英雄をやめた日から   作:自給自足

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9話

黒殻種の死骸が、雨に濡れた瓦礫の隙間に積み重なっていた。

砕けた甲殻の断面からは、紫黒色の粘液がゆっくりと流れ落ちている。腐臭と瘴気が混じった空気が、半壊した市街地に重く沈んでいた。

その中心を、リアナ隊が静かに進む。

誰も喋らない。

呼吸音すら抑え込み、足音だけを最小限に殺しながら、崩れた建物の影を縫って移動していく。

前衛。

ユートが剣を低く構えたまま歩いていた。

拘束帯の締め付けで呼吸は浅い。だが、それでも歩幅は乱れない。

後方から、小さな声が飛ぶ。

「……二百メートル先。小型群、十七。中型二。まだ気付いてません」

セラだった。

耳当て型の探知具に指を添え、目を閉じている。

淡い振動が、彼女の頭蓋の奥を叩き続けていた。

壁の向こう。

地下。

瓦礫の隙間。

空気の揺れ。

残響。

音ではない気配の歪みが、彼女には分かる。

「右路地、十秒後に巡回が重なる」

「了解」

ユートが即座に進路を変える。

その後ろを、リアナが続いた。

白い戦装束の裾が、瓦礫の灰で薄く汚れている。

彼女は無言だった。

以前なら戦闘前に確認していた細かな指示も、今は視線だけで済む。

それだけ連携が完成してきている。

セラはそれを、どこか恐ろしく感じていた。

隊は崩落した地下通路へ降りる。

湿った空気が肺にまとわりついた。

暗い。

天井から滴る水音だけが響く。

腐食液の臭いが濃い。

「近いですね」

後方の隊員が呟く。

ユートは短く頷いた。

「ああ。巣の外縁だ」

その瞬間だった。

前方の暗闇が、不自然に膨らんだ。

次の瞬間。

壁が弾け飛ぶ。

黒殻種だった。

二メートル級の中型個体。

甲殻に覆われた前腕を振り上げたまま、狭い通路へ突進してくる。

「前ッ!!」

叫ぶより先に、ユートが踏み込んでいた。

剣が閃く。

硬い。

だが、止まらない。

刃が甲殻の継ぎ目へ滑り込み、衝撃が内部へ叩き込まれる。

甲殻が内側から軋んだ。

そのままユートは体重を預けるように剣を押し込む。

黒殻種の前腕が砕け散った。

だが。

直後、横穴からさらに二体。

触手が飛ぶ。

棘付きの黒い鞭が空気を裂き、ユートの脇腹を狙った。

リアナが動く。

静かだった。

踏み込みは小さい。

しかし速い。

淡紫色の刃が、闇の中で一瞬だけ光る。

触手が音もなく断ち切られた。

遅れて内部から紫色の光が爆ぜる。

切断ではない。

圧縮された魔力が内部構造ごと焼き潰している。

黒殻種が絶叫した。

その喉元へ、リアナがさらに踏み込む。

最小動作。

最短軌道。

細い刃が甲殻の隙間へ吸い込まれる。

次の瞬間、巨体の内部から紫光が炸裂した。

甲殻が内側から弾け飛ぶ。

熱を帯びた黒い破片が通路に散乱した。

残る一体へ、今度は後衛の銃撃が叩き込まれる。

脚部。

関節。

視界を塞ぐように撃ち込み、動きを止める。

ユートが前へ出る。

剣を振るう。

鈍い衝撃。

甲殻が割れる。

さらに一歩。

踏み込み。

斜め下から切り上げる。

振動が内部へ流れ込み、黒殻種の頭部が崩れ落ちた。

