ブラック企業で過労死した俺、今世はイリヤに転生しました。なお魔法少女業務は聞いてません。   作:健全な中に隠れた性癖

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第2話 怪しいステッキには近づくな

# 第2話 怪しいステッキには近づくな

 

 翌朝。

 

 私はいつも通り、目覚まし時計に起こされ、セラに正論で追撃され、リズにぼんやりと観察されながら布団を出た。

 

 顔を洗う。

 

 制服に着替える。

 

 髪を整える。

 

 階段を降りる。

 

 台所からは、いつものように朝ごはんの匂いがしていた。

 

 完璧だ。

 

 今日も衛宮家は平和である。

 

 空飛ぶステッキなど存在しない。

 

 昨日のあれは気のせい。

 

 幻覚。

 

 目の疲れ。

 

 もしくは、冬木市特有の何か。

 

 前世でも、限界が近い時はコピー機の音が上司の声に聞こえたことがある。

 

 だから幻覚くらい珍しくない。

 

 いや、珍しくない時点で前世がだいぶ終わっている。

 

「イリヤ、昨日ちゃんと寝たか?」

 

 お兄ちゃんが味噌汁をよそいながら聞いてきた。

 

 私は席につき、きっぱりとうなずく。

 

「寝た。健全な睡眠時間を確保しました」

 

「健全な睡眠時間?」

 

「人類が守るべき最低ラインだよ」

 

「そ、そうか」

 

 お兄ちゃんはよく分かっていない顔をしながらも、私の前に味噌汁を置いてくれた。

 

 いい人だ。

 

 やはり保護者力が高い。

 

 こういう人が自然に自分を後回しにしていくのだと思うと、油断ならない。

 

 私は箸を持ちながら、心の中で今日の確認をする。

 

 睡眠よし。

 

 朝食よし。

 

 宿題よし。

 

 体調よし。

 

 怪しい契約なし。

 

 空飛ぶステッキなし。

 

 よし。

 

 今日も平和。

 

 今日も健全。

 

 昨日のピンク色の何かなんて、存在しない。

 

「どうした、イリヤ。難しい顔して」

 

「人生の安全管理について考えてた」

 

「朝から?」

 

「安全管理は朝から大事だから」

 

 お兄ちゃんは少し困ったように笑った。

 

 私はその笑顔を見ながら、味噌汁を飲む。

 

 温かい。

 

 美味しい。

 

 この生活を守りたい。

 

 そのためにも、怪しいものには近づかない。

 

 危険な話には首を突っ込まない。

 

 契約という単語を軽率に使う存在からは距離を取る。

 

 それが健全な人生の基本である。

 

「いってきます」

 

「いってらっしゃい、イリヤ」

 

 玄関でお兄ちゃんに見送られ、私は家を出た。

 

 いつもの通学路。

 

 いつもの朝。

 

 いつもの友達。

 

 よし。

 

 どこにもピンク色のステッキはいない。

 

「イリヤー!」

 

 龍子の声が背後から飛んできた。

 

 振り返ると、龍子が大きく手を振りながら走ってくる。美々、那奈亀、雀花も一緒だ。

 

「おはよう、龍子」

 

「おはよー! ねえ聞いてよ、昨日変な夢見た!」

 

 ぴくり、と私の頬が動いた。

 

 変な夢。

 

 その単語は今、あまり聞きたくない。

 

「……ちなみに、どんな?」

 

「なんかね、空飛ぶ変な棒が出てきた!」

 

「その話、今はやめよう」

 

「え、なんで?」

 

「現実になったら困るから」

 

「夢だよ?」

 

「夢で済む世界ならよかったんだけどね……」

 

 龍子は不思議そうに首を傾げた。

 

 私は空を見上げる。

 

 何も飛んでいない。

 

 大丈夫。

 

 たぶん大丈夫。

 

「イリヤちゃん、何か悩みごと?」

 

 美々が心配そうに顔を覗き込んできた。

 

 近い。

 

 小学生女子の距離感、今日も強い。

 

「悩みというか、未然に防ぎたい事故というか」

 

「事故?」

 

