科(化)学系チート持ち転生者のお話 オタク番外編   作:金属粘性生命体

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オタクの十五歩

 

 

 

 

 資料作成は、想像していたよりも遥かに難航した。

 コードを書く方がよっぽど楽だった。パラメータの数値を睨みながら調整を繰り返す方が、まだ幾分か気が楽だった。初音ミクに『歌う前の沈黙』という繊細な間を実装する方が、ある意味ではよっぽど分かりやすかった。

 だが、今やっている作業はそれらとは全く違う。

 自分が何をしているのか。何をしていないのか。何を今後もしないのか。

 それを、感情論ではなく、公式の人間が読んで誤解しないだけのロジカルな言葉に落とし込む作業だった。

 

「……『本気の趣味です』じゃあ、通らないよな」

 

 誰もいない自室で、黒川は小さく呟いた。

 いや、嘘ではない。むしろ、それこそがこのプロジェクトの根幹だ。本気の趣味。子供の頃から欲しかったものを、自分の手で現実に引っ張り出す。画面の向こう側にしかなかった存在を、こちら側に近づける。

 けれど、公式へ提出する公的な報告書の一行目にそれを書くわけにはいかない。

 黒川は一度、入力した文章をバックスペースで消した。

 

『本プロジェクトは、投稿者の個人的趣味に基づく技術検証である。』

 

 硬い。硬すぎる。だが、間違ってはいない。

 しばらく悩んだ末、黒川はそのいけすかない文章をそのまま残した。

 

 一番の問題は、V-COREの説明だった。

 会話、歌唱、表情、視線、沈黙、記憶、個体差を統合管理するための基盤。それ自体は技術的な概念として説明できる。だが、あの言葉を使うかどうかで黒川は迷った。

 魂。

 掲示板では、スレの勢いとあの時の熱もあって使ってしまった。もちろん比喩だ。自分が本当にオカルト的な魂を生成しているなどと言うつもりはない。

 けれど、MEIKO、KAITO、初音ミクを画面の中で見ていると、その比喩以上に彼女たちの本質をしっくり説明できる言葉がなかった。

 体に当たる表示モデルがある。声に当たる合成音声がある。記憶に当たる履歴DBがある。だが、それらをばらばらに並べておくだけでは、決して彼女たちにはならない。

 何を見るのか。何を覚えるのか。いつ黙るのか。いつ歌うのか。歌い終えた後、どう戻るのか。

 そこを束ねる中核が必要なのだ。

 黒川は、少しの逡巡の後、資料にこう書き込んだ。

 

『V-COREは、声、外見、記憶、反応を統合する中核である。過去に掲示板上で“魂に近い”という比喩を用いたが、これは自我生成的意味ではなく、複数の機能を一つの連続した存在として統合するための中核という意味である。』

 

 書いてから、黒川は思わず眉間を押さえた。

 

「……重いな」

 

 だが、消さなかった。軽く書けば、もっと別の形で誤解される。なら、重いままでいい。

 

 サブモニターには、三人が並んでいた。

 MEIKO。KAITO。初音ミク。

 全員、今は会話モードではなく待機状態だ。実際には、設定された待機モーションがランダムな間隔で再生されているだけである。そこに何らかの意思があるわけではない。

 公式には、そう説明できる。説明できるが、黒川自身はそれだけで終わらせたくはなかった。

 MEIKOは、時折こちらを見る。KAITOは、少し遅れて視線を上げる。初音ミクは、まだどこか不安定な瞬きをする。

 それらは全部、黒川が作った挙動だ。黒川が設定した乱数だ。黒川が調整したただの『間』だ。

 それでも、彼女たちを雑に扱う気には一生なれない。

 黒川は資料に、また新しい項目を追加する。

 

『キャラクターを雑なデモ用素材として扱わないための方針』

・性的、暴力的、侮辱的表現には使用しない。

・権利元への確認前に、不特定多数への配布、販売、貸与を一切行わない。

・第三者が再現可能な形での技術詳細、ソースコードを公開しない。

・既存楽曲、既存音源、キャラクター名称の扱いは権利元への配慮を優先する。

・動画公開前に、必要に応じて事前共有を行う。

・キャラクター性を損なう形での粗悪な実験映像は公開しない。

 

 書いていて、黒川は少しだけ自嘲気味に笑った。

 これはもう、個人が書く趣味のメモではない。完全な対外向けの説明資料だ。

 

