星の鼓動は藍 -Archive of Kamille- 作:可笑名
前回とは打って変わって明るい話です。
書きます。
窓から差し込む光に瞼を照らされ、自然と目が覚める。
寝転んだままに、時計に目を向けると針は、六時半きっかりを指している。
ちょうどいい時間に目が覚めたようだ。
昨日、あの『先生』と呼ばれる男に連れられて、この連邦生徒会管轄の職員用マンションの一室を仮の住まいとしてあてがわれた。
狭い部屋で悪いね、と先生は言っていたが無一文で身分証もない現状からすると、十分すぎるほどの好待遇だ。
こうして部屋を与えられると、どうしてもアーガマの自室を思い出す。だが何もないこの部屋には軍艦のような息苦しさはない。
ただの学生として、一人暮らしが始まるような妙な瑞々しさがあった。
あれだけ重かった体は寝ているうちに随分と良くなったようで、体と頭は軽い。
カーテンを開けて、バルコニーに出る。
高く澄み渡った青空は広く、どこまでも広がる2000年代の都市のパノラマが朝の光を反射する。
遠くにはあの巨大な光の塔が見えた。
肌を撫でるのは、本物の風。足元にあるのは人工ではない、この星の引力だ。
「…地球じゃ、ないんだよな。」
未だ信じ難い話だがここは俺の知る地球ではないらしい。ここはキヴォトス、生徒が自治する学園都市である。
俺はその行政機関である連邦生徒会直轄の機関、連邦捜査部『シャーレ』で働くことになるらしい。
具体的にどういった組織で、どういった仕事をするのか等々は後々説明されるそうである。
組織概要すら説明されなかったことには、一抹の不安を覚えた。
何も反連邦生徒会組織なんてことは無いだろうが、説明を避けたことに、どうにも意図を感じられずにはいられない。
今気にして仕方ない話でもある。
気を取り直して、カミーユはベッドの脇に置かれていた紙袋を手に取った。
どうやら、まだ正式に採用が決まったわけではなく、シャーレの制服を渡すことはできないと言われた。
それで昨日、先生が「着替えを買ってきたから」と渡してくれたものだ。
袋の中身を取り出したカミーユは、その服のシルエットを見て顔を引きつらせた。
「……なんだよ、これ。」
出てきたのは、シンプルなデザインのパーカーと細身のボトムス。
だが、腰回りのラインの絞り方や、袖丈の短さ、生地の質感などが、どう見ても『男物』の作りではなかった。
袋の底から、先生の殴り書きのメモがひらりと落ちる。
『ごめん! キヴォトスには男の子の服を売ってる店がなくて、一番ボーイッシュなやつを買ってきました。我慢して!』
「…………。」
ノーマルスーツを着て出勤するわけにもいかないとすると、
コレを着ていかないといけないのだろう。
いくらなんでも女子用の服を着るなんて、と抗議する宛もなく、カミーユは渋々そのパーカーとボトムスに袖を通した。
「……サイズがぴったりなのが、一番腹が立つな……」
特有の中性的な顔立ちと、鍛えてはいたが筋肉がつきにくい華奢な体躯。
それが災いして、少しボーイッシュな女子用の服は、
恐ろしいほどジャストフィットしてしまっている。
洗面台の鏡の前に立って、己の線の細さを呪った。
「これじゃあ…まるで…」
その先の言葉は飲み込んだ。例え自分の口からとしても言葉にしたくはなかった。
カミーユは小さくかぶりを振り、鏡から目をそらすと、身支度を整えて部屋を出た。
最寄り駅からモノレールに乗り込み、先生から指定された『シャーレ』のオフィスへ向かう。
車内は朝の通勤通学で程々に混み合っていた。
慣れない乗車のシステムに戸惑いながら、なんとか車両の端の吊り革に掴まる。
