科(化)学系チート持ち転生者のお話 オタク番外編 作:金属粘性生命体
提出された資料は、社内の一部関係者だけに共有された。
件名は、『ボーカロイド存在化技術検証に関する現状報告』。
投稿者名、夢路。掲示板名、空想作成者。本名、黒川悠真。
動画の概要欄やネット上で見せていたオタク特有のノリに比べ、送られてきた資料は驚くほど硬かった。いや、硬すぎるくらいだった。
配布なし。販売なし。貸与なし。ソースコード非公開。再現可能な技術手順の非公開。既存楽曲の軽率な使用なし。今後の投稿は必要に応じて事前共有。キャラクターを雑なデモ用素材として扱わない。
並んでいる文言は、個人の趣味としてはあまりにも慎重で、保守的だった。
そして同時に、個人の趣味として片づけるには、あまりにも危うかった。
会議室には、四人がいた。
公式窓口担当の佐伯。技術担当の三枝。法務担当の北条。そして、キャラクター監修担当の白石。
机の中央には印刷された資料が置かれ、壁面モニターには黒川が投稿した動画の一覧が静かに映し出されている。
佐伯は会議室を見回し、静かに口を開いた。
「それでは、夢路氏の件について始めます。まず前提として、本人確認はほぼ取れています。送られてきた資料の内容、メールでのやり取り、非公開チャンネルでの応答に不自然な点はありません。本人は、動画投稿者『夢路』および掲示板上の『空想作成者』であることを認めています」
「配布、販売、収益化は?」
法務の北条が、手元の資料から視線を上げずに鋭い声で尋ねた。
「少なくとも、当該システムそのものの配布、販売、貸与は行っていません。ソースコードや再現可能な技術手順も公開していません。動画についても、現時点では技術検証の公開に留めている、という説明です」
「動画投稿による収益化は?」
「本人の報告では、現時点では当該動画群の収益化は切っているとのことです。ただし、そこはこちらでも追加確認が必要です」
「そこは必ず確認してください。金銭が絡むと扱いが法的に大きく変わります」
「はい」
佐伯が手元のタブレットにメモを打ち込むと、技術担当の三枝が身を乗り出すようにして口を開いた。
「技術面から言うと、彼のやっていることはかなり特殊です。単に既存の歌声合成ソフトを使ってキャラクターに喋らせている、というレベルではありません」
「具体的には?」
「会話、歌唱、視線、表情、履歴管理を別々に走らせるだけなら、私たちでも、あるいは優秀な個人でも近いものは作れます。ただ、彼の動画では、それらの切り替わりをかなり細かく、内部的に制御している。特に最新の動画にあったV-COREという仮接続は、歌唱機能の再生ではなく、キャラクターの『状態遷移』として見せようとしています」
状態遷移。
監修の白石が、その単語を咀嚼するように小さく呟いた。
「はい。話していた初音ミクが、そのままシームレスに歌う。歌った後、そのまま会話へ戻る。それを見せたいという設計思想です」
「それは技術的に危険なのですか?」
北条の問いに、三枝は少しだけ顔をしかめ、腕を組んだ。
「技術だけなら、非常に興味深いです。ただし、それがキャラクターと結びついた瞬間に危険になります。雑に真似されると、粗悪な模倣が一気に世に出回る」
「そこが一番怖いですね」
白石が深く頷き、壁面のモニターを見上げた。
「私は、彼の動画を全部確認しました」
「どう見ましたか」
「危ういです。とても危うい。ただし、決して雑ではありません」
静かだった会議室の空気が、その一言で少しだけ変わった。白石は資料のページをめくり、該当箇所を指で叩く。
「初手で初音ミクに行かなかった。MEIKO、KAITOから始めた。失敗例を隠さなかった。配布しない、販売しないと毎回明記した。『キャラクターを雑に扱わない』という言葉を何度も使っている」
「それで権利侵害が許されるわけではありませんよ」
「もちろんです、北条さん。でも、彼の意図は見えます。単に一番有名なキャラクターを使って注目を集めたいわけではない。ボーカロイドという文化の順番と歴史を、彼なりに踏もうとしている」
