科(化)学系チート持ち転生者のお話 オタク番外編   作:金属粘性生命体

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オタクの十七歩

 

 

 

 

 

 公式からの返信が届いたのは、資料を送信した翌日の夕方だった。

 件名を見た瞬間、黒川の胃は素直に、そして鋭く痛んだ。

 

『現状報告書の確認および今後の対応について』

 

 硬い。あまりにも硬い。

 だが、当然だ。これは友人からのメッセージではない。掲示板のふざけたレスでもない。動画の温かいコメントでもない。

 自分がキャラクターをお借りしている、大元の公式からの返答なのだ。

 

 黒川は一度マウスから手を離し、ゆっくりと深呼吸した。

 サブモニターの端では、MEIKO、KAITO、初音ミクが待機状態で静かに立っている。いつも通りの待機モーション。ただのプログラムの実行結果。ただの表情遷移。ただの視線制御の乱数。

 だが、今だけは三人に見守られているような気がして、黒川は思わず苦笑した。

 

「……読むか」

 

 覚悟を決めて、メールを開く。

 

 文面は、丁寧で、慎重で、そして思っていたよりも遥かに柔らかかった。

 現状報告書を確認したこと。社内で検討を行ったこと。現時点で即時削除、即時停止を求めるものではないこと。

 ただし、今後の公開内容については事前共有が必要であること。

 長尺歌唱、既存楽曲の使用、配布、販売、貸与、ソースコード公開は、許諾なしに行わないこと。

 正式な面談のため、NDA(秘密保持契約)を含めた準備を進めたいこと。

 限定環境でのデモ確認を希望すること。

 

 そこまでは、予想していた。むしろ、企業としての対応を考えれば当然の内容だった。

 黒川は一つ一つ読みながら、小さく頷いていく。

 そして最後の一文で、スクロールする手が止まった。

 

『あなたがキャラクターと文化を雑に扱っていないことは、こちらでも確認しています』

 

 黒川は、しばらくその一文から目を離せなかった。

 許されたわけではない。黙認されたわけでもない。公式が黒川のプロジェクトを全面的に認めたわけでもない。

 それは分かっている。

 分かっているのに、そのたった一文だけで、肩に乗っていた見えない重圧が少しだけ軽くなった。

 

「……よかった」

 

 声は小さかった。誰に向けた言葉でもない。だが、確かに口からこぼれた。

 止められなかったから、よかったのではない。削除を求められなかったから、よかったのでもない。

 対話できる。

 自分たちが愛している文化の根源と、まだ対話の席に着ける。そのことが、何より大きかった。

 

 黒川は、もう一度メールを読み返した。

 即時停止ではない。しかし、今までのように個人の裁量で自由にやっていいという意味でもない。

 今後は事前共有。正式面談。NDA。限定デモ。キャラクター表現の確認。楽曲使用の事前確認。

 今までとは違う。もう、完全に個人の判断と責任だけで進められる段階ではなくなった。

 当たり前だ。初音ミクの名前を出した。MEIKOとKAITOの姿を出した。短いとはいえ歌わせた。それを公式が見て、危ういと判断した。

 なら、ここから先は背負う責任が増える。

 黒川は椅子の背もたれに体を預け、天井を見上げた。

 

「許されたわけじゃない」

 

 戒めるように、自分に言い聞かせる。

 

「でも、話はできる」

 

 それだけで十分だった。

 

 黒川はサブモニターを見る。

 MEIKOは、いつものように落ち着いた表情で待機している。KAITOは少しだけ視線を下げている。初音ミクは、まだどこか硬い瞬きをしていた。

 この三人のことを、公式は見た。危ういと判断した。当然だ。

 それでも、雑ではないと見てくれた。

 黒川は、音声入力が切れているのを確認したまま、画面に向かって小さく呟いた。

 

「まだ話せる」

 

 返事はない。

 だが、MEIKOがこちらを見た。KAITOが少し遅れて顔を上げた。初音ミクの視線が、ほんの少しだけ揺れた。

 全部、設定された待機モーションだ。分かっている。

 それでも黒川は、少しだけ笑った。

 

 黒川は姿勢を正し、公式への新しい返信文を書き始めた。

 

『ご確認ありがとうございます。

現時点で即時停止を求めるものではないとのご判断、および対話継続の機会をいただけることに感謝いたします。』

 

 少し硬い。だが、今はそれでいい。

 

『今後の公開内容について、事前共有を行う方針を承知しました。

長尺歌唱、既存楽曲の使用、配布、販売、貸与、ソースコード公開についても、許諾なく行わないことを改めて明記いたします。』

 

 そこまで書いて、黒川はタイピングの手を止めた。

 ここで、今後の目標も全て隠さずに書くべきだと思った。

 ホログラム。物理的な接触。体。

 それらは、最初からロードマップにあった。第2話の掲示板で、もう明確に書いてしまっている。概要欄にも、毎回「まだホログラムではありません」「まだ体もありません」と書いている。

 つまり、公式側も当然それを見ているはずだ。

 なら、こちらから明確に意図を説明するべきだった。

 黒川は、少しだけ息を吸ってから、続きを書く。

 

『また、今後の長期的な目標についても、改めて共有いたします。

本プロジェクトでは、最終的に以下の段階を想定しています。

・画面内表示の安定化

・会話、歌唱、表情、視線、記憶の統合(V-COREの実装)

