尾張水神伝 ~SF世界の天使っぽい種族に転生したけどワープ事故で戦国時代の日本に漂着しました~ 作:Lavian
1557年(弘治3年)の冬、清洲城。
清洲城の広間は朝から人の気配が満ちていた。
石高の報告、近隣の動向、街道の修繕、兵の訓練の進捗。配下の者たちが順番に前に出て、それぞれの担当する事柄を述べていく。上座に座る織田信長はそれを聞きながら、時に短く問い返し、時に即座に裁断を下した。
信長は今年二十三歳だった。
細身だが背が高く、広間に座っていても存在感がある。目が鋭く、話を聞くときの静けさと、裁断を下すときの速さが同居している。配下の者たちはその目を正面から見ることを避けながら、しかし言葉だけはしっかりと届けようとしていた。
一通りの報告が済みかけた頃、少し離れた位置に座っていた男が前に出た。
「申し上げます」
「申せ」
「は。少々、奇妙な話でございまして」
信長の目がわずかに動いた。
「奇妙とは?」
「近隣の村々から、水神様という存在の話が複数届いております」
信長の表情は変わらなかった。
「水神様、とは何だ」
「本物の神様ではないかと、村人たちが申しておりまして。雨を降らせたとか、枯れた井戸の代わりに新しい井戸を掘ったとか。怪我人が治ったという話も来ております」
信長はそれを聞いて鼻で笑った。
「神などいるわけがないだろう」
はっきりと言い切り、配下の何人かが同調するように頷いた。
しかしその男は続けた。
「実は、目撃情報もございまして」
「目撃情報だと?」
「はい。ある町で、翼を持ち空を飛ぶ存在の目撃情報が多数寄せられております。その者が氷を空中から出したのを見たという証言も、複数の者から一致して得られております。また先ほど申し上げた通り、複数の村で雨を降らせたり、怪我を治したりという話は、いずれも村人たちが実際に体験した事として報告されております」
信長はその言葉を聞きながら、腕を組んだ。
「それぞれの目撃者の話は一致しているか」
「はい。容姿についても、複数の者から同様の特徴が報告されております。また、尾張の端の村に住んでいるとの情報があります」
信長は沈黙して考え始めた。
神がいるとは思わない。それは変わらない。しかし何かがいることは、目撃情報が一致している時点で否定できない。これは何かがいる、ということだ。何かを神と見間違えている可能性が高いが、その何かが何であるかは確かめなければ分からない。尾張にそういう存在がいるなら、知らないままでいるわけにはいかない。
「では確かめさせよう」
信長は言った。
「水神様の住む村とやらに人をやって、確かめさせろ。ただし、水神様を怒らせるような者は選ぶな。村で暮らしているなら低い身分の者の方が警戒されにくかろう。それと、口の達者な奴を選べ」
「はっ」
「もし本物であったなら、清洲城に招くのだ」
信長は言い切ってから、次の話題に移るように手を振った。広間の空気がまた動き始めた。
しかし信長の頭の片隅には、その話が残っていた。
翼を持ち、空を飛び、氷を出す。雨を降らせ、怪我を治す。
化け物か、あるいは人ではない何か。いずれにしても、自分の領内にそういうものがいるなら、確認した後に手を結ぶことを考える。敵に回すより味方に引き込む方が得だ。
広間の報告が続く中、信長はそれ以上その話について口にしなかった。
木下藤吉郎がその命を受けたのは、その日の夕方だった。
使いの者から呼ばれて出向くと、要件を聞いて藤吉郎は目を丸くした。
「水神様に会って、本物かどうか確かめてこい、と……?」
「左様。殿のご命令だ。身分の低く、口の達者な者ということで、そなたに白羽の矢が立った」
と使いの者は言った。
藤吉郎はこの命について考えた。
正直に言えば、無茶苦茶な話だと思った。神様かもしれない存在に会いに行って、本物かどうか確かめろとは、どうやって確かめるというのか。本物だったらどうする、偽物だったらどうする、そもそも神様に失礼なことをして怒らせたらどうなる。考え始めるときりがなかった。
しかしそこで藤吉郎は思い直した。
殿が直々に選んだ任務だ。低い身分から這い上がろうとしている自分にとって、こういう機会がどれほど貴重か。無茶苦茶な話だからこそ、やり遂げれば評価される。それに、怖い相手ならそもそも口の達者な者を選ぶ必要はない。殿は話せる相手だと踏んでいるはずだ。
だったら、行くだけだ。
「承知いたしました。必ずや確かめて参ります」
と藤吉郎は言った。
翌朝、藤吉郎は旅の支度をして清洲を出た。
道中は一人だった。低い身分の者として警戒されないようにという話だったので、供も連れていない。風呂敷包みに必要なものをまとめて背負い、草鞋の紐を締め直してから歩き始めた。
天気は良かった。街道を歩きながら藤吉郎は考え続けた。
水神様とは何者なのか。
本物の神様というのは、正直なところ信じにくい。しかし信じにくいからといって否定するのは早計だ。自分はまだ見ていない。見ていないものを否定する根拠がない。
まずは情報を集めようと思った。
街道を進むうちにいくつかの村を通りかかった。藤吉郎は立ち寄るたびに、水神様の話を村人に尋ねてみた。
最初の村では老人が答えた。
「水神様かい。ああ、実際にいらっしゃるよ。この目で見たことがある。翼があってね、頭の上に金色に輝く輪が浮かんでいる。金の髪に赤い目をした幼い女の子だよ。見た目はまだ子供だが、雨を降らせてくれた。あれは本物だ」
「怖い方では?」
「とんでもない。優しくてね、こちらが何かお願いするより先に助けてくれる。神様というが、気さくなお方だよ」
次の村でも同じ話が出てきた。翼。金色に輝く輪。金髪。赤い目。小柄な女の子。三つ目の村も同じだった。
証言が一致している。
藤吉郎は歩きながらその事実を整理した。互いに面識のない村人たちが、同じ特徴を述べている。作り話なら、これほど細部が揃うはずがない。しかも皆が口を揃えて言う。優しい。怒らない。困っている者を助けてくれる。対価を取らない。
だんだんと怖さが薄れてきた。それどころか、むしろ会うのが楽しみになってきた。
歩きながら、藤吉郎は水神様と会ったときの会話を想像し始めた。
まず何と挨拶するか。神様に対してどんな言葉が適切か。いや、村人の話を聞く限りでは、難しく考えない方が良さそうだ。気さくなお方だというなら、小難しい口上より、普通に話しかけた方が好かれるかもしれない。
それに、清洲城に来ていただけるようお願いするのが次の仕事だ。神様に、清洲城まで来てください、などという話が通じるかどうかは分からない。それをなんとかして通じるように話すのが自分の役目だ。
口の達者な者を選べ、と殿は言ったらしい。それが自分だというなら、口で何とかするしかない。
藤吉郎は口の端を少し上げて、足を速めた。草鞋が土を踏む音が軽くなった気がした。