静寂。

粘液の滴る音だけが残る。

ユートが浅く息を吐いた。

だが次の瞬間。

拘束帯の下で、ずきり、と何かが軋む。

肺の奥が熱い。

血の味。

ほんのわずかに、喉が焼けた。

ユートは無言で飲み込む。

誰にも見せないように。

だが、リアナだけは気付いていた。

リアナは視線だけを向けた。

ユートは首を振る。

リアナは何も言わなかった。

代わりに前を向く。

「……進むわよ」

声は静かだった。

けれど、少しだけ硬かった。

セラはその背中を見つめる。

最近、分かるようになってきた。

この部隊は強い。

異常なほど強い。

最上位個体すら狩れる。

けれど。

その強さは、少しずつ一人を壊しながら成立している。

そして、リアナはそれを知りながら前へ進んでいる。

地下通路をさらに奥へ進む。

瘴気が濃くなる。

空気が重い。

壁が脈打つように震えている。

セラが立ち止まった。

「……待って」

全員が止まる。

彼女は探知具を押さえ、目を閉じた。

残響が広がる。

膨大な情報。

群れ。

巡回。

振動。

統制。

そして――。

「……あれ?」

セラが眉を寄せた。

「どうした」

「これ……」

彼女の声が小さくなる。

「動き……前と少し違う」

「違う?」

「完全にランダムじゃない……」

セラは壁に手を当てた。

微細な振動。

周期。

流れ。

何かがある。

「統制核の近く……残響が、少しだけ繰り返してる」

ユートが視線を向ける。

「予測できるのか」

「まだ分からない……でも……」

セラはゆっくり顔を上げた。

疲労で青白い顔。

それでも瞳だけは揺れていた。

「前より、読める気がします」

読める。

その言葉は、ユートの中に深く残った。

黒殻種は災害に近い存在だった。

押し寄せる波。

崩れる壁。

増え続ける死。

そこに法則などないと思われていた。

だがもし、最上位個体の統制に規則性があるなら。

もし次を少しでも予測できるなら。

それは、ほんのわずかでも未来の選び方を変えられる可能性だった。

「進路、左」

セラが低く言う。

「三十秒後に巡回がズレます」

ユートは即座に判断した。

「その隙間を抜ける。急ぐぞ」

隊が動く。

地下通路を抜けた先は、巨大な空洞だった。

崩落した地下駅。

天井は半ば落ち、鉄骨がむき出しになっている。

瘴気が濃い。

空気が粘つくようだった。

そして。

いた。

空洞中央。

黒い巨体。

八メートルを超える最上位個体。

巨大な甲殻が脈打つたび、周囲の瘴気が波のように揺れる。

濃紫色の殻。

幾重にも重なった脚部。

その腹部深くで、統制核が鈍く明滅していた。

統制核、最上位個体の死体を研究した結果、この部位が黒殻種群体の行動統制を行っている。破壊すべき対象。

周囲には護衛群。

中型個体が十数。

さらに天井付近に、小型群が張り付いている。

リアナが静かに息を吐いた。

「……多いわね」

「想定より二割増しです」

セラの声が震えていた。

探知情報が頭へ流れ込み続けている。

敵の動き。

群れの巡回。

振動。

残響。

多すぎる。

頭痛が酷い。

それでも彼女は目を閉じたまま続ける。