「怪しい契約には近づかない運動」

 

「なにそれ」

 

 雀花が笑う。

 

 普通なら笑い話で済む。

 

 でも私にとって契約という単語は重い。

 

 前世では、雇用契約という名のもとに労働力を吸われた。

 

 今世では、絶対に怪しい契約に引っかからない。

 

 そう決めている。

 

 授業が始まってからも、私は少しだけ警戒していた。

 

 先生がプリントを配る。

 

 私は受け取る。

 

 内容を見る。

 

 ただの算数プリント。

 

 署名欄なし。

 

 契約条項なし。

 

 違約金なし。

 

 よし、問題ない。

 

 ……いや、小学生がプリントを見るたびに契約内容を確認しているのは、我ながらどうかと思う。

 

 でも仕方ない。

 

 前世の傷は深い。

 

 休み時間。

 

 龍子が昨日の夢の続きを話そうとして、私は全力で話題を変えた。

 

 給食。

 

 野菜を残そうとする龍子に注意しながら、私は空飛ぶステッキのことを頭から追い出した。

 

 放課後。

 

 私は寄り道をせずに帰宅した。

 

 健全生活。

 

 安全第一。

 

 不審物には近づかない。

 

 それが今日の目標だった。

 

「ただいま」

 

「おかえり、イリヤ」

 

 玄関でお兄ちゃんの声が返ってくる。

 

 この瞬間だけで、心が少しほぐれる。

 

 家だ。

 

 安全地帯だ。

 

 前世のアパートは、帰っても仕事の通知が追いかけてくる場所だった。

 

 でもここは違う。

 

 おかえりと言ってくれる人がいる。

 

 温かいご飯がある。

 

 宿題を終えれば、あとは自分の時間だ。

 

「何か手伝うことあるか?」

 

 宿題を出していると、お兄ちゃんが声をかけてきた。

 

 私は首を横に振る。

 

「今日は自分の業務範囲内で完結させます」

 

「宿題を業務って言うなよ」

 

「持ち帰り作業だから、実質業務」

 

「違うと思うぞ」

 

「前世基準ではだいたい合ってる」

 

「ぜんせ?」

 

「こっちの話」

 

 お兄ちゃんはまた少し困った顔をした。

 

 いけない。

 

 前世語りが漏れた。

 

 私は咳払いをして、ノートに向き直る。

 

 宿題をする。

 

 夕食を食べる。

 

 お風呂に入る。

 

 今日も健全。

 

 何も起きない。

 

 何も起きないのが一番だ。

 

 平和とは、イベントが発生しないことである。

 

 夜。

 

 自室に戻った私は、念のため部屋を確認した。

 

 窓。

 

 よし。

 

 カーテン。

 

 よし。

 

 机。

 

 よし。

 

 ベッド。

 

 よし。

 

 怪しいステッキ。

 

 なし。

 

 契約書。

 

 なし。

 

 異常なし。

 

「よし」

 

 私はベッドに腰かけた。

 

 完全勝利である。

 

 昨日の何かは見間違いだった。

 

 そう結論づけて、私は深く息を吐く。

 

 その瞬間。

 

 コン、コン。

 

 窓が鳴った。

 

「……」

 

 私は固まった。

 

 夜。

 

 自室。

 

 窓。

 

 外からのノック。

 

 普通に怖い。

 

 ホラーなら絶対に開けてはいけない場面である。

 

 私はゆっくりとカーテンの方を見た。

 

 もう一度。

 

 コン、コン。

 

「……気のせい」

 

 コン、コン、コン。

 

「気のせいにしては自己主張が強い……」

 

 私は息を殺して、カーテンに近づく。

 

 開けたくない。

 

 でも、無視し続けるのも怖い。

 

 窓の外に不審者がいるなら、それはそれで対応しなければならない。

 

 ただし、相手が人間とは限らない。

 

 ここは冬木市だ。

 

 幻覚より現実の方が悪質な可能性がある。

 

 私は意を決して、カーテンを少しだけ開けた。

 

 そこにいた。

 

 ピンク色。

 

 星の飾り。

 

 細長い棒。

 

