星の鼓動は藍 -Archive of Kamille-   作:可笑名

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滅茶苦茶遅くなってすいません。
カミーユという人物の造形の複雑さに悪戦苦闘しておりました。
何をやらせても、なんか違う、これも違う、あれも違うでなかなか進みまず…。
色々悩んだ結果、話の大筋に多少の変更を加えることにし、そのプロットを書くのに時間を使ってしまいました。

かきます。


エピソード3:大人達

積もりに積もった書類から目を背けて時計を見ると、すでに22時を回っていた。

窓から覗く空はすでに暗く、夜は夜景と星々で輝いている。

 

背もたれに深く体を預け、天井を仰ぎ見て大きく息を吐いた。

体を起こして未処理のリストに目を通す。

 

カミーユと名乗った青年の、臨時的な保護手続きなどの急を要する書類は片付いた。

後でユウカに小言を言われることに目を瞑れば、残りは明日に回してもいいものばかりだ。

 

カミーユも、そろそろ目を覚ます頃だろうか。

 

様子を見に行くついでに、温かいものでも口に入れさせよう。

温かいスープでも飲めば、張り詰めた気も多少は紛れるかもしれない。

 

そんなことを思って、戸棚からマグカップを二つ取り出す。

スープの粉末をお湯で溶かすと、立ち上る湯気とともに優しい匂いが広がった。

 

最初に彼を見たとき、聡い子なのだろうと思った。

彼が話した内容や口ぶりから、軍のパイロットだという素性に嘘はないように見えた。

 

だがそれよりも強く印象付いたのは、彼から滲む、悲哀のようなものだった。

つつけばはじけてしまいそうな、濡れているように見える瞳を思い出す。

 

彼が身を置いたというのが、軍であるなら。

彼が語ろうとした戦闘に、パイロットとして参加していたなら。

もし……大きな喪失を経験しているなら。

 

あの子の心情はきっと私などでは、測りしれないものなのだろう。

彼に私がしてやれることは少ないのかもしれない。

 

スープをトレイに乗せて医務室へ向かう途中、半開きの扉を見て足が止まった。

 

嫌な予感がして駆け寄り、中を覗き込む。

もぬけの殻になったベッドを見て、小さく息を呑んだ。

 

「……カミーユ…。」

 

パニックになって逃げ出したわけではない。

最低限整えられたベッドが体力的な余裕はともかく、彼の正気を保証している。

おそらく彼なりに考えた末に、ここを出て行ったのだ。

 

その目的はわからない。

彼に目的があって、帰る手立てに心当たりがあるのだとしたら、追いかけるのは野暮だ。

かえって邪魔になる可能性もある。

 

しかし……

 

ここはキヴォトスで彼にはヘイローが無い。そのことが意味することを、先生は良く知っていた。

当然、彼はキヴォトスのことなど想像もついていないだろう。かつての自分だってそうだった。

銃も無しに、仮にあったとしても、生身でうろつくのはあまりに危険だ。

 

あの子に着せていたのは患者衣だ。

脱いだ痕跡も、畳んで置いてあるわけでもないのなら、そのまま着て行ってしまったのだろう。

先生はスープのトレイを机に置くと、シッテムの箱を起動した。

 

「アロナ、患者衣って確か…。」

 

いつぞや、備品の服を持ち逃げされた事件のあと、

目元に深い隈を浮かべたリンちゃんが鬼の形相で迫ってきた日のことを思い出す。

『超法規的機関であるシャーレのものが悪用されるとまずい』とのことで、以後、シャーレの全衣服には一切の例外なく、追跡用のICタグが縫い付けられたのだ。

 

起動したアロナが、私の問いかけに応える。

 

『はい! ICタグが付いてます!』

 

いくらなんでも患者衣には要らないだろ、と当時は内心突っ込んだものだが人生、何が役に立つのかわからないものである。

 

「それって追えるかな。」

 