「でも……動き、重なってます」

「重なってる?」

「はい。統制核の周期に合わせて……護衛の巡回が少しだけ偏る」

セラは壁へ指を当てた。

「二十秒後。右側の護衛密度が下がります」

ユートが頷く。

「そこを抜く」

短い確認。

全員が理解する。

もう説明はいらない。

二十秒。

長い。

誰も動かない。

ただ瘴気の中で息を殺す。

巨大な最上位個体が、低く唸った。

空気が震える。

その瞬間。

「今ッ!」

セラの叫び。

同時にユートが飛び出した。

床を蹴る。

瓦礫を踏み砕き、一気に護衛群へ突っ込む。

最初の中型個体が反応する。

触手が唸りを上げて迫った。

ユートは前へ出る。

避けない。

剣を横から叩き込む。

衝撃が甲殻内部へ走る。

触手の付け根が内側から砕け散った。

そのまま回転。

返す刃で脚関節を斬る。

甲殻の継ぎ目が裂け、体液が噴き出した。

だが止まらない。

左右からさらに三体。

壁面から小型群が降ってくる。

「左、来ます!」

セラ。

後衛が一斉射撃。

火花。

肉片。

しかし数が多い。

一体が撃ち漏らされる。

小型個体が隊員へ飛びかかった。

その瞬間。

リアナが踏み込む。

白い影が一閃した。

淡紫色の刃が、小型個体の中心を正確に貫く。

内部から紫光が爆ぜた。

小型個体の身体が音もなく崩れる。

さらに二歩。

中型個体の懐へ。

敵が前腕を振り下ろす。

リアナは最小限だけ身体をずらす。

紙一重。

砕けた床片が頬を掠める。

そのまま甲殻の継ぎ目へ刃を滑り込ませた。

魔力が流れ込む。

次の瞬間。

巨体の内部が焼け裂けた。

紫色の亀裂が全身へ走る。

内側から弾け飛ぶように甲殻が砕け散った。

しかし。

その直後だった。

最上位個体が動く。

巨大な脚が床を叩く。

衝撃。

地下駅全体が震えた。

鉄骨が軋む。

天井から瓦礫が落下する。

「来るぞ!」

ユートが叫ぶ。

護衛群が一斉に動き始めた。

守護本能。

最上位個体を守るため、群れ全体がこちらへ殺到する。

黒い波。

数が違う。

小型群が床を埋め尽くし、中型個体が壁を砕きながら突進してくる。

隊員たちが迎撃する。

銃撃。

炸裂。

悲鳴。

だが押し切れない。

ユートが最前線へ出た。

剣を振るう。

一体。

二体。

三体。

甲殻を砕くたび、腕へ衝撃が返る。

拘束帯の下で、何かが軋む。

肺が焼ける。

視界が滲む。

それでも止まれない。

止まれば、後ろが死ぬ。

中型個体が突進する。

ユートは真正面から踏み込んだ。

肩がぶつかる。

骨が軋む。

だが押し返す。

剣をねじ込み、高周波を流し込む。

甲殻が悲鳴のような音を立てた。

内部崩壊。

黒い破片が弾け飛ぶ。

その直後。

別方向から触手が飛来。

避けきれない。

棘が脇腹を裂いた。

血が散る。

だがユートは止まらなかった。

逆に前へ出る。

触手を腕で受け、そのまま距離を詰める。

剣を深く突き立てた。

中型個体が崩れ落ちる。

しかし。

息が、浅い。

拘束帯の内側で、熱い液体が広がっていく。

リアナが視線を向ける。

分かる。

ユートの負荷が、急激に限界へ近づいている。

 