 そして、やたらと表情豊かな謎の顔。

 

「こんばんは、運命の少女!」

 

 私は無言でカーテンを閉めた。

 

「閉店です」

 

「ちょっ、待ってください! 感動の出会いですよ!?」

 

 窓の向こうから、妙に明るい声が聞こえる。

 

 私はカーテンを押さえたまま答えた。

 

「夜に窓から現れる喋るステッキとの出会いに、感動要素はありません」

 

「ひどい!」

 

「ひどいのはそっちの訪問方法です」

 

「せめて窓を開けてください!」

 

「不審物を室内に入れる趣味はありません」

 

「不審物ではありません! 愛と正義のマジカルステッキです!」

 

「自称が長い不審物は、だいたい危険」

 

「ぐうっ、なんて手強い少女……!」

 

 何だこれ。

 

 何なんだこれは。

 

 喋る。

 

 飛ぶ。

 

 テンションが高い。

 

 夜に窓から入ろうとする。

 

 初対面で運命とか言う。

 

 怪しさの役満だった。

 

 私は少し考えた。

 

 無視して寝るべきか。

 

 お兄ちゃんを呼ぶべきか。

 

 セラを呼ぶべきか。

 

 いや、セラを呼んだらこのステッキは物理的に処分されるかもしれない。

 

 それはそれで解決かもしれない。

 

 そんなことを考えていると、窓が勝手にかたかた震えた。

 

「では失礼して!」

 

「待っ――」

 

 鍵が開いた。

 

 窓の隙間から、ピンク色のステッキがするりと室内へ入ってくる。

 

「侵入した!」

 

「お邪魔します!」

 

「お邪魔しますじゃない! 不法侵入!」

 

 私は後ずさった。

 

 ステッキは部屋の中をふわふわと飛び、やたら得意げにくるりと回った。

 

「改めまして! 私は愛と正義のマジカルステッキ、マジカルルビーです!」

 

「まず所属と責任者を明示してください」

 

「はい?」

 

「誰の指示で来たの? 業務内容は? 契約期間は? 報酬は? 危険手当は? 解約条件は? あと個人情報の取り扱いは?」

 

「魔法少女の勧誘でそんな質問されることあります!?」

 

「まともな契約なら聞かれて困らないはず」

 

「夢がないですねぇ!」

 

「契約に夢を混ぜるな。事故るから」

 

 ルビーと名乗ったステッキは、少しだけ空中で沈黙した。

 

 まさか、魔法少女候補に契約条件を詰められるとは思っていなかったのだろう。

 

 甘い。

 

 前世で散々学んだ。

 

 契約という言葉は、気軽に受け入れてはいけない。

 

 特に、相手がやけに明るい時ほど危険である。

 

「こほん。では、順を追って説明しましょう」

 

「お願いします」

 

「イリヤさん、あなたには素晴らしい才能があります!」

 

「才能」

 

「そう! 選ばれし少女なのです!」

 

「選ばれた」

 

「そして私と契約して魔法少女になれば、愛と正義のために戦うことができます!」

 

「契約して魔法少女」

 

「はい!」

 

「その言い方、別作品でもだいぶ危険なやつだからやめて」

 

「ジャンルを跨いだ風評被害!」

 

 ルビーが空中で震える。

 

 私は腕を組んだ。

 

「だいたい、愛と正義のために戦うって何?」

 

「悪い敵を倒したり、危険なカードを集めたり、世界を守ったりですね!」

 

「未経験歓迎、アットホームな職場、やりがいあり、世界を救う仕事」

 

「急に求人広告みたいにまとめないでください」

 

「完全に危ない案件じゃない」

 

「魔法少女ですよ? 可愛い衣装ですよ? 空も飛べますよ?」

 

「未成年に夜間労働させる気満々じゃない」

 

「夜間労働!?」

 

「危険業務でしょ?」

 

「多少は」

 

「多少って言った」

 

 私はじっとルビーを見た。

 

 ルビーはすっと視線を逸らした。

 

 ステッキなのに視線を逸らすな。

 

 表情豊かすぎるだろう。

 

「とにかく無理です。帰ってください」

 