『はい、先生! D.U.市街地の中心部に向かって移動中です!画面に表示しますね!』

 

「ありがとう。いつも助かるよ。」

 

『えへへ』

 

手元の端末に表示された光点を見つめ、先生はジャケットを羽織って走り出した。

 

 

 

 

 

酷く神経過敏になっていることも、

病み上がりの体で夜の街へ飛び出すことが理を欠いていることも、

カミーユにはわかっていた。 それでも、あの医務室に留まることはできなかった。

 

世界が良くなると信じて、命散らしていった紛争の犠牲者たち。

託されて生き残った人達。

 

彼らがそうであったように、

カミーユ自身も己の精神のすべてを懸け、世界の選択に介入したはずだった。

 

だからこそ、生き残った人には役目がある。 どんな形であれ自分が変えようとした世界と、その結果から目を背けずに生きていかなくてはいけない。

 

だが、今はどうだ。

数え切れないほどの命を奪い、歴史の歯車をあれほど大きく狂わせておきながら、

その因果が何一つ届かない、こんな見知らぬ世界に一人だけ流れ着いている。

今のカミーユに、見ず知らずの人の善意に甘え、保護されることなんてとてもできなかった。

 

半ば逃げるようにして抜け出した高層ビルを振り返る。

先ほどまで寝かされていたあの医務室の窓に、灯りはともっていない。

 

帰らなくてはいけない。その思いがカミーユの背を押す。

同時に焦るような気持ちが、正体不明な衝動になって

自分から落ち着きを奪っているのを感じていた。

だが足を止めることはできなかった。

 

路地裏を抜け出し、少し開けたところに出ると、風が強く吹いて髪を靡かせる。

向かい風は微かに冷たく、疲労感から帯びた微熱を奪い去っていく。

見上げた夜空は鉄紺に染められ、銀の星粒が瞬いていた。

 

ふと地平線の向こうが目について、歩く足をとめる。

 

黒い夜空のさらに奥、地平線の向こう側にそびえ立つ極めて巨大な構造物がある。

天を貫くように直立する、巨大な光の塔。

それは確かに砂漠で見たものだった。

 

不可解な発光体と幾何学的な光の輪によって構成されている光の塔。

強固な大地に根を下ろし、しかし巨大な質量に掛かるはずの重力を無視するかのように静かに屹立するその塔は、青白い無機質な光で夜空を薄く照らし出していた。

 

砂漠では確かにあれを目印にして歩いてきたはずなのに、今はあの塔が酷く不気味に見える。

微かな、それでいて鋭い確信のような不安が胸に覆いかぶさるのをカミーユは感じていた。

 

元の世界に帰る方法なんてないんじゃないか。

 

ふと脳裏に浮かんだ考えに、思わずゾッとする。

だが、その絶望に呑み込まれそうになった意識は、強制的に現実に引き戻された。

 

――チリッ、と。

眉間の奥を、鋭利な刃物のような閃きが突き抜けた。

物理的な音よりも早く、ニュータイプとしての鋭敏な感覚が『危険』を察知する。

直後、突如として鼓膜を劈くような爆発音が夜気を震わせた。

 

カミーユは咄嗟に身を低くし、路地裏の影へと滑り込む。

ニュータイプとしての鋭敏な感覚が、すぐ先の交差点から複数の殺気と火薬の匂いを捉えていた。

瓦礫の隙間から覗き込んだカミーユは、己の目を疑った。

 

マズルフラッシュの閃光が夜の闇を切り裂き、コンクリートの粉塵が舞う交差点。

そこは間違いなく戦場だった。

しかし硝煙の向こうでアサルトライフルを構えているのは、屈強な軍人ではなかった。

 

ヒラヒラとしたスカートと制服。あるいは、無骨なヘルメットにパーカー姿。

銃火を交えているのは、どう見ても自分と同年代か、それよりも幼い少女たちだったのだ。

 

