「なんだこれは……⁉」
バスの先頭に着いたミナが目にしたのは異様な光景であった。
ハンドルに、レバーに、そして運転手に、運転席にはそこら中に隙間なく白い糸状の
ハンドルとレバーはナニカに覆われて本来のラバーの色すら確認できず、運転手に至っては全身に包帯を巻かれたようなありさまで、ハンドルを握った姿勢のまま動かなくなっていた。
否、バスがカーブに差し掛かると、ハンドルをもった両腕が不自然に上半身ごと動いている。
……顔がナニカで覆われているにも関わらずだ。
「このバスはどこに向かっているのですか⁉」
ミナが目の前の不可解な光景に呆気に取られていると、後ろからカグヤが追い付いてきた。
「なっ⁉」
カグヤがナニカに気づくのと入れ替わりで、ミナは自分の座っていた座席まで駆け、アタッシュケースから2丁の拳銃を取り出した。
玄龍と白虎のそれぞれにマガジンを詰めると同時に、先頭方向を注視する。
運転席の横ではいまだに驚愕しているカグヤ。
――ナニカは徐々に天井に広がりつつあった。
「そこをどけカグヤ部長ッ!」
ミナの声でカグヤはとっさにドアの方へ身を引き、そこをめがけて2発の弾丸が撃ち込まれる。
バンッバンッ!
放たれた弾丸が軌道上に張られたナニカを引き裂き、そして運転席中を跳ね回る。
「ちょっと!危ないでしょう!」
自分ごと撃とうとしたミナにカグヤが怒るのも聞かず、ミナは状況に目を向ける。
「カグヤ部長、運転席はどうなった⁉」
カグヤが運転席の方へ振り向くと、さっきまで跳ね回っていた跳弾はナニカによって空中で絡めとられてその回転を止めていた。
さらには、引き裂かれたはずの部分は
「……!」
威力が落ちた跳弾とはいえ、それを空中で止める糸など聞いたこともない。
カグヤは、目の前のナニカが理の彼方に位置するモノであると感じとり、正面にある座席との仕切りを飛び越えて、ナニカとの距離を取る。
2人は席の背もたれに身を隠し、今見たものについて叫び合った。
「なんなんだアレは⁉撃ったところから再生していったぞ!」
「私が知るわけないでしょう!分かるのはアレが未知の物体であることぐらいです!」
「」「」「」
「」「」
「」
……いくら言葉を酌み交わそうとも2人の認識は変化せず、時間だけが消費されていった。
「はあっ……はあっ……もういいです……。つまり、貴方も私もアレについては何一つ分からないということですね?」
「そうだな……そうだ、携帯で調べるのはもうやったのか?」
「その程度、とっくに試していますよ。圏外と出て使い物になりませんでした。これだから新しい機械というものは!」
そう言ってカグヤが見せた画面の左上には確かに『圏外』の2文字が並んでいた。
「――現状を整理しましょう。現在このバスは謎の白い糸によって運転席が乗っ取られ、高速鉄道並の速度で走っています。行き先は不明です」
カグヤの言葉でチラリと窓の外を覗くミナ。今まで気づいていなかったようだ。
「そして白糸はミナ執行部長の発砲で一度は断ち切れましたが、威力の弱まった跳弾を捕縛し、切り裂かれた部分は再生していました」
「銃弾は効果は薄いが有効そうだな。再生するのは生きているということだろうか?」
「わかりませんが今も糸が拡大しているのを鑑みるに、否定はできないでしょう……」
二人が上を向くと、先ほどは運転席周辺にしかなかったナニカは徐々に天井を侵食して、今では2人の真上に届くかどうかの位置であった。
ミナが侵食の末端に照準を合わせ、引き金を引く。
パァンッ!
ナニカは音と同時に運転席の方へ
カグヤが空中に漂うナニカを手に取り、その感触を確かめる。
「細いですが、それほど強度はありませんね……。跳弾を受け止められるとは思えませんが……」
「それより見たか?こちらが撃つと同時に引っ込んでいったぞ……?」
「意思をもって動いてる……ということでしょう。どうします?」
「早いのはここから脱出することだろうな。今のバスの速度なら、打ち付けられたとしても運が良ければ数時間の昏倒で済む。脱出するならアレがバス全体に伸びきっていない今が好機だ」
「その場合の問題はアレによってバスが操作されていることです。バスから私たちが消えたと気づけば、昏倒中の私たちを捜しに戻ってくるやもしれません。確実性を取るなら、先にアレを再起不能に追い込んでおくべきです」
「――ここは役割を分けよう。私が窓を割って脱出口の確保、カグヤ部長はアレへの火力掃射、これでどうだ?」
「……構いません。撃った先から再生するのであれば、私のサブマシンガンの方が都合が良いでしょうね。……あっ!待って――」
「では、決まりだ‼」
ズドドドドドッ!
