プロローグ
真っ暗な部屋の中で、男がひとりパソコンに向かい合って座っていた。ディスプレイが発する青白い光が男の顔を照らす。
無精髭にボサボサの髪、そして着ている灰色のスエットは所々シミがあり首周りはヨレヨレで毛玉が無数にできている。
男は25歳になるが、その姿のせいでもっと老けて見える。
部屋には、ファンの回転音とマウスのカチカチ音と、キーボードを叩く音が響く。
やがて、マウスのカチカチ音が消えてパソコン特有のウーンという低い作動音だけになった。しばらくして、ずっと画面を見ていた男が凝り固まった身体をほぐすように背を伸ばしながら大きく息を吐いた。
「クゥ〜〜っと……ミッション完了っと、いやぁ〜面白かった。公式の宣伝通り面白いDLだった。けど、最初に与えられたのが、オンボロ漁船ってのはいただけないけどね。スピード遅えし、載せれる商品少ないし。まあ、扱える武器がたくさんあって、ミリオタの俺からすればいい内容だったかな」
男がそう評価したのは、さっきまでプレイしていたオープンワールドゲーム、『world modan war』のダウンロードコンテンツのことだ。
『world modan war』。プレイヤーからは『wmw』と呼ばれるそのゲームは戦争シュミレーションのことで、プレイヤーは1人の傭兵として世界各地の戦場に赴き、雇い主から与えられる様々なミッションをクリアして資金を獲得し、その資金をもとに武器を購入したり、NPCの兵士たちを雇う事で自分だけの傭兵部隊を作る事ができる。
男もまたプレイヤーの1人であるが、今回プレイしたのは、公式が新たに出した数あるDLCのひとつだ。
内容は、武器商人として各地の戦場へ武器や兵器を輸送するという一見すると面白くなさそうなのだが、ただ輸送すればいいというわけではなく、必要な品物、輸送手段、輸送ルートなど全てをプレイヤーが用意しなければならないというなかなかハードな仕様になっている。
プレイヤーは最初に運営から武器の購入に必要な資金とそれを運ぶオンボロ漁船を与えられる。そこから各地の軍隊や武装組織から依頼される々ミッションをクリアしていくことで、資金を増やし、商品である武器や兵器の調達、そして製造に必要な工場を建設したり、輸送に必要な輸送機や貨物船、トラックなどを揃えていく。
全てのミッションをクリアすると、『Lord of war』の称号を与えられる。
「称号獲得した後にやったアフリカのミッションは失敗したけど、まあいいさ、ファ〜」
大きなあくびをしながら立ち上がると、フラフラとした足取りでベッドへと近づく。一応、ゲームをしている最中は食事に睡眠といった休憩をきちんと挟んでいたが、終盤にかけては休憩を挟むことなく、ずっとプレイしていたので疲労はピークに達していた。
男は布団を被ると、すぐに深い眠りに就いた。
***
「……っ……ん?」
それからしばらくして、身体を揺さぶられ、男はゆっくりと目を開けた。
覚醒直後で焦点が合わないが、自分の目の前に何人か人がいるのが分かった。
焦点がはっきりして、目の前にチンピラ風の4人の男たちが立っているのがはっきりと分かった。男たちの格好はパーカーにカーゴパンツ、ジャンパーにスエットを着崩した俗にストリートファションと呼ばれる格好をしていた。
歳はだいたい20代前半くらいであろう。
「へへへ……おはよう、ボク」
中腰で目の前立っている赤いニット帽の男がニヤニヤと笑いながらそう言った。
顔をあげると、真上に街灯があり、光につられて無数の蛾がその周りを飛び交っていた。
「……ここは……一体……」
