30話:アリシア~贖罪とは~
「ボータ、問題ないだろうな」
ユアンはレネゲードベースの私室で、自分の右腕と言っても良い部下に訊ねた。
その言葉には、絶海牧場において九死に一生を得た部下の心配の意味が込められているわけではないということは、ボータはむろん理解していた。
ボータは、自分と部下を含む300人以上を救った少女の姿を思い浮かべる。ハーフエルフの少年がずっと手を握り締めていて、少女が起き出した途端、仲間たちから絶賛の嵐を浴びて大いに赤面し、見ている方も小っ恥ずかしくなるような、心温まるような、そんな光景を思い出しながら言う。
「私も命を助けられましたので、あの少女に多少の感謝の念はあります。しかし、だからといって、情が移ってユアン様の命令に違背するようなことはございません」
ユアンは、軽く息をつく。
「それでいい。神子とあの少女の命と引き換えに2つの世界の人の命は救われるのだ。その計画に支障が出ては困る。……向こうも順調なようだがな」
ボータはユアンの方を気遣う。
「あの連中のことです。仲間の少女2人を失えば、ユアン様へとの誹りは凄まじいものとなるでしょう。しかしユアン様は、己の正しいと思う道を突き進んでくだされ」
ユアンはボータに背を向けた。言われるまでもない、という意味合いなのは、ボータは長年の付き合いとしてよく理解していた。
ボータはそのままユアンの私室を出て行く。
任務と情は別。命の恩人を死の道に導く任務の続行に、躊躇いはない。
タバサはチヤホヤされすぎて爆発しそうであった。
ベッドで起き上がった途端、女性陣は頭を隈なく撫でてくるわ、ジーニアスを除く男性陣からは称賛の言葉を大量に浴びせられるわ、ジーニアスは他の仲間が掃けたあと、抱き締めてキスをしてくるわ(これはもっとやって欲しかったが)と、そんなごたいそうなことしたっけ? と思いたくなるくらいであった。
本音を言えば、あんまり誉められても困る、という感じである。恥ずかしすぎて死にそうになるから。称賛されるのはいつもお父さんやお兄ちゃんであり、わたしは「ついでに」誉められるくらいが性に合っているのだから。
(……ま、まあ、マスタードラゴンさまからの任務は、順調にこなしていってるのかな、これはこれで……)
312人いた人間牧場の囚人はともかく、ボータとその部下の2人は、ジーニアスの『エクスプロード』だけではあの分厚いガラスを割るには足りず、3人は死んでいただろう。わたしの『イオナズン』だけでも不足していたに違いないが。さらに、途中でマーブルさんの雑貨屋でタダ同然で買ったパイングミで補給したとはいえ、32回『リレミト』を唱えたあと、『イオナズン』を間断なく6回撃ち、12人という定員オーバーの人を『ルーラ』で運べば、まあ気絶してしまうのは致し方なかった。
とはいえ、それと引き換えに300人以上を救うのに役だったのならば、この世界に来た甲斐はあると言える。
ロイドたちの絶賛は実に恥ずかしかったが、そのおかげでタバサも少しは自分が役立っているという実感を覚えたのは事実であった。マスタードラゴンさまが、この世界にわたしを遣わした理由がようやく理解できたとも思えた。
確かに、『リレミト』と『ルーラ』と『イオナズン』を全部使いこなせるのは、家族の中でわたししかいないのだから。
剣でも魔法でも『伝説の勇者』である兄が上回るので、なかなか自信の持てなかった妹のタバサに、ようやく確たる自信が形成されつつあった。
一晩レネゲードベースに泊まって、朝食を食べている際に、リフィルは確認をとる。
「さて、次の目的地は闇の神殿ね。もちろん、プレセアの妹の仇であるブライアンを発見したら捕まえることも大事だわ」
ここで相変わらず手枷を付けたままパンを口に運んでいたリーガルの手が止まる。
「プレセアの妹の仇のブライアン……?」
しいなは、「そういえばリーガルはいなかったね」と言ってから話を憤慨しながら続ける。
「ひどい話さ! まだ年端もいかない子供を殺すなんて!」
リーガルはパンを皿に置いて神妙な顔つきとなる。
「プレセア。おまえの妹の名前は何という?」
プレセアは微かな声で答える。
「アリシア……です」
