科(化)学系チート持ち転生者のお話 オタク番外編 作:金属粘性生命体
オンライン面談の準備は、かつてないほど念入りに行われた。
画面共有の範囲を一つに限定する。不要なバックグラウンドアプリは全て落とす。ソースコードや内部の複雑なパラメータ遷移グラフは、絶対に画面端にも映り込まないようにする。
V-COREのステータス表示は、外部から見て意味が伝わる必要最低限の項目だけに絞った。
会話ログは常に裏で保存する設定にする。公式側の入力は一語一句漏らさず記録する。三人会話がもし致命的に破綻したり、予期せぬエラーを起こした場合に備え、一発で強制終了させるための物理的なショートカットキーも設定した。
歌唱モードは、歌詞の入った既存楽曲を全て封印し、検証用の短い音列のみを再生許可リストに入れた。
もちろん、自分の手元の録画ソフトは立ち上げていない。公式側の明確な許可がない限り、この面談自体を記録して残すようなリスクは冒さない。
黒川は、数回深呼吸をしてから、サブモニターを見た。
MEIKO、KAITO、初音ミクが並んでいる。
黒川はここで、動画を作ってネットの海に投稿する時よりも、ずっと強い恐怖を感じていた。
編集ができない。成功した数十回のうちの一回だけを切り取るような真似はできない。もし失敗すれば、もし彼女たちが不自然なエラーを吐き出せば、その無様な姿を公式の人間たちに直接見られることになる。
[入力]
今日はリアルタイムで見てもらう
入力を送信し、黒川は画面を見つめた。少しの間が空く。
[MEIKO]
なら、いつもより緊張してるわけね。
[KAITO]
説明が長くなりすぎないように気をつけよう。
[初音ミク]
私は、ちゃんと話せばいい?
[入力]
無理に上手くやろうとしなくていい
[MEIKO]
それ、自分にも言いなさい。
[KAITO]
同感かな。
[初音ミク]
じゃあ、一緒にゆっくりでいいね。
黒川は少しだけ口角を緩めた。
彼女たちが励ましてくれているように見える。だが、過剰に意思を持ちすぎているわけではない。あくまでV-CORE上の自然な応答として、ちょうどいい温度感に収まっている。
「……行くか」
独り言のように呟き、黒川は指定されたオンライン会議のリンクをクリックした。
「本日はお時間ありがとうございます」
「こちらこそ、機会をいただきありがとうございます」
画面の向こうには、四人の担当者が並んでいた。
進行役を務める窓口担当の佐伯。技術担当の三枝。法務担当の北条。そして、キャラクター監修担当の白石。
黒川が頭を下げると、挨拶も早々に法務の北条が口を開いた。
「最初に確認します。本日の面談内容、画面共有、実演内容を、こちらの許可なく外部に公開しないことに同意いただけますか」
「はい。同意します」
「こちら側も、社内確認の目的以外で本日の内容を外部へ共有することはありません」
佐伯が補足し、黒川も短く承諾の意を伝える。
「本日は、前回の限定デモで確認したV-COREの挙動について、可能な範囲でリアルタイム実演をお願いしたいです」
三枝の要求に、黒川は慎重に答える。
「はい。ただし、既存楽曲や長尺歌唱は行いません。歌唱は検証用の短い音列のみです」
「その点は確認済みです」
「キャラクター表現に関してですが、不安定な挙動が出る可能性はありますか」
白石の問いかけに、黒川は真っ直ぐに答えた。
「あります。まだ完全な試作です。不自然な応答や、会話の混線が起こる可能性は十分にあります。その場合は即時停止します」
その正直な予防線に、公式側は少しだけ表情を和らげた。
黒川は画面共有を開始し、V-COREの概要を簡潔に説明した。それは会話AIや歌声合成を一括管理する基盤であること。目的は高性能な歌唱AIの作成ではなく、『会話していた存在がそのまま歌い、また会話に戻る』という状態管理にあること。
