そこはまさに地獄だった。
炎があちこちで燻ぶり、瓦礫で砂塵が舞い空気が光を通さず鈍く淀んでいる。
誰かのうめき声が、泣き声が絶えずあちこちから聞こえてくる。
人の欠片もあちらこちらに見える。
そこは生者の鼓動が感じられない、隔絶した世界だった。
2088年、とあるショッピングモールを標的とした魔法師のテロリストによる建物爆破事件。
多数の死傷者、行方不明者を出したその事件の最中で「俺」は地獄を味わっていた。
周りの熱い地獄とは違い、冷たく重い地獄の方であったが。
小柄な少年である「俺」は
なぜなら、この極寒が「俺」の体を凍らせている。そのおかげで出血が抑えられているからだ。
そして、極寒の地獄の中にはもう一人、少女がいた。
火が全く無い極寒の世界はその少女を中心として出来上がっている。
その少女は「俺」の隣に座りながら、顔を手で覆いながらずっと泣いている。
綺麗に梳かれた髪には埃がつき、体を覆う綺麗なワンピースも汚れてはいるが、体に大きな傷はない。
それでもその少女は泣き続けている。体の痛みでは無く、心の痛みで泣いている。
爆発する際に「俺」がその少女を庇ったからだろうか。
眼の前で瓦礫で押しつぶされている「俺」を見て、自分が原因で他人が傷ついたことに心を痛めているのだ。
逆に「俺」はその優しさが嬉しくて、体の寒さとは別に、心は暖かかった。
その泣き続けている少女に向かって、「俺」は動かせる無事な右手を全力で動かし、ゆっくりと確実に少女へ向かって差し出していく。
そして、少女に向かったその右手の人差し指は、泣いている少女の乳房に触れた。
ふにっと柔らかく温かい感触が人差し指から伝わってくる。なんというか意外とあるんだな、なんて感想が頭をよぎる。
その行為に驚いた少女は「俺」の手を払い、自身の胸を両手で庇い身を引きながら驚きの表情で叫んだ。
「なっ……! なにをするんですか!?」
その想定外の行動に驚いたのか、涙の跡は残っていはいるものの、新しい涙は流れてはいない。
弾かれた右手は力を失い地面に落ちた。そして、動かせる右目を少女に向けると「俺」は唇を動かした。
「……ないてるより、そっちのかおのほうがずっといいよ」
「俺」は動かせる部分をなんとか総動員して、作れていないだろう笑顔をなんとか作った。
それで正気を取り戻したのか、少女の雰囲気は一変した。
手で顔に付いた涙の跡を拭いて、本来の凛とした眼を取り戻し、姿勢を正しくしてこちらにキチンを向き合った。
「取り乱してすみません。私がしっかりしないと……」
「きにしなくていいよ」
「俺」はなんとかそう返す。
少女は胸に手を当てて、自己紹介をしてくれた。
「私は……、司波 深雪 <しば みゆき>、と言います」
「おれのなまえは……、なんだっけ……。わすれちゃった……」
その返答に少女、司波 深雪は顔を苦痛で歪めた。
そんな、少女に「俺」は礼を言う。
「ありがとう、このこおりのおかげでちがとまっているみたい」
「そんな事は! ……お待ちください、もう少し上手く調整してみます」
司波 深雪はワンピースのポケットからCAD(術式補助演算機)を取り出した。
「きみはまほうつかいなの?」
「はい、まだ未熟ではありますが」
そう言って、CADを操作して極寒の地獄を操作し始めた。
「俺」だけを氷を対象に取り、その他の氷はその冷たさを緩めていった。
「俺」達の周りに燻っている炎の地獄はまだ続いているが、そこだけは清廉な空気が漂っていた。
「ありがとう」
「いえ、お礼を言うのはこちらの方です。……私を庇って頂きありがとうございます」
腰を折り頭を下げてくる。こんな状況で礼儀正しくできるとは。
司波 深雪が正しい礼節を学び、日頃から自分に厳しくしている事が見て取れた。
司波 深雪は地に落ちた「俺」の右手をその小さな両手で掴み上げ、胸元で優しく握ってくれた。
それに反応して「俺」も握り返す。その手は何よりも暖かった。
救助が来る10分後までずっと、そうしてくれた。
救助が到着し、まずは無傷である司波 深雪が先に救助された。
「俺」の事を最後まで振り返って見ていたが、無事で良かったと思う。助けられてよかった。
その後、「俺」の左半身を覆っていた瓦礫は除去され救助された。
救助された「俺」は市の病院ではなく、近くにあった軍の駐屯地内にある軍病院に入ることになった。
ここが運命の分岐点。
その後、「俺」は記録的にも記憶的にも抹消され、新たな地獄へと突き落とされた。
司波 深雪は、自分を庇って怪我をした人物を探したが見つからなかった。その事が心にトゲとして残り呪いの様に剥がれなくなった。
*
時は流れ、2095年。
国立魔法大学付属第一高校に「二科生」として入学する事になった「俺」こと、世羅 芥 <せら かい>は、校門の前に立ち新たに決意をする。
「今度こそ『日常』ってやつを謳歌してやるぞ!」
そうして、芥は校門をくぐり歩き出した。
これから始まるであろう新しい生活に胸を踊らせながら。
しかし、彼の左腕に当たる部分に厚みは無く、ただ制服の袖が風に揺れているだけだった。
拙作ですが、よろしくお願い致します。