主人公じゃない私のポケモンワールド異聞録   作:時緒

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※2026/9/7追記:誤字脱字を修正しました。ご連絡くださった方、ありがとうございました。



22-1. All's Well That Ends Well ?(終わり良ければ全て良し?)・前編

電話を切る。モニターの映像が消える。通話相手は決して声が大きいわけでも動作が賑やかなわけでもない。なのに電子の繋がりが消えた途端、いつも通りの静けさが妙に実感される。

少しだけ懐かしい感覚だった。看護師学校時代の寮生活で迎えた夜や、ポケモンセンターでの夜勤の時と少しだけ似ている。いつも周囲が賑やかだからこそ、夜の静寂(しじま)が際立って感じられてならない。寂しさとは少し違う、物思いに耽りたくなるようなものだ。もっとも、ナース時代はこういうときに限って急患が入ったりして、ゆっくり過ごせることはそう多くなかったが。

 

「……ヒン」

「ヒンバス」

 

モニターから離れて相棒のベトベターと何事かお喋りし始めるナゾノクサを見やっていると、細い鳴き声が耳朶を叩いた。水の中でいつも通り揺れる銀色の鰭も、いつも何処か驚いたように見える丸い双眸も特段いつもと変わりない、ように見えるけれど。

 

「大丈夫よ、ヒンバス」

「……」

「優しい子だってもう知ってるでしょう? 今更あんなことで貴方を悪く思ったりなんかしないわ。本当に貴方と仲良くなりたいと思ってるのよ」

「……ヒン」

「あら? ……ふふっ、ごめんなさいね」

「……」

「私に言われなくたって、ちゃんと分かってるものね」

「…………ヒンッ」

 

薄紫色の鱗で覆われた顔にほんのり朱色が差す。

 

「あ、そうだわ。ねえヒンバス、ちょっと待っててくれる?」

「?」

 

不思議そうにしながらも頷く彼女に背を向け、寝室から目当てのものを持ってくる。今日の昼、少しだけ外出した際に立ち寄った図書館で借りたものだ。ハードカバーで非常に分厚く、それでいてそこそこ色々な人に借りられた痕跡がある1冊の本。正確には図鑑と呼ぶべきだが、それは一旦良いだろう。

 

「この本のね、ヒンバス……ああ、あったわ。ほら、このページのこの写真」

「!」

「ふふっ。思い出した? お昼にマリステラちゃんが言ってたものよ。別に疑ってたわけじゃないけど、本当にあったのね」

「……」

「本当にマリステラちゃんの言った通り。貴方と同じね、これも」

「…………ヒン」

 

ますます顔を赤らめて恥じらう様子がまたいじらしい。可愛い可愛いと件の少女が目を細めていた気持ちがよく分かる。どうか次こそは幸せになってほしいと、一層強く願わずにはいられない程に。

 

(野生に戻るなら、それでもいい。でもこの子は多分、きっと……)

 

考えて、そしてやめる。今はまだ早い、もう少しだけ先のことだ。

 

「ハーピ、ハピィ」

「どうしたのハピナス。……あら」

「ハピ」

 

ハピナスがぽよんぽよんと軽く跳ねるようにしながら駆け寄ってきて、片手にすっぽりと収まっていたものをこちらに差し出してくる。感傷と思考をすぐに打ち切って頭を切り替えるのは、専門学校時代には既に培っていたスキルだ。

 

「懐中時計?」

 

絵本やアニメで老紳士等が懐から出すイメージの強いアイテムの登場に、つい目を瞬かせる。金色に輝くそれは直径こそ手指3本を揃えたくらいに収まるが、見た目に反してそれなりに重い。繊細な印象を与える同色のチェーンが繋がっており、蓋には埋め込まれた色石と繊細な彫金によって美しい花々が細工されている。カチッと音を立てて蓋を開ければ、外装に反してシンプルな文字盤が現れた。数字も分かりやすい算用数字を使っている。

 

ミドリ自身は実用性6割当時の懐事情3割、そして最後にカラーの好み1割で学生時代に購入したナースウォッチを愛用している。防水性防塵性も文句なし、電池の交換も楽々で今もお気に入りの品だ。だからこんな、見た目から何から「安物じゃありませんよ」とあからさまに訴えてくる懐中時計は、当然ながらミドリのものではない。

 

「マリステラちゃんのものね」

 

時計そのものはしっかり見たことがなかったが、少女が懐から取り出したもので時間を確認している姿は何度か目撃している。

 

「これ、洗面所にあったのね?」

「ハピ」

 

