイプの魔法で土を操って種芋を植えると、その位置に手をかざして神通力を使った。
神通力を使うと少しの疲労感が発生した。三十分歩いたぐらいの疲れ方だ。
神通力によってじゃがいもは急速に成長して芽を出し、花を咲かせた。十分に成長した後で魔法で土を掘ると、地中に伸びた茎の先に複数のじゃがいもが育っていた。
レタルニシはその光景を驚愕の面持ちで見つめていた。
「……和人の神の力は凄まじい。そして、このじゃがいもとやらも実をつけた。これは信じるしかあるまい。疑ってすまなかった」
レタルニシは謝罪の言葉を言うとセララに向かって頭を下げた。
「謝罪を受け取るよ。レタルニシさん、頭を上げて」
セララはレタルニシを笑顔で許した。
「今のは植物を急速に成長させただけで、普通に植えても同じように育つはずだよ。育て方と食べ方を教えるからこのじゃがいもも種芋にして欲しい」
「分かった。じゃがいもはお前の言う通りに育てよう」
レタルニシがそう言うと後ろへ下がり、流れを見守っていた村長が前に出た。
「レタルニシがお前を試してすまなかった。今日はこの村に泊まっていくと良い。皆で歓迎しよう」
「ありがとう。それなら今日はお世話になるよ」
こうしてセララはアイヌの村に一泊し、村人に歓迎された。セララは魔法を使って見せたり、尾張や江戸での出来事を話してアイヌの人々を楽しませた。
翌日の朝になるとセララは案内人を抱えて空へと旅立ち、次の村へと回った。
この最初の集落を皮切りに、セララはいくつかの集落を巡った。
どの集落でも最初は警戒された。しかし、セララが武器を持たず、奇跡を見せ、丁寧に言葉を交わす姿を見せると少しずつ態度が和らいでいった。じゃがいもの種芋も行く先々で配られた。
ある集落ではアイヌの信仰する精霊やカムイについての話を聞かせてもらった。
「クマもキツネも山の木々も、皆カムイの化身だ。お前は和人のカムイだが我々も信仰すべきか?」
長老の一人がそう問いかけた。
「カムイへの信仰はそのまま大事にしてほしい。ボクを信仰するかどうかは任せるよ。信仰の有無に関わらず、何かあれば和人の役人に訴えてくれれば対応するよ」
「信仰をしなくても助けると言うのか」
長老は意外そうな顔をした。
「うん。目の届く範囲で困ってる人がいれば助けてあげたいんだ。皆と同じだよ」
この言葉は集落の人々の間で広まっていった。
一か月かけてアイヌの村々を回り、セララは蝦夷地の複数の集落と緩やかな交易の約束を結ぶことができた。「毎年決まった時期に船を出し、公正な交換を行う」「じゃがいもの種芋を配り、育て方と食べ方を教える」という取り決めだった。
これを機にアイヌの人々との交流と貿易は活発になって行った。じゃがいもは水神様の恵みとしてアイヌに広まり、時を経て、アイヌの人々は精霊に加えてセララの事も信仰するようになり、やがてセララカムイと呼ばれるようになった。