バラクラフ王廟にて、風の封印を解除した。
風の封印を守護する魔物を退けた後、例によってレミエルが降臨して、クルシスからコレットにさらなる天使の力を授けたのである。
次の封印はバラクラフ王廟の北西、世界の中心を臨む場所にあるとのこと。
ここに至るまでの間で、特筆すべきことはあまりない。
アスカードというバラクラフ王廟から(比較的)近郊の街で、この街の高台にあるアスカード遺跡にて、風の封印を守護する魔物のフリをして生贄の少女を求めていた単なる邪悪な魔物を倒したくらいである。
この途中でジーニアスとリフィルが、ハーレイというハーフエルフの目によってハーフエルフだと露見しかけたが、街の人間が冷たい視線を向けるなか、ハーレイが慌てて誤魔化してくれた。
タバサには、その時のジーニアスの縮こまる姿が印象的であった。やはり市井の人間に容易にはハーフエルフだと露見するわけにはいかないことがタバサにも痛いほど感じられた。
さて、バラクラフ王廟を出てからは2つほど記すべき事件が発生した。
バラクラフ王廟は、墓を守るためのトゲが床から出てくる仕掛けや大量のトゲの付いた装置に挟まれそうになるなど、誰であってもおぞましくて近寄りがたいトラップ満載の墓であり、脱出の際にタバサが『リレミト』を使おうとした時、クラトスを含む全員が救われた表情をしていた。
しかしバラクラフ王廟を脱出した直後に事件は起こった。
「ま、待て!」
ロイドたちの背後、つまりバラクラフ王廟の入口から、女の声が響きわたった。
嫌な予感がしてロイドたちが振り返ると、オサ山道で出会ったコレットを狙う暗殺者が、式神というお供の怪物と共にまたも襲ってきたのだ。
しかし、6対2で明らかに多勢に無勢であるし、クラトスという強力な戦士がいる中で負けるはずがなかった。暗殺者も前回よりは強くなっていたが、それはロイドたちも同じこと。
あっという間に女と式神は退けられた。
タバサの『イオラ』で吹き飛ばされた女は、倒れながらも憎々しげな視線をこちらに向ける。
タバサは糾弾するように問いかける。
「あなたの力量ならばわたしたちは負けません。どうしてこんな無茶なことをするのですか?」
すると女はいきり立つ。
「無茶だと……? おまえらに何がわかる! おまえたちが世界を再生すると、あたしたちの国は滅びるんだぞ!」
この言葉には、クラトス以外、誰もが驚愕した。
コレットが珍しく笑みを消して真顔で問いかける。
「待って。どういうこと? 私が世界を再生したら、みんな助かるんでしょう?」
女は立ち上がりながら吐き捨てるように言う。
「助かるよ。この世界はね!」
そして、煙幕と共に姿を消した。
ロイドたちは女の残した言葉に首をかしげたが、しかし結論は出なかった。いや、仲間全体から見れば結論を出さなかったと言うべきか。
さて、三度目の封印解放ともなれば、ロイドたちはコレットが天使疾患で倒れることは容易に予想できた。なので、タバサが『ルーラ』でアスカードの街まで飛んで、宿屋まで歩いている最中に、コレットが倒れたところをロイドが支えた。
ーーと思いきや、コレットの倒れた場所がたった3段のちょっとした石階段だったのが災いして、ロイドもバランスを崩してコレットの下敷きになる形で倒れ伏した。
ロイドは「いてて……」と声を上げた。
ジーニアスが慌てて呆れて2人に駆け寄る。
「もー、ロイドなにやってんのさ。コレット、大丈夫?」
コレットはすぐには答えられず、ジーニアスに驚愕の眼差しを向けた。