黒い波が押し寄せる。

あらゆる場所を黒殻種が埋め尽くしている。

その中心で、ユートは剣を振るい続けていた。

呼吸は乱れ、拘束帯の下では熱を持った血が広がり続けている。

それでも足を止めない。

前へ。

ただ前へ。

最上位個体へ続く道を切り開く。

「右から大型反応!」

セラの声。

次の瞬間、瓦礫の山が吹き飛んだ。

六メートル級の上位個体。

厚い甲殻をまとった巨体が、鉄骨を踏み砕きながら突進してくる。

中型個体とは比較にならない圧力。

前腕の殻だけで人間を押し潰せる。

ユートは退かなかった。

真正面から踏み込む。

地面が砕ける。

上位個体の前腕が振り下ろされた。

轟音。

空気が裂ける。

ユートは半歩だけ身体をずらした。

完全には避けない。

肩を掠める。

鈍い音。

骨が軋む。

だがその瞬間には、もう剣を叩き込んでいた。

甲殻の継ぎ目。

振動が内部へ流れ込む。

亀裂。

だが浅い。

硬すぎる。

上位個体が咆哮した。

触手が背後から広がる。

棘付きの黒槍が一斉に襲いかかった。

避け切れない。

その瞬間。

紫光が閃いた。

リアナだった。

白い戦装束を翻し、ユートの横へ滑り込む。

刃が踊る。

静かな軌道。

だが圧倒的に速い。

触手が次々と断ち切られていく。

遅れて内部から紫色の光が爆ぜた。

焼ける。

砕ける。

黒い肉片が空中へ散る。

リアナは止まらない。

そのまま上位個体の懐へ踏み込む。

甲殻の隙間。

淡紫色の刃が深く沈み込む。

巨体の内部から紫光が噴き上がった。

上位個体の胸部が内側から崩壊する。

だが、ユートに負荷が流れ込むのを感じる。

リアナは反射的に振り返る。

ユートが膝をついていた。

呼吸が乱れている。

拘束帯の隙間から血が滲んでいた。

「……っ」

リアナの表情が変わる。

最上位個体は目前だった。

あと少し。

だが。

このまま続ければ、ユートが壊れる。

セラが叫ぶ。

「統制核、露出します!二十秒後!」

最上位個体が脚を持ち上げる。

巨大な甲殻の内側。

腹部深く。

紫黒色の核が、脈打つように露出し始める。

好機だった。

本来なら。

ユートが道を開き。

リアナが核を破壊する。

それで終わる。

だが。

ユートが立てない。

リアナは一瞬だけ迷った。

ほんの一瞬。

その迷いが、選択を変えた。

リアナが先に飛び出す。

セラが息を呑む。

早すぎる。

核の位置がまだ安定していない。

だがリアナは止まらない。

瓦礫を蹴る。

群れの中央へ突っ込む。

小型群が飛びかかる。

刃が閃く。

紫光。

肉片。

さらに前へ。

最上位個体が反応する。

巨大な脚が振り下ろされた。

轟音。

床が陥没する。

リアナは崩れる足場を蹴り、強引に接近した。

そして。

刃を突き立てる。

圧縮された魔力が流れ込む。

紫色の光が最上位個体の内部を駆け抜けた。

甲殻全体に亀裂が走る。

巨体が絶叫する。

だが。

浅い。

核を完全に破壊出来ていない。

最上位個体が暴れた。

瘴気が爆発する。

衝撃波。

リアナの身体が吹き飛ばされる。

「リアナ!」

ユートが無理矢理立ち上がった。

血を吐きながら前へ出る。

剣を支えに走る。

崩落する瓦礫の中を突っ切り、リアナを抱えるように引き寄せた。

直後。

最上位個体の脚が二人のいた場所を粉砕する。

石片が雨のように降り注いだ。

「撤退!」

ユートが怒鳴る。

「核は半壊してる!群れは崩れる!」

実際、異変は起きていた。

護衛群の動きが乱れ始めている。

統制が不安定化している。

完全撃破ではない。

だが効果は出ていた。

「西通路確保します!」

後衛隊員が叫ぶ。

銃撃。

爆炎。

崩落。

リアナ隊は崩れ始めた群れを突破しながら撤退を開始した。

最後尾。

ユートが振り返る。

最上位個体はまだ生きている。

だが動きは鈍い。

護衛群も統制を失い始めていた。

――失敗ではない。

だが、成功でもない。

 

撤退後。

廃墟化した待機区画。

薄暗い部屋の中で、リアナは壁にもたれて座っていた。

白い戦装束の肩口が裂け、血が滲んでいる。

ユートは少し離れた場所で拘束帯を巻き直していた。

布地が赤黒く染まっている。

沈黙。

誰も喋らない。

やがて。

リアナが小さく口を開いた。

「……選び間違えた」

声は掠れていた。

「あなたを優先して……核を外した」

ユートは手を止めた。

しばらく何も言わない。

そして。

静かに顔を上げた。

「違う」

リアナが視線を向ける。

ユートは疲れ切った顔のまま、それでも穏やかに言った。

「次の選び方が増えた」

「……え?」

「無理に完全撃破を狙わなくても、統制を崩せる可能性が分かった」

セラが顔を上げる。

ユートは続けた。

「それに……黒殻種の動きも読め始めてる」

セラの解析。

リアナの早期突入。

半壊状態でも起きた群体崩壊。

全部が残る。

失敗では終わらない。

次へ繋がる。

リアナは黙ったまま俯いた。

今、ユートが感じている痛みがわかる。

それでも。

以前より少しだけ。

その痛みの意味が変わった気がした。

壊れるだけじゃない。

積み重なっている。

傷も。

失敗も。

選択も。

全部。

 

 

