ブラック企業で過労死した俺、今世はイリヤに転生しました。なお魔法少女業務は聞いてません。   作:健全な中に隠れた性癖

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第13話 黒い私は、私を知っていた

 

 

 鏡は見ない。

 

 今日は、絶対に見ない。

 

 これは逃げじゃない。

 

 戦略的撤退である。

 

 ……いや、うん。逃げかもしれない。

 

 でも、怖いものは怖いんだから仕方ない。

 

 昨日の夜、鏡の中の私は笑った。

 

 私は笑っていないのに。

 

 同じ顔をした誰かが、私じゃない目でこちらを見て、声も出さずに口を動かした。

 

 返して。

 

 その言葉が、まだ耳の奥に残っている。

 

 だから今日は鏡を見ない。

 

 見ないことで心の安全を守る。

 

 うん。

 

 これも立派な安全管理だ。

 

「イリヤさん、髪が少し跳ねていますよ」

 

 机の上から、ルビーが言った。

 

「今日は鏡を見ない方針なので」

 

「現実確認をしない選択ですね」

 

「言い方!」

 

「しかし、寝癖は現実です」

 

「現実って厳しい……」

 

 仕方なく、私は手ぐしで髪を整えた。

 

 鏡は見ない。

 

 リボンの位置が少しずれている気がするけれど、今日は多少の乱れを許容する。

 

 完璧を求めると人は壊れる。

 

 前世で学んだ。

 

 たぶん髪型にも適用していいはずだ。

 

「ルビー」

 

「はい?」

 

「昨日のこと、何か言うことある?」

 

 ルビーは一瞬だけ黙った。

 

 その沈黙が、やっぱり嫌だった。

 

 いつものルビーなら、何でもかんでも軽口に変える。

 

 なのに、最近は黙る。

 

 黙るルビーほど怖いものはない。

 

「イリヤさん」

 

「うん」

 

「今は、いつも通り過ごしましょう」

 

「それ、何も解決してない時の大人の言い方だよね?」

 

「では、いつも通り過ごしながら警戒しましょう」

 

「悪化した!」

 

 私はため息をついてランドセルを背負った。

 

 いつも通り。

 

 その言葉が、今日は妙に遠かった。

 

 学校に着いて、最初に違和感が出たのは、提出物だった。

 

 先生に出すプリント。

 

 名前欄。

 

 そこに鉛筆を置いて、私は止まった。

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 

 自分の名前。

 

 長い。

 

 とても長い。

 

 前世の社内システムなら、文字数制限に引っかかりそうな名前。

 

 でも、もう慣れているはずだった。

 

 なのに、最初の一文字を書く前に、指が止まった。

 

 イリヤ。

 

 それは私の名前だ。

 

 そのはずだ。

 

 でも、頭の奥で誰かが小さく笑った気がした。

 

 本当に?

 

 そんなふうに。

 

「イリヤ」

 

 声がして、私ははっと顔を上げた。

 

 美遊が隣に立っていた。

 

 静かな顔。

 

 でも目は、私の手元を見ている。

 

「名前を書く手が止まった」

 

「観察力が探偵なんだけど……」

 

「探偵?」

 

「あ、ううん。気にしないで。ちょっと寝不足なだけ」

 

「嘘ではないけど、全部ではない」

 

「美遊さん、核心に近い……」

 

 美遊は首を傾げず、ただ私を見る。

 

 いつもよりもまっすぐに。

 

「話せる?」

 

 その問い方が優しかった。

 

 急かさない。

 

 責めない。

 

 ただ、扉の前で待っているみたいな声だった。

 

 私はプリントの名前欄に視線を戻す。

 

「まだ、うまく言葉にならない」

 

「なら、待つ」

 

 短い答え。

 

 私は少しだけ笑った。

 

「それ、前に私が言ったやつだ」

 

「うん」

 

「使い方、合ってる」

 

「よかった」

 

 美遊の表情が、ほんの少しだけ緩む。

 

 私は今度こそ名前を書いた。

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 

 ちゃんと書けた。

 

 自分の名前を自分で書いただけなのに、少しだけ勝った気がした。

 

 その日一日、私は鏡を見ないようにした。

 

 教室の窓に映る自分も見ない。

 