ふと車内を見渡したカミーユは、その異様な光景に、見慣れぬ日常の姿に目を瞬かせた。
「ねぇねぇ、薬丸堂の新作のスイーツ!あれ、食べた?」
「イチゴのやつだよね! めっちゃ映えるやつ!まだ食べてないんだよー。」
「えーじゃあ放課後食べ行こうよー!」
「部長、今月の予算…尽きそうっす」
「やっぱ部活の予算あげてもらわないと、首回んないよねー」
「っすよねー。あーなんとかなんないっすかねー」
乗客の半分は、二足歩行でスーツを着た犬の獣人や、モニター顔のロボット市民たち。
もう半分の乗客は頭上に光の輪を浮かべた学生服を着た少女たち。
彼女たちの手や背中、あるいは足元には、アサルトライフル、サブマシンガン。
果ては巨大な対戦車ライフルや機関銃が、当然のような顔をして持ち込まれている。
平和な女子高生の会話のすぐ横に、実弾の装填された火器がゴロゴロと転がっている。
自分の知る限り、銃の仕事は畏怖と暴力だった。
それがここでは、思い思いにデコレーションされ日用品の一部として扱われている。
信じられない日常の光景が、異世界にいることの小さな実感をもたらした。
この世界で暮らす以上、まずはこの光景に慣れなくては。
平和でひどく穏やかな日常、少女たちの青春の一幕が少し眩しく見えた。
つり革が揺れて、緩やかに車両が減速していく。
無機質な車内アナウンスが目的地の到着を告げると、カミーユは小さく息を吐いてモノレールを降りた。
◇
指定された地図を頼りに歩き、連邦捜査部『シャーレ』のオフィスがある建物へとたどり着いた。
見上げるような立派なビルのエントランスを抜け、教えられた執務室の前に立つ。
「ここか……」
ノックをして扉を開けると、そこには酷く冷たく張り詰めた空気が満ちていた。思わず入り口で足を止める。
「――先生。これは一体、どういう冗談ですか」
執務室のデスクの前に、腕を組んで仁王立ちしている一人の女性がいた。
尖ったエルフのような耳と、冷徹な理知を感じさせる青い双眸。光を反射する眼鏡が理性と神経質な様相を物語っていた。
「身元不明、所属学園もなし。おまけにキヴォトスの住人であるという記録も、ヘイローすらも存在しない『少年』を、超法規的機関であるシャーレの補佐官として雇うなど。……いくら先生でも、正気の沙汰とは思えません。それに――」
彼女の鋭い視線は、デスクに座ってのらりくらりとしている先生と、そして後ろから入ってきたカミーユを交互に射抜いていた。
「すいません。先生は今、大事なお話があります。もし用事があるなら後にしてください。」
女性がカミーユに向き直って、冷たく言い放つ。
カミーユは小さく瞬きをした。そして先生の方を見る。
その目を見て先生は困ったような顔をして頭を掻いた。
「えーっとね、リンちゃん。紹介するよ。彼はカミーユ、私が今回「シャーレの補佐官」に推薦する子だよ。」
「……は?」
リンと呼ばれた女性の口から、間の抜けた声が漏れた。
もう一度、「彼」と呼ばれた少女の立ち姿を頭の先から足元まで、まじまじと見つめ直す。
少し長めの髪に、整った中性的な顔立ち。
そして何より、体のラインにジャストフィットしているボーイッシュ物の女子用の服。
目線が首元に向かう。僅かに浮かぶ喉仏、線の細さの中にも確かに存在する男性特有の骨格…。
ここでようやく自身の勘違いに気がついたようだった。
「……なるほど。……それは、大変失礼いたしました。」
リンは小さく咳払いをして、居住まいを正した。
だが、その直後。彼女の眼鏡の奥の瞳が、スッと細められる。
もう一度カミーユの服装を一巡したリンは、ゆっくりと先生に向き直った。
その視線は、先ほどまでの『呆れ』から、明確な『軽蔑』へと変わっていた。