視線を前に戻した男は右手を顔に当てながら小さく呟いた。
自分はさっきまで部屋のベットで寝ていたはずなのに、なぜ公園のベンチで寝ているのだろう、と疑問に思いながらも、顔を前に向ける。
「“米花公園“だ。俺たちのシマだよ」
赤いニットの男がそう言った。
「米花公園……」
この4人は米花公園があるあたりを縄張りにして、たむろしているいるチンピラグループだ。
「てか、こいつあいつじゃねぇ? ほら、最近見ねぇけど、前までテレビに出てた名探偵の『工藤新一』ってヤツじゃん」
仲間のひとりが、そわそわしながらベンチに座っている男の顔を見てそう言った。
「ああ、そういや似てるな。ガキのクセに偉そうに探偵やってるヤツに」
「スカしやがって、サツの犬だぜコイツ!」
自分たちの目の前にいる男が工藤新一と分かった瞬間に、チンピラたちは次々に罵詈雑言をまくし立て、地面に唾を吐き捨てる。
「いや、俺は……」
忌々しそうに自分のことを見下ろすチンピラたちに弱々しく言い訳を言いながらも、男は混乱する。
「(米花公園……それに工藤新一って……なんなんだよ!)」
チンピラたちが口にした言葉を頭の中で反駁しながら、状況を把握しようとする。しかし、目の前にいた赤いニットの男が胸ぐらを掴みあげて、立ち上がらせる。
「工藤新一ねぇ……うん、いいだろう。おい、金出せよ。持ってんだろう? 金をよ」
「金って……なんで」
胸ぐらを掴まれた息苦しさに耐えながら男は問いかける。
「あ? ベンチで寝てただろうが? ここは俺たちのシマだ。つうーことは、ここにあるベンチも俺たちのモンだ」
「だ、から……」
「だから? 名探偵のクセに頭の回りが悪りぃな。え、おい」
赤いニットの男はそう言うと、背後を振り返り、取り巻きたちにニヤニヤとした笑みを向ける。それにつられて取り巻きたちもゲラゲラと笑い始める。
その光景を見て、男は、このニットの男がグループのリーダーなのだと理解した。
「人様のモンを使うときは、ちゃんと許可を取れって学校で教えてもらっただろうがよ。だから使用料払えよ!」
そう言った瞬間、ニットの男は激しく突き飛ばす。
「っ!」
尻餅をついた男は痛みに顔を歪ませる。
「見せしめだ。俺らに逆らったどうなるか、この探偵坊やに教えてやれ」
リーダーの言葉を聞き、チンピラたちが囲み始める。
「だから、俺は“工藤新一“って名前じゃない! 俺の名前は……あれ、俺の名前……」
立ち上がった男は、チンピラたちに向かって自分の本名を言おうとしたが、なぜか言えなかった。まるでごっそりと抜け落ちたかのように、名前が分からなかった。
チンピラたちはゲラゲラと下品な笑い声をあげながら、男ーー工藤新一を小突き回し始めた。
「上等そうなスーツ着やがってサツのお下がりか? オイ!」
「報奨金たんまりもらってんだろう。ギャハハハ!!」
新一を小突きながら、チンピラたちは罵詈雑言を浴びせる。
「(俺は工藤新一なのか? ヤバいっ!!)」
不良の1人、坊主頭の男が新一の顔に向かってパンチを繰り出してきたので、新一は咄嗟にその拳を掴んだ。
「あ?」
突然の出来事にチンピラたちは間抜けた声をあげる。
「あ、ご、ごめん!」
拳を受け止めた新一は慌てて罪の言葉を言うと、パッと手を離した。
坊主頭は拳を見つめると、ゲラゲラと笑い声をあげる。
「ギャハハ! こいつマジか! ああ……オラ! 死ねぇ!!!」
「(マズイ!!)」
ひとしきり笑い終えるとドスのきいた声音で再び新一に殴りかかる。身の危険を感じた新一は咄嗟に顔をガードしようとしたが、ーー意思に反して身体が勝手に動いた。
