1話:マスタードラゴンからの依頼~1年前のイセリア
「ご無沙汰しております、マスタードラゴンさま」
タバサは、短めの金色に輝く髪を揺らしながら、真紅の絨毯の敷かれた石の床に跪き、深々と頭を垂れた。
ここは天空城。かつての旅では湖に沈んでいて、復活して浮上してからも天空人曰く「それほど高く飛べていなかった」が、今では往年のように雲の上に浮かんでいる。
移動呪文『ルーラ』でも基本的には行くことができず、城の主が『ルーラ』の封印を解除した場合のみ入城を許可される。
グランバニア城にいる天空人から話を聞いて、タバサはこの天空城に『ルーラ』でやって来たのであるが、実のところ、なぜ自分が招かれたのかは未だ知らずにいた。しかも『伝説の勇者』である双子の兄のレックスではなく、その妹に過ぎない自分の方が招待される理由は皆目見当もつかなかった。
自らをいざなった天空人に訊ねてみても、「マスタードラゴン様が直々にお話しになる」の一点張りで答えはもらえなかった。なので目下のところ、タバサの頭の中は疑問でいっぱいであった。あまりにも心当たりがなさすぎて、マスタードラゴンに拝謁している今でも体全体がカチンコチンに緊張していた。何か逆鱗に触れるようなことをしたのではないか、と不安ですらあった。
タバサの眼前には、体全体が白銀の鱗で覆われていて頭に二本の巨大なツノが生えている巨大なドラゴンがいた。このドラゴンが、くだんのマスタードラゴンである。
「ドラゴン」といっても、知能が低くて本能的に人を襲う魔物ではない。マスタードラゴンは、この世界を統べる神と言っても過言ではない存在であった。
しかし、“神”は気さくに笑う。
「おぬしにとっては久しいだろうが、私にとって1年など瞬きをするだけの時間でしかない。しかし改めて去年のお礼を言っておこうーー世界を救ってくれて感謝している」
長い首をかなり下に傾けるマスタードラゴンに、タバサは心臓が口から飛び出そうなほど驚かされる。
「い、いえ、わたしは父と母と兄の背中に隠れてコソコソ魔法を唱えていただけです。そんなたいそうなことをしたつもりは……」
マスタードラゴンは豪快に笑う。
「わはははは! そなたは勇者ではないが、勇者に最も近き存在。その剣術、魔術は決して引けを取るものではないぞ」
「そんなことは……ないと思いますが……」
グランバニア王国の王女として父や兄の「ついでに」チヤホヤされたことはあれど、神さまから面と向かって賞賛されたことのないタバサは顔がたちまち赤くなる。
マスタードラゴンは、またもひとしきり笑った後、今度は真剣な調子で告げる。
「さて、タバサよ。実はそなたの力を今一度、貸してもらいたいのだ」
タバサは首をかしげる。
「わたしの力……ですか? 父や兄ではなくて?」
マスタードラゴンは頷く。
「そうだ、そなたの力だ。そなたの力で『なるべく多くの異世界の被害』を食い止めるのだ」
しばし、沈黙の帳が降りる。
「異世界……ですか?」
タバサは呆けた声を上げた。
マスタードラゴンは、うむ、と頷く。
「そなたの力があれば、数多の惨劇を減らすことができよう」
タバサは信じられない面持ちで自分を指さす。
なお、タバサの服装は、純白のワンピースに桃色のマントを羽織り丈夫なブーツを履いた旅装束姿である。腰には肩掛けながら鞘に収まった妖精の剣を差している。
天空人を介して長旅に耐えうる装備で来てもらいたい、とマスタードラゴンから言われたので2年前と同じ格好を選んだのだ。
やはりなぜ自分なのか、父や兄ではないのかというタバサの頭の中の疑問を拭い去ることはできなかったが、しかし神さまであり大恩もあるマスタードラゴン様の御言葉を否にはできない。
タバサはすぐさま承諾の意を告げる。
「わかりました。マスタードラゴンさまの命ずるままに」
マスタードラゴンは満足げな表情を浮かべる。
「すべての判断はそなたに委ねる。自らの頭で考え、自らの責任で行動し、そして最善の道を歩み続けよ。迷うこともあるだろうが、それでもそなたの頭脳に委ねる」
タバサはとてつもなく重たいことを言われたが、しかし怯まなかった。
「わかりました。わたしの意のおもむくままに行動いたします」
マスタードラゴンは付け加える。
「異世界からの帰還は『ルーラ』でできる。家族と会いたいときは、いつでも帰ると良い」
タバサはまた頭を深々と下げる。
「お心遣い、感謝いたします」
それからマスタードラゴンは詠唱を唱え、タバサを『異世界』へと飛ばした。
「今日は授業の前にみんなに転校生を紹介します。ーータバサ・グランバニアです」
「よ、よろしくお願いします……」
タバサは銀色で長い髪の女性教師に促されて、おずおずと頭を下げる。衆目をさらうのはいつも『伝説の勇者』である兄の方であったから、こういう風に色んな人たちが自分だけに注目するのには、全く慣れていなかった。
ここはイセリアという村の学校である。
なおマスタードラゴンから飛ばされて、いきなりこういう展開になったわけではない。
流浪の旅の果てに父親と2人でイセリアに辿り着いた、という「設定」になっていたのだ。父親はニックスと呼ばれている天空人であるが、今は翼を隠している。村に着くなり家と畑を購入して、今では農作業に精を出している。不審な目を向ける村人にも快活に挨拶をして、タバサにも明るく振る舞っていた。
ここまでのことをするということは、よほど自分の力がこの世界に必要なのかと、タバサは逆に身が引き締まったが。
それはともかく、昨日イセリアに移住し、学校という教育機関があるということで、さっそく転校生として11歳のタバサは振る舞うこととなった。
ちなみに昨日タバサは購入された家に残っていた本を何冊かペラペラめくったが、文字も読める。村人との挨拶も言語の不通なくできた。このあたりはマスタードラゴンの配慮のおかげだろう。
(それほど大きくない村に学校という施設があるということは、わたしたちの世界よりも文明は進んでいるのかな?)
