星の鼓動は藍 -Archive of Kamille- 作:可笑名
消毒液のツンとした匂い、香る薬品と鼻に残る膿みの臭い。
それは確かに病院の、知っている匂いだった。
ひんやりとしたシーツの感触がここは砂漠の真ん中ではないと告げる。
重い瞼を開けると、そこには見知らぬ白い天井があった。アーガマの医務室のような、機能的な金属の天井ではない。ごく一般的な民間の。例えるなら、学校の保健室のようだった。
体を起こそうとすると、腕に軽い引っ掛かりを感じた。視線を落とすと、自分の右腕に点滴の針が刺さっている。それにどうやら患者衣に着替えさせられているようだった。
頭を起こすと、軽い頭痛がくすぶっているのがわかる。
「あっ、気がついた!?」
ふと、ベッドの脇から女の声がした。
驚いて目を向けると、学生服を着た少女が目を丸くしてこちらを見つめている。だが、カミーユの目を引いたのは彼女の服ではない。彼女の頭の上に浮かぶ『光の輪』、そして、その頭部に生えた、ピンと立つ動物の耳だった。
「……?」
「よかったぁ……脱水症状が酷かったから心配してたんだよ。待っててね、すぐ『先生』を呼んでくるから!」
少女は安堵の表情を浮かべると、おもむろに立ち上がった。
「その……君は一体……。」
かける声も虚しく、少女はカミーユが止める間もないまま、パタパタと足音を立てて医務室から駆け出していった。廊下から反響する足音が遠くなっていく…。
あの子は先生を呼んでくるといったな。
医者に聞いてみれば、何かわかることがあるかもしれない。
一人残された医務室で、カミーユは、混乱する頭を落ち着かせようとした。
まずは現状を整理しないと……。鈍く痛む頭で辺りを見回す。
拘束具はない。とりあえず、俺は、ティターンズや、ひいてはアクシズの捕虜になったわけじゃないらしい。それだけは避けたかったが、どうやら何とかなったのかもしれない。
点滴のパッケージや傍らにある生体モニターは、どう見ても技術レベルは宇宙世紀よりも明らかに旧世紀の、西暦末期に近い代物だ。だが、部屋は清潔に、道具は整理がされている。
野戦病院や、旧世代の器具を無理やり使うような余裕のない現場では、こうはいかない。
総じて、俺はどうやら民間の何かしらに保護されたようだ。小さな推測ではあったが、軍に、エウーゴに属するカミーユにとってそれは命に関わる物事である。
それゆえに大きな安堵をもたらした。
どうやら、すぐにでも走って逃げだす必要はないようだ。
多少落ち着いたところで、ここまでの記憶を遡る。
ジ・Oへの突撃。シロッコの断末魔。
砂漠での目覚め。愛機、Zガンダムの喪失。
そして、砂の山の中で倒れ伏す寸前に聞いた、大人の声。
そうか、あの声の主が、ここへ運んでくれたのか。
記憶が戻ってくると、不明瞭な点が浮き彫りになる。分からないことは、山ほどあった。
さっきの女の子。学生服、動物の耳。そして…光の輪。起き掛けに見た安堵の表情からして、悪い人ではないと信じたいが、見知らぬ土地での油断は命取りだ。油断は出来ない。
そして、砂漠から見えたあの街。
元々、地理は苦手ではなかった。それこそ、モビルスーツのパイロットになるにあたって主要な都市なんかは座学で叩き込まれたはずだ。それでも空を穿つような巨大な塔と、その周りに高層ビルが立ち並ぶ近代的な都市像は、資料を含めても、見たことも聞いたこともなかった。
ひょっとすると、気が付いていないだけでどこかのコロニーなんてこともあるかもしれない。
他にも納得できないことがたくさんある。
旧世紀の技術、消えた愛機。地球で決して拝めないはずの、青く透き通った空。
少なくとも、ここはエウーゴの施設ではない。カラバの基地でもないだろう。それだけは確かだ。
カミーユは自分の内側をそっと探る。シロッコから受けた巨大な悪意の濁流は嘘のように消え去り、ただ極度の疲労による鈍い頭痛だけが残っていた。
早いとこ、アーガマに戻らなくちゃな。
ファが……それこそブライト艦長だって心配しているはずだ、クワトロ大尉だって。
「――気がついたみたいだね。気分はどうかな。」
扉が開き、一人の大人が入ってきた。
黒い髪に端正な顔立ち……すらりと伸びた長身はクワトロ大尉ほどはある。
しかし、くたびれたスーツを着崩し、目元には薄っすらと隈を作っているせいか、とてもあの人のような華やかな風貌といった感じではなかった。