大人の姿はどこにもない。飛び交う怒号も、野太い声ではなく甲高い少女たちのものばかりだ。

だが、その歪な光景に反して、繰り広げられている戦闘の規模は本物だった。

 

街の不良同士の偶発的な衝突と呼ぶには、布陣している数が多すぎる。

かといって、警察や軍の治安維持だとするなら、飛び交う火力が常軌を逸していた。

 

防御陣地となっているバリケードの向こうから、惜しげもなく手榴弾が放り投げられる。

直後、大砲の着弾音にも似た重低音が腹の底を揺らし、アスファルトがクレーターのように吹き飛んだ。

 

一発の銃弾が制服を着た少女の一人に直撃する。

軽く吹き飛ばされるようにして少女は倒れこんだ。

 

カミーユの息が止まる。

生身の人間がアサルトライフルの直撃を受けるということは、すなわち『死』を意味している。

あたった位置は右脇腹。血流のド真ん中、肝臓のある位置だ。

大量の血液が腹腔内に溢れ出し、数分のうちにショック死に至る、決定的な致命傷。

あれは助からない。

 

血だまりが広がり、命が散る無惨な光景。

それが脳裏をよぎり、カミーユは無意識のうちにきつく歯を食いしばった。

また、自分の目の前で人が死ぬ。

 

しかし、その直後に響いたのは、死の悲鳴ではなかった。

ひどく場違いで、気の抜けた少女の文句だった。

 

「いったーい! もー、サイアク! 買ったばっかりの制服なのに!」

 

「……?」

 

カミーユは思わず瓦礫の隙間から二度見した。

右脇腹を撃たれたはずの少女が、腹立たしげに患部を払いながら、何事もなかったかのように反撃の銃弾を放っている。

目立った銃創もなく血だまりもできない。ただ制服の布地が焦げ、肌が少し赤く腫れている程度だ。

致命傷を負うどころか、その動きには微塵の衰えすら見られない。

 

流れ弾が穿つコンクリートの粉塵を見ても、ゴム弾や遊戯銃の類ではないはずだ。

鼓膜を叩く乾いた破裂音は、間違いなく本物の火薬が生み出す殺意である。

 

カミーユの目に映る、まるで喧嘩をするように、実弾で銃撃戦が繰り広げられる光景。

 

自分の知る戦場と命の常識が、ここでは何一つ通用しない。

知った戦場の論理が完全にショートし困惑する。

 

その時だった。

耳を劈くような金属音と共に、流れ弾の榴弾がカミーユの身を隠しているビルの外壁に直撃した。

 

「……っ!」

 

凄まじい衝撃。建物の荷重を支えていた外壁が粉砕され、

コンクリートが悲鳴を上げてひび割れる嫌な音が響く。

砕けた小石と共に頭上から何トンもの質量を持った瓦礫が、雨のように降り注いでくる。

 

躱さなければ。

 

そう頭で思っても、熱を帯びた病み上がりの体は泥に沈んだように重く、手足が致命的に言うことを聞かない。

 

潰される。そう覚悟して固く目を閉じた瞬間。

 

「カミーユッ!!」

 

横っ飛びに飛び込んできた人影が、カミーユの体を力強く突き飛ばした。

その咄嗟の勢いのあまり、男の手から弾き飛ばされた薄型のタブレット端末が、

カラカラと無機質な音を立ててアスファルトを滑っていく。

 

『先生っ!? だめです、離れないで……っ!』

 

遠ざかる端末から、少女の悲鳴のような音声が聞こえた直後。

背後で重々しい破壊音が轟き、濛々と粉塵が舞い上がった。

 

アスファルトに転がったカミーユが目を開けると、そこには信じられない光景があった。

崩れ落ちた瓦礫からカミーユを庇うように覆い被さっていたのは、

息を切らしたあの『先生』だった。

 