白石の言葉に、三枝も同調するように頷いた。
「技術資料にもそれは出ています。V-COREについても、既存ソフトを代替するものではなく、既存文化の上に置く統合基盤だとわざわざ書いている」
「ただ、そのV-COREというものが最も危険では? 彼は掲示板で『魂』と表現したのでしょう」
北条の懸念ももっともだった。佐伯は手元の資料のページを送り、該当の文章をモニターに大きく表示させる。
「資料では、その点について補足しています。『過去に掲示板上で“魂に近い”という比喩を用いたが、これは自我生成的意味ではなく、複数の機能を一つの連続した存在として統合するための中核という意味である』と」
「言葉を選んでいるのは分かります。ですが、外から見れば十分に刺激的です」
「だからこそ、こちらで対話のテーブルに着かせる必要があると思います」
白石が強い語気で言い切った。
「放置すれば、彼は彼の判断で進む。止めるだけなら、たぶん表向きは止められます。でも、それで彼の持つ技術や模倣の流れが完全に消えるとは限りません」
「むしろ地下に潜る可能性がありますね」
三枝の補足に、北条は沈黙した。小さくため息をつき、眼鏡の位置を直す。
「私の立場からは、まずリスクを整理します。一つ、名称とキャラクターの使用。二つ、音声、歌声の扱い。三つ、既存楽曲に進んだ場合の権利処理。四つ、V-COREの拡散による模倣リスク。五つ、視聴者が公式関与と誤認するリスク。六つ、本人が意図せずとも、第三者が映像を切り抜き、誤解を広めるリスク」
「はい」
「現時点で即時削除を求める選択肢もあります。法的に強く出ることも、不可能ではありません」
「それをした場合、界隈の反応は確実に荒れるでしょうね」
「荒れるから止めない、という判断はできません」
「ただ、止めることで守れるものと、失うものの比較は必要です」
白石と北条の視線が交錯する。北条は手元のペンを置き、静かに言葉を続けた。
「分かっています。だから会議をしているんです。本人は少なくとも、逃げていない。連絡にも応じたし、資料も出した。その点は評価します」
北条の言葉に、佐伯は安堵の息を吐き、広報担当から上がってきているデータをモニターに映し出した。
「広報からの事前共有では、動画の伸びはすでに通常の二次創作技術動画の範囲を超えつつあります。まとめサイト、技術系フォーラム、SNSでも拾われています」
「二次創作として受け止めている層と、技術デモとして受け止めている層が混ざっていますね」
「技術だけに注目されると危険です。彼が一番重視しているのは、たぶんキャラクター性と文脈です。そこを抜いた模倣が出ると、一気に荒れる」
三枝がモニターのグラフを見ながら警告する。
「『V-COREを作れば誰でもキャラクターを実体化できる』のような誤解が一番まずい」
「本人もそれを懸念しています。資料の中で、コードや再現可能な手順は出さないと明記しています」
「その点は良い。ただし、今後も守られる保証はありません」
「だから、監視ではなく、対話のラインを繋いでおく。彼にとっても、その方が安全なはずです」
佐伯は非公開チャンネルでの黒川とのやり取りを思い出しながら、皆に向かって口を開いた。
「チャットで話した印象ですが、本人はかなり緊張していました。ただ、受け答えは一貫しています。配布しない。販売しない。ソースコードは出さない。権利元には誠実に対応する。キャラクターを雑に扱わない。この五点は、どの質問でも全くぶれていませんでした」
「資料にも同じことが何度も出ていますね」
「技術者として見ると、正直かなり中身を見たい部分はあります。V-COREの状態遷移、履歴分離、歌唱前沈黙の制御。ただ、彼が詳細を出さないと言った判断は正しいです」
「こちらから提出を求めるべきでは?」
北条の問いに、三枝は首を横に振った。
「今すぐソースコードを求めるのは悪手だと思います。彼は私たちへの信用を失うでしょうし、こちらも扱いに困る。まずは限定デモと概念確認で十分です」