そしてお世辞にも隙のない軍人には見えない。どこか気の抜けた、しかし不思議と警戒心を抱かせない空気を纏った男だった。
医者というのはどこに行っても忙しいものなのだろう。疲労感が隠せていなかった。
戦時中だもの。大勢が死んでいく。感傷のような感情をカミーユはおぼえた。
先生と呼ばれている男にカミーユは向き直る。
「……あなたが、助けてくれたんですか。」
男は困ったように、はにかんで見せた。
「そうなる…のかな…?実際に看病をしたのは、ここにいた生徒なんだけどね。私はただ、アビドスの視察の帰りに、君が倒れているのを見つけて、ここまで運んだけだよ。……私はシャーレの『先生』。君の名前は?」
「カミーユ。……カミーユ・ビダンです。」
「この辺りじゃ、あまり聞かない名前だね…。カミーユか…。でも、いい名前だね……。それで?気分はどうかな?」
先生と名乗った男は医務室の丸椅子を引き寄せ、カミーユのベッドの傍らに腰を下ろした。手には、温かいコーヒーの入った紙コップが握られている。徹夜明けのような、少し情けない顔で先生は笑った。
「だいぶ……よくなりました。助けてくださって、ありがとうございます。」
頭を下げるカミーユを先生は片手で制止する。
「はは、律儀な子だな。頭を上げてくれ。ここは『シャーレ』の医務室だ。君の体調が落ち着くまで、好きなだけ休んでくれて構わないよ。」
できることなら…そうしたいが、ファが…きっと、アーガマが僕を探している。
「ありがとう…ございます……。でも、大丈夫です。帰らなくちゃいけないですから。」
思わぬ否定に、先生から驚く気配を感じる。その後、顎の手を当て少し考える素振り見せた。
「ヘイローはない…。人間の少年……。帰る場所……。」
ぶつぶつと漏れる独り言には聞き慣れない単語も含まれており、ほとんどが聞き取れなかった。
一拍おいて、顎に当てた手を下げた、男の目の焦点が僕に合う。
「だが……君。そうはいってもそんな体じゃ危険だよ。ここにいた方がいい。」
「…ですが…僕は…
「もし事情がある、っていうのなら…。」
言葉を男に被せられ、俺は飲み込んだ。男の目を見る。
「せめて……せめて、聞かせてほしいな。」
その目は少し寂しそうに見えた。賢しい、狡い大人のやり方だ、直観で思った。好きじゃない。
この、男の人物像が見えてくるようで、不快な気持ちになる。
ただ、今、俺がいるのはこの医務室の中で、彼は医者だ。
事情を話さないわけにもいかないだろう。
それにノーマルスーツが向こうの手にある以上、隠したって所属はすぐにばれる。
ここが、ティターンズや、ひいてはアクシズの影響下にないことを祈るしかない。
少し息を吸って、覚悟を決めた。
「わかりました。はなしますよ。」
男は黙ってうなずいた。
「僕は、エウーゴの……アーガマに所属しています。そこで…モビルスーツの、パイロットをやっています。」
男はしかめた顔をしていた。見てわかることを、いちいち話すなということだろうか。
当然だ。俺はさっきまでノーマルスーツを着ていたんだ。
エウーゴのパイロットであることは、この男もわかっている。
きっと聞きたいのはこの先のことだろう。
「あのグリプス2宙域での戦闘で…
「ちょ、ちょっと、待った。ストップ、ストップ。」
カミーユが先を話そうとすると、男は両手を振り、大げさに話を止めようとする。
予想外に慌てる男に、カミーユは眉をひそめる。まだ、何も慌てるような話ではないはずだ。
「どうしたんです。エウーゴが珍しいですか?…それとも何か、まずかったですか?」
「えーっとね…。少し待ってね。」
男はこめかみを指で揉み、うんうんと唸っている。
しばらくして男が、申し訳ないんだけどね、と口を開く。
「エウーゴって何?」
予想外の沈黙に、医務室の空気が凍る。
カミーユは思わず言葉を失い、反射的に、目の前の男の顔を見つめる。とぼけている、冗談を言っている顔ではなかった。
男の表情には一片の誤魔化しもなく、ただ純粋な困惑だけが浮かんでいた。
「……冗談でしょう。エウーゴですよ。反地球連邦政府組織の……。ダカールの議会中継、見てなかったんですか。シャア・アズナブルが演説していたでしょう……。それに、ティターンズの横暴は、民間人にだって……。」