「ええっ!? まだ説明の途中ですよ!?」

 

「説明の前に契約を迫る時点でアウト」

 

「ですがイリヤさんには適性があるんです!」

 

「適性がある人に仕事が集中するやつだ」

 

「世知辛い!」

 

「こちらは前世で一度死んでるので」

 

「え?」

 

「こっちの話」

 

 危ない。

 

 今、かなり素で言った。

 

 私は咳払いをする。

 

「とにかく、契約しません」

 

「そんな! イリヤさん、魔法少女になりたくないんですか!?」

 

「なりたくないというより、業務内容が不透明すぎる」

 

「業務ではなく使命です!」

 

「使命って言葉で労働条件を曖昧にしないで」

 

「強い……! この子、夢と希望への耐性が高い……!」

 

 ルビーが妙に感心したように揺れる。

 

 やめろ。

 

 感心するな。

 

 帰れ。

 

 私はドアの方をちらりと見る。

 

 お兄ちゃんを呼ぶべきか。

 

 いや、呼ぶと余計に話が大きくなるかもしれない。

 

 それでも保護者への報告は必要だ。

 

 未成年が怪しいステッキに契約を迫られているのだから、家庭内共有は当然である。

 

「とりあえず、お兄ちゃんを呼びます」

 

「それは困ります!」

 

「困るようなことをしている自覚はあるんだ」

 

「違います! 魔術的な事情がですね!」

 

「出た。説明より先に事情で押すタイプ」

 

 その時、ルビーが私の周りをくるりと回った。

 

 体の奥が、ぞわりと熱くなる。

 

 何かが反応した。

 

 胸の奥。

 

 血の中。

 

 自分でも意識していなかった場所に、光が灯るような感覚。

 

「やっぱり素晴らしい適性です! これはもう運命!」

 

「本人の同意を取ってから運命を名乗って!」

 

「では契約開始です!」

 

「待って! 契約書! 保護者の同意! クーリングオフ!」

 

「細かいことは変身してから考えましょう!」

 

「一番駄目な進め方!」

 

 光が弾けた。

 

 視界が白く染まる。

 

 体が軽くなる。

 

 足元がふわりと浮く。

 

 服が、何か別のものに変わっていく感覚。

 

 待って。

 

 待って待って待って。

 

 本人の意思確認は?

 

 説明責任は?

 

 安全管理は?

 

 そう叫ぼうとした時には、すでに光は収まっていた。

 

 私は部屋の真ん中に立っていた。

 

 白とピンクを基調にした、ひらひらした衣装。

 

 手にはルビー。

 

 鏡に映る自分は、悔しいくらい魔法少女だった。

 

「どうです? 可憐でしょう!」

 

「……」

 

「イリヤさん?」

 

「可愛い」

 

「でしょう!」

 

「それは認める」

 

「では!」

 

「でも、これで夜の街に出るのは話が別」

 

「そこですか!?」

 

 そこです。

 

 重要です。

 

 可愛い。

 

 それは認める。

 

 似合っている。

 

 それも認める。

 

 だが、衣装の可愛さと業務内容の安全性は別問題である。

 

 前世の会社にも制服はあった。

 

 でも、ここまで攻めたデザインではなかった。

 

 いや、会社の制服がこれだったら即辞めている。

 

 たぶん。

 

 いや、前世の私は辞める判断すらできなかったから怪しい。

 

 だからこそ、今世では断る力を大事にしたい。

 

「契約解除を希望します」

 

「早い!」

 

「説明不足、同意不十分、保護者未承認。解除理由としては十分だと思う」

 

「魔法少女にそんな法律相談みたいな返答をする子、初めてです!」

 

「初めてなら学んで」

 

「では初任務に行きましょう!」

 

「話を聞いて」

 

 ルビーは聞かなかった。

 

 ひどい。

 

 まったく聞かなかった。

 

「さあ、夜の空へ飛び立ちましょう!」

 

「飛び立たない」

 

「え?」

 

「今日はもう寝る時間です」

 

「魔法少女が寝る時間を気にします!?」

 

「睡眠を軽視する組織に未来はない」

 

