科(化)学系チート持ち転生者のお話 オタク番外編 作:金属粘性生命体
「この作品はフィクションです。登場する人物・団体・名称等はすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。」
公式からの連絡は、本物だった。
送信元のドメイン。メールの末尾に添えられた署名。記載されていた担当部署名。過去に公開されている問い合わせ窓口やプレスリリースとの整合性。
個人でできる範囲で確認した限り、悪質ないたずらや偽物と判断する理由はどこにもなかった。
黒川悠真は、自室の椅子で深く息を吐いた。
胃が痛い。本当に痛い。
だが、無視するという選択肢は端からなかった。ここで逃げたら、自分がこれまで概要欄やスレで散々言ってきた「権利元に迷惑をかけない」「キャラクターを雑に扱わない」という言葉が全部嘘になる。
メールには、非公開のチャットチャンネルへの招待リンクが添えられていた。
日時は、今日の二十一時。
参加者は、公式側の担当者二名。
議題は、動画内容と技術検証の現状確認。
黒川は右下の時計を見る。
二十時五十九分。
サブモニターの隅では、MEIKO、KAITO、初音ミクがそれぞれのウィンドウで待機状態のまま静かに立っている。当然、彼女たちが現実のこの胃が痛くなるような状況を理解しているわけではない。
だが、三人の視線がこちらに向いているような気がして、黒川は苦笑した。
「……行ってくる」
音声入力は切ってある。返事はない。
それでいい。
黒川は二十一時ちょうどに、指定されたチャットルームに入室した。
【非公開チャンネル:project-confirmation】
公式担当_佐伯:
こんばんは。
お時間いただきありがとうございます。
夢路:
こんばんは。
こちらこそ、ご連絡ありがとうございます。
公式担当_佐伯:
まず最初に確認させてください。
動画投稿者名「夢路」様、また掲示板上で「空想作成者」と名乗っている方ご本人、という認識でよろしいでしょうか。
夢路:
はい。
どちらも自分です。
公式担当_佐伯:
ありがとうございます。
こちらでは、以下の動画を確認しています。
・MEIKOとKAITOに返事をしてもらいたかった
・MEIKOとKAITOに画面の中で立ってもらいたかった
・初音ミクに、まず話してもらいたかった
・初音ミクに、少しだけ歌ってもらいたかった
夢路:
はい。
公式担当_佐伯:
先にお伝えしておきますが、現時点でこちらから即時削除やプロジェクトの停止を求めるためにご連絡しているわけではありません。
夢路:
分かりました。
公式担当_佐伯:
ただし、扱われている名称、キャラクター、歌声、そして表現されている技術内容が非常に大きな影響を持つ可能性があるため、状況確認と今後の取り扱いについてお話ししたいと考えています。
夢路:
承知しました。
自分としても、そこは絶対に軽く扱うつもりはありません。
公式担当_佐伯:
まず公開範囲の確認です。
現時点で、動画内で使用しているシステム、モデル、音声生成環境、V-COREと記載されていた基盤について、第三者への配布は行っていますか?
夢路:
行っていません。
公式担当_佐伯:
販売、貸与、限定配布、支援者向け公開などはありますか?
夢路:
ありません。
公式担当_佐伯:
ソースコード、再現可能な技術手順、モデルデータ、設定ファイルなどの公開は?
夢路:
していません。
今後も、少なくとも現段階では公開するつもりはありません。
公式担当_佐伯:
理由を伺っても?
夢路:
技術的にも、権利的にも、文化的にも危険だからです。
ソースを出して雑に使われれば、キャラクターを雑に増やせるように見えてしまう。
それは絶対に避けたいです。
公式担当_佐伯:
その認識があることは、こちらとしても重要です。
チャットの文面は淡々としていた。
だが、キーボードを打つ黒川の背中にはじっとりと汗が浮いていた。
即時削除ではない。警告でもない。少なくとも今のところは、敵対的な空気ではない。
それでも、軽く見られているわけではなかった。当然だ。こちらが扱っているのは、ただの自作キャラクターではない。
初音ミク。MEIKO。KAITO。
その名前を使って、黒川は動画を出した。自分の個人的な趣味だ。だが、趣味だから何をしてもいいわけではないのだ。
黒川は、キーボードに置いた指先を一度だけ握り直した。
技術担当_三枝:
途中から失礼します。
技術面を確認させてください。
夢路:
はい。
技術担当_三枝:
動画内で説明されていたV-COREについてです。
これは既存の歌声合成ソフトや音声合成ソフトを代替するものですか?