「ダカール……連邦政府……ティターンズ……。」
男は初めて聞く外国語でも復唱するように呟き、ますます困惑したように首を捻った。
「ごめん、本当に聞いたことがない。それは、どこかの自治区の学園の話かい? それとも部活や委員会の話かな?連邦政府っていうのは連邦生徒会のことを言っているんだよね?」
「……学園? 部活?…生徒会って、あなた…何を言ってるんです。」
カミーユの背筋に、冷たいものが走った。冗談じゃない。
これでは、話が噛み合わないどころではない。この大人の口から出る単語は、常識からあまりにもかけ離れている。
「あんた……本当に、何にも知らないんですか。」
男は、カミーユの切迫した声と、微かに震え始めた瞳を見て、
彼が、でまかせを言っているのではないと悟った。
「うん…。私は、ダカールも……連邦政府も、ティターンズのことだって、聞いたことがないよ。」
先生は手元の端末を取り出し、操作しながら話す。
「……カミーユ。君がひどく混乱しているのは分かる。正直に言って、私も混乱している。でもね、落ち着いて聞いてほしい。」
男は端末の液晶画面を見せる。
見慣れたものではなかったが、おそらくそれは、検索サイトの画面であった。
検索結果 地球連邦政府 ×ヒットなし
ティターンズ ×ヒットなし
「エウーゴ……ヒットなし……」
目で文字をなぞる。口をついて言葉が、声が、漏れ出る。
先生はカミーユの目をまっすぐに見つめ、ゆっくりと、それでも、はっきりとした口調で告げた。
「ダカールも、エウーゴも、君が言った組織は、この世界のデータベースには存在しないんだ。」
呆然として、何も言えなかった。真剣なまなざしで男は続ける。
「ここは数千の学園が集まってできた都市、『キヴォトス』。多分、君は、私たちが認知できない全く別の世界から、ここへ来てしまったらしい。」
何を言っているのか、わからなかった。
理性は…僕の脳はこの与太話を決して、理解しない。いや、認められなかった。
相反して目の前の大人が嘘をついていないことを、ニュータイプ的な直感が告げる。
キヴォトス……。
ここは別の世界。
そう仮定すると、途端に不明瞭な点のつじつまが合い始める。
Zガンダムが見つからなかったこと。見知らぬ土地、旧世紀の技術。
だんだんと自分の置かれた状況が見えてくる。
ここは、僕の知っている地球じゃない…。本当に……。
「ファ……。俺はどうしたら良い…。」
行き場のない喪失感と絶望が、だけがここにある。
これじゃまるで…戦争の中で散っていった彼らさえも…まるでなかったみたいじゃないか。
「…カミーユ……。」
男はそれから、多くは語らなかった。
ただ静かに立ち上がると、震えるカミーユの肩にそっと触れ、ベッドへと横たえさせた。
それに抗う気力すら、今のカミーユには残っていなかった。
「続きはまた明日…話そう。今日はただ休んでいれば良い。まずは治療に専念するべきだよ。しばらくはこの医務室をつかって。…ここは安全だから。」
うなずくこともカミーユはできなかった。
「おやすみ、カミーユ。また…明日来るよ。」
静かに扉が閉まる音がした。
誰もいなくなった医務室に、規則的な生体モニターの電子音だけが響く。
とっくに限界を超えていたカミーユの意識は、逃避するように泥のような眠りへと落ちていった。
どれくらい眠ったのだろうか。
気づけば浮遊感の中にいた。
暗い星空に、僕は、浮かんでいる。
見渡す限りの宇宙に、輝く星たちが見える。
「綺麗だな。」
思わず口にした。
ぼんやりと眺めていると、
不思議と星々がコロニーの夜景と重なって見えてくる。
あれは…かつてファと、よく見に行った場所。
懐かしいな、そういえば、小山の上では、夜景がきれいに見えた。
星々を指でなぞる、あの灯り一つ一つに生活がある。
料理のにおいがした。生活の音が聞こえる。
上手くいったり、いかなかったり、そうやって繰り返していく。
子供が駆ける、遊ぶ声。
全てが分かり合えなくても、確かにそこにあった暮らし。
『カミーユ』
俺を呼ぶ声がする。ファだったら良いな。きっと、そうだ。
自分の前を通り過ぎていく。大きな影。
その大きな影に気が付いて、思わず見上げる。
あれは、アーガマ…コロニー……。
影の中に、暗い闇を幻視する。