ジーニアスは慌てふためく。
「ど、どうしたの? 痛かった? それともどこか怪我をした?」
しかしコレットは立ち上がりながら誤魔化すように首を振った。
「う、ううん。えへへ。だいじょぶ。ちょっとボーッとしちゃって」
同じく立ち上がったロイドは、そんなコレットに驚愕の眼差しを向けた。
その夜もほとんど食事を取れなかったコレットのいる宿の女部屋に、ロイドがドアをノックしてやって来た。
「悪い、ちょっとコレットと二人っきりで話したいんだけど……」
普通ならコレットが大喜びしそうな言い回しだが、甘い雰囲気というにはロイドの表情が固すぎるとタバサには思えた。
ロイドが鈍感であることを差し引いても、楽しいものとはならないだろう。
リフィルから「あんまり遅くならないようにしてね」と一応の注意を受けた後、コレットはロイドと共に部屋を出た。
タバサはコレットの背中を心配そうに見送った。
それからリフィルに目を向ける。
「コレットさんの手のケガ、あんなに血が流れていたのに、しばらくコレットさんは気付いてませんでした」
リフィルはため息をつく。
「昔から我慢する子だったけれど……」
タバサは踏み込む。
「やはり天使化の影響でしょうか?」
リフィルは深刻な面持ちで頷く。
「それしか考えられないわね」
「かなり歩く旅なのに食事もほとんど取りませんし、せっかく食べてもすぐにトイレに行きますし、わたしたちの方が早起きだったのに、最近は起きるといつもコレットさんが『おはよう』って言いますし」
「……人間離れしていくことが天使になることなのかもしれないわね」
ここでタバサとリフィルは重苦しい沈黙に包まれた。
タバサは、元の世界の故郷グランバニアにいる天空人を思い出した。あっちの人たちは食事をそんなに取らなくても良いようだが、人間と同じように普通に眠るし、痛覚だってある。
しかしコレットの天使化は、天空人とは異なるものらしい。
辛いのは、コレットが普通の人間だった頃の感覚を知っていることだろう。人間の感覚を何も知らなければ、こんなに苦しむことはない。そうではないからこそ、人間離れしていく自分のことを想うと辛いに違いない。
だがコレットの双肩には、シルヴァラントという世界がある。彼女が天使にならなければ、世界再生は達成されないのだ。コレットが人間離れするほど、世界にとっては喜ばしいということとなる。
しかしそれで納得できるタバサではなかった。
(マスタードラゴンさまは、わたしに「この世界の被害を軽減するように」とおっしゃった。御言葉通りならば、コレットさんが天使化するのをこのまま黙って見ていればよいのでしょう。ですが、それならどうしてわざわざ旅立ちの1年前にわたしをイセリアに送ったのでしょうか?)
少なくともタバサはこの1年間、コレットが世界再生を成就する以外に、シルヴァラントのマナを復活させディザイアンが封印されるという方法を発見できていない。
しかしマスタードラゴンさまの思し召しは、世界もコレットさんも救え、というものであるように思われる。
代替案をきちんと模索しなかった自分は愚かだったのだろうか。ただイセリアで楽しく暮らしていた自分を、マスタードラゴンさまは軽蔑しているのだろうか。
それに、女暗殺者の言っていた「この世界が救われれば、あたしたちの国は滅びる」という言葉も気になるーー
(まったく、本当にわたし1人を遣わせて何とかなるようなことなのでしょうか?)
