スクールの成績が悪くても気にならなかった。ヒーローは大抵馬鹿だから。
同級生に意地悪されても気にならなかった。ヒーローにはいじめられっ子も多いから。
両親に叱られても気にならなかった。ヒーローだってママには勝てない。
試験に合格できなくても……少しショックだったけど気を取り直した。だってヒーローは大体スロースターターだから。
憧れのポケモンが用意されなかったときは流石に堪えた。でもすぐ思い直した。これはきっとヒーローへの試練だと。そう思えば反骨心すら沸き立った。
『そこ行く新人トレーナー君! 良かったら僕とバトルしないか?』
家を出て早々、若いトレーナーに声をかけられた。バトルは好きだし得意だ。今まで負けたことなんて一度も無い。今の手持ちはポッポ1匹だけだと言えば、相手は自分も1匹だから大丈夫と答える。そして、使うポケモンは初心者用に育てているポケモンで、まだまだバトルの練習が必要な個体なのだと。
それなら、と思ってバトルを了承した。互いに向かい合って、ボールを構えた。それなのに、
『君? どうしたんだい?』
それなのに、どうして。
どうしてあの時、ボールを投げることが出来なかったんだろう。
■◇■◇■◇
「ラッタ?」
ポケセンのソファで大人しく順番を待っていると、事務員さんがこちらの要件を聞きに来てくれた。手持ちの回復をお願いするついでに「何かあったんですか?」とタケシが尋ねると、「実は」と特に隠すこと無く事情を教えてくれた。
なんでも私達がポケセンに来る少し前に、ボロボロになったラッタが1匹センター内に駆け込んできたんだという。傷は打撲が殆どで、体中についていた土埃や所々に刺さっていた石の欠片からおつきみ山の岩ポケモンに襲われたという線が濃厚。幸いにして命に別状はない状態だったため治療は先程終わったが、まだ意識が戻らないんだとか。
「ちょっと待ってください。そのラッタってラッタ『だけ』で来たんですか?」
「ええ。トレーナーや他のポケモンはいませんでした」
「……おかしくないですか、それ」
「おかしい?」
年若い事務員はピンとこなかったようだが、代わりに横のタケシには伝わったらしい。恐らく私と似たような難しい顔をして、「おかしいな」と首肯する。
「ラッタはカントーなら何処ででも見かけるポケモンだし、山に迷い込んでイシツブテやイワークに襲われてしまうことも、正直珍しいことじゃない。だが、そのラッタが『野生の』ラッタだとしたら、傷を負ったからといって此処に駆け込んでくるのは妙だ」
「やっぱそうですよね」
ポケモンセンターはポケモンを癒し治療する施設だ。そんなことは余程の事情が無い限り誰でも知っている。ただそれはあくまで人間側の話であり、ポケモン達は自分のおやに連れられて初めてこの施設の用途を知るのが常だ。つまりおやがいるポケモン(或いはいたポケモン)ならいざ知らず、野生の個体が治療目当てにポケセンに突撃してくるということは多く無い。
「ですが、おつきみ山の麓にあるセンターでは野生のポケモンもよく治療していますし、それで覚えたのでは?」
「それならその麓のセンター行きますよ。わざわざ遠くにあるこの街のポケセンまで来た理由になりません」
「あっ」
つまり、その大怪我をしたラッタは野生ではなくおや持ちである可能性が高い。そしてポケモンがそこまでの怪我をしていたというのにトレーナーが同伴していない理由といえば。
「事務員さん、レスキュー隊に連絡を」
「は、はい!」
恐らく最悪の予想が全員の頭をよぎったと思う。険しい顔のタケシに促され、真っ青になった事務員がセンターの奥へと向かった。
「私らが来る少し前なら、ラッタが駆け込んできたのは多分3、40分くらい前ですよね」
「ああ。落盤か、滑落か、それとも野生のポケモンの巣にでも飛び込んだか」
「トレーナーがどういう身分かも問題ですよね。一般人ならいいですけど」
ラッタは進化前のコラッタが捕まえやすくて育てやすい。だから一般人は勿論のこと犯罪者も結構な割合で手持ちに入れているのだ。もし事故に巻き込まれているのがあっち側の連中だった場合、救助した瞬間に逃げられたり危害を加えられる可能性もある。