「……では、なぜ彼はわざわざ、女子用の服を着ているんですか? 先生の趣味ですか?」
「違うよ!? キヴォトスに男物がないから、仕方なくスポーツショップで買ってきただけで……!」
「趣味じゃないなら、なおのこと配慮が足りません。彼も困惑しているじゃないですか。」
「うっ……ごめん、カミーユ……。」
リンからゴミでも見るような視線を浴びてしゅんとする先生。
大の大人が年下の、それも高校生ほどの年齢の子供に本気で叱られている。
この光景も学園都市特有のものだろうか、それとも『先生』の人物の為せる業なのだろうか。
小さく息を吐き、静かに部屋の中へと足を踏み入れる。
「……服のことは気にしていません。僕の手持ちが何もないせいで、急いで用意してもらったものですから。」
見兼ねて先生を庇うようにそう告げると、リンの正面に立ち、真っ直ぐにその眼鏡の奥の目を見返した。
「カミーユ・ビダンです。今日から、この『シャーレ』で補佐官として働くことになりました。……まだ、そちらの承認は下りていないようですが。」
その落ち着き払った声色と、年齢にそぐわないひどく静かな眼差しを受け、リンは微かに眉を動かした。リンは小さく息をつき、手元のタブレット端末を胸に抱き直す。
「……七神リンです。連邦生徒会で首席行政官を務めています」
事務的なトーンを取り戻した彼女は、再び毅然とした態度で二人を見据えた。
「正直なところ、身元の知れないあなたをシャーレに置くことは、到底認められるものではありません。ですが、連邦生徒会長が行方不明の現在、超法規的機関であるシャーレの人事権は実質的に先生に委ねられています。先生がどうしてもあなたを必要だと言うのなら……私から強制的に排除することはできません。」
「……ありがとう、リンちゃん。」
「感謝するのはまだ早いです、先生。あくまで暫定的な処置に過ぎません。彼の働きぶりや素性については、連邦生徒会として今後厳しく監査させていただきますので。」
ピシャリと釘を刺すように言い放つ。
その手厳しい言葉の応酬を眺めながら、カミーユは心の中で小さく安堵していた。
どうやらここは暴力ではなく、対話と秩序が機能する場所らしい。
戦場という環境で、必要だったとはいえ子供に理不尽と理屈を押し付け、修正と称した暴力を振り回したエゥーゴとは違うようだ。
「……私の用件は以上です。先生、補佐官がついたからといって、彼に未処理の書類をすべて押し付けてサボるような真似は絶対にしないでくださいね。」
「も、もちろん! 一緒に頑張って終わらせるよ!」
疑わしげに目を細めた後、リンは小さくため息をつき、踵を返して執務室の扉へと向かう。
すれ違いざま、彼女はカミーユの方へ視線を向け、事務的な、しかし先ほどよりは幾分か柔らかい声で短く告げた。
「……問題を起こせば、容赦なくシャーレへの出入りを禁じます。ですが……これから、よろしくお願いします。カミーユ補佐官。」
「えぇ。こちらこそ、よろしくお願いします。」
カミーユが静かに頷くと、リンは一礼して部屋を出て行った。
バタン、と重厚な扉が閉まり、執務室には二人きりの空間が生まれる。
途端に、先生はこれ以上ないほどだらしなく机に突っ伏し、特大の安堵の息を吐き出した。
「た、助かったよ、カミーユ……。リンちゃんがあんなに冷たい目をしてるの、久しぶりだったから……寿命が縮むかと思った……。」
「あの言い方だと、自業自得にも聞こえますけどね。」
「うぅ……反論できない。」
情けない声を上げてへたれ込む大人を見下ろしながら、思う。
この大人の今の姿は、狙って演じているものだろうか、と。
無防備で情けなくて、隙だらけな姿と、無茶して人を庇う姿が重ならない。