カミーユを庇った先生の背中には、瓦礫の破片が掠ったのか、

コートが裂け、赤黒い血が滲んでいた。

もしほんの数センチずれていれば、あるいは。

 

ガラス越しに宇宙へ散った母。腕の中で冷たくなったフォウ。守ることができなかったエマ中尉。

目の前の光景が、彼らの死の瞬間と重なり合う。カミーユの呼吸が浅く、乱れた。

 

「大丈夫か、カミーユ。怪我は……。」

 

痛みを堪えながら、それでもカミーユの心配をしようと顔を上げた先生をみて

カミーユは理解した。

 

カミーユは自らを急かす衝動の原因を、この男の中に見出した。

ニュータイプとしての鋭敏な感覚が直感していた、この男の中にある『危うさ』。

全てを背負おうとする異常な善意は、まさに信念ともいえるものであった。

見ず知らずの自分なんかのために、この無防備な善意を消費させてはいけない。

無駄死にを、させないために、離れたはずだったのに。

 

結局、この男は俺のために命を投げ出した。

 

間抜けなほど優しさを滲ませる顔を見た瞬間、

カミーユの中で、恐怖と悲鳴が『怒り』となって爆発した。

 

「……ッ!!」

 

カミーユは血を流す先生の胸ぐらを、震える両手で乱暴に掴み上げた。

 

「……貴様っ!そうやって…体を…投げ出して!!」

 

「知らない奴を庇って死んで、それで満足なのか! そんな身勝手……誰が喜ぶんだよ!」

 

怒りとなって出た言葉。

ともすれば、それは置いていかれ続けた者の慟哭だったのかもしれない。

 

「死んだら………死んだらお終いじゃないか……。」

 

過剰ともいえる反応に、先生は戸惑う。

 

しかし同時に今の自分の行動が

彼の語った戦争。彼に影を落とす喪失の形。

その輪郭がおぼろげながら見え始める。

 

『死んだらお終い』

 

そう語る彼は、他人の自己犠牲にこれほど傷つき、残される者の痛みを誰よりも恐れている。

今の自分の立ち姿すら知らずに。

 

カミーユ、それは違うだろ

 

そう、思わずにはいられなかった。

先生は、自分の胸ぐらを掴むカミーユの腕を、真っ直ぐな瞳で強く掴み返した。

 

「……先に無茶をしたのは君だっ!」

 

「……っ!」

 

「自分の命を一番軽く扱っていたのは君じゃないか! 『死んだらお終い』だとわかっているなら、どうして熱のある体で飛び出した!」

 

つかまれた腕を振り払ってカミーユが叫ぶ 。

 

「死んでいった人たちに、顔向けできないからでしょう!こんなところにいたんじゃ、奪われた命にだって納得できませんよ!」

 

それは血を吐くような、あまりにも痛切な叫びだった。

生き残ってしまったがゆえに、歴史の先を見届けなくてはいけない。

その強すぎる責任感が、彼自身を呪縛として縛り付けている。

 

ならばこそだ。

 

「死んでいった人たちが、君の自棄を見て喜ぶわけないだろ!」

 

「……っ……!」

 

カミーユの動きが、弾かれたように止まった。

 

彼自身、頭のどこかでは分かっていたはずなのだ。

託していった人たちが、あの宇宙で散っていった者たちが、

今の死に急ぐような自分を見て喜ぶはずがないことくらい。

 

「わかったようなことを……!」  

 

カミーユは掴みかかったまま、引き裂かれるような声で怒鳴り返した。

 

「置いていかれた人間の痛みが、あんたに分かるもんか! 」

 

あんたにだって。

逝ってしまった人達にだって。

 

「みんな死んだのに……俺だけがこんな所で!そんなの……あんまりじゃないか!」

 

次第に勢いを失い、震え始めるその声に、先生はカミーユの背景を垣間見た気がした。

 