タバサはそんな推測を立てた。
さて、天井から机まで木造の教室には、こちらに興味深げな目を向ける少年少女がいた。タバサが見たところ、年齢が一桁の子供から十代後半と思しき青年までいる。なるほど、ここではこういう形で教えられるんだ、と感心しながら眺めた。
自己紹介も終わり、リフィル先生が指示した席にタバサはついた。そして、地理の授業から始まったのだが、ロイドという、見たところ最年長に近い赤い服をまとった少年は、すぐにいびきをかいて、リフィル先生から黒板消しを投げつけられていた。
地理、理科、歴史という順番で授業が進んでいったが、頭に知識が詰まっていそうなのはジーニアスというリフィル先生の弟くらいなものであった。後はリフィル先生に当てられても、間違った答えを返すか、「わかりません」と元気よく答えるくらいであった。なお歴史の時間になると、ロイドは水の入ったバケツ2つを持ちながら立ち寝していた。
ここで授業を受けることがマスタードラゴンさまの任務と何の関係があるのかとタバサは思ったが、恐らく意味があるんだろうと無理やり納得することにした。
あっという間に1年が過ぎた。
正直なところ、タバサにとっては家族のもとに帰るのを時々忘れるくらい楽しい1年であった。タバサが何度も駆け抜けたイセリアの村の土の道には、たくさんの思い出が染み込んでいる。
鳶色の髪がみんな立っていてなかなか精悍な顔つきのロイドは、勉強はからっきしだが、一緒にいて実に楽しい男の子であった。「ドッジボールしようぜ!」とか「大縄飛びしようぜ!」とか元気な声で誘うと、生徒たちはみんなロイドの元に集まるのだ。ロイド自身は優れた身体能力の持ち主なのだが、一番の兄貴分らしく「おお、上手くなったな!」とか「いいぞいいぞ!」とみんなを誉めまくるのである。そうすると、自然と気分が高揚してくる。
二刀流の剣の腕もなかなかのもので、村から出ると襲ってくる素速いウルフや不気味なスパイダーといった魔物をあっという間に蹴散らしていた。さすがに、魔界にいるキラーマシンやグレイトドラゴンを倒していったタバサの家族と比べると相手が弱いが、しかし強くなる素地は十分にあると思った。
ロイド本人は自分の強さに自惚れることなく、左手の甲に輝く宝石のような石を指して、「エクスフィアのおかげだ。これが俺の力を限界まで引き出してくれるんだ」と謙遜していた。このエクスフィアが後に重要な意味を持つことになるとは、この話を聞いた時のタバサは思いもしなかった。
コレットというタバサにとって少し年上のお姉さんは、「神子さま、神子さま」と村のみんなから尊ばれていた。「神子さま」はどういう意味かというと、「世界を苦しめるディザイアンを封印するための旅をする使命を帯びた人」であるらしい。ディザイアンたちは人間牧場を設けてマナを大量消費し、世界は食料不足などの衰退の危機に陥っている。それを救う使命を帯びているのが「神子・コレット」ということだそうだ。
そんなわけで大変な責任を負っているコレットであったが、普段はそういう様子をおくびにも出さず、明るく天然で笑顔の絶えない優しい女の子であった。あとはドジっ子でよく転ぶ。教室に人型の穴をあけていた。転んで転んで転びまくって、しょっちゅうロイドから呆れられ、助けられていた。その度に「エヘヘ、ごめんね、ありがと」と照れ臭そうにお礼を言っていた。
タバサとは、同じ金髪同士というところから打ち解けられた。タバサはコレットの腰まで伸びた長い金髪を梳いたり、リボンで色々と髪型を変えるのを楽しんでいた。コレットもタバサのことを妹のように可愛がり、花冠をつくったり、髪留めをプレゼントしてくれたりと楽しんでいた。コレットといるとふわふわとした安心できる時間となるので、タバサは肩から力が抜けるのであった。ドジっ子だけど、可愛いお姉さんという感じだ。
そして、ジーニアス。
タバサといちばん馬が合ったのが、この11歳のエルフと名乗る、前と横は耳を隠すほど長く、後ろは短く刈り込んでいる独特な銀髪の男の子であった。
