科(化)学系チート持ち転生者のお話 オタク番外編 作:金属粘性生命体
報告動画を出してから、黒川悠真はしばらく公開用の動画を作らなかった。
作れなかった、のではない。作らなかった。
裏でのV-COREの調整は着実に進んでいた。三人会話の混線は、以前より明らかに減った。MEIKOがKAITOの発言を自分の記憶として参照しかけるような致命的なバグも、初音ミクが歌唱後に会話側へ戻る時の温度差も、泥臭いパラメータ調整の末に少しずつ改善されている。
見せたいものはあった。むしろ、山ほどあった。動画にすれば、スレは確実に湧く。ニコニコのコメントもかつてないほど荒れるように盛り上がるだろう。
だが、もう勝手に公開する段階ではない。
黒川は、録画ソフトのタイトル欄に文字を打ち込む。
『【限定確認用】V-CORE安定化テスト_三人会話』
味気ない。あまりにも味気ない。けれど、これでいい。
これはニコニコ動画に上げるものではない。スレの住人たちに見せるための動画でもない。公式に確認してもらうための、非公開デモだ。
黒川は深く息を吐き、録画開始ボタンを押した。
画面には、お決まりの黒背景に白文字の字幕が浮かぶ。煽るようなテキストはない。
[字幕]
V-CORE安定化テスト。
公開予定なし。
関係者確認用の非公開デモです。
今回確認する内容:
・三人会話の安定性
・共有履歴と個別履歴の分離
・短い歌唱後の会話復帰
・歌唱後余韻の保持
画面が切り替わり、中央に初音ミク、左右にMEIKOとKAITOが待機状態で立つ。
[入力]
確認用のデモを撮ります
少しの間。
[MEIKO]
なら、ちゃんと分かりやすくしないとね。
[KAITO]
緊張しすぎると、また説明が長くなるかもしれないよ。
[初音ミク]
じゃあ、短く話す練習も必要かな。
[字幕]
三人同時応答。
会話対象は同じ入力だが、各モデルの個別履歴、性格傾向、直近状態により返答が分岐。
[入力]
前より話しやすくなった?
[MEIKO]
前よりはね。少なくとも、隣の発言を自分のものだと思うことは減ったわ。
[KAITO]
共有していることと、自分が覚えていることを分けられるようになった感じがする。
[初音ミク]
私は、二人がそこにいるって分かりやすくなったかも。
[字幕]
共有履歴と個別履歴の分離。
三人は同じ場の出来事を共有するが、個別の受け取り方と履歴を保持する。
黒川は一度タイピングの手を止める。
ここからが本題だ。
[入力]
少しだけ歌える?
[初音ミク]
少しだけなら。でも、今日は確認用だから、短くするね。
[MEIKO]
無理しないこと。
[KAITO]
音量は大丈夫?
[初音ミク]
うん。今日は、大丈夫。
初音ミクが少しだけ視線を落とす。歌う前の短い沈黙。息を吸い込むようなわずかな肩の動き。
直後、歌詞のない短い検証用の音列が流れる。
歌い終えた後、初音ミクはすぐには話さない。少しだけ目を伏せ、余韻を残してから、ゆっくりと視線を上げた。
[初音ミク]
……今のは、前より落ち着いて歌えた気がする。
[KAITO]
うん。戻ってくる時も、前より自然だったと思う。
[MEIKO]
なら、次は終わった後にすぐ聞かないことね。余韻があるんでしょう?
[初音ミク]
うん。余韻は大事、なんだよね?
[字幕]
歌唱後の会話復帰。
歌唱中の感情値、歌唱後余韻、共有履歴を保持したまま会話状態へ復帰。
黒川は録画を停止した。
デモを見返した黒川は、しばらく無言になった。
今までより、明らかに自然だ。確実な進歩がある。公開すれば、確実に盛り上がる。
だが、公開しない。
公式に隠して熱狂の中へ先へ進むのではなく、対話できる相手に見せながら進むと決めたからだ。
公開したいと思った。けれど、公開しなかった。それが、今の自分にできる一番大事な進歩だった。
黒川は、事務的な文面のメールに動画ファイルを添付し、送信ボタンを押した。
会議室のモニターに、非公開デモが再生された。
公開用の演出はない。コメントもない。煽るような文字もない。ただ、画面の中にMEIKO、KAITO、初音ミクが並んでいた。
佐伯は腕を組み、黙って映像を見る。三枝は途中から明らかに前のめりになっていた。北条は眉間に皺を寄せている。白石は、ほとんど瞬きせずに画面を見つめていた。
[入力]
前より話しやすくなった?