タバサはどうしようもない無力感に包まれた。
その晩、コレットはロイドに抱き締められた。だが、何の温もりも感じることはなかった。
泣きたいぐらい嬉しいのに、涙さえ、出なかった。
次の封印解放に向かおうとアスカードから旅立ったロイドたちであるが、途中で明らかに無残に破壊されている街を発見した。
ロイドたちは愕然とする。
「これは……」
「ひどい……」
「あんまりです……」
建物という建物は粉々に破壊され、地面にはクレーターができていて、渡り橋も至るところが砕け散っていた。
何があったのか、生存者がいないのかと、ロイドたちが街中を走り回っていると、大きな噴水の近くで例の暗殺者の女を発見した。といっても傷だらけで、こちらに向ける眼光にも力は無く、立つことすらままならないようであった。
女はロイドたちに達観したように言う。
「……あんたたちか。今ならあたしにとどめを刺せるよ」
タバサは女の側に屈み込む。
「わたしたちが付けた傷ではありませんね。こんな鞭や矢で傷つけてはいません」
しいなはタバサに力の無い目を向ける。
「あんたは爆発少女か。今なら思う存分、あたしを吹き飛ばせるよ」
タバサは呆れながら首を振る。
「そんな趣味はありません。……この街で何があったのですか?」
女は淡々と答える。
「見てのとおりさ。ーーディザイアンに攻め込まれたんだよ」
ロイドが憤りを露わにする。
「何だって!」
女は続ける。
「ここから北東に人間牧場があるのを知ってるかい? ここの街の人たちは、牧場から逃げた奴を匿ったんだよ。それがバレて、全員強制的に牧場送りの上に、街は破壊された」
コレットは心配そうに訊ねる。
「それじゃあ、あなたの怪我は?」
女は軽く笑う。
「大したことじゃないよ。少しドジっただけさ」
すると街の北東から「助けてくれっ!」と突然悲鳴が聞こえてきた。
全員が振り向くと、祭司の服を着た老人が怪物と化したクララーーパルマコスタの総督だったドアの妻に追われている姿が目に入った。
祭司が転倒し、クララが彼に襲いかかろうとしたところ、暗殺者の女が痛みをこらえて素早く走り出してクララを攻撃しようとする。
しかしその前にクララの鋭利な爪で、女は引っ掻かれてしまう。
「ああっ!?」
まずいなと思ったタバサは、とっさに詠唱を開始して、『イオ』という小規模な爆発魔法を唱えた。それはクララを攻撃するものではなく、驚かせる目的で放ったものであった。
すると目論みどおり、クララは踵を返して逃げ去っていく。
しかし今のクララの攻撃で、暗殺者の女はかなりの重症を負ってしまった。
ロイドが駆け寄る。
「大丈夫か?」
ジーニアスが姉に目を向ける。
「姉さん、ボクはもうこの人を治療してあげてもいいと思うよ」
コレットも懇願する。
「私からもお願いします、先生!」
リフィルはため息一つついてから、頷く。
「……わかりました。みんなほんとにお人好しなんだから」
リフィルは杖を女に当てる。すると傷がみるみるうちに塞がっていった。
女は立ち上がって言う。
「あ、ありがとう。……後悔するかもしれないけどね」
タバサは訊ねる。
「お礼ついでにお名前を伺ってもよろしいですか?」
女は不思議そうな顔をしたが、素直に応じた。
「しいなだ。藤林しいな」
コレットは笑顔で近づく。
「しいなさんですか~。よろしくお願いしますね」
しいなは近づいてくるコレットから反射的に距離を取る。
「なれなれしく近づくな!」
しかしそう叫んだ後、しいなは懇願する。
「なあ、あたしは、この街の人には、一宿一飯の恩義があるんだ。頼む! あんたたちと一時休戦してでもいいから、この街の人たちを助けてくれないか?」
しいなの提案を受けたリフィルは、ロイドたちに訊ねる。
「こう言っているけど、あなたたちはどうするの?」
ロイドは即答する。
