入学して初めての試験期間が終わった。全三日の日程は長かった。毎日の習慣が良かったか、手ごたえ自体は悪くはなかった。帰り際に月読が机にだらけて死んだ顔をしていたが、たぶん駄目だったのだろう。久々利はなんでもない顔で、クラスに来たバスケ部員に呼ばれて体育館へ向かっていく。雪那はどうしてか不敵な顔を浮かべていた。
「直毘、私の試験は完璧だったと自負している」
「そか」
「であれば、今日は晴れの日だ」
「そう、だな?」
「ならば今日の料理は私が――」
「やめろ。お願いだ。俺はまだ生きていたい」
「分かっている。さすがの私も察した。だから譲歩しよう。まずは雑炊から――」
「米もまともに研げねぇやつがなにがまずはだよ。やり直しだ」
む、と雪那が咳払いする。
「で、ではゆで卵でどうだ」
「駄目だ。爆発の危険がある。目玉焼きなら許す」
「ま、まことだな! では今日は私が目玉焼きを作ろう!」
しゅた、と雪那が荷物を持つと凄まじい速さで教室から消えた。縮地ぃ……。
「直毘、いこっか」
横に来た朔に左手を取られる。沈んだ月読が右手をふらふらと振っていた。
朔に導かれてこの前の公園に行く。同じ場所で、同じようにふたりで座った。今日は拳一個分だけ、距離が離れていた。
「約束、覚えてる?」
「内容は分からんけどな」
「ん、ならいま伝えるよ」
朔の顔を見る。花の笑顔を浮かべた彼女が、少し、ほんの少しだけ、怖がっているように見えた。
「お姉さんに会いにいこっか」
視界が割れた。肩にかけていたカバンが落ちる。震える右手が胸に向かう。天地が裏返った。そう、感じた。
「……なんで、だ?」
朔の両手が上がって、頬が掴まれる。
「一番痛いところ、そこでしょ? 一緒に、痛いの、清算しよ?」
「嫌だ……」
「直毘」
「嫌だ。なんで、やっと、全部片付いた。俺の前からいなくなったんだ。もう、会わなくていいんだ。それなのに……どうして」
「痛いよね。ごめんね。でも、そうしないと、直毘が前を向けないって、この前やっと気づいたんだ」
「頼む。やめてくれ。それだけは……頼むから」
朔の顔が泣きそうに歪んで、それでも目だけは逸らさずに直毘を見つめている。
「直毘、私がいる。ずっといるよ」
「なあ、もう、姉貴だけは……嫌なんだ。朔……」
「直毘にこれ以上つらい思いさせたくないから。もうこれ以上、直毘に我慢してほしくないの」
「なんで姉貴なんだよ……お前のわがまま、他なら全部聞くからさぁ……」
怖くて、寒くて、身体が震えて止まらない。なのに朔の微笑みと手のひらが暖かいから、温度差でおかしくなってしまいそうだ。
「必ず支えるから。一緒に会いにいこう?」
震える右手が空に彷徨う。その手を朔が掴んで、握って、深く絡めた。
「だめ?」
「……怖いんだよ。頭の中から、離れないんだ」
どうしようもなく、身体の芯が寒い。ふり切ったはずなのに、過去はどうしたって着いてくる。ずっと、忘れていたかったのに。
「朔……お前がいれば、もういいんだ」
「嬉しいな」
「他なんて、どうでもいいんだ」
「それはダメ」
大地に叩きつけられた気分だった。
「ごめんね、何度謝っても足りないけど、私しかきっと言えないから。痛いところ、なくしに行こう?」
張り裂けそうに胸が痛い。恐怖で頭が真っ白になる。
ふんわりと暖かさに包まれる。両手を広げた朔に頭を胸に抱かれる。
「もう、直毘をひとりにしないから。私を信じて」
「足が竦んだら……」
「私が引っ張る」
「言葉が出なかったら……」
「背中を優しく撫でてあげる」
「……逃げ場ねえじゃん」
「どうしても怖かったら、いつだって抱きしめるよ」
「たぶん、すっげぇ情けない姿晒すぞ」
「いいよ」
「お前に愛想つかされたら、泣くぞ」
「それは無いから安心して」
「……なら、行く」
強く、強く朔に抱かれる。彼女の身体の体温と柔らかさが、恐怖を少しずつ霧散させていく。
「ごめんね。どうしても、好きだから。こうするしか、浮かばなかったんだ」
「謝るなよ。お前が、考えてくれたってことは分かる。伝わってる」
「うん。でも、いま直毘が痛いのは事実だから」
「少しでいい。今日は、少しだけ長く……一緒に……」
「うん」