話しながら銃へのリロードを済ませたミナがカグヤのいる方向に跳びつつ、左側2枚の車窓に向けての
空薬莢が空を舞う中でカグヤは言いそびれた言葉を続ける。
「――ッ後ろにいた乗客はどうしますか⁉」
「私に任せろ!窓を割った後に何とかする!」
『何とかする』という計画性の無さに呆れつつ、カグヤもサブマシンガンの装弾を進めていく……。
その瞬間、カグヤは突如、形容しがたい不安感に襲われた。
何かを見落としているような……そんな違和感。
――バリンッ!!
窓に入った細かいヒビ同士がつながり、やがて鋭い音が鳴ったかと思うと、2枚の車窓は崩れ去り、破片は外の暗闇へと消えていった。
「よしっ!窓は割ったぞ!…………⁉」
――この状況で静かすぎる。
カグヤはふと、何かに導かれるように後部座席に目を向ける。
「カグヤ部長!あの糸が、割れた窓の間を塞ぎにかかっているぞ⁉」
カグヤは見た。
3人組がこの状況に微塵の反応も示していないことを。
小刻みに揺れる際に、頭巾からチラリと覗けるはずの目は窪み、その奥に青白い光を灯していることを。
「……カグヤ部長?」
カグヤは
3人の足と座席の間に生まれる空間。
そこに一切の影はなく、白麗の長衣を着たヒトの足元から、この車両を侵食する
「……ッ!後部座席注意ッ!」
「なにっ⁉」
射線を通すために中央に飛び出したカグヤの言とどちらが早いか、次の瞬間、後部座席の紺青色の2人は座席の背もたれを蹴って、飛び掛かるように強襲する。
2体の手に銃はなく、鋭い爪のみを構えていた。
バババババババッ!!!
後部座席に向かって、カグヤのサブマシンガンが横一線に火を噴く。
7.62mmの雨は2体の霊異の身体にめり込み、グチャリと肉を抉り落とす不快な音が聞こえ、抉られた肉の部分からは濡れた土のような匂い――腐臭がまき散らされた。
だが、それでも霊異どもをひるませるには足りなかった。
霊異の内の一体がカグヤに覆いかぶさるように倒れこみ、片手で肩を抑えつけながら手を手刀のように鋭く変形させてカグヤの喉元をめがけて大きく振りかぶった。
「くっ……!」
カグヤは自由になっている腕で向かってくる手刀を横に押しのけ、わずかに軌道をずらす。
伸ばされた手刀が床に突き刺さることを確認して、その隙に霊異との間に片足を入れ込み、思い切り蹴り飛ばした。
霊異が大きく後方にのけ反る。
そのまま体勢を回転させて、起き上がりつつ回し蹴り。
足はちょうど霊異の胸あたりに食い込み、霊異が座っていた後部座席まで吹き飛んだ。
フリーになったカグヤが横を確認すると、そこでは座席を背にして避けられなかったミナの腕にもう一方の霊異が嚙みついていた。
「ミナ執行部長……!」
「うグッ……!そこをどけっ、壊した窓に投げ捨てるっ!」
ッ――ババババッ!!
身を後ろに引くと同時に、白いナニカによって塞がりつつある割れ窓を撃つカグヤ。
ミナはその姿を
その身を右に
そこから窓下の壁にぶつかる前に座席に乗り上げることで高さを確保し、ラリアットのように霊異を外に放り投げた。
「――!ぐあッ⁉」
瞬間、バス内に身体を戻そうとしたミナの重心が窓側にもっていかれ、右肩が窓に残った鋭利な破片に叩きつけられる。
割れていない窓から外を見れば、放り投げたはずの霊異がなおミナの腕に食らいついて離さずにいた。
窓の縁を抑えて必死に耐える間にも、ゴリゴリと
「ぁ”ぐっ…!――落ちるのはッ……お前だけだッ!」
ミナは噛みつかれている右腕を全力で引き上げ、浮かせた霊異をバスの側面に叩きつける。
何度も。
何度も。
何度も。
叩きつけるたびに割れ窓の破片がミナの肩に食い込んでいく……カグヤはその間ももう一方に銃を向けており、援護は期待できなかった。
そうしてついに霊異の顎が外れかけたその時。
「私の腕ごと壁に叩きつけるつもりか⁉」
ミナは急いで腕をバス内に引き込もうと身を反らせる……が、遅かった。
肘までバス内に戻せたところで道路標識とミナの右腕が接触。
超高速で弾き飛ばされた。
パキリッ……
――実際に音はしない。
しかしミナの腕が。脳が。全身が。確かに響き渡る衝撃を聴いていた。