 水道の前でも、蛇口の銀色を見ない。

 

 給食のスプーンに映る顔も見ない。

 

 そこまでくると、もはや小学生というより挙動不審者である。

 

 でも仕方ない。

 

 自分の顔に警戒する日が来るなんて思わないじゃん。

 

 人生、何があるか分からない。

 

 いや、転生して魔法少女になってる時点で、だいぶ分からないことだらけだけど。

 

 放課後。

 

 夕暮れの帰り道を、美遊と一緒に歩いた。

 

 空が赤い。

 

 昨日までなら、綺麗だと思えたかもしれない。

 

 けれど今は、その赤が少しだけ怖い。

 

 アーチャーの剣の丘みたいな赤ではない。

 

 もっと近い赤。

 

 血ではない。

 

 炎でもない。

 

 でも、私の内側に触れてくるような赤だった。

 

 ルビーは私の鞄の中で静かだった。

 

 サファイアさんも、美遊のそばで警戒するように浮いている。

 

「……静かだね」

 

 私が言うと、ルビーが小さく揺れた。

 

「たまには静かな淑女も良いかと」

 

「ルビーが淑女を名乗ると、言葉の方が困るんだけど」

 

「ひどい!」

 

 少しだけ、いつもの声が戻る。

 

 でも、その直後。

 

 ルビーの光が強くなった。

 

「イリヤさん、止まってください」

 

 ふざけた声ではなかった。

 

 私は足を止める。

 

 美遊も同時に止まった。

 

「前方に魔力反応」

 

 サファイアさんの声が静かに響く。

 

「ですが、クラスカードとは異なります」

 

「敵?」

 

 美遊が短く聞く。

 

「不明です」

 

「不明が一番怖いんだけど……」

 

 私は鞄の中のルビーに手を伸ばした。

 

 夕暮れの住宅街。

 

 人通りは少ない。

 

 電線が赤い空を切っている。

 

 家々の影が長く伸びている。

 

 その中で、塀の上に誰かが座っていた。

 

 小さな少女。

 

 こちらを見下ろしている。

 

 足を組み、片手を塀につき、余裕のある笑みを浮かべている。

 

 風が吹く。

 

 その髪が揺れた。

 

 私は息を止めた。

 

 私がいた。

 

 いや、違う。

 

 私じゃない。

 

 でも、私と同じ顔をした誰かが、夕焼けの中で笑っていた。

 

 肌の色が違う。

 

 髪の色が違う。

 

 目つきが違う。

 

 雰囲気がまるで違う。

 

 けれど、顔は私だった。

 

 鏡の中で笑った、あの顔だった。

 

「……鏡の中の」

 

 私の声が、かすれた。

 

 少女は楽しそうに目を細める。

 

「あら。ちゃんと見えてたんだ」

 

 その声も、私に似ていた。

 

 似ているのに、違う。

 

 同じ楽器で別の曲を弾いているみたいな声。

 

 少女は塀から軽やかに降りた。

 

 着地の音はほとんどない。

 

 その動きだけで、普通の子どもではないと分かる。

 

 いや、そもそも普通の子どもが私と同じ顔で塀の上に座ってるわけない。

 

「やっと見つけた」

 

 少女は言った。

 

 私はルビーを握る手に力を込める。

 

「あなたは……誰?」

 

 少女は答えない。

 

 ただ、一歩ずつ近づいてくる。

 

 夕焼けの赤が、その目の奥で揺れていた。

 

「返して」

 

 夢と同じ言葉だった。

 

 喉の奥が冷たくなる。

 

「何を?」

 

 少女が笑った。

 

 でも、その笑みには怒りが混ざっていた。

 

「分かってないんだ」

 

「分かんないよ」

 

「いいわね。何も知らないって、楽で」

 

 その言い方に、胸が痛んだ。

 

 私は何も知らない。

 

 それは事実だ。

 

 でも、それを責められている。

 

 知らないこと自体が罪みたいに、彼女は私を見ている。

 

「私、あなたに何かした?」

 

「したわよ」

 

「何を?」

 

「全部」

 

 全部。

 

 その一言が、私の胸を冷たくした。

 

 全部って何。

 

 私はこの子を知らない。

 