だが不思議と嫌悪感や不信感を抱いてはいなかった。
「さて、と」
先生は気を取り直したように顔を上げ、自身のデスクの引き出しから一枚のカードキーと、真新しいタブレット端末を取り出して差し出した。
「これが君の仮IDと、仕事用の端末。まだ権限は制限されてるけど、基本的な学園都市のデータベースやマップにはアクセスできるよ。今日からよろしく頼むね、補佐官。」
「了解しました。……それで、なにをしたらいいんです?」
端末を受け取りながら尋ねる。
軍務の経験もあってのスカウトだ。これが意味することは、多少なりとも戦場に関わる仕事である、ということだろう。
管轄区の防衛ラインの策定か。あるいは、昨日のような市街戦の戦後処理か。
だが、先生から返ってきた言葉は、予想とは全く違うものだった。
「えーっとね……まずはこの、山のように溜まった経費精算のレシートと、部活の予算申請書の仕分けを……お願いしてもいいかな?」
そう言って先生が申し訳なさそうに指差したのは、デスクの端にそびえ立つ、今にも雪崩を起こしそうな書類の塔だった。
デスクの上には、「ゲーム開発部予算改定案」だの「交通インフラの修理予算策定」だのといった、軍務とはかけ離れた文字が並んでいる。
「……わかりました。手伝いますよ、先生。」
「助かるよ…。 いやぁ、一人だと今日中に終わる気がしなくて……」
安堵の声を上げる情けない大人の横に並び、少しだけ窮屈なパーカーの袖をまくり上げて、紙の山へと手を伸ばす。
命を削る必要のない戦場。
ただの学生のように、呆れたり、ため息をついたりしながら、山積みの課題を片付ける日々。
柔らかい朝の日差しが差し込むシャーレの執務室で、カミーユ・ビダンの新しく、そしてひどく平穏な日常が幕を開けた。
…………様に思えた。
それは、作業を開始して数時間が経過した頃だった。お昼休みが近づくにつれ、シャーレのオフィスには当番や部活の申請で、他学園の生徒たちがちらほらと出入りし始めている。
執務室の開かれた扉の隙間から。あるいはエントランスのガラス越しから。
シャーレを訪れた一般生徒たちが、コソコソとスマートフォンを操作しながら顔を寄せ合っていた。
「ねえねえ、見た!?」
「うん、見た! 先生の隣の席に、見慣れない子が座ってる!」
彼女たちの視線の先には、窓からの光を浴びながら真剣な顔でパソコンと書類に向かうカミーユの姿がある。
青みがかった髪に、中性的で整った顔立ち。
線の細い華奢な体躯に、ジャストフィットしてしまっているボーイッシュな女子用の服。
そして首には、先ほど渡されたばかりの真新しいシャーレのIDカード。
「すっごい綺麗な子! 新しい当番の子かな?」
「でも、あんな子、どこの学園でも見たことないよ……。ヘイローもないみたいだし」
「まさか、先生の隠し子!? それとも新しいお気に入り!?」
「やばっ、『シャーレに配属されたクール系美少女』って、絶対バズるよこれ! 早く写真撮ってモモトークのグループに送らなきゃ!」
パシャ、と無音カメラで撮影された一枚の画像。
ピコン、ピコンと、キヴォトス全土のSNSに『噂』が瞬く間に拡散していく音がする。
自分が着ている服と、特有の線の細さが引き起こした、あまりにも致命的な勘違い。
とんでもない火種がキヴォトス全土に向けて放たれていることなど露知らず。
渦中のカミーユ本人は、仕分け中の書類から「C4爆薬購入費(※学園祭の演出用)」という
とんでもない名目の領収書が出てきて二度見していた。
「調子はどうだい。仕事には慣れてきたかな?」
「ええ、多少は。しかし……」
カミーユが手元の書類を指差すと、先生はどれどれ、と彼の背後からふらりと身を乗り出した。
