尾張水神伝 ~SF世界の天使っぽい種族に転生したけどワープ事故で戦国時代の日本に漂着しました~ 作:Lavian
1601年(慶長6年)。
セララは江戸城の執務室で書類を確認していた。その書類の中には蝦夷地のアイヌの報告書があり、二年前に蝦夷地の集落を巡った時の事を思い出していた。
じゃがいもの種芋を配り終えた村を後にして次の集落へ飛行して向かう道中、季節は春だというのに雪が降って来た。
飛行中は風を防ぐためにバリアを展開しており、温度も一定に保っていたため寒さを感じなかったが、雪を見てアイヌの人々は寒くて大変そうだと思ったのだ。
その時の事を思い出してセララはふと考えた。
「そういえば、この時代にはまだカイロが無いんだよね。石を温めて携帯式の暖房にする温石があるけど、熱が弱いしすぐ冷めちゃう」
前世の記憶を辿る。寒い日に使い捨てカイロを握りしめていたことを思い出した。あの手軽さと持続時間があれば寒い地域での行動がずっと楽になるはずだ。
「使い捨てカイロは鉄粉とか活性炭とかが必要だね。この時代だと材料の用意が大変そうだし……もっと単純な仕組みの物は無いかな」
セララはペンダント型携帯端末を操作してデータベースを検索した。
検索結果に表示されたのは「灰式カイロ」という項目だった。木炭の粉末に保温力の強い植物の灰を混ぜたものを、通気孔の開いた金属の容器に入れて燃焼させる仕組みだ。線香のようにゆっくりとくすぶりながら燃え、八時間ほど熱を持続させるという。
「これなら今の技術でも作れそうだね」
木炭の粉、灰、金属の小さな容器。どれもこの時代の職人が既に扱っている材料と技術の組み合わせだった。
セララは材料や仕組みを確認して大まかな設計図を書き、丹羽長重に相談して金属加工と炭焼きの職人を集めて貰って試作に取り掛かった。
容器に使う金属は熱伝導率、値段、加工のしやすさから銅と真鍮が候補になった。銅は安いが酸化して変色しやすい。真鍮は銅より錆びにくいものの値段が高い。量産品の容器は銅、贈答品の容器は真鍮を採用した。
試作で手間取ったのは燃焼速度の調整だった。最初は木炭の粉だけで燃焼させようとしたが、火の勢いが強すぎてすぐに燃え尽きてしまった。持続時間を延ばすため、茄子の茎の灰や麻殻の灰を混ぜて燃焼速度を落とす工夫を重ねた。材料や配合が決まると、燃料となる灰(カイロ灰と名付けた)を棒状に固めて扱いやすくした。
「もう少し通気孔を小さくしてみようか」
金属容器の通気孔の大きさや数を変え、燃焼の速さを調整する。孔が大きすぎると早く燃え尽き、小さすぎると火が消えてしまう。何度も試作を繰り返し、ちょうど良い燃焼速度を見つけ出した。
容器の形も工夫した。手のひらに収まる大きさにして布の袋に入れて持ち運べるようにした。金属が直接肌に触れると熱すぎるため、布越しに使うのが基本だ。
二ヶ月ほどの試行錯誤を経てようやく満足のいく灰式カイロが完成した。棒状に固めたカイロ灰の先端に種火を押しつけて着火すると、六時間近くじんわりとした暖かさが持続した。
「よし、これならアイヌの人々も暖かく過ごせるね」
セララは完成したカイロを手のひらで転がしながら満足げに笑った。
完成した灰式カイロを手にセララは丹羽長重の元を訪れた。
「長重さん、灰式カイロが完成したよ。火をつければ線香みたいにじわじわ燃えて三刻(六時間)も暖かく出来るんだ」
セララは自慢げに胸を張って灰式カイロの効果を説明した。
「材料や仕組みは伺っておりましたが、三刻も暖かさが続くとは凄まじいですな。冬場の漁や狩りには欠かせないものになるかもしれません」
「だよね。寒い季節にきっと役立つよ。この灰式カイロをアイヌの人たちへの交易品に追加しようと思うんだ」
「良い案かと存じます。さっそく交易品の一覧に加えるよう手配いたします」
セララの言葉に長重は頷いた。
「セララ様、蝦夷地との交流はずいぶん安定して参りました。じゃがいもの栽培も広まり、新たに建築した港も機能しております」
「うん、順調で嬉しいよ」
「その上でお伺いしたいのですが……蝦夷地の北、樺太についてはどのようにお考えでしょうか」
長重の問いにセララは地図を出してきて机の上に広げた。