数多の命の喪失。その悲しみ。

戦いに自ら投げ出す命への怒り。

キッと貫く彼の濡れた瞳の奥に、闇の中へと消えていく無数の命の光を幻視した。

 

先生は思わずたじろいでしまう。

そうか、これが彼の見てきたものなのか。

言葉ではなく心で理解するような感覚に襲われる。

彼の中に渦巻く途方もない悲哀と、どうしようもない怒りの一端に触れた気がした。

 

「……分からないよ」

 

カミーユの悲鳴のような叫びを受け止め、先生は痛みを堪えるように静かに言葉を紡いだ。

 

「君の痛みなんて、私に分かるはずがない。……でも、これは違う。……こんな無茶の仕方は、絶対に違うんだ……」

 

それは大人の立派な理屈でも、誤魔化しでもなかった。

ましてや、説教ともいえるものでもなかった。

ただ目の前で自暴自棄になっている子供を案じる、等身大の必死な訴えだった。  

 

血を流し、余裕のない顔で自分を見つめ返すその瞳に、カミーユは息を呑む。

 

「……それでも、俺は……っ!」

 

だが、その先の言葉は音にならなかった。急激に視界が滲んでいく。

 

泣くものかと思って歯を食いしばったが、違った。歪んでいるのは視界そのものだった。

本来なら無茶のできない体で無茶をして、その上で極限まで感情を爆発させたのだ。

アドレナリンで無理やり繋ぎ止めていた神経の糸が、ここに来てついに焼き切れたのである。

 

「……ぁ……」

 

相手を睨みつけていたはずの焦点が合わなくなり、耳鳴りが全ての音を遠ざけていく。

限界だった。

 

胸ぐらを掴んでいた手から、するりと力が抜ける。

言葉は出ず、唇はかすかな熱い吐息を漏らしただけだった。

重力に引かれるまま、カミーユの体が糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちる。

 

「カミーユッ!?」

 

慌てて大人の顔に戻った先生が、血を流す自身の痛みも忘れたかのように、その熱を帯びた体をしっかりと抱き留めた。

 

「しっかりしろ、カミーユ! おい!」

 

耳元で必死に名前を呼ぶ先生の声。

すると、その悲痛な響きに呼応するかのように、瓦礫の向こう側から複数の足音が慌ただしく駆け寄ってくる気配がした。

 

「……うそ、先生!?」

「先生だ! どうしてこんなところに!」

「血が出てる……ッ! はやく、救急箱!!」

 

それは、先ほどまで凄まじい銃火を交えていたはずの少女たちの声だった。

カミーユの薄れゆく視界の端で、彼女たちが争いをぴたりとやめ、手にしたアサルトライフルをあっさりと放り出して、我先にとこちらへ走ってくるのが見えた。

 

戦場において、あり得ない光景だった。

命のやり取りよりも、一人の大人の怪我を優先して、泣きそうな声を上げる少女たち。

さっきまでの戦いなどただの喧嘩で、些事にすぎないと体で示していた。

 

ふと、思う。この世界は自分のいた世界よりずっと平和なのかもしれない。

 

「先生も怪我してるんですから!安静に!」

「でも、カミーユが!」

 

自分よりも他人の心配ばかりする大人の声。

その大人を心底案じて半泣きになっている少女たちの声。

 

ひどく歪で、狂っていて、どこか優しくて甘いこの世界。

改めてここが異世界であると再認識する。

 

限界をとうに超えていた彼の意識は、自分を囲む騒がしい声に泥むように、

今度こそ完全に途切れ、深い暗闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

ふっと、起き上がるような感覚とともに覚醒する。

 

頭はよく冴えていて体は軽い。

頭を持ち上げると、そこは抜け出してきたはずの医務室であった。

 

「……起きたかい、カミーユ。」

 

