モブは見守りたい【マジエク二次】   作:taisa01

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第三話 原作開始前)その三

 中学生活とは何か。

 それは、制服の袖がいつの間にか短くなり、通学鞄の中で教科書とプリントと食べかけの菓子袋が地層を作り、定期試験の一週間前だけ急に神に祈り始める時期である。

 そして刻乃にとっては、瀧音幸助の補習予定が、当然のように自分の生活表へ食い込んでくる時期でもあった。

 春の教室は、新しい教科書の紙の匂いがした。

 窓を開けると、グラウンドから土の匂いと運動部の声が入ってくる。黒板には前の授業のチョーク跡が白く残り、廊下では一年生らしい生徒が教室番号を見比べながら迷っていた。

 放課後。

 刻乃は自分の机を幸助の前へ向け、数学の問題集を開いた。

 幸助は、机に突っ伏していた。

 

「刻乃」

「何だ」

「俺はもう駄目だ」

「開始三分で死ぬな」

「数学が俺を殺しに来てる」

「問題集は紙だ。殺傷能力は低い」

「精神攻撃だ」

「なら耐性を上げろ」

「耐性ってどうやって」

「解け」

「一番嫌な修行!」

 

 幸助は顔だけを横に向けた。額には、問題を一問も解いていない人間特有の疲労感があった。

 

「ツクヨミ魔法学園、顔パスない?」

「ない」

「名門なら顔も見るだろ」

「見るとしても学力と魔力適性の後だ」

「俺、魔力はすごいだろ?」

「すごい」

「おお」

「ただし制御はひどい」

「落差!」

 

 実際のところ、原作知識のある刻乃は、幸助の血筋で顔パスはさすがに無いが優遇の一つぐらいは受けれる可能性があることを知っている。しかし、今の幸助には関係のないことだ。

 

 

「あと筆記な」

「二段落ち!」

 

 幸助の座学はそれほど悪いわけではない。問題は集中力が続かないのだ。もしテストを最後まで万全の集中力を維持すればも余裕があるぐらいの出来だ。しかし飽きっぽさから、その集中力が続かないのだ。

 

「だから勉強しろ」

「手が動かない」

 

 幸助は、うう、と低く唸った。そしてシャーペンを握る。

 握った。

 握ったまま、動かない。

 

「頭を動かせ」

「刻乃、代わりに解いて」

「友情はある。代筆はない」

「じゃあヒント」

「いいだろう」

「やった」

「まず問題文を読む」

「そこから!?」

「読んでいないだろ」

「ばれてる」

「当たり前だ」

 

 刻乃はため息を吐いた。だが、嫌ではなかった。幸助と馬鹿な会話をしながら勉強する時間は、騒がしく、面倒で、手間がかかる。

 それでも、それは日常だった。

 刻乃にとって、この世界は危険な物語の舞台だ。

 そして、原作知識があるからこそ、先に待つ不幸の一部を知ってしまっている。

 だが、幸助とバカ話をしている間だけ、世界は少しだけ普通に見えた。だから刻乃は、幸助の頭を問題集へ戻す。

 

「次」

「鬼」

「鬼なら角がある」

「刻乃は角がなくても鬼だろ」

「褒め言葉として受け取る」

「受け取るな!」

 

 幸助はようやく一問目に取りかかった。解答欄に、数字が並ぶ。途中式もある。ただし、三行目から明らかに別の問題になっていた。

 

「幸助」

「何だ」

「これはどこから出てきた」

「俺の中の可能性」

「消せ」

「可能性を?」

「誤答を」

「刻乃、夢がない」

「夢で受験は通らない」

「現実が硬い!」

 

 そんな日々だった。

 授業。

 補習。

 訓練。

 宿題。

 補習。

 魔力制御。

 補習。

 

 思いのほか補習が多いが、刻乃の予定表に、幸助関連の文字が増えていく。

 

 なぜこんなに面倒を見るのか、と聞かれれば、答えは単純だ。

 幸助を生かしたい。

 幸助にツクヨミ魔法学園へ行かせたい。

 そして、できれば幸せになってほしい。

 

