中間テストまであと一週間。考えるだけで気分が落ちる朝、直毘は朔と一緒に登校していた。隣を歩く彼女は、昨日言った通り胸潰しを解いて本当にそのままの姿だ。周囲に学生が混じりだすと、彼女がちらちらとこちらを見始める。
「あのさ、腕とか組んだ方がいい?」
「いらん、やめろ」
「手くらい繋いだ方が……」
「俺の心労がマッハだ」
「いや、私も結構心臓すごいんだけど」
朔の顔が少し赤い。こういうときどうするべきか、残念ながら直毘は知らない。いっそどうにでもなれ、と右手を差し出す。目をぱちくりとさせた彼女がおずおずと手を重ねる。彼女の体温は少し冷たかった。
「怖いか?」
「うん、かなり」
「適当にやっとけ。俺がなんとかする」
「直毘は優しいね」
「アホ。あのとき一人にして悪かったよ。もう一人にしない、そう決めた」
朔の歩みが止まる。彼女を見る。震える瞳が、それでも逸らされることなく直毘を射抜いていた。
「親友だから?」
切実な言葉が心臓の鐘を鳴らす。正確な意味は分からなくても、返す言葉だけは明確に決まっていた。
「ちげえよ。お前だからだ。お前以外にこんなことするか」
重なった手に力が籠められる。冷たかったはずが、いまは暖かくなっていた。
朔が足を踏み出す。引っ張られる形で直毘も横に並んだ。周囲の光景が、いまは見えない。ただいまこの瞬間がいつまでも続けばいい、と漠然とした思いが浮かんだ。
「好きだよ、直毘」
「そか」
「あ、信じてないねそれ」
「お前の言葉は正確に受け取ってるつもりだ。あのときもな」
「そか、バレてたんだ」
「俺は恋愛がよく分かってない。だからあれだ、惚れさせにこい。逃げねえから」
「女恐怖症の直毘が手を繋いでくれてるって、期待してもいい?」
「そだな。月読にだって、いまだにアメひとつまともに渡せねえからな。雪那は武士枠だ。お前以外とこれやったら俺は死ぬ」
「ね、いまならあのときの再現、できると思わない?」
「やめろ。そういうのは人のいないところでしてくれ。周りの目を気にしろ。なんでいきなり段階すっ飛ばしてくんだよ」
「うん、人がいないところでする」
朔が少し身体を寄せてくる。肩が触れ合って歩きにくい。ただ、彼女の体温は心地よかった。これがなんなのか、直毘にはまだ難しい。
校門を過ぎると、学生の姿が否応なく増える。当然、向けられる視線も多い。全方位から矢を射られている気分だ。朔がぐっと手に力を入れる。痛い。
ぱたぱたと足音が近づく。クラスの女子がこっちを射程に入れていた。
「やっぱり眞守くんと天照さんって、付き合ってる?」
右の気配がわずかにこわばる。
「ああ、付き合ってる。内緒で頼むな」
悪戯っぽく言って、直毘は口元に左人差し指を添えた。それだけで女子生徒は満足したか、「おめでとー」と言って走り去っていく。
あの女子は明らかに知っている風だった。月読の作戦は見事成功したらしい。お陰でこっちの気力はやすりで削られているが。
「だいじょぶか?」
「いまの直毘、すごかった。もっと好きになった」
「あ、うん、元気そうだな」
一気に朔の状態が理解不能になった。こいつパニくるとこうなるのか。手も震えている。顔を見れば、目から表情が消えている。
腹を括った。
「朔、好きに俺を使え。全方位対処してやる」
「……え?」
「お前、俺の扱いならお手の物だろ。障害が来たら好きに俺を使え、全部合わせる。あのときと同じだ。お前ならできるだろ?」
ぽん、と朔が肩を当ててくる。
「うん、やる。直毘は私の彼氏。私は直毘の彼女。……よし。行くよ、直毘」
「はいよ」
校舎に入り、教室までの廊下をふたりで歩く。増える視線に辟易する。それでも、朔は声を掛けられるたびに花の顔で挨拶を返していた。
手を繋いだまま教室に入る。本当は放したかったが、朔の握力が思いのほか強かった。体力テストしたら負けそうだ。
視線が集中し、明らかなコソコソ噂モードが教室に走っている。それを無視して直毘は進む。なぜか朔も着いてくる。席にどっさり座ると、彼女が机に腰を落とした。え、邪魔なんだけど。
「おい、席戻れ」
小声で告げる直毘に、朔は可憐な笑顔で答える。
「折角付き合えたんだから。もうちょっと一緒がいいな」
教室が色めく。一気に既成事実化しやがった。でもこれが正解か。いちいち聞きに来られるのも面倒だ。
ほら、と朔が唇の動きだけで返事をうながす。どうやって答えんだよこんなの。
「恥ずかしいだろ。時と場所を考えてくれ」
教室のざわめきが色濃くなる。どうやら正解を引いたらしい。外面の用語がうまくハマったな。一年半前の百人組手の経験が生きた。
ぬっ、と左隣に雪那が生えてきた。盆栽かよ。
「直毘、敷地内に入ってから観察していた。外敵は特に見当たらない。万事問題なしだ」
問題大ありだよ。お前なにやってんだよ。
「雪那、おはよ」
花の笑顔を注がれた雪那が、唐突に胸を押さえた。
「むぅ、良い朝だ朔。いかん、眩しい」
「なにがだよ。太陽でも見てんのか?」
「直毘、お前は朔の笑顔をまともに見れるというのか? 見ろ、まるで太陽へ届かんとする向日葵のようだ」
大仰だなこいつ。
直毘、と朔に呼ばれる。視線を合わせた途端、雪那へ向けたものと同じ笑顔が視界に入る。胸がきゅっと絞られた。
「……そだな。あながち間違いじゃないな」
男子生徒が近づいてくる。朔と一緒にいた生徒たちだ。
「天照、もしかして噂って本当?」
朔が首を傾げる。
「うん? どの噂か分からないけど、直毘と付き合ってるって話なら本当だよ」
男子生徒たちの視線が、縋るように直毘に移る。そんな目で見るなよ……。
「朔に告られた。で、付き合ってる」
せめてこれくらいは言ってやらないと割にあわない。
男子生徒たちの肩が落ち、とぼとぼと席に戻っていく。すまんな、朔が悪い。きっと明け透けな態度が男心に効いたんだろう。今度説教しておくから許せ。
「寝坊したーっ! っと、あれ、どったの?」
ポニーテールを振り回してきた月読が席に滑り込んで、周囲を見渡す。
「俺と朔が付き合ってることが、いまそこそこホットなニュースらしい」
「そなんだ。ん? いまなんて?」
役者だな。将来俳優になれるんじゃねえかな。
「俺、朔、付き合う。いま、話題。OK?」
「おっけ、把握! おめでとー、だからお菓子ちょーだい!」
へいへい、とポケットからチョコレートを取り出し、月読の手の上に落とす。
花の笑みが咲く。
「直毘と月読、仲いいんだね」
うぐっ、と雪那と同じように胸を押さえた月読がふるふると首を振った。
「大丈夫! あたし、なおびーの保護者なだけだから! 恋愛感情とかこれっぽっちも、みじんも、ミジンコサイズもないから!」
保護者ならミジンコとか言うなよ……。
あはは、と笑う月読からチャットが届く。「サクたん怖い!」だそうだ。俺はお前の台詞で胸が痛いよ。
予鈴が鳴る。朔が「またね」と手を振りながら席へ戻っていく。久々利はギリギリで教室へ滑り込み、なにも分かっていない顔で席に着いていた。