覗き込むように顔を寄せ、パソコンのモニターと書類を交互に見つめる。
こうなると、廊下やエントランスから様子を窺っていた生徒たちは大騒ぎである。
「ええっ、ち、近くない!?」
「し、しかも先生の方から行ったよね!」
「肩越し! 肩越しに覗き込んでる!!」
無理もない。
片や、キヴォトスの生徒たちから絶大な信頼と好意を集める、長身の『先生』。
片や、少しボーイッシュな服に身を包んだ、どこか儚げで線の細い『美少女(※男である)』。
先生が背後から屈み込むことで否応なく強調される、露骨な身長差。
書類を指差して呆れを含んだ真剣な表情で問いかけるカミーユと、困ったように笑いながらそれに答える先生。
窓から差し込む柔らかな光が二人を包み込み、ガラス越しに見えるその構図は、一つの完成された青春のワンシーンのように映っていた。
「やばい、身長差やばい……尊い……っ!」
「先生のあんな甘やかすような顔、見たことないかも……」
「二人だけの世界じゃん! 完全に入り込めない雰囲気出てるよ!」
パシャパシャパシャ!と、もはや無音カメラの設定すら忘れかけた生徒たちが、息を荒げながらスマートフォンのシャッターを切りまくる。
『速報:シャーレの先生、謎のクール系美少女と密着』
『身長差エモすぎ、てぇてぇ♯身長差カプ』
『これ絶対付き合ってるでしょ』
『♯ガチ恋勢、息してる?』
そんなテキストと共に、奇跡的なアングルで撮られた
「絵になるイケメンとボーイッシュ美少女の絡み」の画像が、
キヴォトスの巨大匿名掲示板やSNSを凄まじい勢いで駆け巡っていく。
「……どうして学園祭の演出に軍事用の爆薬が要るんですか。」
「あはは……ゲヘナの温泉開発部はね、ちょっと情熱の方向性が特殊なんだよ。とりあえずこれは保留にして、こっちの書類を手伝ってもらおうかな」
「情熱で爆薬が買えるなら、軍隊は苦労しませんよ……。」
「ごもっともです……。」
当の本人たちは、外で自分たちが『尊い』の被写体にされ、
キヴォトス全土に特大の火種をばら撒いていることなど微塵も気づいていない。
ただひたすらに、書類の束について、呆れ顔で言葉を交わしているだけだった。
その日の夜。
だいぶ大きさを減らした書類の山を横目に、カミーユは初出勤を終わろうとしていた。
「お疲れ様、カミーユ。初日からこんなに手伝ってもらって、本当に助かったよ。一人だったら確実に徹夜コースだった……」
デスクに突っ伏したまま、先生が力なく、しかし心底ホッとしたような声を上げる。
カミーユは真新しいIDカードを首から外し、少しだけ窮屈なパーカーの肩口を軽く回しながら立ち上がった。
「いえ。……元居たところに比べたら、命の危険がない分、随分と気楽なものです。」
「あはは、カミーユのいた世界は本当にハードだね……」
先生は苦笑しながら身を起こすと、デスクの下から取り出した缶のスポーツドリンクをカミーユに向かって軽く放り投げた。
パシッ、と片手でそれを受け取る。
その時だった。
――ぐぅぅぅぅぅ……。
すっかり静まり返った執務室に、ひどく間の抜けた音が響き渡った。
音の出所は、机に突っ伏している先生の腹である。
「……」
「……」
数秒の気まずい沈黙。
先生はゆっくりと顔を上げ、壁の時計と、すっかり暗くなった窓の外の景色を交互に見比べた。
そして、サァッと血の気を引かせてカミーユを振り返る。
「……ねえ、カミーユ。私たち、今日お昼ご飯……。」
「食べてませんね。交通インフラ補修予算申請と睨み合っていましたから。」
「じゃ、じゃあ、夕飯は……。」
「……完全に忘れていました。」
カミーユが淡々と事実を告げると、
