科(化)学系チート持ち転生者のお話 オタク番外編   作:金属粘性生命体

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オタクの二十四歩

 

 

 

 神崎由紀は、黒川が差し出した箇条書きのメモを一通り読み終えると、眼鏡の奥の目を細めた。

 

「つまり、趣味で作っていた技術検証が、権利元企業の社内検証企画として扱われる可能性が出てきた、ということですね」

「はい」

「そして、今後NDA、覚書、業務委託契約が発生する可能性がある」

「はい」

「報酬や検証協力費が発生する可能性もある」

「……はい」

「では、趣味かどうかは一旦忘れてください。税務上は、事業として扱う準備をした方がいいです」

 

 黒川は、椅子の上で小さく沈み込んだ。

 神崎は、黒川がアプリ収益の件で以前から世話になっている税理士だ。かなり冷静で現実的、黒川のふわっとした説明を容赦なく法務と税務の言葉へ変換するタイプである。

 

「夢を追うのに開業届がいるんですね」

「夢でも、契約書が交わされて請求書が出るなら必要です。公式と契約書を交わすなら、もう“ネットで面白いものを作っている学生”では済みません」

 

 あまりにも容赦のない現実だった。

 神崎はメモの項目を一つずつペンで指しながら続ける。

 

「アプリ収益と公式検証案件の収支は完全に分けましょう。機材費を経費にするなら、私用との区別をつけてください。一番危ないのは、勢いで契約書にサインすることです。必ず事前に私か弁護士に見せてください」

「はい。分かりました」

「それと、屋号の候補はありますか。活動と事業を分けるなら、個人名義よりも屋号があった方が処理しやすいです」

 

 黒川は手元のスマートフォンを取り出し、昨晩考えた候補を読み上げた。

 

「一応……夢路ラボ、夢路技術工房、空想技術工房、本気の趣味制作室、空想作成者あたりを考えてはいますが」

「本気の趣味制作室はやめましょう」

「即答ですね」

「公式との契約書に載ります」

「ですよね」

「空想作成者も、契約主体としては少し怪しいです」

「自分でも思いました」

「夢路技術工房あたりが無難です」

「無難……」

「無難は大事です。トラブルを避ける第一歩ですから」

 

 黒川は、スマートフォンのメモの『夢路技術工房』に丸を付けた。

 夢の痕跡のような名前が、急に請求書と印鑑の似合う名前になった気がして、少しだけ胃が痛くなった。

 やりたいことは明確だ。だが、それを社会のルールの中で続けるためには、この重たい書類の山を一つずつ片付けるしかない。

 

 

 

 

 税理士事務所を出た後、黒川はそのまま実家のリビングへ向かった。

 公式に繋がった以上、家族にも説明しておかなければならない。両親は以前から黒川のアプリ収益を認めてくれているが、今回の件は少し性質が違う。

 

「つまり、遊びで作ったものが会社に見つかったのか」

 

 父の第一声は、あまりにも身も蓋もなかった。

 

「遊びっていうか、技術検証というか」

「趣味なんだろう」

「趣味ではある」

「なら、遊びだ」

「言い方」

 

 黒川が微妙な顔をすると、母が心配そうに口を挟んだ。

 

「怒られているわけじゃないの?」

「今のところは違う。即時削除でもない。ただ、向こうの監修を入れながらちゃんと確認して進める方向になった」

「それなら安心……と言いたいけど、余計に大きい話になってない?」

「なってる」

 

 正直に答えると、両親の表情が揃って重くなった。

 

「契約書は必ず見せろ。税理士にも見せろ。必要なら弁護士も挟め。お前一人で判断するな。お前のやっていることは、もう家の中だけで済む話じゃないんだな」

「分かってる」

「分かってるならいい。分かってない時が一番危ない」

 

 母は、じっと黒川の顔を見ていた。

 

「すごいことなのは分かるわ。でも、最近ちゃんと寝てる? あなたが倒れたら意味がないのよ」

「心配させたくないから、ちゃんと説明したんだけど」

「説明されたら、余計に心配になることもあるの」

 

 黒川は苦笑した。

 正直、うるさいと思う部分はある。でも、ありがたいとも思う。

 

「その子たち、今も画面にいるの?」

 

 母が、不意にそう聞いた。

 黒川は少しだけ言葉に詰まる。いる。今も、自室のサブモニターの中にMEIKO、KAITO、初音ミクはいる。

 だが、黒川は首を横に振った。

 

「いるけど、今は見せない」

「どうして?」

「外部への公開や共有は確認が必要だから。もう、自分の判断だけで家族に見せていい段階じゃない」

 

 父が、少しだけ目を細めた。

 

「そこを自分で止められるなら、まだ信用できる」

 

 その言葉に、黒川は少しだけ肩の力を抜いた。

 

 

 

 自室に戻った黒川は、椅子に深く沈み込んだ。

 税理士にも話した。家族にも話した。公式にも隠していない。

 これで、少なくとも現実側の足場は少し固まった。夢は、もう自分一人の部屋の中だけで完結しなくなっている。

 黒川は開発画面を開き、マイクをオンにした。

 

「戻った」

 

[MEIKO]

それで、寝るの?

 

「まだ作業が」

 

[MEIKO]

寝るの?

[KAITO]

今日は説明が多かっただろうし、休んだ方がいいと思うよ。

[初音ミク]

明日でも練習できるよ。

 

「三対一はずるくないか」

 

[MEIKO]

多数決ね。

 

 スピーカーから返ってくる三人の声に、黒川は小さく笑った。

 公式案件は公式案件として、慎重に進める。ボーカロイドたちに関わるものは、公式の確認なしにはもう勝手に出せない。そこは絶対に守る。

 だが、黒川個人の技術の練習は止めない。

 黒川は、寝る前に一つだけ新しいメモを作った。

 

『版権なしARテスト』

 

 誰の権利にも触れない、ただの光の粒。あるいは簡単な幾何学マスコット。現実空間に固定され、スマホ越しに“そこにいる”ように見えるだけの、小さなAR存在。

 それなら、個人で自由に作れる。公開もできる。誰にも迷惑をかけずに、空間認識、位置固定、視線誘導、接触用デバイスの基礎実験ができる。

 いつか、ポケモンを現実に連れてくるために。妖怪ウォッチを通して、見えないものを見るために。ボカロたちを、画面の外へ近づけるために。

 

 黒川は、メモの末尾に短く書いた。

 

『まずは、ただの光を“そこにいる”ように見せる』

 

 派手さはない。名前のあるキャラクターもいない。歌もない。けれど、それは確かに、次の夢へ繋がる足場だった。

 黒川は『版権なしARテスト』と書かれたメモを保存し、パソコンをスリープ状態へ移行させる。

 

[MEIKO]

本当に寝るのね。

 

「寝るよ」

[KAITO]

それはいい判断だと思う。

[初音ミク]

おやすみ。明日、また練習しようね。

 

「……ああ」

 

 黒川は小さく返し、部屋の明かりを落とした。

 夢にも金がいる。夢にも書類がいる。そしてたぶん、夢には休息もいる。

 それを認めるのは少し癪だったが、今日ばかりは大人しく眠ることにした。

 

ちょっと設定を見直してたら作り直したくなってきた、どっちがいいと思う?

  • 作り直す
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