リアナ隊に与えられた待機室は、以前は補給倉庫だった場所を無理やり改装しただけの狭い部屋だった。

壁には亀裂が走り、天井の配管からは時折水滴が落ちる。

休息用としては最低限。

だが今のアルティアでは、それでも十分に恵まれていた。

リアナは机に広げられた戦域図を見つめていた。

赤い印が増えている。

崩壊区域。

放棄区域。

避難遅延区域。

どれも、この数週間で増えたものだ。

「……広がってるわね」

小さく呟く。

返事はない。

部屋の隅では、セラが大量の記録紙と格闘していた。

机どころか床まで資料が広がっている。

「静かね」

「喋る余裕ないです」

セラは顔も上げずに言った。

細い指が、記録紙へ次々と印を書き込んでいく。

「今、崩壊後の群体挙動まとめてるので」

「休みなさい」

「休んだら忘れます」

即答だった。

リアナは少しだけ眉を寄せる。

セラの目には、また薄く隈ができていた。

最近ずっとこうだ。

戦闘が終わるたび、彼女は観測結果を整理し続けている。

死者数。

移動経路。

最上位個体の反応。

崩壊後の群れの散開傾向。

まるで、自分を止めるのが怖いみたいに。

「……セラ」

「はい」

「無理してるでしょ」

その瞬間だけ、ペン先が止まった。

短い沈黙。

それからセラは、小さく笑った。

「してますよ」

あまりにも普通に言うから、リアナは言葉を失う。

セラはようやく顔を上げた。

「でも、今止まる方が怖いんです」

「怖い?」

「見えてたのに、間に合わなかったのが」

その声は静かだった。

叫びでも泣き声でもない。

だから余計に重かった。

「避難部隊の崩壊も」

「第三防衛線の圧殺も」

「南区画の撤退遅延も」

「全部、少し前には見えてたんです」

セラは視線を資料へ戻す。

「でも今なら」

「少しだけ早く読める」

「少しだけズレが分かる」

「なら、やるしかないじゃないですか」

リアナは返せなかった。

それは、自分たち全員に共通する感覚だったからだ。

完璧には救えない。

間に合わない。

それでも、少しだけマシになるなら止まれない。

扉が開く。

ユートだった。

包帯を巻き直したばかりなのか、首元に新しい固定布が見える。

「まだやってたのか」

「そっちこそ」

「寝ろって言われた」

「で?」

「断った」

セラが呆れた顔をする。

「死にますよ、そのうち」

「その前に戦線が死ぬ」

「笑えないです」

「俺も笑う気はない」

ユートは壁際に腰を下ろした。

その動作だけで、僅かに顔が歪む。

痛みは隠せていない。

リアナには特に分かった。

繋がっているからだ。

身体の奥に残る鈍い感覚が、微かに流れてくる。

以前なら、ユートはもっと隠した。

壊れても黙って立っている人間だった。

でも今は違う。

隠さない。

無理もしないわけじゃない。

ただ、自分一人で完結させなくなった。

「……次の出現予測」

セラが資料を一枚引き抜く。

「北西側瘴気域です」

「最上位個体出現率、高め」

「移動周期、今までより短い」

「……来るわね」

リアナが呟く。

ユートは頷いた。

「たぶん大規模だ」

空気が少し変わる。

部屋が静かになる。

皆、分かっていた。

次が大きい。

今までとは比べ物にならない規模になる。

沈黙の中。

不意に、セラが小さく言った。

「でも」

「前より、生き残ってます」

リアナとユートが同時に見る。

セラは資料をめくる。

「避難成功率、上がってるんです」

「防衛線維持時間も」

「崩壊後の二次被害も減ってる」

紙の上の数字。

誤差みたいな差だ。

本当に小さい。

けれど確かに減っている。

「……だから」

セラは言う。

「たぶん、無駄じゃないです」

その言葉に、リアナはゆっくり目を閉じた。

救えていない命の方が多い。

選ばれなかった人間もいる。

今でも夜になると、撤退時の叫び声を思い出す。

それでも。

それだけじゃない。

少しずつ変わっている。

理解が。

選び方が。

世界への対処が。

「リアナ」

ユートがこちらを見る。

「次も行けるか」

確認だった。

命令じゃない。

以前なら、彼は何も聞かず前へ出ていた。

でも今は違う。

一緒に選ぼうとしている。

リアナは数秒だけ黙る。

それから頷いた。

「行くわ」

即答だった。

怖くないわけじゃない。

迷わないわけでもない。

でも止まれない。

止まらない。

セラが小さく息を吐いた。

「じゃあ私、予測更新します。次はもう少し当てます。」

「全部じゃなくていい」

リアナは言う。

「少しでいいの。少しずつ、更新していけばいい」

その言葉を聞いて、セラがほんの少しだけ笑った。

外では警鐘が鳴っている。

みんな傷だらけだ。

戦争も終わらない。

それでも、この小さな部屋の中では確かに、次へ進む準備が始まっていた。

 

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