 友達だからだ。

 

 もちろん本人に言えば調子に乗るので、言わない。

 幸助が「俺、刻乃に愛されてる?」などと聞いてきた時は、全力でぶん殴り朝練を増やすことで対応した。

 

「愛が重い!」

「足を上げろ」

「愛じゃなくて負荷!」

「同じだ」

「違うだろ!」

 

 夜の公園。街灯の下で、幸助は走った。灰色のマフラーを首に巻き、その端を時折揺らしながら、何度も地面を蹴る。マフラーの内側には、いくつもの刻印が眠っている。

 今はまだ、完全な第三の手、第四の手にはならない。

 だが、それでも操作、硬化、属性付与と魔力循環補助はかなり安定してきた。

 

 幸助の魔力量は、相変わらずおかしい。

 巨大。

 過剰。

 雑。

 けれど、少しずつ扱えるようになっている。

 

 刻乃は公園のベンチ前に立ち、右手の持続光の指輪で空中に魔法文字を描いた。淡い光の線が夜気に浮かび、文字になり、術式になっていく。

 幸助が走りながら言う。

 

「刻乃のそれ、やっぱりかっけえよな!」

「前を見ろ」

「見てる!」

「見てない」

 

 幸助はベンチに足を引っかけ、盛大に転んだ。マフラーの端が反射的に動き、地面との衝突を少しだけ和らげる。

 

「痛っ!」

「見てないと言った」

「マフラーが守ってくれた!」

「マフラーは優秀だ」

「俺は?」

「要訓練」

「俺の評価だけ辛い!」

 

 幸助は立ち上がり、膝の土を払った。擦り傷はない。

 

「刻乃ってさ」

「何だ」

「何でもできるよな」

「刻印魔法だけだ」

「だけって言うけど、文字が光って、盾が出て、けが治して、なんか爆発して、札が剣になるじゃん」

「刻印魔法だけだ」

「範囲広くね?」

「工夫だ」

「工夫の範囲が怖い」

 

 刻乃は左手を軽く握る。そこには、四属性と無属性の衝撃刻印を仕込んだ指輪がある。親指と中指を弾けば、火と風を合わせて爆炎魔法に似た火と衝撃を起こすこともできる。

 右手には、盾、拘束、持続光、念動、治癒。

 他に呪符で作った伸縮自在の剣に、各種呪符。

 

 この年齢の学生にしては、明らかに武装が多い。だが、刻乃は足りないと思っている。

 この世界は、原作知識で知るよりも現実として重い。

 モンスターの攻撃は、当然痛みを伴う。

 怪我をすれば、血を流す。

 恐怖は眠れない夜になる。

 だから準備する。

 

 死にたくない。

 死なせたくない。

 

「刻乃」

「何だ」

「努力の方向がちょっと怖い」

「死にたくないからな」

「俺も死にたくない」

「なら走れ。体力と魔力は嘘をつかない」

「会話の流れで走らせるな!」

「死にたくないと言ったのはお前だ」

「言葉の責任が重い!」

 

 幸助は文句を言いながら走った。マフラーが風を受ける。灰色の布の端が、街灯の光に少しだけ輝いた。

 刻乃は、その姿を見ていた。

 馬鹿で、軽くて、うるさい。

 でも、幸助は少しずつ強くなっている。

 

 魔力を身体へ回す感覚。マフラーへ流す感覚。心眼で周囲を拾う感覚。覗き目的で開いた最低由来の索敵能力は、刻乃の矯正によって、どうにか健全な方向へ曲がっていた。

 

「幸助、後ろ」

「お?」

 

 刻乃が小石を投げる。

 幸助は振り向かない。

 代わりに、マフラーの端が少しだけ跳ね、小石を弾いた。

 乾いた音。

 

「おお!」

「今のはよかった」

「褒めた!」

「珍しくな」

「もっと!」

「調子に乗るな」

「戻った!」

 