頷くハピナス。ミドリも「そうよね」と眉をハの字にした。昼間、びしょ濡れになった服を着替えるときにこの時計も外して、ついそのまま置きっぱなしにしてしまったのだろう。

 

「明日も此処に来るからその時に返すことも出来るけど、……でも明日来るのは午後からって話で決まっちゃったのよね」

 

あの少女はフィールドワークも積極的に行っているようだし、午前中ずっと時計がない状態は流石に困るだろう。それにあまり大声では言えないが、こんな一目で貴重品と分かるようなものを、金庫も何もない家に置いておくのは少々恐ろしい気持ちになる。

 

「ハピッ!」

 

どうしたものかと逡巡するミドリを真っ直ぐ見上げ、ハピナスが自分の胸をどんと叩いた。

 

「届けに行く? ……そうだわ、マリステラちゃんってセンターの宿泊施設に泊まってるんだものね。この時間なら外出もしてないでしょうし、仮に会えなくてもジョーイさんに預かって貰う方が安全よね」

「ハピ!」

 

ハピナスがあまりにも頼もしげに頷くので、こちらもついつい笑みを零してしまう。学生時代に机を並べ、何度も同じチームで看護と救急医療を学んだ彼女は同胞であり戦友だ。この愛らしい見た目と笑顔とは裏腹の、肝っ玉の太さに何度励まされたか知れない。

 

「それじゃあ、ちょっと行って届けてきましょうか。戸締まりのチェックは」

「ハピィ!」

「あら、流石ね。じゃああとは玄関の鍵だけ閉めて――……」

「ヒンッ」

「……ヒンバス?」

「ハピ?」

 

少しだけ上擦ったか細い、けれど聞き逃すには大きな声がした方を見やれば、大きな目と口をパチパチパクパクさせたヒンバスが物言いたげにこちらを見つめている。「どうしたの?」と尋ねれば彼女は再び小さく鳴いて、更に鰭で水面を軽く叩いた。昼間マリステラにしたように大きな水飛沫は上がらなかったが、叩かれた水は軽やかに音を立てる。

 

一体どうしたのだろう、と少しの間首を捻る。ナース時代も今も色々なポケモンと向き合って仕事をしてきたけれど、ミドリは言葉を通じ合わせることは出来ない。出来るのは相棒であるハピナスの力も借りて、彼らの気持ちや思いを慮ることだけだ。

相手を理解したいなら、相手をよく見て観察すること。表情、視線の動き方、身振り手振り、あとは直前の会話……

 

「もしかして、貴方もついてきたいの?」

「! ヒィンバッ!」

 

一瞬だけ硬直したものの、すぐに思い直したかのようにコクコクと何度も頷く様は食い入るような勢いだ。思わずハピナスと顔を見上げてしまう。

 

ヒンバスの同伴に問題は無い。彼女が保護され、そしてポケモンセンターからこの家に来て既に1ヶ月弱。感染症は既に完治し、今服用しているのは栄養剤だから出歩くこと自体は問題無い。道中はハピナスが抱えていけば然程負担はないだろう。

 

即答出来なかったのは、単純にヒンバスの積極性に驚いてしまったからだ。彼女がセンターに保護され、そしてこの家に来てもう1ヶ月弱。その間今日までこんなことは一度たりとも無かったのに。

 

「――――そうね、ヒンバスも一緒に行きましょうか。ね、ハピナス?」

「ハピィ!」

 

元気よく手を挙げたハピナスの手には、玄関の鍵が握られている。我が相棒ながら本当に用意周到で如才が無い。あとはガスの元栓を閉めて、帰ってから手を付けるのが億劫な食器の片付けだけして、最後に念のため貴重品も持って……こんなところで良いだろう。

 

「それじゃ、少し出かけてくるわね。すぐに戻るからみんな良い子にしてるのよ?」

 

まだ眠っていないポケモン達に声をかけ、思い思いにリアクションを返す彼らに手を振って家を出る。ハピナスは慣れた様子でヒンバスを両手に抱えており、抱えられたヒンバスは少し緊張している様子だが「やっぱり帰る」という仕草は見せない。何だか少し感動してしまう。

 

「こんな時間に出歩くのは久しぶりね。もしかしたら夜勤以来かしら」

「ハピィ」

「ふふっ、そうね。あの時もこんなにのんびりはしてなかったわね。急患の対応で走り回ってばかりだったわ」

「ハピハッピ」

 