まあそんな心配は、そもそも救助が間に合わなければ意味ないんだが。
「マリステラ、すまないが」
「私とカフカはレスキューボランティアの経験ありますよ」
「もん!」
「! そうか。助かる」
単純な土木撤去や救助であれば岩・格闘タイプがいてくれれば事足りるが、おつきみ山を捜索するとなれば地の利がある人間が多い方が良い。今はエスパーのフラウもいるし、そこそこ役に立てるだろう。
「きゃあ!」
「こら、駄目よ! じっとしてなさい!」
奥の方が急に騒がしくなったかと思えば、茶色い塊が勢いよく受付のカウンターを飛び越えた。かと思えば勢いを殺しきれなかったらしく、そのまま床をゴロゴロと転がって壁にぶつかって止まる。
少し逆立っている黄土色っぽい茶色の毛並み。尖った耳と少し太めの髭。長い尻尾はネズミらしく横線が所々に入っている。齧歯類らしい特徴的な前歯は思っていたよりも短く、恐らく折れたか欠けたかしたのを削って長さを揃えられたのだろうと分かった。
……十中八九、件のラッタだろう。
「今頭ぶつけたでしょ。大丈夫?」
眼を回してよろめいているラッタがまた転びそうだったので、取り敢えず膝の上に乗せてホールドする。少しコブになりそうな額をよしよし撫でてやっていると、間も無くして我に返ったラッタは
「ヂーッッ!!」
「? おわっ!?」
何故かそのまましがみ付いてきた。暴れられることを想定したのだが予想とは真逆だ。爪を私の服に引っかけてチーチーヂーヂーと何やら訴えかけてくるが、私の手持ちに当然ラッタはいないし、過去にいたこともない。だから「知り合いか?」とタケシに聞かれても首を横に振ることしか出来なかった。
「もぉん、めぇたもー?」
「ヂッッ!」
「も? もんも?」
「ヂヂーッ! ヂッ! ヂュヂュヂヂ!!」
「……めったぁ!?」
どうしたの? 何があったの? と
「もんもんも、もぉーん」
見て見て、と私のデニムを引っ張ったかと思えば、突如繰り出される『へんしん』。ただし化けたのはラッタでもなければ他のポケモンでもなく。
「こ、これは……!」
タケシが言葉を詰まらせるのも宜なるかな。カフカの姿は『ニンゲン』のものだった。ただ全体的にフォルムは丸っこく、何より顔が何処となくとぼけた印象を持つメタモンのままだ。が、髪型や服装、身につけているものといった、その人間を表すのに必要な特徴は十分表現できている。
そしてその姿は、幸か不幸か(いや不幸中の幸いにも)私とタケシ両方の記憶に残っている少年――――ウアリのものだった。
■◇■◇■◇
「……あれ?」
不意に自我が浮上して、はっと我に返る。眠ったつもりは無かったが、いつの間にか意識が落ちていたらしい。
「こんな状況で寝られるとか……」
我ながら凄いな、と向けた視線の先。高所から落ちて地面にめり込んだ落石と、その微妙な隙間に捕まえられてしまった自分の右脚。今のところ血が滲み出てきたり体調が悪くなったりは特にしていないが、正直空腹は感じている。一体どのくらいこうしているんだろうか。
「……おーい!! おぉーい!! 誰か、誰かいませんかー!?」
張り上げた声はいつもより嗄れている。数時間前、この状態になった直後に声を出しすぎたからだ。誰か助けて、と捻りの無いヘルプを出し続けたが、結局誰にも発見されず今に至る。山中に屯しているトレーナーを避けて、人が通らなそうな道を奥へ奥へと進んでしまったことが仇になった。
山に入るなら相応の装備をしてから。特におつきみ山はピッピや『つきのいし』を目当てに遭難してしまう人が後を絶たないから。スクールの教師達は何度もそう言っていたと今になって思い出す。聞いていたときは耳にタコができると思っていたのに、肝心なときに思い出せないなんて情けないことだ。
(いや、違う。思い出せなかったわけじゃない)
思い出そうとすれば、いつでも思い出せた。それが欠片も意識をよぎらなかったのは、思い出さないようにしていたからだ。耳が痛い忠告、叱責、厳しい言葉の数々は浴びせられる度に適当に受け流して、無かったことにしていた。ずっとそうしていた。
