ブラック企業で過労死した俺、今世はイリヤに転生しました。なお魔法少女業務は聞いてません。   作:健全な中に隠れた性癖

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第8話 セイバーカード再戦と、燃える記憶

 

 

 怖い。

 

 その気持ちは、なくならなかった。

 

 会議をしても。

 

 作戦を立てても。

 

 撤退基準を決めても。

 

 怖いものは怖い。

 

 鏡面界の空気は、前回と同じように重かった。

 

 音のない冬木市。

 

 人の気配が消えた街。

 

 そして、その奥に立つ青い騎士の影。

 

 手には見えない剣。

 

 ただ立っているだけなのに、こちらの呼吸が浅くなる。

 

 それでも、前回とは違う。

 

 今の私たちには、作戦がある。

 

 逃げる基準も決めた。

 

 無理をしないと確認した。

 

 怖いと口に出した。

 

 それは、前世の私にはできなかったことだ。

 

 怖いと言えないまま。

 

 無理だと言えないまま。

 

 大丈夫じゃないのに、大丈夫ですと笑って。

 

 そのまま、壊れた。

 

 だから、今は違う。

 

 怖いなら、怖いと言う。

 

 危ないなら、下がる。

 

 無理なら、止める。

 

 それが健全な現場というものだ。

 

 たぶん。

 

「イリヤ」

 

 隣から、美遊の声がした。

 

「うん」

 

「横にいる」

 

 美遊は、私のすぐ隣に立っていた。

 

 前ではない。

 

 後ろでもない。

 

 横。

 

 それが、なんだかとても心強かった。

 

「うん。横にいて」

 

「前には出すぎない」

 

「偉い。すごく偉い」

 

「偉い」

 

 美遊は小さく繰り返した。

 

 表情はいつも通り静かだけれど、ほんの少しだけ嬉しそうに見える。

 

 最近、私は美遊のそういう微妙な変化が分かるようになってきた。

 

 これは健全な友情理解である。

 

 断じて、変な方向ではない。

 

 たぶん。

 

「前回より慎重にいくわよ!」

 

 後方から凛さんの声が飛ぶ。

 

「慎重という言葉、初めて聞けて嬉しいです!」

 

「いちいち刺さるわね、あんた!」

 

「遠坂凛の日頃の行いですわ」

 

 ルヴィアさんが優雅に言う。

 

 私はすかさず振り返った。

 

「喧嘩禁止事項、継続中です」

 

「……失礼」

 

 ルヴィアさんが扇子を下ろす。

 

 凛さんも黙る。

 

 よし。

 

 会議の効果が出ている。

 

 魔法少女業務にも、やはり議事録と禁止事項は必要だ。

 

「では、作戦通りに」

 

 サファイアさんが静かに告げる。

 

「姉さん。今回は精神論を控えてください」

 

「サファイアちゃん!? 開始前から釘を刺されました!」

 

「前科がありますので」

 

「前科という言葉が重い!」

 

 ルビーが震える。

 

 私は少しだけ笑いそうになった。

 

 こういうやり取りがあるだけで、息がしやすくなる。

 

 でも、目の前のセイバーの影は待ってくれない。

 

 影が、剣を構えた。

 

 見えない剣。

 

 空気だけが歪む。

 

 私は息を吸い込む。

 

「来る」

 

 セイバーの影が踏み込んだ。

 

 前回なら、ただ怖がるだけだった。

 

 けれど今回は、地面を見た。

 

 風の流れを見た。

 

 空気の歪みを見た。

 

 見えないものでも、完全に分からないわけじゃない。

 

 隠し条項だって、書類の端に小さく書いてあることがある。

 

 いや、戦闘中に何を考えているんだ私は。

 

「右から来る!」

 

「分かった」

 

 美遊が短く答える。

 

 私は防御結界を斜めに展開した。

 

 見えない剣が、結界の表面を削る。

 

 ぎり、と嫌な音が響く。

 

 腕に衝撃が走る。

 

 でも、受け止めるのではなく、逸らす。

 

 防御は壁。

 

 でも、真正面から受けるだけが壁じゃない。

 

 角度をつければ、流せる。

 

 前世の会議もこうやって流せたらよかったのに。

 

「美遊!」

 

「うん」

 

 美遊の魔力弾が、セイバーの影の足元に撃ち込まれる。

 

 影が一瞬だけ体勢を崩す。

 

 そこへ、凛さんとルヴィアさんの拘束術式が走った。

 