 幸助は笑う。

 刻乃も少し笑った。

 そういう日常が、積み重なっていく。

 だが刻乃の中には、ずっと一つの予定日があった。

 

 中学二年の終わり。

 瀧音両親の殺害。原作知識にある出来事である。

 幸助の両親が、魔族か邪神教絡みの事件で殺される。幸助が、その惨劇をスマホ越しに知ってしまう。

 原作では背景として語られた不幸。

 だが、現実では背景ではない。

 幸助がいる。

 幸助の父がいる。

 幸助の母がいる。

 夕飯を作る人がいて、洗濯物を畳む人がいて、幸助に「宿題やったの」と聞く人がいる。

 それが消える。

 

 そんなことを、刻乃は許容できなかった。

 だから、準備した。

 中学二年の秋から、刻乃は少しずつ動いた。

 まず、幸助の家へ護符を渡した。

 名目は、碑文家の試作品。

 

 家内安全。

 不審魔力検知。

 簡易防御。

 幸助の母は、柔らかく笑って受け取ってくれた。

 

「刻乃ちゃん、いつも幸助の面倒を見てくれてありがとうね」

「面倒を見ないと死ぬので」

「そこまで?」

「主に成績が」

「そこは否定できないわねえ」

 

 幸助の母は、困ったように笑った。優しい人だった。幸助の軽さは、この人の明るさを少し雑に受け継いだものなのだと思った。

 幸助の父は、護符を手に取って感心した。

 

「これ、刻乃さんが作ったのか?」

「はい。簡易です」

「簡易でこれか。碑文家はすごいな」

「父さん、刻乃の家、だいたい変だぞ」

「幸助、よその家を変と言わない」

「でも刻乃も言ってる」

「自分で言うのと、人が言うのは違う」

「大人の理屈!」

 

 父は笑っていた。

 その笑顔を見て、刻乃は胸の奥が重くなった。

 この人たちを救いたい。

 できるなら、原作の流れごと壊したい。

 

 刻乃は、家の周囲にも目立たない探知符を置いた。

 玄関近くの植木鉢の裏。

 車庫の柱。

 裏手の壁。

 通学路の角。

 邪神教特有の黒い魔力反応や、攻撃術式の揺れを拾えるようにした。

 もちろん、完全ではない。相手が高度な隠蔽を使えば抜けられるし、符を破壊されれば終わる。

 

 だが、何もしないよりはいい。

 次に、幸助のマフラーを強化した。

 

 防御刻印を増やす。

 非常時に刻乃へ位置情報が飛ぶように帰還信号の刻印を強化する。

 幸助はそれを見て、少し顔をしかめた。

 

「刻乃」

「何だ」

「これ、過保護じゃね?」

「過保護だ」

「認めるの早いな」

「お前は過保護にする価値がある危険物だ」

「人間扱いして?」

「未整備大規模魔力インフラ」

「またそれ!」

「今回は不審者探知も入れる」

「俺、そんなに狙われる?」

 

 刻乃は少し黙った。幸助は、そこで空気を読んだ。馬鹿だが、鈍くはない。

 

「……何かあるのか?」

「最近物騒だ」

「それ、刻乃の知ってる顔だな」

「顔だけだ」

「顔だけじゃ済まないやつだろ」

「済ませろ」

 

 幸助は、マフラーの端を指でなぞった。考える時の癖だ。原作知識をそのまま言えば、信じられるはずがない。

 

 しかし邪神教のテロというのは、年に数回程度は報道に乗る。多分現実はもっと発生しているだろうし、それと同じように対処もされているのだろう。

 

 とはいえピンポイントで襲ってくるとは誰も予想はしない。

 警察に言うか。

 親に言うか。

 具体的な日時も場所も曖昧だ。事件がいつ、どこで、どう起きるのか。刻乃は知らない。

 

 知っているのは結果だけ。

 瀧音両親が中学2年の冬に死ぬ。

 幸助が電話越しにそれを知って携帯がトラウマになる。

 それだけだ。

 

「気をつけろ」

 