「俺は構わないと思っている。しいなと一緒に北東にあるっていう人間牧場に行って、この街の人たちを助け出すんだよ」
リフィルは呆れる。
「簡単に言ってくれるわね。いつもいつも上手くいくとは限らなくてよ」
コレットは必死になって叫ぶ。
「でも先生だって、このままで良いとは思ってないですよね?」
リフィルは「それはそうだけど……」と呟くように言う。
クラトスが場を締めるように言う。
「封印解放を優先すると言っても、聞く耳を持つ神子たちではあるまい。ならば、とっとと人間牧場を始末する方が良かろう」
ジーニアスは、何も意見を言わないタバサに目を向ける。
「……タバサもそれでいいの?」
タバサはキョトンとする。
「え? みんなが決めたのなら、わたしはそれに従うまでだよ」
ジーニアスは呆れてため息をつく。それから眉を尖らせて言う。
「あのさぁ。イセリアのときもパルマコスタのときも、人間牧場はほとんどタバサが制圧したようなものなんだから、もっとちゃんと意見を言ってよ」
タバサは、どうしてジーニアスが怒っているのかわからず、とりあえず謝る。
「あ、うん……。ごめんね」
すると、ジーニアスはまた露骨にため息をついた。
タバサはその姿を見て、どうして急にジーニアスから嫌われたんだろうと思い、しょんぼりとした。
それからロイドたちは北東の森の中にある人間牧場へと向かった。
正門前に何十人もいる厳重な警備態勢を見て、ロイドは呟く。
「すごい警備態勢だな。タバサの『イオナズン』でも厳しいか?」
ジーニアスは、そうだよ、と追随する。
「正面突破は今回は難しい。『イオナズン』を1回放っても、援軍がどんどん出て来たら、タバサでも厳しい。別の方法を考えないと」
タバサはジーニアスの言葉に、心の中でわたしってそんなに頼りないかなと思い、ますます落ちこんだ。
リフィルが提案する。
「それなら、ディザイアンに変装して侵入するのはどうかしら? ディザイアンから服を奪って、イセリアの人間牧場を壊滅させた3人を捕まえたとでも言えば良いんじゃないかしら?」
しかしジーニアスは、かなりの勢いで首を振る。
「ダメだよ、姉さん! ディザイアンは遠隔地の場所を映せる投影機を持っているんだよ! もしもイセリアやパルマコスタの戦闘の様子をここの牧場のディザイアンが知っていたら、ボクとロイドはともかく、タバサはその場で殺されちゃうかもしれない!」
あれ、ジーニアスは自分のことを心配してくれているんだーーそう思うと、タバサは打って変わって元気になり、喜びの笑顔を咲かせた。
しいなが「じゃあ、どうするのさ?」と訊ねると、今度はタバサが笑顔のまま提案する。
「わたしは『ドラゴラム』でドラゴンに変身します。ディザイアンは鞭を持っていることですし、変装した誰かが魔物使いとして、自分の使役しているドラゴンがイセリア人間牧場を壊滅させたうちの2人を捕まえたとでも言えば、信憑性が増すと思います」
しいなは仰天する。
「あんたはドラゴンに変身できる魔法も持っているのかい!?」
タバサが頷くと、コレットが笑いながら「タバサのドラゴンの姿はとっても可愛らしいんですよ」と紹介した。
リフィルもこれには頷いた。
「そうね。ロイドとジーニアスの2人をドラゴン化したタバサが持ち上げて行けば、問題なさそうね。あとはディザイアンの服をどうやって奪うかだけど……」
しいながここで「それならあたしに任せな」と手を挙げる。
「昨日ルインを襲ってきたアイツらを撃退した時、ディザイアンの服を一着奪っておいたんだ。一人でも牧場に侵入してやろうと思ってね。だから、あたしが変装するよ」
こうして一行は、人間牧場内に侵入することができた。