とにかく2人とも勉強が好きで魔法が得意という共通項があり、2人の話はよく弾んだ。タバサは双子の兄が勉強嫌い(だけど魔法の才能は抜群)で、同年代で魔法談義が盛り上がることはなかった。ジーニアスもジーニアスで、同い年の人で勉強や魔法の話で話が弾んだことはなかったので、放課後に2人して机を並べて話し合ったり、リフィルの引率のもと村の外に出て魔物たち相手に魔法の試し撃ちをしたりしていた。
魔法は使えば使うほど精度が上がり、より強力な魔法を行使することができる。ジーニアスは理論家ではあったが、実技の積み重ねが乏しかった。魔物が入ってこない安全な村の中にいる限りにおいて、彼にとって才能がある強力な攻撃魔法を習得するモチベーションを見出せないでいたのだ。
しかし、家族と魔界にまで冒険し、魔王を倒した英雄の一人であるタバサの強烈な爆発魔法『イオナズン』の破壊力を目の当たりにすると、負けず嫌いなジーニアスの競争心が強く刺激されて、タバサと共に魔法の練習に励むようになった。
魔法をたくさん使えば当然、精神力が減る。すると、ジーニアスがタバサを家に招いて、ほっぺたが落ちるほど美味しいケーキやフルーツジュースを振る舞ってくれて、タバサはジーニアスのことがますます気に入った。
そしてお礼として、『マヌーサ』や『リレミト』といったタバサの手持ちの魔法を教えると、2人の魔法談義は止まらなくなった。ジーニアスは既に呪文書で暗記している魔法『アイストーネード』や『イラプション』などの詠唱を伝えると、タバサはさっそく使ってみたいと席を立ち、リフィルから「もう夜遅いから明日にしなさい」とたしなめられるのであった。
タバサは、確かに現時点では自分の方が魔法を多く使えるが、ジーニアスがたくさん修行すれば自分は超されるだろう、とすぐに予感した。なにせタバサは補助呪文を除けば、火と氷系統の魔法にしか才能がなく、それに対してジーニアスは、火、水、風、土、雷、氷と多種多様な属性の魔法の才能を持ち合わせているからである。まさしく“天才(ジーニアス)”と呼ぶに相応しかった。
しかしながら、タバサはジーニアスから習った魔法を、ジーニアスはタバサから習った魔法を唱えようとしたが、両者ともうまくいかなかった。このあたりは世界の違いによる魔法に対する適性の違いがあるのだろうとタバサは勘づいたが、ジーニアスは実に悔しそうで、自らの世界の魔法の修行に専念するまで、少々時間が必要だった。
同じ年の頃で、話が合って、お互いに尊敬し合えるところがあって……タバサとジーニアスが互いを意識し合うまでさほど時間を要しなかった。
おまけに、タバサは輝くような金髪に、青空を映したかのような瞳に、愛嬌のある顔立ちであり、ジーニアスは長めに伸びた銀髪に、紫水晶を埋め込んだかのような瞳に、エルフの血を継ぐ者に漏れず整った顔立ちをしていたのであるから、お互い外見的にも魅了された。
2人は夜遅くなって別れる時間となるのを心底から残念がり、また明日会える期待に胸の中が温かくなることを自覚した頃には、2人とも大いに悩むこととなっていた。
タバサとしては、『ルーラ』でジーニアスを自分の世界のグランバニアのお城に連れ帰りたいくらいであったが、賢い男の子とはいえ、異世界の少年を王女として連れ帰って良いものなのかどうかがわからなかった。
一方ジーニアスは、自分たち姉弟の長く伸ばしている髪の中に隠されている“とある秘密”が知られたら、タバサが急に態度を豹変させるのではないかと思い、関係が深まるのに怯えていた。
なので、赤い夕陽の射し込む二人きりの空き教室で、お互いのノートより、お互いの顔を見つめ合う時間が増えても、それきりで、タバサが「じゃあ、また明日ね」と席を立って、ジーニアスが「……うん、また明日」と寂しげに言って見送る日々が続いた。2人はキスはおろか、手さえ繋げなかった。
そうして、運命の分岐点、神託の日を迎えることとなる。