 この子が誰なのかも、何を返してほしいのかも、何を奪われたと思っているのかも分からない。

 

 なのに、全部と言われた。

 

 私の知らないところで、私が何かをしていたみたいに。

 

 私の存在そのものが、誰かのものを奪っていたみたいに。

 

 美遊が、私の横へ出た。

 

 前ではない。

 

 横。

 

 でも、私を守れる位置。

 

「イリヤを責めるなら、理由を言って」

 

 少女の視線が、美遊へ移る。

 

 その瞬間、空気が少し変わった。

 

「あなた、美遊ね」

 

 美遊の表情がわずかに動く。

 

「私を知っている?」

 

「知ってるわ。少なくとも、あなたは私を知らないみたいだけど」

 

「……」

 

 少女は少しだけ口元を歪めた。

 

「あなた、そっち側なんだ」

 

「そっち側って何?」

 

 私が聞く。

 

 少女は私を見る。

 

「奪った側」

 

 その言葉が、夕暮れの空気に重く落ちた。

 

 美遊の手が、ほんの少しだけ動く。

 

 私は美遊の顔を見る。

 

 美遊は静かだった。

 

 けれど、その静けさはいつもの無表情とは違っていた。

 

 何かに触れられたような、そんな沈黙。

 

「美遊は関係ないでしょ」

 

 私は言った。

 

 少女が笑う。

 

「本当にそう思う?」

 

「少なくとも、今ここで美遊を責める理由はないよ」

 

「じゃあ、あなたなら理由があるって分かってるの?」

 

「分からない。だから聞いてるの」

 

 少女の笑みが少し薄くなる。

 

 それでも、彼女は止まらない。

 

「分からない。知らない。聞いてない。あなたって、本当に便利ね」

 

 胸が痛む。

 

 でも、私は逃げなかった。

 

 逃げたら、たぶんもっと怖くなる。

 

「名前は?」

 

 私は聞いた。

 

 少女は少し意外そうにした。

 

「この状況でそれを聞くの?」

 

「誰か分からないまま責められるの、正直しんどいんだけど」

 

「ふうん」

 

 少女は肩をすくめた。

 

「クロ。今は、それでいいわ」

 

「クロ……」

 

 その名前を口にした瞬間、ルビーが小さく震えた。

 

 私はそれに気づいた。

 

「ルビー?」

 

「……」

 

 ルビーは答えない。

 

 クロはその沈黙を見て、楽しそうに笑った。

 

「あなたも、まだ黙ってるんだ」

 

 ルビーは何も言えなかった。

 

 その沈黙が、私の不安をさらに強くする。

 

 クロは右手を開いた。

 

 そこに、光が集まる。

 

 赤黒い魔力。

 

 そして、双剣が現れた。

 

 白と黒。

 

 曲線を描く二振りの剣。

 

 私は息を呑んだ。

 

 赤い影の双剣。

 

 アーチャーカードの残響。

 

 それと同じ気配が、クロの手の中にあった。

 

「まさか……」

 

 ルビーが呟いた。

 

「まさかって何!?」

 

 私は聞く。

 

 けれど、クロが動く方が早かった。

 

「イリヤ!」

 

 美遊の声。

 

 私はルビーを構える。

 

 変身の光が私を包む。

 

 視界が一瞬だけ白く染まる。

 

 次に見えた時、クロは目の前にいた。

 

 速い。

 

 でも、ただ速いだけじゃない。

 

 アーチャーの影と同じ。

 

 こちらの反応を見て、次の手を変えてくる。

 

 双剣が振るわれる。

 

 私は結界を張る。

 

 衝撃。

 

 腕がしびれる。

 

「いきなり襲ってくるの、説明不足にもほどがあるんだけど!」

 

「説明してあげる義理があると思う?」

 

「あるでしょ! 関係者っぽいんだから!」

 

「関係者?」

 

 クロの目が細くなる。

 

「そうね。あなたよりは、よっぽど」

 

 言葉が刺さる。

 

 私は反応が遅れた。

 

 そこへ、クロの剣がもう一度迫る。

 

 美遊の射撃が割り込んだ。

 

 青い光がクロの足元を弾く。

 

 クロは軽く後ろへ跳び、塀の上に着地した。

 