新一は殴りかかってきた坊主頭の腕を右手で掴むと、左手の掌底を顎に打ち込んだ。
打ち込まれた坊主頭はそのまま前のめりに地面に倒れた。
気を失ったのか、坊主頭はぴくりとも動かず倒れたままだ。
「っ……」
突然の出来事につかの間の静寂がおりる。
チンピラたちは、これは一体どういうことだ、と互いに視線を交わし、息を呑む。
「このクソガキ!!」
ドレッドヘアの男が叫び声をあげながら新一に突っ込んでくる。しかし、新一は焦ることなく相手の腹に蹴りを入れる。
「ウゲぇッ! オエへエエエ!!」
強烈な蹴りの衝撃に堪らず腹を抱えながらうずくまり激しく嘔吐する。
「この……野朗……」
吐瀉物や涎で口を汚しながらも、殺気を込めた視線で新一を見上げるトレッドヘア。それを見下ろしながら、新一はこめかみに鞭のような蹴りをお見舞いし、意識を刈り取る。
またひとり、同じように意識を失って倒れ伏す。
新一の動きは極めて敏捷だった。
その光景を見て、黒のベースボールキャップを被ったチンピラが息を呑む
「いけよ! いけって!!」
仲間が一瞬でやられてしまったことに、動揺してジリジリと後ずさるが、リーダーが、その背中を押しながら叫ぶ。
「このっ!!」
半狂乱に突っ込み蹴りを入れるベースボールキャップの男。しかし、新一はすかさず間合いを詰めると、蹴り上がった脚の膝裏と胸ぐらを掴むと一気に前に進んだ。
「うぁあ!!」
片足状態になったベースボールキャップの男は、体勢を崩し、背中から地面に叩きつけられる。
肺の中の空気が一気に口から吐き出す。
「ひっ……ふっ…ひ!」
背中を強く打ち、喘ぐような呼吸をしながら激しくのたうち回る。
新一はすかさず顔面に拳を撃ち込み意識を刈り取る。
体勢をもとに戻すと、目の前には飛び出しナイフを突きつけるリーダーがいた。
「ふ、ふざけんじゃね!! このクソッタレ!!」
唾を飛ばしながら大声で喚くリーダー。
ナイフをブンブンと振り回しながら新一へと近づいていく。
新一はゆっくりと後ずさりながら、間合いを見極める。
「へっへっへっ!!」
後ずさる新一の姿に気を良くしたのか、リーダーの顔に優越感を帯びた笑みが浮かぶ。
だが、それが仇となった。
新一はリーダーの股間を勢いよく蹴り上げた。
「おぉぉおおお……!」
息が詰まるような痛みに全身を痙攣させながら、リーダーは股間を抑えながら地面に両膝をつく。
リーダーは目の前で静かに立つ新一を見上げる。
視線が交差する。
新一は、リーダーの瞳に困惑と後悔の色が浮かんでいるのを見てとった。
そして、思いっきり顎に蹴りを入れた。
パコんという凄まじい音とともに、リーダーは大きく後方へ弾き飛ばされた。どさりと地面に落ち、そのままピクリとも動かない。
「……」
深夜の公園に4人の男たちが意識喪失、もしくはうめき声をあげながら倒れている。
新一は無言で彼らを見下ろしていたが、自分の手が震えているの目がいった。そして、その瞬間、自分がしでかしたことの重大性と異常性に気づかされた。
危うく口から飛び出しかけた悲鳴を必死に両手で抑え、なんとか飲み込む。
再び視線を4人に戻すと、じりじりと後ずさる。
「ご、ごめん……」
小さく謝罪の言葉を言うと、身をひるがえし、脱兎のごとくその場から逃げ出した。
「(なんなんだよ!! これは!!)」
深夜の公園を全速力で駆け抜けながら新一の頭の中にいくつもの疑問や疑念が浮かぶ。
ーー部屋で寝ていた筈なのに、なぜ深夜の公園のベンチで寝ていたのか?
ーー彼らはなぜ自分のことを『工藤新一』と呼んだのか? それは一体誰なのか?