「そうか……」
それからリーガルはうつむいた。
それから言う。
「……私は、その殺人鬼に心当たりがある」
プレセアはパッと顔を上げる。
「本当ですか!」
リーガルは重々しく頷く。
「……ああ。私をアルタミラに連れて行ってほしい。タバサ、昨日の今日ですまないが頼むぞ」
タバサは真剣な表情で「わかりました」と返事をした。
相変わらず南国の陽気漂うアルタミラで、一行はエレメンタル・レールで海上を渡ってレザレノ・カンパニーに向かった。すると、受付近辺は荒らされ、受付嬢は受付台の下に震えながら隠れ、警備員は無残にも殺されていた。
ロイドたちが血塗られた社内に戸惑っていると、リーガルが屈み込み、彼の顔を見た警備員が最後の力を振り絞って言う。
「リーガルさま……エクスフィアブローカーのヴァーリが、空中庭園に……」
そう言って事切れた。
ヴァーリの名前を聞いたプレセアが、怨嗟の炎を瞳に宿す。
ロイドはリーガルの背中を叩いて、急ごうと促した。
エレベーターでアリシアの墓がある空中庭園に辿り着くと、すぐに野太い怒鳴り声ーーヴァーリの声が響いてきた。
「さあ、言え! トイズバレー鉱山の奥に続くロックは、どうやって解除するんだ!」
初老の男ーー以前に社員証を貸してくれたジョルジュがきっぱりと言う。
「言えぬ」
「貴様っ!」
リーガルがすぐさま駆けつける。
「私が教えてやろう」
すると、ヴァーリに胸ぐらを掴まれていたジョルジュは、驚愕して目を見開いた。
「リーガル様! どうしてここへ!」
ヴァーリはジョルジュから手を離し、ニヤリとする。
「ほう、会長自らが伝えるか」
「会長?」と、ロイドたちはキョトンとした目をリーガルに向けた。
リーガルはヴァーリに伝える。
「私の声紋と網膜で開く。無理やり開くと、エクスフィア鉱山部分は崩落することになるぞ」
ヴァーリは、「ちっ!」と舌打ちする。
「エクスフィアが採掘できなけりゃ、こちとら商売上がったりなんだよ!」
リーガルは告げる。
「ロディルは死んだ。おまえの卸すエクスフィアを大量に買い取る者はいなくなったぞ」
ヴァーリは、舌を出して嘲弄する。
「バーカ! ロディルがくたばっても、俺には教皇様っていう後ろ盾がいるんだよ!」
ヴァーリは突然走り出して、フック付きロープを取り出してから縁に引っかけたあと、空中庭園から身を投げ出す。そして、空中でウィングパックを取り出し、小型の船を出して海に着水させてから乗り込んだ。
ロイドたちが追いかけてヴァーリを見下ろすも、彼が乗った船はあっという間に消えていった。
逃げてしまったものはどうしようもないので、ロイドはリーガルと向き合う。
「なあ、リーガル。会長ってどういうことなんだ?」
リーガルは一度目を瞑り、覚悟を決めてから口を開く。
「私はリーガル・ブライアン。陛下より公爵の位を賜ったレザレノ・カンパニーの会長だ」
コレットはキョトンとする。
「え? じゃあ、アリシアの仇のブライアンって……」
その時、アリシアの墓に埋め込まれていたエクスフィアが赤く輝き出す。またも半透明でありながら、アリシアが姿を現したのだ。
そして嬉しそうなアリシアの声が響き渡った。
「リーガルさま。消える前に会えてよかった!」
「アリシア!」
リーガルはすぐさまアリシアの元へと駆け寄る。
プレセアは怪訝に思って訊ねる。
「アリシア、どういうことなの?」
リーガルが懺悔するように答える。
「アリシアと私は愛し合っていたのだ」
ジョルジュが申し訳ない顔つきで付言する。
「それを執事である私が……無理やり引き離してしまったのです」
リーガルは苦悶の表情で続ける。
「そしてアリシアはヴァーリに引き渡された。そして、エクスフィアの実験体にされたのだ」
ロイドが大きく目を見開く。
「まさか、プレセアと同じエンジェルス計画に利用されたんじゃ……」
リーガルは唇を強く噛みながら頷く。
「その通りだ。だが実験は失敗に終わった」
リーガルはヴァーリに、エクスフィア鉱山を与える代わりにアリシアを返してくれるよう懇願した。
ヴァーリはそれを引き受けた。そして、エクスフィアを引き剥がされて怪物化したアリシアを引き渡したのであった。