「へえ。ちゃんと守るんだ」

 

 クロが美遊を見る。

 

「イリヤを傷つけるなら、止める」

 

「即答?」

 

「うん」

 

「ずいぶん好かれてるのね、イリヤ」

 

 美遊が静かに言う。

 

「好き」

 

「今ここで即答しないで!?」

 

 思わず叫んだ。

 

 こんな状況で何を言っているんだ私は。

 

 いや、何を言っているんだ美遊。

 

 クロは一瞬だけきょとんとしたあと、少し面白そうに笑った。

 

「ふうん。そういう感じなんだ」

 

「どういう感じ!?」

 

「別に。仲がよくて羨ましいわねって話」

 

 その声には、羨ましいだけではないものが混ざっていた。

 

 皮肉。

 

 怒り。

 

 寂しさ。

 

 たぶん、そういうもの。

 

 クロが再び手を開く。

 

 今度は剣が増えた。

 

 空中に短剣のような影が並ぶ。

 

 投影。

 

 そういう言葉が頭に浮かぶ。

 

 アーチャーの力。

 

 クロはそれを使っている。

 

「サファイア」

 

「はい、美遊様」

 

 美遊が前へ出る。

 

 いや、前ではない。

 

 私の横から、半歩だけ前。

 

 守るための位置。

 

 捨て身ではない。

 

 ちゃんと戻ってこられる距離。

 

 それに気づいて、胸の奥が少しだけ温かくなった。

 

 でも、今はそれを喜んでいる余裕はない。

 

 クロの剣が降る。

 

 私は結界を張り、美遊が撃ち落とす。

 

 クロはその間を縫うように近づき、双剣で切り込んでくる。

 

 その動きは軽い。

 

 でも、軽すぎる。

 

 まるで自分の体重すら信用していないみたいな動き。

 

 アーチャーの影とは違う。

 

 だけど、根っこが同じだ。

 

 自分を武器として扱う動き。

 

「弱いのね」

 

 クロが言った。

 

「いきなり知らない自分に襲われて冷静でいられるほど、人生経験豊富じゃないよ!」

 

「知らない?」

 

 クロの目が、すっと冷える。

 

「本当に?」

 

 私は一瞬止まった。

 

 その一瞬を、クロは逃さない。

 

 足元に入り込まれる。

 

 双剣が交差する。

 

 美遊の射撃が割り込み、クロの剣を弾いた。

 

「私は、あなたを知ってる」

 

 クロが言う。

 

「私は知らない」

 

「でしょうね。それが腹立つのよ」

 

 何かが胸の奥で軋む。

 

 知らないこと。

 

 覚えていないこと。

 

 それが、クロを傷つけている。

 

 でも、どうしようもない。

 

 知らないものは知らない。

 

 思い出せと言われても、思い出せない。

 

 返せと言われても、何を返せばいいか分からない。

 

「そこにあるでしょ」

 

 クロの視線が、私の胸元へ落ちた。

 

 私は反射的に身を引く。

 

 ルビーが強く光った。

 

「イリヤさん、胸の中心を守ってください!」

 

「物理的に怖い警告!」

 

「魔術的な意味です!」

 

「どっちにしても怖いよ!」

 

 クロが笑う。

 

「そこにあるのよ」

 

「何が!」

 

「私のもの」

 

 その瞬間、胸の奥が熱くなった。

 

 昨日の鏡。

 

 夢の声。

 

 返して。

 

 同じ感覚。

 

 私の中に、何かがある。

 

 クロがそれを見ている。

 

 私には見えないものを、クロは知っている。

 

 怖い。

 

 怖いけれど。

 

 それ以上に、怒りが湧いた。

 

「分からないよ!」

 

 私は叫んだ。

 

 クロの動きが止まる。

 

 美遊も、ルビーも、一瞬こちらを見る。

 

「私は何も知らない。あなたが誰かも、何を返してほしいのかも、何を奪ったのかも分からない」

 

 声が震えている。

 

 でも止めなかった。

 

「でも、分からないまま責められても、どうすればいいか分からないよ!」

 

 クロの表情が、ほんの少しだけ変わった。

 

 笑みが消える。

 

 怒りだけでもない。

 

 悲しみだけでもない。

 