声のした方を向くと、背中に真新しい包帯を巻いた先生が、ベッドに持ち込んだ大量の書類と格闘しながら微笑んでいた。

その姿を見た瞬間、自分を庇って血を流した背中と、激昂して気を失った己の情けなさが蘇り、カミーユはバツの悪さに顔を背けた。

 

「……助けてもらったことには、感謝します。」

 

絞り出すようにそう言うと、先生は目を書類に向けたまま言った。

 

「貸し一つだからね。」

 

冗談っぽく笑うその声に、カミーユはわずかに目を細めた。

 

「返せませんよ、こんな大きな借り。…迷惑をかけすぎました。」

 

ふいっと視線を逸らして言葉を漏らす。

だが、その声から先ほどの刺々しさは完全に消え去っていた。

先生は小さく笑うと、机の端に置いてあった保温ポットと真新しいマグカップを手に取り、カミーユの傍らへ歩み寄った。

 

「温かいうちにどうぞ。起きたら飲ませようと思って、用意してあったんだ」

 

「……どうも。」

 

差し出されたカップを両手で受け取ると、じんわりとした熱が冷え切った掌に伝わってくる。

一口すすると、コーンスープの優しい甘さが空っぽの胃の腑に染み渡った。緊張で張り詰めていた神経が、その温もりによって少しずつ解れていくのを感じる。

 

しばらくの間、医務室にはカミーユがスープを飲む微かな音と、先生が書類にペンを走らせる音だけが響いていた。

 

「……先生。」

 

カップを両手で包み込んだまま、カミーユが静かに口を開く。

 

「あの交差点での戦闘……彼女たちは、実弾で撃ち合っていました。でも、誰も死んでいないし、致命傷すら負っていなかった。」

 

あの時、自分の常識を根底から破壊した異常な光景。

死と狂気に彩られた、血生臭い宇宙世紀の戦争とは何もかもが違う。

 

「…本当に……本当に、ここは僕の知っている世界じゃないんですね…。」

 

「うん。…君のいた世界とは、常識が違うと思う。」

 

先生は書類から顔を上げ、静かに頷いた。

 

「ここは、どこなんです。」

 

カミーユの疑問は先生が予想していた、当然のものだった。

 

「ここはキヴォトス。生徒達が自治する学園都市だ。」

 

カミーユは相槌も打たず黙って聞く。

 

「ここには、銃と弾薬が日常にあって、生徒たちは……君が見たあの子たちは、ちょっとやそっとの怪我じゃ死なない、不思議な力を持っている。」

 

とても理解の及ばない話に、カミーユは眉をひそめた。

だがとても、それが嘘とは思えなかった。

見てきたものを説明するには、不思議な力の一つや二つも出てきてもおかしくない。

 

「……死なないのに、撃ち合っているんですか。」

 

呆れにも似た感情が口をついて出た。

命の奪い合いにならないのなら、あの激しい戦闘はなんなのだ。

まるでタチの悪い遊びだ。

 

そしてカミーユは、ふと一つの矛盾に気づく。

生徒たちが「死なない」世界であるなら。

あの時、崩れ落ちる瓦礫の下で自分の上に覆い被さったこの大人は、どうなのだ。

 

「……あんたは。」

 

カミーユの視線が、先生の背中に巻かれた真新しい包帯へと向かう。

 

「あんたは、違うんでしょう。生徒たちみたいに、銃弾を弾いたり、瓦礫に潰されても平気だったり……しない。ただの普通の人間だ。」

 

先生は何も答えず、ただ少しだけ困ったように薄く笑った。

それが肯定を意味していることは、カミーユにもすぐに分かった。

 

口に出して責め立てる気には、もうなれなかった。

今更だが、助けられた側が言うことでもない。

 

この大人の自己犠牲が、英雄気取りでも自己満足でもないことは、最初から分かっていた。

揺るがない、ただ純粋で底抜けの善意なのだと。

故に危ういのではあるが。

 