 赤い光と金の光が、影の足元を縛る。

 

「第一拘束、成功!」

 

 凛さんが叫ぶ。

 

「今ですわ!」

 

 ルヴィアさんの声。

 

「イリヤさん、気合いで――」

 

「精神論禁止!」

 

「では、狙って撃ってください!」

 

「最初からそれで!」

 

 私は魔力弾を撃った。

 

 前回よりは、ちゃんと狙えた。

 

 美遊の射撃とほぼ同時に、光がセイバーの影にぶつかる。

 

 影が揺らぐ。

 

 けれど、崩れない。

 

 むしろ、奥の魔力が膨れ上がる。

 

「やっぱり硬いわね!」

 

 凛さんが歯噛みする。

 

「最優クラス、職務遂行能力が高すぎる!」

 

「戦闘中に何の例えですの!?」

 

「強すぎる相手を見ると、つい前世の優秀な上司を思い出すんです!」

 

「その情報、今必要!?」

 

「こっちの話です!」

 

 拘束術式が、ぎしぎしと音を立てる。

 

 セイバーの影が力を込めた。

 

 見えない剣を握る腕が、ゆっくりと持ち上がる。

 

 その瞬間、空気が変わった。

 

 前回と同じ。

 

 魔力が集まっていく。

 

 重く。

 

 鋭く。

 

 逃げ場を奪うように。

 

「大技、来ます!」

 

 サファイアさんの声。

 

「撤退!」

 

 私は叫んだ。

 

 同時に、凛さんも声を上げる。

 

「全員、下がりなさい!」

 

 美遊が一瞬、前に出かけた。

 

 ほんの一瞬。

 

 でも、私はそれを見逃さなかった。

 

 手を伸ばして、美遊の手を掴む。

 

「一緒に下がる!」

 

 美遊は私を見る。

 

 少しだけ迷ったあと、頷いた。

 

「……うん」

 

 私たちは後ろへ飛んだ。

 

 凛さんとルヴィアさんも術式を解除して距離を取る。

 

 それでも、セイバーの影の一撃は予想より広かった。

 

 見えない剣が振るわれる。

 

 空間が裂ける。

 

 斬撃の余波が、私たちへ迫る。

 

「イリヤさん、防御角、右へ三十度!」

 

 サファイアさんの指示。

 

「ルビー!」

 

「魔力出力、上げます!」

 

「事前申告ありがとう!」

 

「学びました!」

 

「えらい!」

 

「褒められた!」

 

 ルビーが嬉しそうに光る。

 

 私は結界の角度を変えた。

 

 真正面から受けない。

 

 逸らす。

 

 流す。

 

 生き残る。

 

 斬撃の余波が結界に触れた。

 

 重い。

 

 腕が軋む。

 

 でも、耐える。

 

 耐え――。

 

 その瞬間、また視界が変わった。

 

 炎。

 

 燃える冬木。

 

 空を覆う黒い泥。

 

 白い女の姿。

 

 アイリスフィール。

 

 そう呼ぶ声。

 

 背中を向けた男。

 

 切嗣。

 

 金色の王が笑っている。

 

 その笑いは、耳元ではなく、記憶の底から響いてくる。

 

 青い騎士が叫んでいる。

 

 何かを訴えている。

 

 けれど、言葉は届かない。

 

 命令だけが落ちてくる。

 

 ――壊せ。

 

 違う。

 

 これは私の記憶じゃない。

 

 なのに、痛い。

 

 胸が焼ける。

 

 守りたかった。

 

 届かなかった。

 

 理解されなかった。

 

 そんな感情が、私の中に流れ込んでくる。

 

 やめて。

 

 知らない。

 

 私は知らない。

 

 でも、知っている。

 

 知っている気がする。

 

 青い騎士が剣を握る。

 

 その横顔が、泣いているように見えた。

 

「イリヤ」

 

 遠くで声がする。

 

 美遊の声だ。

 

「イリヤ」

 

 手が握られる。

 

 冷たい手。

 

 小さな手。

 

 けれど、確かに今ここにある手。

 

「一人で見ないで」

 

 その言葉で、私は息を吸った。

 

 炎が遠ざかる。

 

 泥が薄れる。

 

 金色の笑い声が、夜の奥へ沈んでいく。

 

「……美遊」

 

「戻った?」

 

「うん。戻った。ありがとう」

 

「よかった」

 

 美遊の声が、少しだけ柔らかかった。

 

 さっきまでの炎より、美遊の手の冷たさの方が、ずっと現実だった。

 