(馬鹿だなあ)
ヒーローになるのが夢だった。絵本やアニメのようなヒーローに。テレビ画面越しに見たリーグチャンピオンのように。
だからスクールにも入学した。ポケモントレーナーになるために。ヒーローになるために。周りには同い年の子供が溢れていて、最初は皆何処か緊張した顔をしていた。顔見知りもいれば知らない顔もいた。そんな同級生達の中で、才能溢れるトレーナー候補として躍進し、喝采を浴びる自分を思い描いてにんまりした。
そんな幼く無謀な夢物語は、崩れてしまうのも早かった。
『うっわ、ウアリまーた赤点かよ! お前ちゃんと勉強してんの?』
『今日のテストって問題集まんまだったじゃん。これで補習はヤバいだろ、お前』
『うっせー! オレはそもそも問題集やってねーんだよ!』
勉強は嫌いだ。座学は特に嫌いだ。好きなのはバトルの実習だけで、得意なのもそれだけ。
だから宿題なんてやることの方が珍しかったし、補習は時々すっぽかした。親に怒られるのでサボタージュは流石にやめたが、授業中は寝ていることも多かった。
勉強していないから、宿題をやらないから、話を聞いていないから。
だから、テストの点が悪くても当たり前だった。仕方ないことだった。クラスメートには勿論、親に怒られる度にそう口答えした。そうすると余計叱られたが、耳を塞いで堪えていない素振りをした。
そうやって全部全部、ごまかしていた。
「馬鹿だな、オレ」
バトルは上手いから。バトルだけは出来るから。バトルで勝てばそれで良いから。
そんな言い訳をしながら、やるべきことから逃げた。言われてすぐ忘れてしまったと思っていた同級生の言葉が、本当はずっと胸の奥で渦巻いていたから。
『君も僕も、自分のポケモンでバトルしたことなんてまだ一度もないんだ』
アイツの言う通りだ。ウアリはポケモンを育てたことがなかった。自分で捕まえたポケモンを、イチから育てた経験が。
レンタルポケモンを使って勝てたところで、大した意味なんて無いことだって分かっていた。バトルの授業はあくまでバトルの基本的なノウハウを掴むためのもので、勝ち星そのものが功績になるわけじゃない。
頑なに認めようとしなかったのは、『それ』さえ失えばウアリにはもう何もないから。他に大した才能もなく、運もなく、特別な能力があるわけでもない。そんな自分が誇るバトルの腕前さえ本当は張りぼてだったとしたら、もう何もなくなってしまう。
『良かったら僕とバトルしないか?』
気乗りしない様子のポッポだけを連れたウアリに、きっと親切心から声をかけてくれただろうトレーナー。望むところだとボールを構えて、なのに結局逃げ出したのは。
(負けたくなかった)
勝ちたかったのではない。ただ、負けるのが嫌だった。負けて、自分にはバトルすら大した才能がないのだと、そう思い知るのが怖かった。だからその場から逃げ出して、その後挑まれたバトルも全部断った。
そのくせジムリーダーに挑んだのは、今思えば自分への言い訳でしかなかった。ヒーローの物語の始まりは得てしてジャイアントキリングから始まる。そんな風に己を奮い立たせておいて、「ジムリーダー相手なら負けても言い訳できる」という打算が働いた。
『あなた、もうおやめなさい。お手持ちの子が可哀想ですわ』
3回目の敗北後、タマムシジムのリーダーに告げられた最後通牒。あの時の彼女が向けてきた、厳しくも哀れみを帯びた視線を今ならハッキリと思い出せる。すぐに顔ごと目をそらしたハズなのに、こんなにもハッキリと思い出せるのはきっと。
『面倒なプロセス全部すっ飛ばして、欲しい結果だけ手に入れるなんて無理なんだよ』
数時間前に浴びせられたあの視線と、全く同じ色を帯びていたからだ。
ウアリがずっとずっと憧れ続けた、リザードンになるポケモンを連れたあの少女の。
「ツボォ」
「マダツボミ……」
心細げな様子でウアリを見つめる手持ちに、「大丈夫だよ」と笑いかける。優しいポケモンだ。手持ちにしてからこの方、ちっとも良い思いをさせてやれていないのに。