 刻乃は言った。

 

「変な連絡、知らない相手、急な呼び出し、変な魔力反応には気をつけろ」

「分かった」

「真面目に」

「分かってる」

「家族にも護符を持たせろ」

「持たせる」

「マフラーは外すな」

「マフラーが相棒になってきた」

「そうだ」

 

 幸助は、真面目な顔で頷いた。

 

「刻乃」

「何だ」

「ありがとう」

「まだ何もできてない」

「でも、してくれてる」

 

 そう言われて、刻乃は言葉に詰まった。幸助は時々、こういうことを真っ直ぐ言う。

 馬鹿のくせに。

 いや、馬鹿だからなのかもしれない。

 

「なら、成績も何とかしろ」

「感謝の空気が終わった!」

「現実は続く」

「刻乃、切り替えが鬼!」

 

 幸助は騒ぎながら、問題集を開いた。その日も日常は続いた。だが、刻乃の警戒は解けなかった。

 冬が近づく。

 空気が乾く。

 夕方が早くなる。

 幸助の家に置いた探知符は、何度か小さな反応を拾った。だが、ほとんどは通行人の魔道具や、近所の簡易結界の揺れだった。

 刻乃はそのたびに確認し、何もないことに安堵し、同時に不安を濃くした。

 来ないなら来ないでいい。原作が外れたなら、それでいい。

 そう思った。

 思いたかった。

 

 事件は、休日に起きた。

 

 その日は、朝からよく晴れていた。

 冬の終わりにしては空が高く、商店街には家族連れが多かった。野菜の値札を見比べる主婦、焼きたてのパンを紙袋に入れる店員、店先で走ろうとして親に叱られる子供。世界は、あまりにも普通の休日の顔をしていた。

 幸助の両親も、その中にいた。

 買い物へ出かける、と幸助は聞いていた。

 夕飯は鍋。

 そんな話をしていたらしい。

 幸助はその日、刻乃の家で勉強していた。

 碑文家の離れにある小部屋。

 窓の外には冬枯れの庭が見え、古い石灯籠の上に、薄く苔が残っている。火鉢型の暖房魔道具が、部屋の隅で赤く光り、畳の上には問題集とノートと、幸助が持ち込んだ菓子袋が広がっていた。

 

「休日に勉強って、人権ある?」

「赤点候補に人権を語る資格はない」

「刻乃、発言が危ない!」

「問題を解け」

「肉まん食ってからでいい?」

「一問解いたらな」

「一問が遠い!」

 

 いつものやり取りだった。幸助はシャーペンを持ったまま、問題文を睨んでいる。刻乃はその横で、受信符を確認していた。

 幸助の家周辺の探知符は静かだった。

 両親に渡した護符の反応も平常。

 問題はない。

 少なくとも、その時点では。

 

「刻乃」

「何だ」

「これ、一問解いたら肉まん?」

「正解したらな」

「不正解だったら?」

「解き直し」

「肉まんが遠ざかる!」

「近づけろ」

「刻乃、肉まんで人を操るの上手いな」

「お前が単純なんだ」

 

 幸助がようやく式を書き始めた、その時だった。幸助の端末が鳴った。表示された名前は、母親だった。

 

「母さんだ」

「出ろ」

「肉まん買うか聞かれるかも」

「それは重要だ」

「だろ?」

 

 幸助は笑って通話に出た。

 だが、その笑みはすぐに消えた。

 

「……母さん?」

 

 返事がなかった。

 代わりに聞こえたのは、雨音のようなノイズだった。

 いや、雨ではない。

 硬い床に、何かが擦れる音。

 遠くで誰かが低く唱える声。

 何かの器具が金属を叩く音。

 

 そして、息を殺すような、細い呼吸。

 

 刻乃は、すぐに幸助の顔を見た。

 幸助の目から、血の気が引いている。

 

「幸助、スピーカー」

 

 幸助は無言で端末を机に置き、スピーカーにした。

 音が広がる。

 低い詠唱。

 聞き取れない言葉。

 人の気配。

 そして、母親の声が、かすかに入った。

 