懐かしきナース時代の激務に想いを馳せつつ、ヒンバスの様子はきちんと窺う。彼女は抱えられたままでも周囲を見回すくらいの余裕は出来たらしく、何の変哲も無い風景を物珍しげにキョロキョロ見渡しているようだった。

 

「あ、そうだわ。ねえヒンバス」

「?」

「マリステラちゃんに忘れ物を返したら、ジョーイさん達にも挨拶しておきましょうか。ヒンバスがこんなに元気になったって、出来れば直接伝えておきたいのだけど」

「……ヒン」

「大丈夫そう? それなら良かったわ」

「ヒンッ」

 

しっかりとこちらの目を見て頷くヒンバスに、つい微笑んでしまう。

保護される前はトレーナーによって酷い扱いを受けていたはずなのに、十把一絡げに人間を嫌っても恐れてもいないヒンバス。彼女は自分を虐げた相手と、それ以外の人間をきちんと分けて判断している。ポケモンだろうと人間だろうと、これが出来る者は決して多くない。

 

「……ヒンバス」

「ヒン?」

 

彼女は賢くて冷静で、それでいて根本的に人間が好きなんだろう。人間という生き物に裏切られたと、そんな風に思わないでいてくれている。

だからこそ次は、次こそは素敵なトレーナーと一緒に歩んでいってほしい。彼女がどうしても野生に帰ると言うなら、勿論その意思は尊重する。けれど多分、彼女が本当に幸せになれる道は……

 

「あのねヒンバス。もし貴方が望むならなんだけど……」

「――――ヒンッッ!!」

「ハピィッ!?」

「え?」

 

今まで聞いたことのないくらいの大声と引きつった表情に、思考が一瞬停止する。どうしたの、と尋ねようとしたその瞬間。

 

鈍くて重い音と、衝撃。幾つもの光が視界に弾け、反射的に息が止まった。

 

 

 ■◇■◇■◇

 

 

やらかした。久しぶりにやらかした。

何かと言えばシンプルに忘れ物だ。カロスの祖父母から貰った懐中時計をミドリさんの家に置いてきてしまったのだ。いつもはジャケットの裏ポケットに入れてチェーンも忘れず引っかけてるのに、昼間ずぶ濡れになったせいで外してそのまま放置しちゃったわけだ。

 

不幸中の幸いなのが、やらかしたのがミドリさんの家だったこと。これが公共施設のトイレとかだったら戻ってこない可能性の方が高かった。とはいえ毎日持ち歩いているものが手元にないと分かっただけで気持ちが落ち着かない。ていうか確率的にはだいぶ低いけど、ミドリさんの家以外に忘れた線もワンチャンある。

そんなわけでせめて所在だけは確定させておこうと、(迷惑になるのは承知の上で)もう一度電話をしたわけだ、が。

 

「……出ない?」

「も~ん?」

 

忙しい日中ならまだしも夜のこの時間で2、30分前に通話した相手が電話に出ないとなると少し変だ。ていうか、仮にミドリさんが席を外しててもハピナスが対応出来るだろう。なのに両方出てこないってのはちょっとばかし不自然な気がする。

 

……じわ、と嫌な予感が滲み出てくる。夕方見かけたあの、ヒンバスの元トレーナー疑惑のあるクレーマーが脳裏をよぎる。ミドリさんの家はかなりわかりにくいところにあるし、ポケセンの関係者が情報漏洩するとは思えない(少なくとも意図的には)。

だけど万が一……そう、万が一のことがあったとしたら。

 

「フラウ、悪いけど今すぐテレポートお願いできる?」

「? リルッ!」

 

うちのお嬢さんは突然ボールから出されても文句ひとつ言わず、ぽんっと私達を目的地まで運んでくれた。少し離れた場所から窺う彼女のログハウスは静かに佇んでいて、昼間の穏やかな賑やかさは影を潜めている。カーテンの隙間からは淡く灯りが漏れていて、特に普段と変わった様子は無さそうだ。

 

「リルル」

「え、ミドリさん留守なの? ハピナスも?」

「ルゥ」

 

うん、と頷くフラウの表情に焦りや驚きの類はない。ってことは中にいる他のポケモン達はいつも通り過ごしてるってことだ。此処にはフラウと同じエスパータイプのケーシィもいるし、家の中で何かが起これば多分誰かが気づく。それが無いってことは、単にミドリさんとハピナスが家にいないってだけなんだろう。ミドリさんだってたまには夜に外出することくらいあるだろうし、ちょっと気にしすぎだったかも知れない。

 

