ノワールの空の下
ねえ……知ってる?今、学校中でひそかに囁かれてるあのウワサ……。
玄龍門本部――六和閣の地下には何かがあって、玄龍門が隠してるってあのウワサ?
違うよ違う。夜に走る霊界バスのウワサ。
……なにそれ?
これは聞いた話なんだけど……友達と遊んでて夜遅くなっちゃった女の子がいたんだって。
その子はいつも自転車で移動してたんだけどさ。
灯りひとつない夜道を走るのは怖いからって、その日だけはバスに乗ろうとしたんだ。
……それで乗ったバスが霊界行きだったってこと?
そうそうっ!それで乗っちゃった女の子は行方不明になっちゃてさ。
数日後にそのバスが棄てられているのが見つかったんだけど、中には誰一人いなくて…、壁中が血まみれだったらしいよ……⁉
―――どう?怖くない⁉
う~ん、なんか一気に嘘っぽくなったね。血まみれは盛りすぎじゃない?
ホントの話なんだって~!
信じてよ~、なんなら乗ってみようよぉ~。
……『城隍街102路』に。
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晩秋の候。
その日は空一面がノワールに染まり、冷たい雨はしきりに地面を打ち付けていた。
同日の市街からは外れた位置に位置する、とあるバス停。
ベンチの隙間を生い茂る雑草や錆び切った上屋は明らかに手入れがされておらず、普段から利用者の少ないことが読み取れるこの場所に、今は女の子が一人、雨宿りをしながらバスが来るのを待っていた。
彼女の着るロングジャケットは濡れており、ここに来てから肩で息をしていることからも、女の子は雨の中を走ってきたことが分かる。
右手に握られているスマートフォンの時計機能は午後10時を示していた。
彼女の名前は近衛ミナ―――山海経高等中学校を統べる玄龍門、その執行部長である。
乱れた息を落ち着けた頃、彼女は懐からライターと食券を取り出し、おもむろに食券を燃やし始めた。
「……健康は最も大切なものだ……。金よりも、権力よりも、…………成功よ”りもなぁあ”っっくしゅんっ!」
したり顔で出してしまった今のくしゃみが誰かの耳に入っていないかと、ミナはとっさに辺りを見回す……が、この時間帯に加えて肌を刺すような雨だ。
響き渡った恥は誰に拾われることもなく雨音の中に消えていった。
「……フッ」
再びバス停一帯が雨音に包み込まれる。
ミナは雨粒がトタンの上屋に小気味良く弾かれる音を聞きながら、バスを待つことにした。
雨傘は携帯しておらず、目指している自宅まで濡れたいとは思わなかったのだ。
――付け加えるなら、雨に濡れるシーンがカッコイイのは照明があってこそで、このバス停は暗すぎたのだ。
◇
そこから数分経ったか。
ミナが時刻表をスマホのライトで照らしていると、後ろから2つの光が路なりにこちらへ向かってきているのが見えた。時刻は午後10時12分、定刻通りだ。
フロント窓から見える運転手はミナの姿を確認すると減速をかけ、バス停前にバスを停車。
エアブレーキの音とともに自動ドアが開いた。
ミナはバス内のほのかな温もりを感じながら、バスに乗り込んでいく。
バスの車内は中央に一本の広い道が通り、両端に正面を向いた2人掛けの座席が並べられている形式であった。
ミナがどの席に座ろうかと当たりをつけようとしたが、ふと予想外のことで足を止めた。
どうやらあの寂れたバス停で降りる人がいるようなのだが、降り口で動かずに大声をあげているのが見えたのだ。
「――だ~か~ら~さっきから言ってるでしょ⁉私そんなの知らないってさぁ!」
「アタシは騙されないよ!ほら、降りなさい!絶対盗ってるんだから!」
「まぁまぁ……落ち着いてくださいよ……」
降り口にたむろしてたのは山海経の女子生徒2人と老婆だった。
漏れ聞こえた内容からして揉め事であるとわかる。
玄龍門の幹部として、こういった事態を無視するのは望ましくない。
ミナはそう思い、バスの降り口の方向へ足を向けた。
「玄龍門執行部だ。何かあったのか?」
言い合っている集団に事情を伺うと、老婆が興奮した状態で教えてくれた。
「アンタ玄龍門の子かい?ちょうど良かったよぉ!この泥棒猫がね、私の大事な懐中時計をくすねやがったのサ!」
「盗ってないって言ってんじゃん⁉ねぇ聞いてよ~、私たちが仲良く話してたら、このお婆さんが急に『私の懐中時計を帰せーっ!』って騒ぎだしてさ⁉いくら知らないって言っても、『隠してるんだろ』の一点張りなんだよぉ……」
「嘘をおっしゃい!乗り込んだところ悪いんだけど、アンタも一緒に降りて確認してくれないかい⁉」
そうやって頼み込む老婆の顔は鬼気迫るもので、2人に加えて、自分のことをもなんとしてもバスの外に引きずり出そうとしていた。
かといってミナもここで降りて次のバスを待ちたくはない。
ミナは判断を下せずにいた。
そうこうしているうちに女子生徒の静かな方が口を開く。
「はぁ……分かりましたよ。降りれば良いんですよね……?ほら、行くよ」
「何でさ⁉私たち何も悪くないじゃん!」
「何言ってもこのお婆さんは難癖付けてくるだろうし、さっさと確認させて次のバスを待った方がいいよ……。どうせ何も見つからないから。あとは玄龍門の人に迷惑掛けるのもアレだし?」
「む~……」
元気な方の女子生徒はいまいち納得しきれていないようだが、もう一方の女子生徒の言うことに押し切られて、最後は首を縦に振った。
「どこに隠しても無駄だからねっ!アタシの目は誤魔化せないヨ!」
「迷惑掛けてすみませんでした……」
「あ~ぁ、せっかく乗れたのに収穫なしかぁ……。
三人はそれぞれ運賃を支払い、バスを下車していった。
乗客3人の下車を終えたことで、再びガラリと音を立ててバスの自動ドアが閉まる。
ミナは近くの席に腰を下ろし、たった今降りた3人の姿を窓越しに見つめた。
先ほど素早い判断を下せずにいた自分に未熟さを感じているのもあるが、なにより揉め事の顛末が気になったのだ。
雨粒の伝う窓の外では、見たところ女子生徒2人がバッグを開いて見せ、それに対して老婆はさっきまでの鬼気迫る表情から一転、両膝を地に着けて2人に手を合わせているようだった。
冷たい雨に打たれて老婆の頭が冷えたのかはわからないが、どうやら問題は解消されたらしい。
老婆が2人の手を握りしめている。
何を言っているのかは聞こえないが、表情からして謝罪だろうか?
女子生徒たちは怒るでもなく許すでもなく、困惑の表情を浮かべていた。
『発車します』
その光景をずっと見ていると、マイクを通して運転手の声が響く。
バスはガタンと揺れると、徐々に前に進み始めた。