 もっと複雑な顔。

 

「だから、言ってよ」

 

 私は一歩前へ出た。

 

「返してほしいなら、何を返せばいいのか言って」

 

 クロは黙っていた。

 

 夕暮れの赤が、彼女の横顔を染める。

 

 同じ顔。

 

 違う色。

 

 知らない私。

 

 私を知っている誰か。

 

 クロは、やがて小さく笑った。

 

 さっきよりもずっと冷たい笑みだった。

 

「言ったら、返してくれるの?」

 

「返せるものなら」

 

「じゃあ」

 

 クロは私をまっすぐ見た。

 

「あなたの居場所を返して」

 

 息が止まった。

 

 居場所。

 

 家。

 

 学校。

 

 お兄ちゃん。

 

 セラ。

 

 リズ。

 

 友達。

 

 美遊。

 

 今の私が持っているもの。

 

 私が普通に生きてきた場所。

 

 それを返せ、とクロは言った。

 

「それは……」

 

 返せない。

 

 そう言いかけて、言葉が詰まった。

 

 返せない。

 

 だって、それは私の場所だから。

 

 でも。

 

 もし、それが最初から誰かのものでもあったとしたら。

 

 私が知らないだけで、誰かがそこから閉め出されていたのだとしたら。

 

 クロは私の沈黙を見て、笑った。

 

「ほら。返せないじゃない」

 

「……」

 

「だから、奪い返すの」

 

 クロが双剣を下ろした。

 

 戦う構えを解く。

 

 けれど、警戒は消えない。

 

 美遊が一歩前へ出る。

 

「逃げるの?」

 

「準備不足なのはそっちでしょ?」

 

 クロは軽く塀の上へ跳んだ。

 

 その動きは、やっぱり私ではできないものだった。

 

「今日はここまで」

 

「待って!」

 

 私は叫ぶ。

 

 クロは振り返った。

 

「また来るわ、イリヤ」

 

 その声は、私の名前をよく知っている声だった。

 

「次は、ちゃんと返してもらうから」

 

 クロの視線がルビーへ移る。

 

「あなたも、まだ黙ってるんだ」

 

 ルビーは動かない。

 

「ひどいステッキ」

 

 その言葉に、ルビーは何も返せなかった。

 

 クロは夕焼けの中へ消えた。

 

 残されたのは、重い沈黙だけだった。

 

 変身が解ける。

 

 足から力が抜けそうになる。

 

 美遊が支えてくれた。

 

 私は息を整えながら、ルビーを見る。

 

「ルビー」

 

「……はい」

 

「あの子のこと、知ってるんだね」

 

 ルビーは否定しなかった。

 

 否定できなかったのだと思う。

 

 サファイアさんも、黙っている。

 

「話して」

 

 自分の声が思ったより硬かった。

 

 ルビーは少しだけ揺れた。

 

「……私からは、まだ全てを話せません」

 

「また“まだ”?」

 

「ですが、危険です」

 

「それはもう見れば分かる」

 

「アイリスフィール様に、連絡を取るべきかもしれません」

 

 ママの名前が出た瞬間、胸が小さく跳ねた。

 

 ママ。

 

 アイリスフィール。

 

 ルビーがその名前を出すということは、これはもうただのカードの残響ではない。

 

 私の家に。

 

 私の過去に。

 

 私という存在そのものに関わる話だ。

 

「……ママは知ってるの?」

 

 ルビーは答えなかった。

 

 その沈黙だけで、十分だった。

 

 帰宅後。

 

 私は鏡を見なかった。

 

 見られなかった。

 

 部屋の窓ガラスに、夜の自分がうっすら映る。

 

 銀色の髪。

 

 赤い瞳。

 

 そこに、さっきのクロの顔が重なる気がした。

 

 同じ顔。

 

 違う目。

 

 あの子は、私を知らない誰かじゃない。

 

 私を知っていた。

 

 私よりも、私のことを知っているみたいな目をしていた。

 

 それが、何より怖かった。

 

 返して。

 

 その声が、まだ耳に残っている。

 

 私は、何を持っているのだろう。

 

 私は、誰から何を奪って生きてきたのだろう。

 

 窓ガラスに映った私は、何も答えてくれなかった。

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