成人男性の倍ほどの大きさのあるタバサドラゴンは、ピンクの鱗をまとっていて愛嬌のある顔つきであった。あたしのドラゴンがイセリア人間牧場を壊滅させたうちの2人を捕まえたと、ディザイアンの服を着たしいなから聞いた正門のディザイアンたちは、可愛いドラゴンもいるもんなんだなあ、と思いながらも門を開けた。
牧場に侵入して、ディザイアンのいないところに出ると、タバサはロイドとジーニアスを降ろして、ドラゴンの姿から元に戻った。ドラゴンの姿のままだとブレス攻撃と爪攻撃しかできなくて、得意の魔法が使えず逆に不便だからだ。
人間牧場内で見張りのディザイアンたちを蹴散らしながら進んでいくと、途中の壁に設置されているモニターでエクスフィアがベルトコンベアによって次々と運ばれている様子が映し出されていた。
リフィルは呟いた。
「あそこがエクスフィアの製造所なのね」
ロイドは単純に感動した。
「ああ、すげぇなぁ」
するとコレットが突如として小声で警告を発する。
「静かに。気をつけて。隣の部屋から足音が聞こえる」
ジーニアスが怪訝な表情となる。
「何も聞こえないけど……」
しかしロイドは素早く抜刀した。
「いや、いるぞ!」
するとほぼ同時に隣の部屋の自動ドアが開き、以前にマーテル教会聖堂前で戦ったことのあるボータとその部下たちと顔を合わせた。
ロイドたちに気付いたボータの細目は、途端に警戒の眼差しとなる。
「おまえたちは……」
タバサも身構える。
「あなたは……イセリアの聖堂にいたディザイアン!」
するとボータの部下たちが嘲笑う。
「まだ我らをディザイアンだと思っているのか」
ひとしきり嗤った後、部下の一人がボータに訊く。
「ボータさま、これはチャンスですよ」
しかし険しい顔でボータは首を振った。
「ダメだ。ここにはクラトスがいる。事を起こすべきではない」
ロイドがクラトスに目を向ける。
「知り合いなのか?」
クラトスは静かに首を振った。
「さあ。イセリアで顔を合わせたに過ぎんが」
ボータが「ここでは剣を構えませんぞ」と言うと、クラトスは「勝手にすればよい」と答えて、ボータたちは走って別の部屋へと向かった。
しかしコレットは再度警告を発する。
「気をつけて! 別の部屋からも来る!」
コレットの指差した方向に向けて、タバサは詠唱を開始する。
そして自動ドアが開くと同時に、中規模爆発呪文『イオラ』を炸裂させる。
すると、入ろうとしたディザイアンが数人ほど倒れた。
しかし、仰向けに倒れたディザイアンを踏みつけながら、一人の青い軍服をまとった男が悠然と入ってくる。
ボータよりもさらに細目の男は軽く笑いながら言う。
「ほう。牧場に侵入してきたネズミがどんな顔かと思えば、各地の人間牧場を荒らし回っている劣悪種どもと同族の裏切り者たちですか。これは驚きました」
男はさりげない仕草で手をポケットに入れる。
するとほとんど無音で天井に設置されている機銃が回って、タバサの頭を狙った。
「タバサ、だめ!」
コレットだけが唯一天井の機銃がタバサに向けられていることに気が付いて、とっさにタバサに駆け寄って彼女の体を押し倒した。
「コレットさん!?」
タバサが叫んだ途端、機銃から放たれた紫色の弾は床に当たって黒い穴を開けた。
青い軍服姿の男は倒れこんだ2人を見て、またポケットの中をまさぐる。
「残念ですねぇ。イセリアとパルマコスタの人間牧場を破壊した元凶を仕留められると思ったのですが」
ジーニアスは怒りの炎を両目に宿す。
「コイツ!」
そしてほぼ無詠唱で『ファイアボール』を男にけん玉を向けて放った。男はさっと素早く動いて、『ファイアボール』をかわす。
その頃にはタバサとコレットは立ち上がっていた。
ロイドは男の入ってきた部屋に走り、「早くこっちに!」と一行を促した。
全員が素早くロイドの招きに応じて、走り出す。
走りながらクラトスがロイドたちに言う。
「奴が、ディザイアン五聖刃の一人クヴァルだ。残忍で冷酷と聞く」
走りながらタバサが、「そうみたいですね」と返した。