先生は「あああああっ!」と頭を抱えて勢いよく立ち上がった。
「ごめん! ごめんよカミーユ! 初日から補佐官に昼も夜もご飯を食べさせず、ぶっ続けでブラック労働させるなんて……大人としてあるまじき失態だ……!」
本気で頭を抱え、大袈裟なほどに嘆く先生を見て、カミーユは小さくため息をついた。
「別に気にしてませんよ。食事の時間が不規則になるのは慣れていますし。戦闘空域にいる時は、レーションをかじる暇もないことなんてザラでしたから。」
「余計に泣けること言わないで!? ここはキヴォトスだよ! 成長期の子供にご飯を抜かせるなんて、このシャーレの先生が絶対に許さない!」
バサッ! とハンガーにかけてあった上着を引っ掴み、先生はカミーユの手首を引いた。
「行こう、カミーユ! エンジェル24でお惣菜をありったけ買い占めてもいいし、ファミレスでも、ラーメン屋でも、なんでも好きなものを奢るから!」
聞きなじみのない単語が続くが、それよりも気になることを言っていた。
「奢るって……先生、今月の生活費がすでにカツカツだって、さっきの経費処理の時に自分で言ってたじゃないですか。」
「こういう時は、大人の甲斐性を見せるものなんだよ! お腹いっぱい食べさせないと、私の気が狂いそうだから付き合って!」
半ば強引に背中を押されながら、カミーユは呆れたように息を吐く。
だが、その足取りは決して重くなかった。
「……わかりましたよ。じゃあ、遠慮なく奢らせてもらいます。」
「うん! シャーレの近くにとびきり美味しいお店があるんだ!」
すきっ腹を抱えた情けない大人と、その歩幅に合わせて歩く少年。
時刻は夜の八時を回ったところ。
取り上げるほど遅い時間ではないが、街はすっかり夜のネオンに彩られている。
夜の冷たい風が吹き抜けるオフィス街を抜け、二人は明かりの灯る賑やかな店舗
――『D.U.軒』へと足を踏み入れた。
◇
「イラッシャイマセ! 特製チャーシュー麺全部乗せ、二丁、オマチドウサマデシタ!」
「ありがとう、大将!」
合成音声のような威勢の良い声と共に、湯気を立てる巨大なすり鉢のような丼をドン、とテーブルに置いたのは、
首から上が四角いモニターになっており、画面に「( `・ω・´ )」という顔文字を映した『ロボット市民』だった。
「…………」
カミーユは目を白黒させながら、厨房へ戻っていくロボットの背中と、目の前の暴力的なビジュアルの料理を交互に見比べる。
山盛りのネギに、丼の縁を埋め尽くす分厚い肉。煮卵や海苔まで限界まで乗せられたその物体に、カミーユは僅かに顔を引きつらせた。
「……先生。この食べ物は一体……?」
「あはは、これが『ラーメン』さ! 私のイチオシなんだ。カミーユ、こういうの食べたことない?」
「……俺はコロニー育ちですから。こういうのは、あんまり…。」
「そっか……よし! じゃあ、今日がカミーユの記念すべき初ラーメンだね! 遠慮しないでいっぱい食べて!」
先生はそう言うと、自分の丼からさらに分厚いチャーシューを数枚、カミーユの丼へと滑らせた。
「ほら、お肉のおまけ。育ち盛り育ちざかりなんだから、これくらいペロッと食べないと!」
「いや、いいですって。自分の分くらい自分で……」
「いただきますっ!」
遮るカミーユの声も届かず、勢いよく割り箸を割って、先生が麺を啜る。
「~~ッ!うまいっ!」
その様子に呆れながらも、カミーユは割り箸を割って、見よう見まねで麺を啜る。
空腹の身に染み渡る、濃いめのスープと熱々の麺。
カミーユの顔が、自然と少しだけ綻んだ。
「……美味いですね、これ。」
「でしょ? ふふっ、よかった。」