カミーユは小さく息を吐き出すと、それ以上は追及せず、両手で包み込んでいたマグカップを傾け、残っていたスープをゆっくりと喉の奥へ流し込んだ。

 

「……スープ…ありがとうございました…。」

 

空になったカップを机の端に置くと、それまで柔らかな空気を纏っていた先生が、少しだけ真面目な顔つきになった。

 

「それで、カミーユ。君はこれからどうするつもりだい?」

 

「え……。」

 

「身分を証明するものもない。この世界の通貨も持っていない。……行く当ても、ないんだろう?」

 

的確な指摘に、カミーユは口を閉ざした。

図星だった。

 

この見知らぬ世界で、帰る方法はおろか、今日生き延びるためのあてすら彼には何一つないのだ。

先の見えない現実に再び暗い影が落ちそうになった、その時だった。

 

「改めて自己紹介させてくれ。」

 

途端に明るい声で先生が話始める。

その急な温度差にカミーユはうろたえた。

 

「私は、連邦捜査部『シャーレ』の担当顧問。先生だ。」

 

学園都市で顧問ということは……。なんと、この男は教員だったらしい。

 

「確か、君は軍のパイロットだったんだよね。パイロットといえば基本的に士官、つまりエリートだ。」

 

「……名ばかりの中尉待遇でしたよ。大人が勝手に、そう扱ったというだけです。」

 

先生が唐突に、わざとらしいほど大げさなため息をついてみせた。

 

「で、本題なんだけど、このシャーレって組織は深刻な人手不足でね。見ての通り、毎日処理しきれない書類の山だ。」

 

大げさな身振り手振りで指した机の上の山積みの書類に目が行く。

先生だって怪我をして療養中だというのに、医務室に持ち込んでまで仕事をしている。

確かに余裕はないのだろう。

 

「今は生徒たちにも『当番』と銘打って交代で駆り出して、ようやく回しているような状況でさ。」

 

「……はあ。」

 

「君みたいな優秀な人材を安く雇えたらすごく助かるんだけどなー。住み込み、三食付き。色の付いた給料。悪くない条件だと思うんだけどなー。」

 

チラリと、わざとらしくこちらを窺うような視線。

あまりにも見え透いた、わかりやすい建前だった。

 

無一文で行く当てのない少年を保護するための、不器用な気遣い。

カミーユは思わず毒気を抜かれたように小さく息を吐いた。

 

「……あんた、嘘が下手すぎますよ。」

 

「そうかな? 結構本気で困ってるんだけど。」

 

くすくすと笑う大人の顔を見て、カミーユの口元にも、ほんのわずかだが自嘲ではない、自然な弧が描かれた。

 

実際今の自分に行く当てはなく、この世界にも明るくない。ここで意地を張って断るのは、ただの子供の痩せ我慢だ。

それに不思議と、この男が用意してくれた見え透いた建前には、素直に乗ってみようと思えた。

 

この人のお世話になりながら、帰る方法を探す。

きっとそれが今の自分にとって、一番良い手なのだろう。

 

「……書類整理でもなんでも、手伝いますよ。その代わり、三食きっちり出してもらいますからね。」

 

「おっ、やってくれる?」

 

「ええ。……これから、お世話になります。先生。」

 

少しぶっきらぼうな言葉選びとは裏腹に、カミーユは深く、丁寧に頭を下げた。

彼のその不器用で誠実な態度とは対照的に、先生はパッと顔を輝かせた。

 

「よしっ! やったぜ。 それじゃあ、明日からよろしく頼むよ!」

 

喜々としてガッツポーズを作る底抜けに明るい大人の姿に、カミーユは呆れたように小さく息を吐きながらも、小さく笑って見せた。

 

ブラインドの隙間から、眩い光が医務室の床に差し込んできた。

 

カミーユの顔を照らし、思わず目を細める。

気づけば、長かった夜が明けていたのだ。

 