あのクヴァルという男からは、感情がまるで感じられない。タバサは、自分が狙われたからではないおぞましさをあの男から覚えた。クヴァルからは、祖父を殺し祖母に『メラゾーマ』の一撃を浴びせたゲマを彷彿とさせられる。タバサが前の旅で最も嫌悪した魔物であった。ああいう冷酷で無慈悲な存在には生理的嫌悪を感じてしまう。
だが、人間牧場内を走り回っている最中、ロイドたちは、ガラスの向こう側で灰色の服を着た人間がベルトコンベアで次々に流れていく様を目にした。
ロイドは思わずその衝撃的な光景に足を止めた。
「な、なんだ、これは……」
すると、いつの間にか後ろからやって来たクヴァルが解説する。
「培養体に埋め込んだエクスフィアを取り出しているのですよ」
リフィルは振り返って、珍しく驚きの声を上げる。
「まさか、エクスフィアは人の体でできているの!?」
クヴァルは薄く笑いながら首を振る。
「少し違います。エクスフィアはそのままでは休眠状態なのです。彼らは人の養分を吸い上げて成長し、目覚めるのです。人間牧場はエクスフィア生産のための工場。そうでなければ、何が楽しくて劣悪種を飼いならしますか」
ジーニアスは呻くように言う。
「ひ、ひどい……」
するとクヴァルは笑みを消した。
「ひどいだと? それはそちらの方でしょう。我々が苦労して目覚めさせたエクスフィアを盗み、勝手に使用している君たちこそ罰せられるべきでしょう」
タバサは怒りで頭がどうにかなりそうになりながらも、声を震わせて訊ねる。
「エクスフィアを取り出した後の人間はどうするの?」
クヴァルはまた不気味に微笑みながら答える。
「当然、廃棄処分です。それ以上、特に使い道ははありませんからね」
平然と答えるクヴァルに、コレットは、はちきれんばかりの怒りを抱えながら呟く。
「“最低”という言葉は、あなたのような人のためにあるのかもしれない」
しかしクヴァルは、ただ口角をより上げただけであった。
「ふふ。誉め言葉として受け取っておきましょう。……それよりもロイド。君のエクスフィアはユグドラシル様への捧げ物。返していただきますよ」
リフィルは目を細める。
「ユグドラシル……それがあなたたちディザイアンを統べる者の名前なのね」
クヴァルは微笑みながら頷く。
「はい。偉大なる指導者ユグドラシル様のため、そして我が功績を示すため、そのエクスフィアを返してもらいますよ」
ロイドは大声で叫ぶ。
「何だって俺のエクスフィアにこだわるんだ!」
クヴァルは淡々と答える。
「それは私が長時間費やした研究の成果だからなのです……。薄汚い培養体の女に盗まれたままでしたが」
ロイドは、ハッとする。
「まさか……。培養体の女って……」
クヴァルは見下すように答える。
「ああ、君は何も知らないのですね。そのエクスフィアは君の母親であるA012、人間名アンナが培養したものです。アンナはそのエクスフィアと共に脱走した。まあ、その死をもって罪をあがないましたが」
ロイドは憎しみの怒りのあまり剣を抜く。
「おまえが母さんを!」
クヴァルは困ったように言う。
「いえ、私は殺してませんよ。殺したのは君の父親なのです」
「ウソをつくな!!」
「ウソではありません。要の紋のないエクスフィアを剥がした結果、アンナは怪物と化した。それを君の父親が殺したのです。こっけいな話だと思いませんか?」
ここでクラトスが声を荒げる。
「死者を愚弄するのはやめろ!」
しかしクヴァルの嘲弄は止まらない。
「ふん。所詮は2人とも薄汚い人間。生きる価値もないウジ虫なのです」
ロイドの怒りは、ここで頂点に達する。
「父さんと母さんを馬鹿にするなっ!!」
タバサもタバサで怒りで頭がどうにかなりそうであったが、辛うじて微かな理性は保っていた。
そして、その微かな理性は告げる。ーーこれは精神攻撃なのだと。