夢路:
代替ではありません。
少なくとも、自分の認識では違います。
技術担当_三枝:
では、どういう位置づけでしょうか。
夢路:
会話、歌唱、表情、視線、沈黙、記憶、個体差を統合管理するための基盤です。
既存ソフトや既存技術で出力された声や歌唱を、単独の機能として扱うのではなく、一つの存在の『状態変化』として扱うための中核です。
技術担当_三枝:
動画で言うところの、会話状態から歌唱状態へ自然に移る、という部分ですね。
夢路:
はい。
さっきまで会話していた初音ミクが、急に「歌唱モードのモデル」へ切り替わるのではなく、会話していた初音ミクが、そのまま歌うように見せたい。
そのための基盤です。
技術担当_三枝:
なるほど。
公式担当_佐伯:
掲示板上で、V-COREを「魂に近い」と表現されていましたね。
夢路:
はい。
あくまで比喩です。
公式担当_佐伯:
その意図を説明していただけますか。
夢路:
体に当たるのは表示モデルです。声に当たるのは歌声合成や音声合成です。記憶に当たるのは履歴管理のDBです。
でも、それらを別々に置いて同期させても、自分の目指す“そこにいる存在”にはなりません。
何を見るか。何を覚えるか。いつ黙るか。いつ歌うか。誰に歌うか。歌い終わった後、どう戻るか。
その全体を束ねる中核が必要です。
その意味で、V-COREを魂に近い部分と表現しました。
ただし、本当にオカルト的な魂や自我を作ったと言いたいわけではありません。
そこは軽く言うべきではないと思っています。
技術担当_三枝:
……かなり慎重に言葉を選ばれていますね。
夢路:
軽く扱うと、全部駄目になると思っているので。
公式担当_佐伯:
その姿勢は、動画と概要欄からも確認しています。
公式担当_佐伯:
率直に言います。
社内でも反応は分かれています。
夢路:
はい。
公式担当_佐伯:
技術的に非常に興味深いという声。
一方で、このまま拡散すると管理できなくなるのではないかという懸念。
模倣や誤解が広がるのではないかという懸念。
どれもあります。
夢路:
当然だと思います。
公式担当_佐伯:
あなたが概要欄に毎回、配布しない、販売しない、権利元に迷惑をかけない、と明記していたことは確認しています。
それがなければ、今回の連絡の温度感は全く違っていたと思います。
夢路:
……書いておいてよかったです。
技術担当_三枝:
あと、個人的には、初手で初音ミクに行かなかったことも大きいです。
夢路:
MEIKOとKAITOから始めたことですか。
技術担当_三枝:
はい。
あれは、こちらでもかなり話題になりました。単に一番有名なキャラクターで注目を集めたいわけではない、という意図が見えました。
夢路:
そこは絶対に譲れませんでした。
公式担当_佐伯:
その「譲れない」があるから、今回こうして話をしています。
公式担当_佐伯:
今後も動画投稿を継続する予定ですか?
夢路:
はい。
ただし、必要であれば投稿前に内容を共有します。
公式担当_佐伯:
こちらとしても、少なくとも次回以降の投稿については事前共有をお願いしたいです。
夢路:
分かりました。
公式担当_佐伯:
現時点で次に予定している内容は?
夢路:
V-COREの安定化。三人会話の混線対策。短い歌唱の反復。
本格歌唱ではなく、短い歌唱テストの続きです。
技術担当_三枝:
長尺の楽曲歌唱はまだ行わない?