『……幸……?』

 

 幸助の口が開く。

 

「母さん!? どこだよ!?」

 

 返事はない。

 あるいは、返事をしようとして、誰かに止められたのか、押し黙ったのか。

 布が擦れる音。

 息を呑む音。

 そして、誰かが笑った。

 内容は聞き取れないが低い男の声だった。

 刻乃の背筋が凍った。

 幸助が固まる。

 

 通話は切れなかった。

 あるいは、あえて繋いだのか。

 理由は分からない。だが分かることはあった。

 

 この通話は、偶然ではない。

 

 邪教徒側に、何らかの意図がある。

 儀式の一部。

 嫌がらせ。

 精神的な呪詛。

 恐怖の伝播。

 

 どれにせよ、最悪だった。

 

「幸助」

 

 刻乃は端末を掴み、幸助の肩に手を置いた。

 

「聞け。今から通報する。場所を探る」

「母さんが」

「分かってる」

「刻乃」

「分かってる!」

 

 刻乃は声を張った。張らなければ、幸助が崩れると思った。同時に、碑文家の緊急連絡符を起動する。

 警察。

 魔法災害対策。

 祖父。

 父。

 母。

 全てに異常を飛ばす。

 幸助の母親の携帯電話から繋がった通話。

 邪教徒らしき詠唱。

 誘拐の可能性。

 儀式の可能性。

 刻乃は必要事項を短く打ち込んだ。

 幸助は、端末の前で固まっていた。

 通話の向こうでは、何かが進んでいる。

 そして、幸助の父親の声が聞こえた。

 

『幸助』

 

 声は、低く、押し殺されていた。

 恐怖も痛みもあるはずなのに、それを全部噛み潰していた。

 

『聞くな』

「父さん!」

『切れ』

 

 それは、悲鳴ではなかった。

 だが幸助は携帯を切ることができあかった。

 

 それは相手にも伝わったのかもしれない。

 その直後、鈍い音がした。

 その音を最後に通話が終了する。

 

『ごめんね』

 

 最後の瞬間、幸助の母親の声が聞こえた。

 

 幸助の呼吸が止まる。

 悲鳴にならないようにした声だった。

 

 刻乃は、爪が掌に食い込むほど拳を握った。

 違う。

 謝るのはそっちじゃない。

 謝るべきは、この状況を止められなかった側の俺だ。

 

 だが、そんな言葉は今、何の役にも立たない。

 

「幸助、俺の声を聞け」

「……」

「幸助!」

「聞いてる」

「息を吸え。吐け。マフラーを握れ。魔力をほんの少しだけ通せ」

「……うん」

「お前はそこにいろ。絶対に一人で動くな」

「でも」

「動くな!」

 

 幸助が肩を震わせた。

 刻乃は準備していた呪符を使い、探査魔法を発動する。この符が管理できるのは3つだけ

 

 幸助のマフラーに仕込んだ帰還信号。

 母親に渡した護符の微弱反応。

 父親に渡した護符の残滓。

 断片を組み合わせる。

 

 点は、買い物先の商店街ではなかった。

 

 そこからはるかに離れた、湾岸地区の倉庫街。休日の買い物中に連れ去られた。そう理解した瞬間、胸の奥が冷えた。

 

「位置、出た」

 

 刻乃は立ち上がり部屋を出ようとしたとき、刻乃の祖父が入口に立っていた。

 

「警察には?」

「今送った」

「うちのモノも向かわせている、邪魔をするな」

 

 祖父は、呪符などを取り出す素振りも見せず、刻乃を拘束魔法で締め上げる。

 

「なんで!」

「子供の出る幕ではない。戻れ」

 

 刻乃は、答えず強引に拘束魔法を解除しようとするも、ビクともしない。そのすきに襟首を祖父につかまれ、部屋に放り込まれる。

 

 幸助の顔は真っ白だった。

 手は震えていた。

 それでも、灰色のマフラーを握っていた。

 