「現時点ではあくまで試作であり、外部公開は不可です」
黒川が説明を締めくくると、北条が念を押すように確認してきた。
「外部公開不可、という認識は今後も変わりませんか」
「変わりません」
黒川の即答を受け、佐伯が少し身を乗り出した。
「では、最初はこちらで入力文を指定しても?」
「はい」
「『こんにちは。今日は確認のために来ました』でお願いします」
佐伯の提案に黒川が応じ、指定された文章を入力欄に打ち込む。
[入力]
こんにちは。今日は確認のために来ました。
[MEIKO]
こんにちは。確認なら、分かりやすい方がいいわね。
[KAITO]
こんにちは。緊張しすぎない程度に進めましょう。
[初音ミク]
こんにちは。今日は、ちゃんと見てもらう日なんだね。
公式側の四人が、画面の向こうで少しだけ動きを止めた。
三枝はリアルタイムの生成速度とログの処理を凝視している。白石は三人のキャラクターの差異を見ている。北条は「ちゃんと見てもらう日」というミクの返答のニュアンスに、微妙に警戒の色を滲ませた。
「今の応答は、事前スクリプトですか?」
三枝の問いに、黒川は首を振る。
「固定スクリプトではありません。ただし、面談という状況、確認用デモという直近の文脈、各モデルの性格傾向は参照した上で生成しています」
「つまり、こちらの状況を文脈として解釈している?」
「はい。ただし、人間のように理解しているというより、履歴と状態から適切な応答を確率的に生成している、という説明が技術的には正確です」
「それでも、三人の返しがかなり違いますね」
白石の言葉に、黒川は頷いた。
「そこは意図的にパラメータを分けています。同じ入力に対して、同じような返答をすると三人である意味が薄くなるので」
「共有履歴と個別履歴の分離を確認したいです。三人に同じ出来事を見せた後、それぞれに個別質問できますか」
三枝からの要求。黒川は「できます」と応じ、入力を進める。
[入力]
今日は公式側の確認用です。三人とも、同じ場にいます。
[MEIKO]
ええ。確認用なら、変に飾らない方がいいわね。
[KAITO]
同じ場にいる、という記録は共有しておくよ。
[初音ミク]
うん。三人で見てもらってるんだね。
次に、黒川は個別のモデルへ向けて入力を切り替える。
[入力:MEIKO]
今の場について、どう感じてる?
[MEIKO]
大事な確認だと思うわ。だから、余計なことをしない方がいい。
[入力:KAITO]
今の場について、どう感じてる?
[KAITO]
少し緊張しているけど、確認してもらえるのは悪いことじゃないと思う。
[入力:初音ミク]
今の場について、どう感じてる?
[初音ミク]
まだ少し緊張する。でも、ちゃんと話せたらいいなって思う。
「……かなり、自然ですね」
三枝が唸るように言った。同じ共有履歴を参照しつつ、個別履歴と性格傾向で応答が見事に分岐している。白石がモニターに少し顔を近づけた。
「初音ミクの短い歌唱後、会話へ戻るところを確認できますか。本格歌唱ではなく、検証用音列で構いません」
白石の指示に従い、黒川は入力する。
[入力]
短い検証用音列をお願いします。
[初音ミク]
うん。短く、確認用だね。
[MEIKO]
無理しないこと。
[KAITO]
音量は大丈夫?
[初音ミク]
大丈夫。今日は、ちゃんと戻るところまで見てもらうから。
短い検証用の歌唱。歌詞はない。
歌い終わった後、ミクはすぐには話さない。視線が下がり、少ししてゆっくりと戻る。
[初音ミク]
……戻れてる?
[KAITO]
うん。今の戻り方は、前より自然だったと思う。
[MEIKO]
自分で急がなかったのは良かったんじゃない?