 それが、ありがたかった。

 

「イリヤ、何か分かったの!?」

 

 凛さんの声が飛ぶ。

 

 私はセイバーの影を見る。

 

 青い影。

 

 見えない剣。

 

 壊せという命令。

 

 あれは、ただ暴れているんじゃない。

 

「たぶん、あの影……自分の意思で暴れてるんじゃない」

 

「どういうこと?」

 

「命令されてる。壊せって」

 

 口に出した瞬間、胸の奥が痛んだ。

 

 壊せ。

 

 壊せ。

 

 壊せ。

 

 その命令だけが、あの影の中で繰り返されている。

 

 それは敵だ。

 

 危険だ。

 

 倒さなければ、私たちが危ない。

 

 でも。

 

 ただの化け物として見ていいものではない気がした。

 

「カードの自律防衛、あるいは記録の暴走……?」

 

 ルヴィアさんが険しい顔をする。

 

「分からない。でも、真正面から押し返すだけじゃ駄目かも」

 

 美遊が私を見る。

 

「なら、どうする?」

 

「止める」

 

 私はルビーを握り直した。

 

「壊すんじゃなくて、止める」

 

 凛さんとルヴィアさんが顔を見合わせる。

 

「核を狙うしかないわね」

 

「ええ。あの影を構成している中心部。クラスカードの核を露出させれば、回収できるはずですわ」

 

「場所は?」

 

 凛さんが目を細める。

 

「胸元……いや、剣を握る手元かも」

 

 ルヴィアさんも術式を展開する。

 

「拘束を重ねます。ですが、長くは持ちませんわ」

 

「近づく必要があるってことですよね?」

 

「そうなるわ」

 

「近づくの危険すぎる」

 

「私が」

 

 美遊が言った。

 

 私は即座に見る。

 

「一人で、はなし」

 

 美遊は少しだけ黙った。

 

 それから、言い直す。

 

「……一緒に?」

 

「うん。一緒に」

 

「分かった」

 

 それだけで、胸が少し熱くなった。

 

 美遊が自分から、一緒に、と言った。

 

 前に出るのではなく。

 

 一人で受けるのではなく。

 

 一緒に。

 

 それだけで、この再戦に意味があった気がした。

 

 セイバーの影が、再び踏み込んでくる。

 

「第二拘束、いくわよ!」

 

 凛さんの魔術が走る。

 

「合わせますわ!」

 

 ルヴィアさんの金の術式が重なる。

 

 影の足元に、赤と金の鎖のような光が絡みついた。

 

 セイバーの影が剣を振るう。

 

 私は結界を展開する。

 

「美遊、右!」

 

「うん」

 

 美遊の射撃が、影の腕を弾く。

 

 見えない剣の軌道がずれる。

 

 地面が裂ける。

 

 でも、私たちはそこにいない。

 

「イリヤさん、魔力供給安定!」

 

「ありがとう、ルビー!」

 

「感謝されました!」

 

「調子に乗らない!」

 

「はい!」

 

 ルビーが素直に返事をした。

 

 成長している。

 

 たぶん。

 

 今は信じる。

 

「美遊様、核反応、剣の根元です」

 

 サファイアさんが告げる。

 

「手元!」

 

 私は叫んだ。

 

 美遊が頷く。

 

 影が拘束を破ろうとする。

 

 青い魔力が膨れ上がる。

 

 時間がない。

 

「美遊、今!」

 

「うん」

 

 私たちは同時に飛び出した。

 

 怖い。

 

 見えない剣が近い。

 

 空気が裂ける音がする。

 

 あと一歩間違えたら、終わる。

 

 美遊が一瞬、私の前に出かけた。

 

 でも、すぐに横に並び直す。

 

 私はそれを見た。

 

 美遊が、前じゃなくて横に来た。

 

 たったそれだけのことが、こんなに嬉しいなんて思わなかった。

 

「一緒に!」

 

「うん!」

 

 私の魔力と、美遊の魔力が重なる。

 

 ルビーが光る。

 

「ルビー!」

 

 サファイアさんが静かに応じる。

 

「サファイア」

 

 二本のステッキの光が、赤と青に輝いた。

 

 私と美遊の魔力弾が、同時にセイバーの影の手元へ叩き込まれる。

 

 影が大きく揺らいだ。

 

 見えない剣の輪郭が、一瞬だけ浮かび上がる。

 

 そこに、小さなカードの核が見えた。

 

「今よ!」

 

 凛さんの叫び。

 