マグニスがパルマコスタでジーニアスとリフィル先生に精神的打撃を与えたように、ロイドさんとクラトスさんを中心に全員を怒りの炎で我を忘れさせて、冷静な思考を奪い、向こうに有利に運ぼうとする。だから、こうして敢えて長々と喋っているのだろう。
それにクヴァル一人しかいないのも気になる。見渡せば、ここには他に三箇所ほど自動で開く扉がある。たぶんわたしが魔法を使ったら、控えているディザイアンたちが一斉に突入する腹づもりなのではないだろうか。イセリアやパルマコスタでわたしがディザイアンをまとめて吹き飛ばした情報が入っているのなら。
向こうは冷静で戦略的。こちらは、わたし含めて怒りで我を忘れかけている。となるとーー
タバサはジーニアスの背中に隠れながら小声で詠唱を開始し、発動する。
「ーー『リレミト』」
そうして怒れる仲間たちと共に、人間牧場の外へと脱出した。
ロイドたちの見つめる景色は、クヴァルが1人立つ所からここの人間牧場のある森の外へと変わった。
すると、抜刀したままであることを忘れたロイドがタバサの方にクヴァルに向けていた強烈な怒りの目を向ける。
「タバサ! どうして逃げたんだ! アイツは俺の母さんの仇なんだぞ!」
タバサがそれに答えようとする前に、クラトスも鷹のような鋭い視線をタバサに向ける。
「その通りだ。奴は一人しかいなかった。おまえの魔法なら、奴を吹き飛ばしたり、氷漬けにしたりすることができただろう。なぜそうしなかった?」
「え、えっと……」
タバサとしては、前回の旅を含めて仲間たちから自らの魔法の行使について咎められるのは、これが初めてであった。クヴァルが焚きつけた2人の怒りの炎が自分に向けられているのがとても怖い。
タバサは体の内から沸き立つ恐怖をなんとか抑えながらも答えようとすると、ジーニアスがタバサの前に庇うように走った。
「ちょっとちょっと! なんで2人してタバサを責めるのさ? 確かにあのクヴァルって奴は極悪非道で、特にお母さんの仇であるロイドが怒りたくなる気持ちはわかる。けど、その怒りをタバサに向けるのは筋違いだよ!」
リフィルも冷静に追随する。
「その通りよ。クヴァルは“不自然に”1人だった。他に配下のディザイアンを大勢抱えているのにも関わらずよ。これはタバサの魔法を警戒しているからだと、特にクラトス、あなたなら容易に想像できたんじゃなくて?」
コレットが手を挙げる。
「私、あちこちの扉でディザイアンたちがこっそりと待機している息遣いが聞こえました」
三人からそこまで言われて、ようやくロイドとクラトスが怒りの表情を和らげる。
ロイドがタバサに頭を下げる。
「ごめんな、タバサ。俺、カッカし過ぎて怒鳴っちまった。謝るよ」
クラトスもロイドに倣う。
「すまない。奴を倒すことしか頭になかった。私よりもタバサの方が冷静に周りが見えていたな」
タバサは、ホッと安堵の息をつく。
「いえ、クヴァルの言動はあまりにも度が過ぎていましたから仕方ないです。あの男を放置しておくのは私も危険だと思いますから、また力を合わせましょう」
リフィルが締める。
「私たちは、少し頭を冷やす必要があるわね。タバサ、『ルーラ』でトリエットに飛んでちょうだい。宿で休息をとって落ち着きましょう。特にロイドにとって、クヴァルはお母さまの仇なのだから」
しいなが不思議に思って訊ねる。
「どうしてトリエットなんだい?」
「あそこならここから物理的距離が遠すぎて、クヴァルたちも追いかけて来られないと思うからよ。近郊のイセリア人間牧場も既に壊滅しているしね。私たちがアスカードに戻ると、ひょっとしたらルインの二の舞いになるかもしれないから」
しいなも他の仲間たちも、リフィルのアイディアに納得した。
タバサは、「はい、先生」と頷いてから、『ルーラ』で砂漠の街のトリエットまで飛んだ。