 刻乃もわかっている。子供が口出しできることではない。

 分かっている。

 分かっているが、足が動こうとする。

 助けに行きたい。

 でも、邪魔になる。

 

 刻乃があがくことをやめたとたん、拘束魔法が解除された。いったいあの短時間で、どのような刻印魔法で条件を組み込んだ拘束魔法をつかったのか見当もつかなかった。

 

 しかし解放されたなら、やりようはある。

 

 小さな三本足の烏を模した使い魔の魔道具

 隠ぺいの護符

 闇視の刻印石

 テレビ

 それを空中に展開した刻印魔法の魔法陣でつなげ一つの刻印とする。

 

「幸助手伝え、1割出力」

「わかった」

 

 幸助は躊躇なく魔法陣に触れ魔力を供給する。

 すると作り出した使い魔が窓から外に飛び出し、その視点と音がテレビに表示される。つまり刻印と出力調整になれた幸助と、その魔力の扱いになれた刻乃だからのその合わせ技である。

 

 使い魔はすでに日が暮れだした空を、港湾地区に向けて羽ばたく。

 

「父さんと母さんは」

「見つける」

 

 幸助は魔力を必死に制御しながら、食い入るように使い魔がおくってくる映像をみている。その速度は時速50キロに達するため、目的地にそれほど時間がかからず到着できそうだ。

 

 使い魔を操作をしながら刻乃は同時に先ほどの電話の理由を考える。

 

 母親の苦しそうな呼吸。父親が何かを言おうとして、声を押し殺した気配がする。

 そして、邪教徒の声。

 刻乃は、吐き気を覚えながらも考える。

 

 通話には意図。

 幸助に聞かせることそのものが、儀式の一部。

 あるいは呪詛の導線。

 精神的な傷を媒介にした、邪悪な術式。

 この時ほど呪術を学生レベルでしか学んでいなかったことに後悔したことはない。

 

 呪いの基本は不調。程度が低ければ対象の体調不良や一時的不運。酷ければ死。

 

 そんなことを考えると、使い魔は現場に到着した。

 

 倉庫街の一角を封鎖する警察官たち。制服を着ていない者たちもいるので、どこかの要請で別部門の協力者も配置されているのだろう。もしかしたら魔導テロ専門の武装魔法師が動員されているのかもしれない。

 

 隠ぺいを駆使した使い魔を警察の近くにおろすとことで、警察官たちの声が聞こえてきた。

 

『危険です。広域の呪詛の可能性が高い』

『対呪符を』

 

 もし幸助に向けた遠隔呪詛なら、碑文家(ひふみ)に幸助がいたのは幸運だった。ここはその点も対策もされている。たとえ携帯通話で縁をつないだとしても、呪詛の遮断ぐらいできる。でなければ、家の奥にあんなもの(・・・・・)は存在しない。でなければあの辺一体魔力汚染されている。

 

 黒い。

 濃い。

 人の命を燃料にするような、嫌な魔力が立ち上っている。

 警察の突入班が動く。

 

『突入!』

 

 

 倉庫の扉が破られた。

 轟音。

 閃光。

 

 刻乃は使い魔を倉庫の中に入れようとするも結界にはじかれる。あらかじめ設定された者だけを通す現場封鎖の基本結界だ。

 

 

 「くそ!」

 

 さすがに結界破りを遠隔で行うこともできず、刻乃は口汚く罵る。それでも使い魔を操作し少しでも中が見れないか、音は拾えないかと操作を続ける。

 

 怒号。

 邪教徒たちの詠唱が乱れる。

 

 幸助も息を呑みながら画面を凝視している。

 

 倉庫内の戦闘音が激しくなる。

 魔法警察の拘束術式。

 邪教徒の抵抗。

 何かが割れる音。

 魔力が爆ぜる音。

 何かを叫ぶ警察官らしき声。

 

 最後に何か巨大なものが崩れた音がし、しばらくすると大きな音は聞こえなくなった。

 

「幸助」

「刻乃。今の」

 