「……帰ろっか」

「もん?」

「うん、時計は明日にするよ。流石に他の場所で落としたとは考えにくいし」

 

チェーンも丸ごとないし、着替えで外したのは間違いない。出来れば今日のうちに引き取りたかったけど、家主がいないのに上がり込むのは良くない。寝てるポケモン達を起こしちゃうかも知れないし。

 

あ゛ーもう、今日は妙に色々と裏目に出るな。案外本当に厄日なのかも。やってらんねえ。

 

 

 ■◇■◇■◇

 

 

何が起こったのか分からなかった。

嫌な音がして、視界が弾けて、かと思えば身体ごと地面に倒れ込んでいた。起き上がろうとすると後頭部に酷い痛みが走って、液体らしいものが視界を塞ぐように垂れてくる。ぬるりとしたそれを拭った手はあっという間に真っ赤になって、そこでやっと『後ろから殴られた』という事実だけが理解出来た。

 

「み、みみっ見つけたぞぉ……!」

 

後ろから引きつった笑い声と、何故か震えた声がする。若い男のものだった。頭は痛いし視界はブレているのに、聴覚は妙に鋭くなっている。

 

「ど、どーりで見つからないわけだ! お前が盗んでたんだなぁ!?」

「……ぬす、…………?」

 

何を言われているか分からない。言葉そのものではなく、その意図が理解出来ない。知らない声をした知らない相手が、「とぼけるなよぉ!!」と怒鳴ってくる。その大声でまた頭がガンガンと痛んだ。

 

「ボクのポケモンを勝手に持って行きやがって! おっ、お陰でポケセンでは大恥かいたんだからな、この泥棒女ぁ!!」

 

『ポケモン』そして『泥棒』……耳が拾ったその2単語の意味を脳が数秒遅れで認識する。それから更に数秒して、じわじわと状況そのものが理解出来てきた。

 

「あ、なた……ヒンバ、ス、の…………?」

 

舌がもつれて上手く喋れない。痛みと目眩で視界が歪む。身体を起こすことすら難しく、それでも何とか口を開く。

 

「そうだよぉ! お前のせいでここ何日も探し回ってたんだからなぁ!」

「ハ、ハピ……」

「へへ……ヒンバス、ヒンバスぅ、ずっと探してたんだからなぁ。さ、ボクと一緒に帰るぞぉ」

 

男は忌々しげな様子から一転、猫撫で声でヒンバスに話しかけた。ひょろ長い身体で両手を広げ、じりじりとヒンバスへと近づいていく。ハピナスがヒンバスを抱えて背中を向けると、男ははっとハピナスに気づいたのか「なんだよお前」と如何にも不愉快そうにした。

 

「は、ピナ……逃げ……」

「ハピィッ!」

 

逃げて、という声は聞こえただろうに、ハピナスは涙を浮かべて首を振る。ヒンバスを抱きしめる両手は震えていて、それでも脚は動かさない。

 

「そーか、お前そこの泥棒女のポケモンだなぁ?」

 

忌々しげな表情を一転させ、にやりと悍ましい笑みを浮かべた男が右手に握った木片を振り上げる。

 

「それじゃあお前も泥棒……お前も、同罪だぁ!!」

 

声にならない悲鳴が喉を通り抜け、結局音にならず消えていく。真っ青になったハピナスはそれでも逃げず、ヒンバスの目を覆うようにして蹲ったまま。そして、

 

ドゴッッという先程よりもずっと大きな鈍い音が響き、近くの木陰に隠れていたホーホー達がその場から一斉に飛び立った。

 




《後書き》
後編は可能なら今日の夜、遅くても明日には更新予定です。
すみません仕事のトラブルで今夜と明日はほぼ時間が取れなくなったため、本日間に合わない場合は今週前半に更新します。
水曜までにアップできるかなと思ってましたが見通し甘かったです。不満な箇所が出てきて現在書き直し中。もう少しだけお待ちください。


《キャラ設定》
○マリステラ(リスティ)
・年齢:11歳
・性別:女
・特記事項:やってらんねえとか厄日とか嘆いてる場合じゃない

【所持ポケモン(参入順)】
・メタモン(カフカ):―/Lv.35
・キルリア(フラウ):♀/Lv.28
・リザード(アシュラム):♂/Lv.29

○ミドリ
・年齢:20歳(捏造)
・性別:女
・特記事項:ただの元ナースなので流石にこういうときは対応出来ない

○ヒンバスの元トレーナー
・性別:男性
・特記事項:次話を最後に消える予定なので名前はない
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