そうだ、あの宇宙。あの闇が怖い。
目を焼くような、ビームの閃光が闇を切り裂く。
けたたましくなるアラート。気が付けばコックピットに座っていた。
アラームに混ざる、確かに生きた、散っていく命の叫び。
ヘルメットの中で、バイザーに反射する生きた人の呼吸。
大きな爆炎を残して星々が、命が、消えていく。
その幾つかにZガンダムの銃口が向いていた。
生活が、灯りが…消えていく。
俺が殺したから…。
ロザミィ、君だって、俺が…。
視界の端で小さな光が明滅する。
目を向けると、ちらめく星のように、金色の百式が遠くで戦っているのが見えた。
人が望む方へと、あの人は流されていく。
大きな星がついたり、消えたりしている。
強い光とともに、大きな爆炎が近くで燃えた。
身近にある星々が燃え尽きていく。エマ中尉…ロベルト中尉、ヘンケン艦長……。
彼らの死んでいく光には、確かに希望の色があった。
そうだ、向く方向は違っていても世界を良くするために戦争をやっていた。みんなそうだった。
世界が救われると思ったから…。
だから俺も、あの場所に……
意志を背負い、未来を切り開くために、命も精神もすべてを投げ出して、あの戦場を駆けたのだ。
ジ・Oがモニターに映る。討つべき敵がそこにいた。操縦桿を強く握る。
「許せないんだ、俺の命に代えても、身体に代えても、こいつだけは!」
喉が痛い、そうか、これは、俺の声か。
装甲がひしゃげ、火花が散り、バイザーが割れる。
吹き飛ぶ程の、コックピットへの衝撃と共に、白い光に包まれた。
「……っ!!」
弾かれたように体を起こした。
全身は汗でぐっしょりと濡れ、荒い呼吸が静かな部屋に響く。
窓の外は、すでに深い藍色の夜に包まれていた。
見知らぬ天井。微かに香る消毒液の匂い。
そうだ。ここはアーガマじゃない。地球圏ですら……。
激しく波打つ心臓を押さえながら、暗い室内を見回す。
医務室はしんと静かで、誰もいないことが分かった。
この時、不思議と思い出したのは、あの男のことだった。
見知らぬ少年を無条件で保護しようとする、不器用で、きっと優しい大人。
「ただ休んでいれば良い。」
その声には子供に向けるような優しさがあった。それは、かつてのアーガマにはなかったもの。
今のカミーユにとってそれは、酷く不気味で、そして残酷なものだった。
カミーユは死んでいった者たちの命を吸って、すべてを投げ出して戦った。
託されたのだ、生き残った者として、未来も、理想も。
それが、こんなところで終わってしまったら。彼らに合わせる顔がない。
「……ここに、いちゃダメだ。」
強い衝動に駆られるまま、カミーユは震える指で、右腕に刺さっていた点滴のテープに触れた。
静かに、ゆっくりと剥がす。微かな痛みを伴って、金属の針がちらりと光った。
ベッドから降り、冷たい床に素足でたつ。
体のダメージは思いのほか、残っていた。足元がふらつく。
壁に手をつき、歯を食いしばって、ゆっくりと扉へ向かった。
振り返ることはしない。
ニュータイプ的な直観が告げる。あの男はきっと、俺を助けようとする。
ここにいれば、きっとあの男は、救えない俺を見て、傷つき続けるのだろう。
そんなこと、俺だって望んでない。
そんな虚しいことさせちゃいけない。
冷たい金属音を立てて、医務室の扉が開く。
揺らめくようにして歩く足は、藍色の夜に溶けていった
ここまで読んでいてただきありがとうございます。
アニメ本編でカミーユは相手によって一人称を使い分けていました。
彼の内心や対等な友人、敵の前での一人称は『俺』で
目上のひとや年上には『僕』でした。
(本編ではほとんど、目上のひとや年上しかいませんでしたが。)
これを、文章で書き分けるとぐちゃぐちゃになって、
読みづらいと思い、すべて『僕』で統一したかったのですが、
結局こうなってしまいました。
ミスや読みづらい等のご意見がありましたら改善いたします。
後日、一話のほうも変えておきます。
話全体の大筋の展開は決まっているのですが、ほしい展開とかあったらコメントしていただけると助かります。細かい話のストックがなくて……。
これから明るい話になっていくはずです。
今は、どうしてもシリアスが必要なところなので暗くなってしまっています。
未だに色々と勝手がわかってないので、何かあればご教授いただければ幸いです。