それが自分の名前なのか?
ーーこれは夢なのか、現実なのか。
際限なく次々に湧いてくる疑問や疑念の数々に顔をしかめながら新一は走り続ける。
「(さっきの格闘技は一体!!)」
レンガで造られた花壇を、まるでハードルを飛び越えるかのごとくやすやすと飛び越えながら新一は先ほどの乱闘を振り返る。
4人が次々に繰り出してきた攻撃を、まるで赤子の手をひねるかのごとく受け流し、一瞬の隙を与える事もなく、意識を刈り取る攻撃を行った。
思考よりも先に身体が勝手に動いのだ。何年、何十年も訓練を積み重ねてきたように。
「(クソッ!! クソッ!!)」
現実では決して起こり得そうもないで出来事の数々、しかし、夢にしては現実感がある。
そうこうしている間に、視線の先に高さ3メートルほどのフェンスが現れた。フェンスの向こう側にはビル街がある。
新一は迷う事なくフェンスに飛びつくと、あっという間に乗り越え、道路にスタッと着地する。
ちらりと背後のフェンスを振り返った新一は、少しの逡巡のうち再び駆け出し、深夜の街へと消えていった。
***
新一が深夜の街に姿を消して数時間した後に、4人のチンピラたちは救急車で病院へと搬送された。
4人とも顔や服を鼻血で汚し、口の中を切り、派手なアザがあちこちにできていた。意識が回復しても虚脱感や不快感を訴えた。
当直医は非常に不愉快だった。ただでさえやりたくもない当直。やらねばならないことが山ほどあるのに、チンピラ4人が乱闘騒ぎで担ぎ込まれた。
赤いニット帽を被った男は顎の骨が砕けていて処置に手間取ったが、他の3人は比較的軽傷だった。処置を終えた当直医は、看護師に打撲傷に対する湿布と精神安定剤の投与を指示して診察室を後にした。
診察室を出ると、書類をはさんだクリップボードを脇に挟んだ年若い制服警官が近づいてきた。
「彼らの具合はどうですか?」
警官が当直に尋ねた。
「1人は顎の骨が折れる重症、他の3人は打撲ですが比較的軽傷ですね。あと全員脳震盪によるショック症状を起こしているようです」
当直医は淡々と答えた。
「重症者の方は、整形科の医師がいないので明日再度診察しないといけません」
当直明けの引き継ぎ事項が増えたことに嘆息しながら言う当直医。
言葉を聞いた警官はクリップボートを手にとった。
「あのすみません。彼らに話を聞くことはできますか?」
「今ですか?」
「ええ……」
当直医は顔に片手をあてながら少しだけ思案顔考える。
「いいでしょう。意識ははっきりしているので」
当直医は警官を連れて再び診察室に入った。
診察室には、1台の診察台に顔を包帯で巻かれた男が寝かされていて、反対側の診察台に3人が腰掛けていた。
警官はつかの間、男たちを見回し、
「あなたたち自分らが何をされたか覚えていますか?」
いつもなら警官の聴取に対して悪態やら暴言を吐く彼らだが、今回ばかりはその気力さえないようだった。
ひとりが弱々しく言った。
「ぶん殴られた。それから記憶ない」
「バットや鉄パイプで?」
「違う。素手だ」
その言葉を聞いた警官は、戸口に立つ当直医を振り返った。警官の視線に対し当直医は小さく肩をすぼめる。
「相手は何人?」
「ひとりだ」
「相手の人相とか特徴覚えてます?」
警官の質問に対して、男はちらりと他の3人に目配せをする。そして小さく喉を鳴らし、その質問に答えた。
「工藤新一。ガキのクセして探偵やってるヤツだよ」
その言葉を聞いた瞬間、警官は目を瞬かせ、もう一度当直医のほうに振り返った。
当直医の方も警官と同じく驚きのあまり口をポカンと開けていた。