 刻乃は唇を噛んだ。

 血の味がした。

 倉庫の中から、救急隊が駆け込む。

 別の隊員が担架を呼ぶ。

 職員たちの顔が硬い。

 

 その硬さで、分かってしまう。

 儀式は止まった。

 邪教徒は制圧されつつある。

 

 だが。

 

 間に合わなかった。

 

 しばらくして、突入班の隊員が外へ出たので使い魔を近づけると、ちょうど何処かに通話を開始するようだ。

 

『邪神教と思われる儀式の停止は成功。被害者二名』

 

 一般人が普通聞くことはできない情報だ。

 

『……現場は呪詛で汚染されている。解呪ないし、封印でもしない限り動かすこともできない。応援を手配してくれ』

 

 世界から音が消えた気がした。

 周囲では、まだ怒号が飛んでいる。

 結界が鳴っている。

 でも、刻乃と幸助の耳には届かなかった。

 

 隣で幸助が言った。

 

「刻乃?」

 

 刻乃は、すぐに答えられなかった。

 

「刻乃、父さんと母さんは?」

 

 言葉が喉に貼りつく。

 言わなければならない。

 でも言えない。

 言えるわけがない。

 いや、友人だからこそ、言いたくない。

 

 幸助だって中学生で魔法の常識というものを知っている。

 呪詛汚染というものを。二人を動かせない状態の呪詛汚染なんてものが、どんな状態なのかを予想するぐらいの常識は持ち合わせている。

 

「幸助」

 

 刻乃の声が震えた。幸助もそれ以上聞かなかった。

 

 使い魔の通話は繋がったまま、沈黙している。

 

 刻乃は幸助の手を握る。  

 刻乃は、ようやく理解した。

 

 守れた。

 守れなかった。

 

 同じ日に、同じだけ重く、その二つが刻まれた。

 幸助は、顔を上げた。

 

「刻乃」

 

 声は掠れていた。

 

「父さんと母さんは」

 

 畳の匂いがした。

 暖房魔道具の赤い光が、部屋の隅で揺れていた。

 幸助の手が震えている。

 

 刻乃は、言葉を探した。

 慰め。

 謝罪。

 怒り。

 全部、形にならない。

 でも、言わなければならない。

 

「助けられなかった」

 

 幸助の表情が、止まったままだった。

 

「……そっか」

「ごめん」

「刻乃が謝ることじゃないだろ」

「でも」

「刻乃が謝ることじゃない」

 

 幸助の声は、静かだった。

 静かすぎた。

 刻乃は、それが怖かった。

 幸助は、端末を見た。

 それから、ぽつりと言った。

 

「明日の宿題、やってねえ」

 

 刻乃は、喉が詰まった。

 何を言えばいいか分からなかった。

 抱きしめればいいのか。

 泣けばいいのか。

 怒ればいいのか。

 ごめんと繰り返せばいいのか。

 

 そんな言葉で、何かが戻るのか。

 

 戻らない。

 何も戻らない。

 

 だから刻乃は、いつものように言った。

 

「馬鹿」

「うん」

「宿題より飯だ」

「飯?」

「食えなくても、座ってろ。うちにいろ」

「いいの?」

「来い」

「もう来てる」

「なら、いろ」

 

 幸助の指が、力が入りすぎて、爪の色が白くなっている。刻乃は、その手を無理に開かせず、上からそっと触れた。

 冷たい。

 震えている。

 でも、生きている。

 

 幸助は泣かなかった。

 刻乃も泣かなかった。

 

 外では、いつの間にか雨が降り始めていた。屋根を打つ音が、静かに部屋へ落ちてくる。休日の晴れた空は、もうなかった。

 幸助の端末は、もう何も鳴らなかった。

 それでも、灰色のマフラーには、かすかに光っていた。

 

 守護の刻印。

 

 その夜、刻乃の中にも同じ文字が刻まれた。

 

 それは魔法文字ではない。

 祈りでもない。

 呪いに近い約束だった。

 

 次は。

 次があるなら。

 絶対に。

 

 守る。

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