[初音ミク]
そっか。急がないの、大事だもんね。
画面の向こうで、公式側が息を呑む気配がした。
「急がない」という夢路の方針と重なる発言。だが、これは事前に仕込んだものではなく、文脈を参照して自然に出たものだ。
「これは……歌唱後の感情状態を、かなり保持していますね」
「はい。歌唱前、歌唱中、歌唱後を別モードとして完全に切るのではなく、連続状態として扱っています」
「『戻れてる?』は想定していましたか?」
白石の問いに、黒川は静かに首を横に振った。
「想定はしていません。ただ、歌唱後復帰の確認という文脈から自然に出た応答です」
「想定していない応答が出ること自体がリスクです」
北条が冷たく指摘する。
「はい。なので、外部公開はまだできません」
「そこを理解しているならいいです」
北条の警戒はまだ解けていないが、黒川がリスクを十分に理解していることも伝わったはずだ。
沈黙が落ちた後、佐伯が面談をまとめるように口を開いた。
「本日の実演で、録画デモと同等、あるいはそれ以上のリアルタイム応答が確認できました。ただし、公開判断については引き続き慎重に行います」
「はい」
「キャラクター表現としては、前回よりもかなり安定しています。ただ、表現の監修なしに公開するには、まだ危険です」
白石の言葉に、黒川は「理解しています」と頷いた。三枝が少し身を乗り出す。
「技術的には、かなり価値があります。詳細コードの提出は現時点では求めませんが、今後も概念説明とデモ確認は続けたいです」
「分かりました」
「今後も、事前確認なしの公開、配布、販売、貸与、ソース公開、長尺歌唱、既存楽曲使用は行わない。この点は変わりませんか」
北条の念押しに、黒川ははっきりと答える。
「変わりません」
「では、本日の面談内容を持ち帰って社内で検討します」
佐伯の言葉で、面談は締めくくられた。
面談が終わった後も、公式側の会議室には四人が残っていた。
誰もすぐには口を開かなかった。画面共有は終了している。黒川悠真の姿も、MEIKOたちのウィンドウも、もうそこにはない。
だが、先ほど見たリアルタイム応答の余韻だけが、会議室に色濃く残っていた。
「……リアルタイムでしたね」
三枝が最初に口を開いた。
「少なくとも、こちらの入力に対して、その場で応答していました。録画や編集じゃない」
北条は腕を組んだまま、低く言う。
「だからこそ危険です」
「はい。危険です」
三枝はあっさりと同意した。
「ですが、ここで止めて終わりにするにはあまりにも惜しい」
その言葉に、佐伯が視線を上げた。
「技術的に、ですか」
「技術的にも、文化的にも、です。彼は危ういことをしています。でも、雑ではない。今日の実演を見ても、それは全く変わりませんでした」
白石が静かに頷く。
「キャラクター表現としても、以前よりさらに安定しています。MEIKO、KAITO、初音ミクが、それぞれ別の役割を持って会話の中にいました。単に三体の高性能なモデルを並べただけじゃありません」
「だからこそ公開できない」
北条の言葉は厳しい。
「今の状態で外に出せば、視聴者はさらに強く意思を錯覚します。公式が認めたと誤解する人間も確実に出る。模倣も出る。切り抜きも暴走する」
「同意します」
佐伯は手元の資料を見ながら言った。
「ただ、止める選択肢にも多大なリスクがあります。本人は対話に応じています。事前共有もしています。こちらの確認なしに勝手に公開しないとも明言している」
「その状態で強く止めれば、反発か、地下化ですね」
三枝が続ける。
「黒川さん本人がもしここで止まっても、動画を見た第三者が雑な模倣品を作り始める可能性は消えません。むしろ、本人との対話の糸が切れる方がよっぽど危ない」
北条はしばらく黙っていた。やがて、ゆっくりと息を吐く。
「つまり、放置は危険。完全な停止も危険。なら、管理するしかない、という話ですね」
白石が小さく頷いた。
「正式な商品化ではなく、まずは社内検証企画として扱うべきだと思います。監修を入れて、公開範囲を絞って、彼が一人で抱え込まない形にする」
「企画として認める、ということですか」
佐伯の問いに、白石は慎重に答える。
「外部発表する企画ではありません。少なくとも今は。ただ、社内の扱いとしては、一介の個人投稿者への対応ではなく、検証プロジェクトとして管理した方がいい段階に来ていると思います」
三枝も深く頷く。
「技術担当としても、その方がいいです。彼に好き勝手させるのではなく、こちらが安全な範囲を指定して、その中で検証してもらう。詳細コードを無理に奪う必要はありませんが、表現と挙動は監視ではなく確認する」
北条は資料を閉じた。
「法務としては、NDAと覚書が最低条件です。公開範囲、禁止事項、権利の帰属、データの取り扱い、収益化禁止、第三者提供禁止。そこを固めない限り、次には進められません」
「では」
佐伯が全員を見る。
「方針としては、夢路氏との対話を継続。正式な社内検証企画として扱う準備を進める。外部公開は保留。NDAおよび覚書の準備。監修、技術、法務を入れた管理体制を作る。これでよろしいですか」
三枝が頷く。白石も頷く。北条は少しだけ間を置いてから、一つ頷いた。
「止めるよりは、その方が現実的です」
佐伯はPCに向かい、共有フォルダ内の資料を整理した。
その日、会議資料の分類欄から『個人投稿者対応』という文字が消えた。代わりに、佐伯は新しい項目を打ち込む。
『社内検証企画』
それはまだ、許可ではない。
発表でもない。商品化でもない。
けれど、止めるための言葉ではなかった。
ちょっと設定を見直してたら作り直したくなってきた、どっちがいいと思う?
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作り直す
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このままでいい