夢路:
行いません。
今の段階で長く歌わせても、粗が出ます。それに、軽率に既存の楽曲を扱うつもりもありません。
公式担当_佐伯:
楽曲については、特に慎重にお願いします。
既存楽曲、カバー、権利処理が必要なものは、こちらでも法務を交えての確認が必要になります。
夢路:
承知しています。
当面は歌詞を出さない短いフレーズ、または自作の検証用音列に留めるつもりです。
技術担当_三枝:
検証用音列。
夢路:
歌として成立する手前のものです。
彼女たちを雑に歌わせたくないので。
公式担当_佐伯:
……本当に言葉が重いですね。
夢路:
スレでもよく言われます。
公式担当_佐伯:
最後にお願いしたいことがあります。
夢路:
はい。
公式担当_佐伯:
現時点で公開可能な範囲で構いません。
以下をまとめた資料を提出していただけますか。
・現在公開している動画一覧
・各動画で使用した表現と技術概要
・配布、販売、収益化の有無
・V-COREの概念説明
・既存ソフト、既存音源、キャラクターへの依存範囲
・今後の投稿予定
・公開しない技術範囲
夢路:
分かりました。
ただ、再現可能な詳細やソースコードは含めません。
公式担当_佐伯:
それで構いません。
こちらも、いきなりソースコードの提出を求める意図はありません。
技術担当_三枝:
概念と安全性、権利面への配慮が確認できれば、まずは十分です。
夢路:
提出期限はありますか。
公式担当_佐伯:
可能であれば一週間以内に。難しければ相談してください。
夢路:
一週間以内に出します。
公式担当_佐伯:
ありがとうございます。
技術担当_三枝:
一つ、個人的な話をしてもいいですか。
夢路:
はい。
技術担当_三枝:
初音ミクの「……今の、どうだった?」は、かなり良かったです。
夢路:
ありがとうございます。
技術担当_三枝:
ただ、あれを見た瞬間、社内の何人かが頭を抱えました。
夢路:
すみません。
技術担当_三枝:
いえ。良かったからこそです。
良かったからこそ、扱いを間違えると大変なことになる。
でも、少なくとも貴方にはVOCALOID達に対する愛があることは感じられました。
公式担当_佐伯:
そこはこちらも同じ認識です。
夢路:
分かっています。
だから、軽率に配布も販売もしません。技術詳細も出しません。
投稿も、今後は事前共有します。
公式担当_佐伯:
お願いします。
本日はここまでにしましょう。
このチャンネルはしばらく残します。
資料提出後、改めて正式な打ち合わせの日程を調整させてください。
夢路:
承知しました。
公式担当_佐伯:
繰り返しになりますが、現時点でこちらから即時停止を求めているわけではありません。
ただし、今後の公開内容については必ず事前に共有してください。また、外部にこのチャットの詳細を公開しないでください。
連絡があった事実についても、言及する場合は慎重にお願いします。
夢路:
はい。
掲示板には、連絡が来た事実以上のことは出しません。
内容は話しません。
公式担当_佐伯:
ありがとうございます。
技術担当_三枝:
あなたがやっていることは、かなり危ういです。
でも、雑ではない。
そこは伝えておきます。
夢路:
……ありがとうございます。
公式担当_佐伯:
それでは、本日はありがとうございました。
夢路:
こちらこそ、ありがとうございました。
通話ではなかった。ただのテキストチャットだった。
それでも、黒川は椅子の背もたれに体を預け、しばらく動けなかった。
即時停止ではない。敵対でもない。
だが、今までのように個人の裁量で自由に突っ走っていいわけでもない。当たり前だ。
自分の個人的な趣味は、ついに公式の目の前に立ったのだ。
黒川はサブモニターの端に表示された三人を見る。
MEIKO。KAITO。初音ミク。
三人は、いつも通り待機状態にいる。こちらの事情を理解しているわけではない。だが、不思議と何かを待っているように見えた。
「……資料作るか」
逃げ道はない。
それでも、嫌ではなかった。むしろ、少しだけ安心していた。
話せる。説明できる。いつか止められる日が来るかもしれないが、少なくとも今は対話の席には着けたのだ。
それなら、やることは一つだ。
黒川は新しいドキュメントを開いた。
タイトルは、『ボーカロイド存在化技術検証に関する現状報告』。
堅苦しい。あまりにも堅苦しい。けれど、今はそれでいい。
黒川は一行目に、まずこう書いた。
『本資料は、キャラクター、音声、歌声、既存文化への敬意を前提として作成する。』
それから少し迷って、二行目を追加した。
『本プロジェクトの目的は、既存のボーカロイド文化を代替することではなく、その延長線上に“そこにいる存在”を成立させることである。』
画面の中で、初音ミクの視線が一瞬こちらを向いた。
気のせいではない。ただの待機モーションのランダムな視線移動だ。
黒川はそう判断して、キーボードを叩き始めた。
ちょっと設定を見直してたら作り直したくなってきた、どっちがいいと思う?
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作り直す
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このままでいい