「今までごめんな、マダツボミ」
「ツッボ? ツーボォ」
気にしないで、と言わんばかりに葉っぱの手で頭を撫でられた。目の奥がじんと熱くなって、慌てて手で隠す。
本当に馬鹿みたいだ。今泣いてどうする。泣きたいのは手持ち達だ。マダツボミと……いなくなってしまったコラッタの方だ。
「コラッタ、大丈夫かなあ」
「ツボォ……」
おやの自分が動けなくなったと分かった途端、何処かに走り去ってしまった小さな姿を思い出す。バトルにまともに出したことが無い、なし崩しに手持ちに加えただけのポケモン。本当はゲットするつもりさえ無かったポケモン。それなのに苦手な岩タイプのジムリーダー戦でいきなり出すなんて、本当に悪いことをしてしまった。
きっとウアリのことなんて嫌になってしまったんだろう。だがそれも仕方ない。このまま救助が来ない可能性を考えたら、手元のボールを壊して逃がしてやることも考えなければならないから。
嗚呼、でも。
「謝りたいなあ」
コラッタにも、家に帰したポッポにも。
酷いことをしてしまった。勝てもしないバトルに無理矢理挑ませて、怖い思いをさせてしまった。マダツボミと違って、彼らは許してくれないかも知れないけれど、それでも。
ちゃんと謝って。精一杯謝って。それから、
「みーつけた」
「……………え?」
およそ数時間ぶりに聞いた他人の声は、まるで数日ぶりのように感じられた。風の音と木の葉が擦れる音、そして遠くから木霊するポケモンの鳴き声しか捕まえていなかった耳に、ちゃんと意味を理解出来る人間の声は何処か麻薬めいていた。
「あ……」
ウアリよりも高い背丈。他に見かけた記憶の無い銀髪を細かく編んだヘアスタイル。露出の少ない服装は絵も柄もなくシンプルだが、彼女自身のハッキリとした顔立ちと、左肩に乗ったメタモンが代わりによく目立つ。
「な……なん、で……?」
パクパクとコイキングよろしく口を開閉させつつ問えば、相手は興味の薄そうな眼差しをちろりとこちらに返してくる。黄色っぽいような金色っぽいような、それでいて緑や茶色も混ざった不思議な瞳がふたつ。他に見たことのない不思議な色合いのそこに、間抜けな顔をしたウアリの顔が映っている。
「あんたのポケモンがポケセンまで助けを呼びに来てくれたんだよ。で、此処までの道のりはこの子達が案内してくれた」
「ピィ!」
「ピッピ!」
「え……」
高く可愛らしい声が幾つも彼女の足下から上がり、見ればそこにはピンク色の塊が可愛らしく動き回っている。ピッピ、ピィ、ピピッ、と無造作で無秩序に声を上げながら、塊達は彼女の足をよじ登ろうとしたり、こちらに近寄って挟まれた足を心配げに見つめたりと様々だ。
ようせいポケモンのピッピと、その進化前であるピィ。おつきみ山に幾度となく出入りしている山男達すらなかなか出会えないという伝説級のポケモンが群れを成している。
「この辺にこの子らの縄張りがあるんだって」
命拾いしたね、という平坦な言葉と共に、右脚の圧迫感が和らぐ。ズゥン、と低い音を立てて岩がどけられ、傷だらけになった脚が顕わになった。傷だらけではあるが、しかし見るからに酷い怪我はない。
「たす、かった」
ほろりと零れた言葉は多分無意識で、遅れてまた涙腺が緩んだ。
《後書き》
モブキャラのモノローグが想定より増えすぎて書いてる奴が一番困惑しています。
なんで一番最初に掘り下げたネームドがこいつなのか我ながら意味が分からないんですが、なんか書き進めているうちにこうなりました。
《キャラ設定》
○マリステラ(リスティ)
・年齢:11歳
・性別:女
・特記事項:流石に顔見知りを見捨てるほど冷淡にはなれなかった
【所持ポケモン(参入順)】
・メタモン(カフカ):―/Lv.33
・キルリア(フラウ):♀/Lv.23
・リザード(アシュラム):♂/Lv.22
○タケシ
・年齢:14歳(捏造)
・性別:男
・特記事項:影が薄いのは書き手が描写できてないせい。ちゃんと仕事してる
○ウアリ
・年齢:12歳
・性別:男
・特記事項:助かって良かったね