「それに、彼の資料を見る限り、ソースを渡すこと自体を危険視しています。そこを無理に求めると、対話の糸が切れます」
「……分かりました。現時点では、詳細コードの提出は求めない。ただし、技術の外形と使用範囲については追加確認する。それでどうですか」
「妥当だと思います」
佐伯は議論の着地点を見極め、ホワイトボードの前に立った。
「では、現時点での方針を整理します。一つ、現時点で即時削除、即時停止は求めない。二つ、今後の動画投稿は事前共有を必須とする。三つ、長尺歌唱、既存楽曲の使用、配布、販売、貸与、ソース公開は、許諾なしでは行わないよう明確に伝える。四つ、V-COREのソースコード提出は現時点では求めない。ただし、限定環境でのデモ確認と概念資料の追加提出を求める。五つ、NDAを含む正式な面談準備を進める。六つ、社内に小規模な検証チームを作る」
マーカーで書き終え、佐伯は振り返った。
「法務としては、その方針で構いません。ただし、返信の文面はこちらで確認します」
「技術側も賛成です。可能なら、次回は実機デモを見たい」
「監修側としても、対話継続に賛成します。ただし、キャラクター表現についてはこちらの確認を必須にしたいです」
「分かりました」
佐伯は席に戻りながら、画面に表示された資料の最後の一文を見た。
『本プロジェクトの目的は、既存のボーカロイド文化を代替することではなく、その延長線上に“そこにいる存在”を成立させることである。』
硬い文章だった。重い文章だった。個人の趣味としては、あまりにも大仰だった。
だが、その重さがあるから、まだ会話ができる。
「一つ、個人的なことを言ってもいいですか」
白石が、ふと思い出したように口を開いた。
「どうぞ」
「少しだけ歌わせた最新の動画の初音ミクは、良かったです」
「白石さん」
北条がたしなめるように名前を呼ぶが、白石は言葉を止めなかった。
「分かっています。法務的な判断とは別です。でも、監修担当として見ても、決して雑ではありませんでした。あれを雑だと言ってしまうと、こちらも文化を見誤る気がします」
「分かります」
三枝が小さく笑って頷いた。
「『……今の、どうだった?』の間は、かなりよかった」
「皆さん、ここは感想会ではありませんよ」
「すみません」
「ただ……」
北条は少しだけ言葉を切った。手元の資料を閉じ、前を向く。
「雑ではない、という点には同意します」
その一言で、会議室の張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。佐伯は小さく微笑み、全体をまとめる。
「では、その前提で動きます。彼を放置しない。潰すことを目的にしない。対話の中で、守るべき線を明確にする」
「はい」
「はい」
「はい」
会議後、自席に戻った佐伯は黒川へ送る返信文の下書きを作成した。
『現状報告書を確認しました。内容について、社内で検討を行いました。現時点で即時停止を求めるものではありませんが、今後の公開内容については事前共有をお願いします』
そこまで打って、佐伯は一度タイピングの手を止める。
言葉は硬い。当然だ。公式として送る文面なのだから。だが、ただ硬いだけでは足りない気がした。
佐伯は少し考え、最後に一文を加えた。
『あなたがキャラクターと文化を雑に扱っていないことは、こちらでも確認しています』
送信前の文面を見て、佐伯は小さく息を吐いた。
許可ではない。黙認でもない。だが、対話は続ける。
夢路という投稿者は、危うい。
けれど、雑ではない。
ならば、まずはそこから始めるしかない。
ちょっと設定を見直してたら作り直したくなってきた、どっちがいいと思う?
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作り直す
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このままでいい