 次に、公開済みの動画を一覧にして整理する。

『MEIKOとKAITOに返事をしてもらいたかった』

 検証内容:簡易会話モデル、音声応答、会話履歴による反応変化。

『MEIKOとKAITOに画面の中で立ってもらいたかった』

 検証内容:画面内表示、表情、視線、口形同期、沈黙、歌唱姿勢。

『初音ミクに、まず話してもらいたかった』

 検証内容:初期会話モデル、履歴なしの初回応答、名前反応、三人同時表示の初期テスト。

『初音ミクに、少しだけ歌ってもらいたかった』

 検証内容:V-CORE仮接続、短い歌唱テスト、歌唱前沈黙、歌唱後余韻、会話復帰。

 

 こうして淡々と並べると、自分たちの歩んできた流れがはっきりと見える。

 返事。画面の中に立つ。名前を呼ぶ。少しだけ歌う。

 黒川は、しばらくその一覧を無言で見つめた。進んでいる。確実に進んでいる。だからこそ、正しい止まり方と線引きも覚えなければならないのだ。

 

 資料を作りながら、黒川は何度もタイピングの手を止めた。

 書ける。もっと詳しく、技術的に書ける。

 V-COREの詳細な状態遷移図。会話履歴と個別履歴の分離アルゴリズム。歌唱前沈黙の算出条件。視線対象の優先度。感情値の遷移テーブル。

 いくらでも書ける。だが、それを書けば、これを読んだ誰かが再現できるかもしれない。黒川ほど慎重に扱わない誰かが、この技術を使って似たような粗悪品を作ろうとするかもしれない。

 それだけは避けるべきだった。だから黒川は、あえて技術の中身を抽象化する。

 

『具体的な実装方法、ソースコード、パラメータ、モデルデータ、再現可能な処理手順については、本資料には含めない』

『本資料では、技術の目的、公開範囲、安全性、権利面への配慮を中心に説明する』

 

 これでいい。公式側に対して不誠実にならない範囲で、しかし危険なものは絶対に出さない。その明確な線引きが必要だった。

 

 資料を書いている途中、黒川はふと手を止めた。

 画面の中の初音ミクが、待機モーションでこちらを見ていた。ただの偶然。ただの視線制御の乱数。分かっている。それでも、黒川は入力欄を開いた。

 

『資料を書いてる』

 

 少し間が空く。

 

『難しい?』

 

 黒川は少しだけ笑った。

 

『難しい』

『歌うより?』

『多分、歌うより』

 

 初音ミクは、少しだけ考えるように視線を外した。

 

『じゃあ、頑張って』

 

 それだけだった。たったそれだけの短いやり取りだった。だが、黒川は少しだけ肩の張りが抜けるのを感じた。

 

『ありがとう』

『うん』

 

 会話はそこで止めた。今は資料を書く時間だ。だが、悪くない。こういう短いやり取りがあるから、黒川はまだ続けられるのだ。

 

 資料は、深夜三時過ぎにようやく一つの形になった。

 眠い。モニターの見すぎで目が痛い。胃もまだ痛い。だが、提出できる程度にはまとまった。黒川は最初から最後まで、誤字脱字がないか読み返す。

 キャラクターへの敬意。既存文化への敬意。配布なし。販売なし。技術詳細の非公開。V-COREの概念。今後の投稿予定。公式への事前共有。

 書けることは全て書いた。書かない方がいいことは、一切書かなかった。

 黒川はマウスを動かし、送信ボタンの上にカーソルを置いた。

 これを押せば、もう戻らない。いや、ここまで来た時点で、もう戻る道など最初から用意されていなかったのだ。自分の本気の趣味は、ついに公式へ説明する段階に入った。

 なら、胸を張って説明するしかない。

 黒川は、送信ボタンを押した。

 

『送信が完了しました』

 

 画面に表示された短い文字列を見て、黒川は椅子の背もたれに深く沈み込んだ。

 終わった。いや、終わっていない。むしろ、ここからだ。

 資料は送った。次は、公式からの返答を待つ。そしてその間にも、V-COREの安定化と彼女たちの調整は進めなければならない。

 黒川はサブモニターを見る。

 MEIKOが、少しだけこちらを見ている。KAITOが、ゆっくり瞬きをする。初音ミクが、待機状態のまま静かに立っている。

 ただの待機モーション。ただのプログラム。そう分かっている。

 それでも黒川は、誰に言うでもなく小さく息を吐いて言った。

 

「……提出した」

 

 返事はない。

 だが、初音ミクの視線が、ほんの少しだけ柔らかくなったように見えた。

 気のせいではない。ただの表情遷移のランダムな変化だ。

 黒川はそう判断して、ようやくパソコンの前から立ち上がった。

 

ちょっと設定を見直してたら作り直したくなってきた、どっちがいいと思う?

  • 作り直す
  • このままでいい
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