怪物化したアリシアは、リーガルに自分を殺すよう求めた。
もちろんリーガルは、にわかにはできなかった。しかし、アリシアの「殺してほしい」という懇願と、リーガルの命を取ろうとする攻撃にやむを得ずーー
リーガルの回想を聞き遂げたリフィルは落ち着いた声で言う。
「客観的に言えば、牢屋に入るべきなのはヴァーリの方ね。けれど、理屈で罪悪感は洗い流せない」
アリシアは、「そうです」と言う。
「リーガルさまは私を助けようとして私を殺したの。それしか方法がなかったから……」
リーガルは思いの丈を吐き出す。
「だが! 私がおまえを殺したのは事実だ! それはどうあっても変えられない!」
しかし、アリシアは優しく首を振った。
「でも、リーガルさまは十分苦しんだでしょう。どうか、ご自分を責めるのはもうやめてください」
「アリシア……だがこの手の縛めは、私の罪の象徴であり罰だ」
アリシアはまたも首を振った。
「そんな罰はもう要りません。お願いです、リーガルさま」
ここでロイドが静かに語りかける。
「俺の父さんも、リーガルと同じように、エクスフィアを剥がされて怪物になった母さんを殺したんだ。それを想像すれば、父さんも母さんを殺した時、ものすごく苦しんだと思う」
リーガルが驚いて振り返る。
「おまえの父親もそうだったのか……」
ロイドは、ああ、と頷く。
「もちろん俺には母さんの気持ちを想像することしかできない。けど母さんは、父さんがリーガルのように自分を罰して生きることを望んではいないと思う」
アリシアは強く頷いた。
「ええ、その方の言うとおりです。私は、リーガルさまが自らを罰して生きることを望んでません」
リーガルは、そうか、と一度頭を下げた後、アリシアに対して誓う。
「だが、私はこの手を二度と命を殺める道具とはせぬ。私は……エクスフィアで人の命をもてあそぶ者たちを打倒した時、この縛めを外すと誓おう」
アリシアはようやく笑った。
「はい、リーガルさま。これで私はもう思い残すことはありません。……どうか、私がエクスフィアに呑み込まれてしまう前に、この結晶を壊して」
プレセアは目を大きく見開く。
「どうして? このままじゃダメなの?」
「このままだと、私は永遠に生きてしまう。何もできず、単に意識があるまま、未来永劫生きてしまう。それは嫌なの」
そうは言っても、プレセアもリーガルも、アリシアのエクスフィアを破壊することはできない。
リーガルは沈痛な面持ちでロイドの方を向く。
「ロイド、頼めるか?」
プレセアもつらい表情で追随する。
「ロイドさん……お願いします」
2人から委ねられたロイドは、「……わかった」と覚悟を決めて頷いた。
そして剣を抜く。
アリシアは最後に懇願した。
「お姉ちゃん、リーガルさまを恨まないで……」
ロイドは、アリシアのエクスフィアを一刀のもと粉砕した。エクスフィアの破片は南風に乗って消えてゆく。
そして、プレセアとリーガルは改めてロイドたちとの同行を頼みこみ、もちろん誰も反対する者はいなかった。
リフィルは、リーガルの回想を聞くかぎりにおいて、リーガルがアリシアを殺した罪で服役したことで、(教皇の後ろ盾があるから結果的には無駄だったかもしれないが、それでも)ヴァーリが公的な機関からの追及を受けなくなることの方が問題のように思えた。
リーガルがアリシアを殺めてしまったことで、罪悪感の檻に囚われるのは自然な感情である。愛する者を殺してしまったのだから自罰を求める感情は理解できる。今もずっと手枷を付けているように、私的な罰を制限することは誰にもできまい。
しかしだからといって、“公的な罰”まで受けてしまうのは、この場合はただ単にヴァーリの非道な罪を自らかぶったに過ぎない。すなわち厳しい言い方をすれば、リーガルはただ単にヴァーリを罪責から庇ってしまっているだけなのである。
リーガルがアリシアを殺したことは、事情をきちんと説明すれば正当防衛で無罪になる可能性が非常に高い。それはリーガル自身も理解してはいただろうが、その高潔すぎる倫理観でもって刑罰を受けてしまうことが、真犯人のヴァーリを野放しにし、彼がさらなる悪行を積み重ねることに繫がっていることに関しては、今もなお気が付いていないようである。