 私は最後の力を込める。

 

「終わって!」

 

 美遊も隣で手を伸ばす。

 

「止まって」

 

 光が弾けた。

 

 セイバーの影が崩れていく。

 

 青い鎧。

 

 見えない剣。

 

 黒く塗りつぶされていた顔。

 

 その輪郭が、一瞬だけはっきりした気がした。

 

 顔は見えない。

 

 表情も分からない。

 

 でも、なぜか悲しそうに見えた。

 

 カードが宙に浮かぶ。

 

 凛さんが素早く手を伸ばし、回収した。

 

「セイバー、回収完了」

 

 静寂が落ちる。

 

 終わった。

 

 勝った。

 

 カードは回収できた。

 

 誰も大きな怪我はしていない。

 

 作戦も機能した。

 

 なら、成功だ。

 

 成功のはずだ。

 

 でも、胸がすっきりしなかった。

 

 影が消える直前、何かが残った気がした。

 

 守りたかった。

 

 でも守れなかった。

 

 理解されたかった。

 

 でも届かなかった。

 

 そんな後悔だけが、最後に触れた。

 

「……ごめん」

 

 気づけば、私はそう呟いていた。

 

 美遊がこちらを見る。

 

「誰に?」

 

「分からない」

 

「そう」

 

 美遊はそれ以上聞かなかった。

 

 ただ、私の手を握った。

 

「一人で見ない」

 

「うん」

 

 私は頷いた。

 

 美遊の手は、やっぱり少し冷たかった。

 

 でも、その冷たさが今はありがたかった。

 

 鏡面界を出ると、現実の音が戻ってきた。

 

 車の音。

 

 風の音。

 

 遠くの人の声。

 

 生きている世界の音。

 

 私は深く息を吐く。

 

「全員生存。大怪我なし。カード回収。撤退基準も守れた」

 

 凛さんがカードを確認しながら頷く。

 

「上出来ね」

 

 ルヴィアさんも珍しく素直に言う。

 

「安全再戦プラン、悪くありませんでしたわ」

 

「地味でしたけどね!」

 

 ルビーが元気に言った。

 

「地味で生き残れるなら最高です」

 

「同意いたします」

 

 サファイアさんが即答した。

 

「サファイアちゃん、本当に地味方面に厳しい!」

 

 美遊が私を見た。

 

「イリヤの会議、役に立った」

 

「ありがとう。でも友達は業務ではありません」

 

「会議は業務?」

 

「それは……業務寄り」

 

「難しい」

 

「難しいね」

 

 少しだけ笑えた。

 

 怖かった。

 

 今も怖い。

 

 でも、こうして笑えるくらいには戻ってきた。

 

 凛さんはセイバーカードを見つめていた。

 

 その表情は険しい。

 

「やっぱり、ただのカード反応じゃないわ」

 

 ルヴィアさんも頷く。

 

「魔力の質に、余計な記録が混ざっているようですわね」

 

「余計な記録」

 

「ええ。残響、とでも言うべきものが」

 

 残響。

 

 前回も聞いた言葉。

 

 記憶の残り香。

 

 誰かの後悔。

 

 どこかの世界の記録。

 

 それがカードに混ざっている。

 

 そう考えると、背筋が冷たくなる。

 

「次から、カードに触れる時はもっと注意した方がいいわね」

 

「次から……」

 

 私は小さく繰り返した。

 

 ルビーが明るい声を出す。

 

「まだカードは残っていますからね!」

 

「継続案件……」

 

 やっぱり魔法少女業務は終わらない。

 

 契約期間の説明がなかった時点で嫌な予感はしていた。

 

 そして、その予感は当たっている。

 

 その時、ルビーとサファイアさんが同時に光った。

 

「あら?」

 

「新たなカード反応です」

 

 凛さんが反応を確認する。

 

 その表情が、少し変わった。

 

「クラスは……アーチャー」

 

 アーチャー。

 

 その名前を聞いた瞬間、なぜかお兄ちゃんの顔が浮かんだ。

 

 優しい笑顔。

 

「俺は大丈夫」と言う声。

 

 自分を数に入れない、あの危うさ。

 

 そして、前世の知識の奥で揺れる赤い外套。

 

 双剣。

 

 正義の味方。

 

 胸の奥が、嫌な音を立てる。

 

 セイバーカードは、燃える記憶を見せた。

 

 なら、次のアーチャーカードは何を見せるのだろう。

 

 私は、その答えを知りたくなかった。

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