「名言っぽい!」

 

「名言じゃなくて実体験」

 

 私は窓から距離を取る。

 

 しかし、ルビーはやたら楽しそうに私の手元で光った。

 

「大丈夫です! 魔法少女ですから!」

 

「大丈夫の根拠が職種名!」

 

「愛と勇気があれば何とかなります!」

 

「説明が精神論に寄りすぎ!」

 

「魔法少女ですから!」

 

「前世のブラック企業もそう言ってた!」

 

 その瞬間。

 

 外から別の声がした。

 

「ルビー! あんた、こんなところにいたのね!」

 

 窓の外。

 

 屋根の上。

 

 そこに、ツインテールの少女がいた。

 

 いや、少女というには少し年上か。

 

 赤い服。

 

 強気な目。

 

 前世知識が、遠坂凛という名前をそっと差し出してくる。

 

 さらに別方向から、優雅な声。

 

「サファイアだけでなく、ルビーまで勝手をするとは……本当に困ったステッキですわね」

 

 金髪の少女。

 

 縦ロール。

 

 いかにもお嬢様。

 

 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。

 

 増えた。

 

 関係者っぽい人が増えた。

 

 しかも二人とも、夜に小学生の部屋の近くへ現れるタイプの大人だった。

 

 いや、大人と言うには若いけど。

 

 どちらにしろ、だいぶアウトでは?

 

「遠坂凛! そもそもあなたがルビーを制御できていないからこうなったのではなくて?」

 

「はあ!? あんただってサファイアに逃げられたでしょうが!」

 

「わたくしのサファイアは品位ある選択をしただけですわ」

 

「どこがよ!」

 

 いきなり喧嘩が始まった。

 

 私は変身姿のまま、静かにそれを見た。

 

 責任者らしき人間が現れた。

 

 安心感は増えなかった。

 

 むしろ減った。

 

「責任者が責任の所在で揉めている……」

 

「イリヤさん、よくあることです!」

 

「よくあってたまるか」

 

 私は深呼吸した。

 

 このままでは話が進まない。

 

 非常に嫌だが、現場整理をするしかない。

 

 前世で何度も見た。

 

 責任者が揉め、現場が混乱し、結局誰かが議事進行をする羽目になる光景。

 

 まさか今世、小学生になってまでやるとは思わなかった。

 

「はい、全員ストップ」

 

 私が声を上げると、凛さんとルヴィアさんが同時にこちらを見た。

 

「え?」

 

「何ですの?」

 

「まず、あなたたちは誰ですか。次に、このステッキの責任者は誰ですか。最後に、私は今すぐ契約解除できますか」

 

 沈黙。

 

 凛さんが気まずそうに視線を逸らした。

 

 ルヴィアさんは扇子を広げた。

 

 ルビーは楽しそうに揺れている。

 

 駄目だ。

 

 この現場、駄目だ。

 

「ちょっと待って。説明するから」

 

 凛さんが咳払いをした。

 

「説明は契約前にするものです」

 

「うっ」

 

「正論ですわね」

 

「ルヴィア、あんたは黙ってて!」

 

「お二人とも、まず喧嘩をやめてから説明してください」

 

 二人が同時に黙った。

 

 なぜ私が仕切っているのか。

 

 小学生なのに。

 

 魔法少女にされたばかりなのに。

 

 納得いかない。

 

 それから、凛さんは簡単に説明してくれた。

 

 冬木市に現れたクラスカード。

 

 危険な魔力反応。

 

 回収任務。

 

 本来、ルビーとサファイアは凛さんとルヴィアさんが使うはずだったこと。

 

 けれど、ステッキたちは勝手に契約者を選んだこと。

 

 私は話を聞きながら、頭を抱えたくなった。

 

「つまり、危険なカードを回収する必要がある」

 

「そうよ」

 

「本来はあなたたちがやるはずだった」

 

「まあ、そうね」

 

「でもステッキが勝手に私を選んだ」

 

「そうなるわね」

 

「そして私は小学生」

 

「……そうね」

 

「小学生に任せる内容ではないですね」

 