……ということをリフィルは思ったが、だからといって、その正論を今ここで開陳しようとはしない。これを話すことで誰をも救うことができるわけではないし、ただでさえ自責の念の強いリーガルをさらに追い詰める結果にしかならないだろう。仮に時間を巻き戻せて私が弁護士として助言できたならば庇えただろうが、しかしそんなのはあり得ない仮定である。
なのでリフィルは正論を胸に秘めたまま、ロイドたちの後を付いていくだけにした。
その後、しいなの情報を頼りにメルトキオ近郊にある闇の精霊シャドウとの契約のために闇の神殿に向かったのであるが、あまりにも暗すぎて進むこともままならないということで即刻引き返すこととなった。
しいなは、以前にここを調査したというメルトキオの精霊研究所に行くことを提案した。
そこで相変わらず下水道を通って、メルトキオの街に出たのであるが、精霊研究所に向かう途中でクラトスとばったりと遭遇した。
ロイドは「クラトスッ!」と叫んだが、クラトスはロイドのことを無視して、プレセアに目を向けて問いかける。
「神木はオゼット近隣にしか生息しないと聞いたが、間違いないか?」
プレセアは、怖がるというより、なぜ自分が、と戸惑いながら頷く。
「は、はい……」
クラトスは「では、もう神木は存在しないのか?」と再び問うた。
ここでプレセアは、「私が伐採したものが教会におさめられています」と言うと、クラトスは「やむを得ないか」と意味深に呟いた。
ここでロイドが「なんで神木が必要なんだ!」と訊ねるも、クラトスはことごとくはぐらかした。
逆にクラトスは、
「ロイド、おまえたちのおこなっている精霊との契約はやめることを勧める」
と言ってきた。
タバサはすぐさま問うた。
「それはクルシスからすると、わたしたちの精霊との契約は放置しても問題ない、あるいはメリットがあるからですか?」
クラトスは、相も変わらずタバサには厳しい視線を送る。
「……やれやれ。あそこまで言って帰らぬとは、そなたは本当に愚かだな」
するとここでジーニアスがいきり立つ。
「タバサを愚弄するな! タバサがいなかったら、ロディルの牧場で300人以上が死んでいたかもしれないんだぞ!」
クラトスはジーニアスにも冷ややかな視線を向ける。
「その結果、この異世界の王女に温かな報いが待っているとでも思っているのか? 甘いな。クルシスはこの王女を死の道に誘うことしか考えとらん」
「待てよ! ユア……むぐっ!?」
ロイドは『ユアン』の話をしようとした途端、リフィルに口を塞がれた。ここでクルシス幹部であるクラトスに、ユアンと繋がりを持っていることを気付かれるわけにはいかないからである。
リフィルはクラトスに問い直す。
「プロネーマは死んだわ。最近この子にクルシスからの刺客は来ていないのだけれど?」
クラトスは疲れたように言う。
「おまえたちはその少女に依存し過ぎている。崇め奉った結果、逆にその王女を殺すことになるのだぞ」
タバサは目を見開く。クラトスの突き放すような言葉に、逆に温かみを覚えたからだ。
「クラトスさんは、本当にわたしの身を案じてくれている……?」
クラトスは言葉に情も何も乗せず、淡々と言う。
「わずかながら旅をしたよしみだ。ーータバサよ、退くがいい」
タバサはクラトスの言葉の“温かさ”に戸惑い、多少逡巡したが、結局、
「……すみませんが、お断りします。元の世界ではいてもいなくても変わらなかったわたしの力が、この世界では役に立ちそうなので」
クラトスはその答えを聞いても表情を微動だに変えなかった。
しかし、タバサについての話題をバッサリ切り捨てた。
「先ほどの問いに答えてやろう。……クルシスでも、おまえたちと精霊たちとの契約により、どうなるのかは予測できぬ。しかし、取り返しのつかない事態を招くかも知れぬ。それだけは忠告しておく」
そして、クラトスは最後に「焦るなよ、ロイド」と優しく言い残してから去っていった。
一行はクラトスの今の話を吟味したいところであったが、指名手配されているメルトキオで安閑としているわけにもいかず、各々の胸中にさまざまな疑念が渦巻いたまま、精霊研究所へと急いで向かった。