[MEIKO]
前よりはね。少なくとも、隣の発言を自分のものだと思うことは減ったわ。
[KAITO]
共有していることと、自分が覚えていることを分けられるようになった感じがする。
[初音ミク]
私は、二人がそこにいるって分かりやすくなったかも。
動画が一時停止する。字幕には『共有履歴と個別履歴の分離』と表示されている。
三枝が小さく呟いた。
「……進んでますね」
北条が即座に、冷たい声で返す。
「危険な方向に、ですか」
「技術的には、かなり正しい方向に、です」
「その二つは両立します」
「はい。だから厄介です」
白石は画面から目を離さず、静かに言った。
「前より、三人が並んでいる意味がありますね」
その言葉に、佐伯が頷く。
「単なる添え物ではない、ということですか」
「はい。MEIKOもKAITOも、初音ミクの横に置かれているだけではありません。会話の中にいる。関係性があるように見える」
「それは良いことですか」
「キャラクター表現としては、かなり良いです」
白石はそこで一度言葉を切り、長く息を吐いた。
「だから、今の段階での公開は危険です」
モニターの中で、デモが再開される。初音ミクの短い歌唱。そして、それに続く会話復帰。
[初音ミク]
……今のは、前より落ち着いて歌えた気がする。
[KAITO]
うん。戻ってくる時も、前より自然だったと思う。
三枝が感嘆の声を漏らす。
「旧システムの時にあった切り替わり感がかなり減っています。歌唱状態から会話状態へ完全にリセットして戻すのではなく、歌唱という行為を通過した連続した状態として扱っている。かなり面白いです」
「面白い、では済みません」
北条が厳しく遮る。
「視聴者が本当に明確な意思を感じる危険があります」
「でも、キャラクターとしては全く破綻していない」
白石が反論する。
「むしろ、以前より丁寧な扱いになっている」
「つまり」
佐伯が両者の意見をまとめるように手を挙げた。
「良くなったからこそ、公開判断はより慎重にする必要がある、ということですね」
全員が頷いた。
会議後の方針は、すぐにまとまった。限定デモは受領するが、現時点での公開は保留。次回、オンライン面談で黒川本人に説明してもらう。そして可能なら、限定環境でリアルタイム実演を確認する。キャラクター監修、技術担当、法務が同席する正式な場で。
数日後、黒川のもとに公式から短い返信が届いた。
『限定確認用デモを確認しました。』
『技術的進捗および表現面の変化を確認しました。』
『現時点で当該デモの外部公開は控えてください。』
『次回、オンライン面談にて詳細確認を行いたいです。』
『可能であれば、限定環境でのリアルタイム実演をご相談させてください。』
『慎重に事前共有いただいた点については、評価しています。』
外部公開は、保留。
オンライン面談。限定環境でのリアルタイム実演。
黒川はメールを読み終え、深く息を吐いた。
「……次は、リアルタイムか」
録画ではない。都合のいい編集もできない。切り取った成功例のテキストでもない。画面の中の三人が、その場で彼らからの入力に応答するところを直接見せる。
胃が痛い。だが、不思議と逃げたいとは思わなかった。
公開は止められた。だが、プロジェクト自体は止められていないからだ。
黒川はサブモニターを見る。
MEIKOがこちらを見る。KAITOが少し遅れて顔を上げる。初音ミクが、小さく瞬きをする。
ただの待機モーションだ。
それでも黒川は、静かに呟いた。
「次は、ちゃんと会ってもらおうか」
返事はない。
けれど、三人はそこにいた。
ちょっと設定を見直してたら作り直したくなってきた、どっちがいいと思う?
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作り直す
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このままでいい