「樺太はボクも気になってたんだ。蝦夷地よりもっと北の大きな島だよね」
セララが北海道の北にある大きな島を指さす。前世の記憶ではロシアの土地でサハリンと呼ばれていた場所だ。
「はい。樺太にはアイヌの人々の他にも異なる民族が暮らしていると聞き及びます」
「その先住民を含めて樺太と交流を持ちたいと思ってるよ。友好的な交流を重ねて将来的に日の本の一員になってくれたら嬉しい」
セララはそう言ってから少し悩む表情を見せた。
「でも、蝦夷地と違って樺太は日の本の勢力が及んでない土地だよね。今のボク達は樺太の情報をあまり持ってない」
「おっしゃる通りでございます。蝦夷地のように取っ掛かりとなる勢力もございません」
「段階を踏もう。まずは船と使者を送って様子を探ろうと思う。どのあたりに集落があるのか、有力な長は誰なのか。その情報が分かってからボクが直接向かうことにするよ」
「なるほど。まずは調査を兼ねた使者を、ということでございますね」
「うん。蝦夷地の時は情報が分かっていて案内人もいたからボクが飛んで行ったけど、今回は勝手が違うからね。慎重に行こうと思う」
長重は納得したように頷いた。
「畏まりました。それでは使者の人選と船の手配を進めさせていただきます」
「贈り物はじゃがいもとこの灰式カイロを持たせて。蝦夷地の時と同じでまずは物を贈って信頼を築いていきたいんだ」
「承知いたしました。じゃがいもの種芋と灰式カイロを積み込み、夏の内に船を出すよう手配いたします」
それから準備が進められた。
出航の拠点は宇須岸(前世の日本の函館)の港だ。幕府の費用で建設が始まったこの港は二年の歳月をかけてようやく完成していた。石垣で組まれた岸壁に複数の船が同時に接岸できる規模になっている。
港の完成と共に蠣崎氏は正式に蝦夷地を任される事となり、松前氏と改名した。松前氏にはアイヌとの友好的な交流が命じられていた。これは蝦夷地を管理する者としての責任として江戸幕府から課されたものだった。
その松前氏配下の役人たちから樺太への使者が選ばれた。蝦夷地との交渉で経験を積んだベテランだ。船には米や鉄の農具、そしてじゃがいもの種芋と灰式カイロが積み込まれた。
夏の穏やかな海を選んで船は宇須岸の港から北へ向けて出航した。
それから数ヶ月後、樺太へ向かった船が戻り、使者からの報告書が江戸城のセララの元に届いていた。長重がその内容を読み上げた。
「樺太南部のいくつかの集落と接触することができたとのことです。樺太にもアイヌの人々が多く暮らしており、蝦夷地のアイヌと言葉や文化が近いことから問題なく交流ができたようです」
「良かった。上手くいったんだね」
「はい。特にじゃがいもと灰式カイロは大変喜ばれたとのことです。じゃがいもについては蝦夷地で既に良い評判が伝わっていたようで抵抗なく受け取られたと」
「灰式カイロは?」
「灰式カイロについては使者が実際に火をつけて使い方を実演したところ、その暖かさに驚いた様子だったとのことです。特に漁や狩りで長時間外に出る者たちから大変な好評を得たと報告にございます」
「寒い土地だから喜んで貰えると思ってたんだ。予想通りだったね」
セララは報告書を受け取って内容に目を通した。集落の場所、応対した長らしき人物の名、簡単な地形の記録。まだ断片的な情報ではあったが十分な手がかりだった。
「北部にはニヴフと呼ばれる別の民族が暮らしているようですが、そちらとの接触はまだ果たせなかったとのことです」
「そうなんだ。まずは南のアイヌの人たちと縁ができただけでも大きな一歩だね」
セララは報告書を丁寧に畳んだ。
「長重さん、ありがとう。おかげで樺太の様子が少し分かったよ」
「使者たちの働きでございます。次はいかがなさいますか」
長重の問いに、セララは窓の外に目を向けた。
「今度はボクが直接行ってみようと思う。アイヌの時と同じだね」
セララはそう言って樺太へ行く予定について長重と相談を行った。
数週間後にセララが樺太へ向かって飛び立ち、蝦夷地のアイヌの時と同様に交流を深めてきた。樺太とも定期的に交易を行う事が決まり、蝦夷地と同様に日の本との関係が深まっていった。