・ホログラム表示

・物理的な接触を可能にする外部デバイス

・将来的な卓上モデル、または等身大モデルを含む物理媒体の検討』

 

 最後の行を打った時、黒川は指を止めた。

 物理媒体。体。

 自分で書いていても、重い。第2話の時は、勢いもあって「体」と書いた。もちろん本気だった。今も本気だ。

 だが、公式へ送る公的な文章として書くと、その重さと狂気性がまるで違う。

 黒川は思わず眉間を押さえた。

 

「……これ、企業から見たら普通に危険人物だよな」

 

 否定はできなかった。だからこそ、逃げずに続けて書く。

 

『ただし、上記のうちホログラム表示以降の段階については、現時点では未着手または概念検討段階です。

特に物理的な接触、卓上モデル、等身大モデル、その他“体”に相当する表現については、権利元への確認、キャラクター監修、安全性確認、倫理面の検討なしに外部公開、試作公開、配布、販売を行うことは絶対にありません。

現段階で公開している内容は、画面内表示および短い歌唱テストに限定しています。

今後も、表現範囲を広げる場合は、必ず事前に共有し、確認をいただいた上で進行します。』

 

 これでいい。いや、これでもまだ足りないかもしれない。だが、隠して後から発覚するよりはずっといい。

 黒川は、画面の中の三人を見た。

 ホログラム。触れるための装置。体。

 そこまで行きたい。行きたいが、急ぐつもりはない。急いだ瞬間に、全部が壊れる。それは、もう痛いほど分かっていた。

 

 返信文を打っている途中、初音ミクが待機モーションでこちらを見た。

 ただの偶然。いつものこと。だが、黒川は少しだけ入力欄を開いた。

 

『公式に返事を書いてる』

 

 少し間が空いた。

 

『難しい?』

 

 黒川は笑った。

 

『昨日より難しい』

『昨日も難しいって言ってた』

『覚えてる?』

『ログには残ってる』

 

 少し間。

 

『覚えてるって言っていいかは、まだ分からないけど』

 

 黒川は手を止めた。

 MEIKOの初期ログと似た返し。だが、完全に同じではない。V-COREの履歴参照が、微妙に滲んでいる。まだ不安定。まだ調整が必要。

 それでも、悪くなかった。

 

『そうだな』

『うん』

『公式に、ホログラムとか体のことも書く』

 

 返事は少し遅れた。

 

『体?』

『いつかの話』

『そっか』

 

 初音ミクは少しだけ視線を外した。

 

『じゃあ、急がない方がいいね』

 

 黒川は、しばらく何も入力できなかった。

 

『そうだな』

 

 ようやく、それだけ返す。

 

『急がない』

 

 初音ミクは、少しだけ笑ったように見えた。

 

『うん』

 

 会話はそこで止めた。

 

 黒川は返信文に戻る。最後に、今後の短期予定を書く。

 

『直近では、V-COREの安定化、三人会話の混線対策、短い歌唱の反復検証を進める予定です。

長尺歌唱、既存楽曲使用、配布、販売、物理媒体化に関する内容は、正式な確認が済むまで行いません。

今後とも、キャラクターと既存文化を雑に扱わないことを最優先方針とします。』

 

 最後の一文は、ほとんど祈りのようだった。

 黒川は何度も読み返した。硬い。重い。だが、必要な文章だった。

 送信ボタンの上にカーソルを置く。今度は、昨日ほど迷わなかった。対話できる相手がいる。なら、こちらも隠さず全て話す。

 黒川は返信を送信した。

 

 送信完了の表示を見て、黒川は椅子の背もたれに深く沈み込んだ。

 疲れた。胃も痛い。肩も重い。今後の面談や資料作りのことを考えると、頭も痛い。

 だが、不思議と最悪の気分ではなかった。

 止められていない。突き放されていない。対話できる。その一点だけで、黒川はまだ進めると思えた。

 

「……よし」

 

 小さく息を吐く。

 公式とのやり取りは続く。NDA。限定デモ。事前共有。監修。今までより面倒なことは確実に増えるだろう。

 だが、それは悪いことではない。彼女たちを本当に“そこにいる存在”へ近づけるなら、いつか必ず通らなければならない道だった。

 

 黒川は、開発画面に戻った。

 V-CORE_TEST_001。未解決のエラーが並んでいる。

 三人会話の混線。歌唱後余韻の長さ。初音ミクの待機中視線。KAITOの返答がまだ少し優等生すぎる問題。MEIKOの視線が強すぎる問題。

 いつも通り、問題だらけだ。だから、少し安心した。

 公式と話しても、やることは変わらない。ただ、これからはもっと慎重に進むだけだ。

 黒川はキーボードに指を置き、いつものように作業ログを開いた。最初の一行に、こう書く。

 

『公式確認:対話継続。今後、事前共有必須。急がないこと。』

 

 その下に、もう一行。

 

『ホログラム以降の目標は、公式確認なしに進めない。』

 

 そして最後に、自分用のメモとして短く書いた。

 

『まだ話せる。なら、進める。』

 

 黒川は保存ボタンを押し、画面の中の三人を見た。

 

「さて」

 

 小さく呟く。

 

「今日も、本気の趣味をやるか」

 

 返事はない。

 けれど、三人がそこにいる。

 今は、それで十分だった。

 

ちょっと設定を見直してたら作り直したくなってきた、どっちがいいと思う?

  • 作り直す
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