 凛さんが黙った。

 

 ルヴィアさんが扇子の向こうで微笑む。

 

「ですが、適性がある以上、仕方ありませんわ」

 

「適性がある人に仕事が集中するやつだ」

 

「その例えやめて」

 

「前世で見た」

 

「前世?」

 

「こっちの話です」

 

 私はじっと二人を見る。

 

 魔術師。

 

 前世知識では、なかなか倫理観が独特な人種である。

 

 そして今、目の前の二人は、危険な任務に小学生を巻き込む説明をしている。

 

 これはもう、かなり独特だ。

 

「とりあえず、お兄ちゃんを呼びます」

 

「待ちなさい!」

 

 凛さんが慌てた。

 

「魔術関連を一般人に話すわけにはいかないの!」

 

「未成年を危険業務に巻き込んでおいて、保護者への説明を拒否するんですか?」

 

「ぐっ」

 

「大人としてどうなんですか」

 

「遠坂凛、言われていますわよ」

 

「あんたも同罪だから!」

 

 私は心の中で結論を出した。

 

 魔術師。

 

 コンプライアンス意識が低い。

 

 かなり低い。

 

 低すぎて地面に埋まっている。

 

「とにかく、今すぐ危険なことはしません。今日はもう寝る時間です」

 

「いや、それがね」

 

 凛さんが気まずそうに空を見た。

 

 ルヴィアさんも表情を引き締める。

 

 ルビーが私の手元で光った。

 

「近くにカード反応です!」

 

「え」

 

「ちょうどいいですね、イリヤさん! 初任務です!」

 

「ちょうどよくない!」

 

 体がふわりと浮いた。

 

「待って待って待って!」

 

「大丈夫です! 魔法少女ですから!」

 

「また根拠が職種名!」

 

 窓が開く。

 

 夜風が入る。

 

 次の瞬間、私は部屋の外へ飛び出していた。

 

「うわあああああ!?」

 

 浮いている。

 

 飛んでいる。

 

 私、飛んでいる。

 

 前世では出世すらできなかったのに、今世では物理的に飛んでいる。

 

 そういう飛躍は求めていない。

 

「ルビー! 下ろして! というか安全帯! ヘルメット! 高所作業の教育!」

 

「魔法少女にヘルメットは似合いませんよ!」

 

「安全性より見た目を優先するな!」

 

 冬木の夜景が眼下に広がる。

 

 街灯の光。

 

 家々の明かり。

 

 遠くに見える川。

 

 夜風は冷たくて、少しだけ気持ちいい。

 

 悔しいけれど、綺麗だった。

 

 空から見る街は、見慣れた冬木市とはまるで違う。

 

 胸の奥が、ほんの少しだけ高鳴る。

 

 でも、それはそれ。

 

 綺麗な景色と危険業務は別問題である。

 

 凛さんとルヴィアさんも後を追ってきた。

 

 私は半泣きでルビーにしがみつく。

 

「研修は!?」

 

「実戦が一番の研修です!」

 

「前世で一番聞きたくなかった言葉!」

 

 その時、遠くで青い光が瞬いた。

 

 私は思わずそちらを見る。

 

 夜の街。

 

 ビルの上。

 

 そこに、もう一人いた。

 

 青い光を纏った、小さな女の子。

 

 私と同じくらいの年頃。

 

 けれど、その子は私とは違って、少しも慌てていなかった。

 

 騒がない。

 

 逃げない。

 

 泣きそうにもならない。

 

 まるで、危険な場所に立つことを最初から受け入れているみたいに。

 

 それが、妙に嫌だった。

 

「……誰?」

 

「あちらはサファイアさんの新しい契約者ですね!」

 

 ルビーが明るく言う。

 

 私は青い少女から目を離せなかった。

 

 綺麗な子だ。

 

 静かな子だ。

 

 でも、なんだろう。

 

 あの目。

 

 前世で見たことがある。

 

 大丈夫です、と言いながら、大丈夫じゃない人の目だ。

 

 こうして私は、魔法少女業務初日の夜に、契約詐欺と危険業務と、やけに静かな女の子に出会うことになった。

 

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