カミーユがゆっくりと窓辺に歩み寄り、ブラインドを上げると、視界いっぱいに広がるのはキヴォトスの朝の風景だった。

吹き抜ける朝の風はひどく爽やかで、不思議とキヴォトスが自分を歓迎しているように思えた。

 

風に靡く青い髪は、朝日を散らし、カミーユの瞳は水面のように揺れている。

 

雲一つない、どこまでも高く澄み切った青空。

その青に手を伸ばして、小さく息を吸った。

 

それは、彼が今まで知らなかった、そしてこれから始まるであろう『青春』を予感させるような、あまりにも透き通った青だった。

 

 

 




ここまで読んでいただきありがとうございます。

読んでくれる方がたくさんいてとても驚いております。
カミーユ・ビダンというキャラクターがいかに愛されているのか実感している次第であります。

同時にちゃんとしたものにしなければと決意を胸にしました。
感想を書いてくれた方、こうしてここまで読んでくれた方、この場を借りて、お礼申し上げます。

余談ですが、実は1話でここまでの話を書くつもりでした。
膨らんだ結果、3話まで長くなってしまい、頭を抱えております。

連載と銘打って投稿しているものですから当然、定期更新を心掛けたいのですが、
週1から週2に一話が限度かもしれません。

再びになりますが、ほしい展開とかあったらコメントしていただけると助かります。
細かい話のストックがなくて……。

それと、未だに色々と勝手がわかってないので、何かあればご教授いただければ幸いです。
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総合評価:165/評価:6.29/連載:13話/更新日時:2026年05月16日(土) 10:57 小説情報

あゝ、忌まわしき青春の記憶よ〜ダメ男なガノタのブルアカ転生〜(作者:社会の歯車)(原作:ブルーアーカイブ)

 くたびれたおっさんとハツラツとしたJKの絡みなんていっちゃん面白いんだから‼‼▼ ガノタでブルアカオタクのおっさんがキヴォトスに転生して云々するお話です。▼ ガンダム要素は主人公の思想と一部の名称と仕草だけ出てきます。▼2/27追記:さすがにタイトル不適切だと思ったので少し変えました。


総合評価:362/評価:7.67/連載:15話/更新日時:2026年05月14日(木) 09:23 小説情報

機械兵と少女たちの記録(アーカイブ)と記録(メモリー)(作者:KUS)(原作:ブルーアーカイブ)

ある日、少年は目を覚ましたら▼なぜかガンダムになっていた。▼正確にはそのサポートAIだが▼困惑する彼の足元に白衣を着た少女たちがきた。▼頭に``輪っか``が浮かんでいる少女たちが。▼そして少年?は一つの答えに辿り着く▼ここ、ブルアカの世界じゃねえか▼と。▼その後、少年否ガンダムは、少女たちとともに強大な敵と戦い抜き、世界を守った。▼そしてガンダムは、少女たち…


総合評価:43/評価:-.--/連載:11話/更新日時:2026年05月23日(土) 23:40 小説情報

普通の美少女アンドロイドです。通してください。(作者:Alkane・Havok)(原作:ブルーアーカイブ)

唐突にカワイイ合成音声の高身長美少女アンドロイド(いわく付き)になった記憶喪失気味の一般転生者です。通してください。▼すみませんが初音ミクさんとは無関係です。


総合評価:180/評価:6.71/連載:4話/更新日時:2026年02月25日(水) 00:54 小説情報

偽アリスとして生きていく(作者:キヴォトスの企業担当を目指す人)(原作:ブルーアーカイブ)

アリスとはまた違う名もなき神々の王女の器に入ったオリ主君はサポートシステムに頼りながら生きていく…そんなお話。▼タグは後付けもありますし、亀投稿ですがお許しを…▼追記:ちょっと描き直しました


総合評価:192/評価:7.83/連載:3話/更新日時:2026年05月14日(木) 19:22 小説情報


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