素直な感想を漏らしたカミーユを見て、先生も心底嬉しそうに目を細め、再び勢いよく自分のラーメンを啜り始めた。
すきっ腹を満たす熱気と、油の浮いたスープの暴力的なまでの旨味。
始めて食べるご馳走に、カミーユは静かに箸を進める。
が、二人は気づいていなかった。
大通りに面したガラス張りのこの店舗で、その仲睦まじい姿が、どれほど周囲の目を惹きつけていたかに。
「ねぇ、あれ……先生じゃない?」
「うそ、本当だ。こんな時間に珍しいね……って、向かいに座ってるの、誰?」
店外の通りを歩いていた、帰宅途中の他学園の生徒たち。
彼女たちの視線が、ガラス越しにラーメンを啜る二人へと釘付けになった。
「えっ……すっごい綺麗な子! あんな子、見たことないよ!」
「先生、あの子のどんぶりに自分のお肉分けてあげてたよ! 初めて食べるみたいに、すごく優しくお世話してて……!」
「……これって、まさか……夜のデート!?」
「待って! 昼間にSNSで回ってた『シャーレの新しい子』って、あの子のことじゃない!?」
パシャ、パシャ、と。
夜の通りから、無音設定のスマートフォンのカメラが二人を捉える。
先生の隣に座る、どこか儚げで線の細い、ボーイッシュな服に身を包んだ『美少女』。
珍しい食べ物に驚く彼女(?)の顔を嬉しそうに覗き込みながら、
甲斐甲斐しくチャーシューを取り分けてあげる先生。
それはどう見ても、先生が特別に目をかけている「お気に入り」を、
夜の街で甘やかしているプライベートな時間にしか見えなかった。
『緊急速報:先生、謎のクール系美少女と夜のラーメンデート!!』
『昼間も二人きりで密着してたらしいよ』
『完全に先生の奢りだよ、これ。彼氏ヅラしてる先生尊い……じゃなくて! 許せない!!』
『抜け駆け!? どこの誰よ!!』
ピコン、ピコン、ピコン。
昼間の『密着写真』の噂に火を注ぐように、この『夜のラーメンデート』の隠し撮り写真は、キヴォトス全土のSNSコミュニティへと爆発的な勢いで拡散されていった。
自分が着ている服と、特有の線の細さが引き起こした、あまりにも致命的な勘違い。
そして、当の本人たちがただ「昼飯と夕飯を忘れて激務をこなしていただけ」という事実など知る由もない生徒たちの嫉妬心と憶測は、SNSの中で急速に膨れ上がっていく。
「……先生、口元にネギがついてます。大の大人がみっともないですよ。」
「あ、本当だ。ごめんごめん。」
呆れながら紙ナプキンを差し出すカミーユと、照れ笑いしてそれを受け取る先生。
その微笑ましくも間の抜けた光景を最後に、カミーユ・ビダンのキヴォトスでの一日目は、嵐の前の静けさという名の平和な幕を閉じたのであった。
深夜、連邦生徒会を経由して、キヴォトス全土の学園に向けて一つの事務的な通達が一斉送信された。
『専属の補佐官が着任したため、各学園から持ち回りで派遣されていた【シャーレの当番】制度を、当面の間休止する』
とんでもない火種がキヴォトス全土を巻き込んで大爆発を起こそうとしていることなど、
当のカミーユは知る由もない。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
思いついた展開をそのまま形にしてしまったのですが、時系列に一抹の不安を抱いています。
多分、何とかするでしょう。多分。
カミーユはそんなに女の子に見えないかも、と思いつつ、女性用かつパーカーで、キヴォトスと言う特異な環境が生み出した珍事と思ってもらえれば…。
勢いで書いてしまったので、なにかおかしいところがあったら、ご指摘くださると助かります。
また未だに色々と勝手がわかってないので、何かあればご教授いただければ幸いです。