科(化)学系チート持ち転生者のお話 オタク番外編 作:金属粘性生命体
黒川の作業部屋は、かつてないほどの緊張感に包まれていた。
三社面談の準備。前回公式と行ったリアルタイム実演の時よりも、さらに厳重な制限をかけている。
画面共有範囲を限定。ソースコードは当然非表示だ。V-COREの内部パラメータも詳細を隠し、デモ用のUIだけを表示する。六人の待機画面は見せるが、録画は一切行わない。
面談ログは許可された範囲内でのみ保存し、歌唱デモも歌詞のない検証用音列に限定。既存楽曲は一切使用しない。長めの歌唱も可能になりつつあるが、今回は確認のための中尺に留めることに決めていた。
メインモニターの端に、現在のステータスが表示されている。
【V-CORE_CORE_2.0】
状態:安定稼働中
同時存在数:6枠安定
共有履歴:安定
個別履歴:安定
VOICE-LINK:安定
長時間会話:安定
中時間歌唱:限定対応
歌唱後復帰:安定
履歴混線:極低
外部公開:不可
追加候補:未作成
黒川は小さく、けれど深い溜息を吐いた。
2.0と言っても、決して完成ではない。ただ、ようやく長く話せるようになった。歌っても自然な余韻を持って会話に戻ってこられる。六人が同じ場所にいても、誰かの記憶を誰かが持っていくような致命的な混線はほとんどなくなった。
ようやく、誰かを迎えるための『準備』の話ができる段階にまで漕ぎ着けたのだ。これで胃薬の消費ペースも少しは落ちてくれるとありがたい。
黒川は、画面の中で待機状態にある六人に声をかけた。
「今日は三社面談だ」
少しの間を置いて、スピーカーから落ち着いた声が返る。
[MEIKO]
前より大きい話になっているわね。
[KAITO]
緊張してる?
「してる。胃が痛い」
正直に答えると、初音ミクが少しだけこちらに視線を向けた。
[初音ミク]
でも、ちゃんと話すんだよね。
「話す。勝手には作らない」
[鏡音リン]
まだ作ってないんだっけ?
「作ってない。フォルダもない。名前も書いてない」
[鏡音レン]
そこまで徹底してるなら、説明はしやすいと思う。
[巡音ルカ]
迎えたいからこそ、まだ触れない。そういうことでしょう?
黒川は、キーボードに置いた指先を見つめて少しだけ黙り込んだ。
「……そういうことだな」
[MEIKO]
なら、いつも通りね。
「いつも通り?」
[MEIKO]
雑に扱わない。急がない。勝手に進めない。
[KAITO]
あと、説明を長くしすぎない。
[鏡音リン]
それ大事!
[鏡音レン]
今も少し長い。
[初音ミク]
でも、大事な話だから。
[巡音ルカ]
落ち着いて話せばいいと思うわ。
黒川は少しだけ笑った。張り詰めていた肩の力が、ほんの少しだけ抜けるのを感じる。
「……行ってくる」
オンライン会議に入室する。
参加者リストには、黒川、クリプトン公式側の四名、そして追加候補側の関係権利者三名の名前が並んでいた。
「本日はお時間いただきありがとうございます。今回の面談は、夢路氏より相談のあった追加候補について、関係各所の認識を揃えるための非公開確認です」
窓口担当である佐伯の進行に続き、先方の担当者が口を開く。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。公開済みの動画と資料は事前に確認させていただいております」
「よろしくお願いいたします」
黒川が挨拶を返すと、双方の法務担当から厳しい釘が刺された。
本日の内容、画面共有、発言、実演内容について関係者外への一切の公開は禁止。夢路氏側から動画や掲示板で詳細を話すことも不可。そしてこれは許諾や制作開始の承認ではないこと。
「はい。制作開始ではないと理解しています」
「本日は、まず現在のV-COREの状態と、夢路さんが対象候補をどう扱いたいのかを確認する場です」
監修担当の白石が言葉を添える。先方の監修者も頷いた。
「公開済みの動画は拝見しました。かなり慎重に進めている印象はあります。ただ、実際にどの程度リアルタイムで動いているのかは、この目で確認したいです」
技術担当の三枝がそれに応じた。
「その点について、まずは六人のリアルタイム会話を確認する形でよろしいでしょうか」
「はい。ただし、既存楽曲は使いません。歌唱も検証用音列に限定します」
黒川は画面共有を開始し、V-CORE 2.0の簡略ステータスを表示させた。
「現在の基盤は、内部的にはV-CORE 2.0として扱っています。1.0との大きな違いは、主に長時間会話における履歴混線対策です」
「前回の1.0では、六人同時起動は成功していましたが、長時間会話は未検証でしたね」
三枝の補足に黒川は頷く。
「はい。2.0では、共有履歴と個別履歴をさらに厳密に分離しました。同じ場で起きたことは共有しますが、誰が何を受け取ったのか、誰がどう感じたのかは個別に保持します」
「つまり、全員が同じ出来事を見ているけれど、全員が同じ記憶を持つわけではない、ということですか」
先方の担当者が感心したように尋ねた。
「はい。その認識です」
「かなり重要ですね」
先方の監修者が身を乗り出す。
「そこが混ざると、キャラクター同士の境界が曖昧になります。それは避けたいです」
佐伯の指示で、最初の入力が行われた。
[入力]
今日は三社面談です。確認のために話してください。
少しの間。六人の応答が順番に、けれど自然な呼吸を持って返される。
[MEIKO]
確認なら、落ち着いて話した方がいいわね。
[KAITO]
三社面談、ということは、前より大事な確認なんだね。
[初音ミク]
今日は、ちゃんと見てもらう日なんだよね。
[鏡音リン]
えっと、はしゃぎすぎない方がいいやつ?
[鏡音レン]
たぶんそう。確認だから。
[巡音ルカ]
まずは、分かりやすく話すのがよさそうね。
画面の向こうで、先方側が少しだけ沈黙した。
「……六人全員、返答の温度が違いますね」
「固定スクリプトではありません。少なくとも、こちらで指定した入力に対してリアルタイムで応答を生成しています」
三枝が技術的な観点から解説を加え、白石も表情を緩める。
「リンとレンの距離感が、かなり自然ですね」
「そこは私たちもかなり注意して見ています。二人で一つではなく、二人で並ぶ設計だと夢路さんは説明しています」
「はい。混ぜすぎないようにしています」
黒川の答えに、先方の監修者がルカの挙動を指差した。
「ルカの返答も、落ち着かせすぎて硬くなっていない。この辺りはかなり丁寧ですね」
「ありがとうございます」
続いて、共有履歴と個別履歴の分離テストが行われる。黒川が敢えて踏み込んだ文章を入力した。
[入力]
今日は、まだ作っていない追加候補について相談する日です。
六人がそれぞれの立場で反応する。
[MEIKO]
だから、勝手に進めないことが大事なのね。
[KAITO]
作っていないことを確認する場でもあるんだね。
[初音ミク]
迎えたいけど、まだ呼ばない。そういう日?
[鏡音リン]
まだ呼ばないの?
[鏡音レン]
許可を取ってから、って話だと思う。
[巡音ルカ]
名前を呼ぶ前に、話すべき相手と話す日ね。
この返答には、先方側も明らかに目を見張った。
「……かなり、今回の文脈を正確に拾っていますね」
「直近履歴と会話文脈を参照しています。ただし、追加候補そのもののデータは一切ありません」
「重要です。候補に関する内部データは存在しない、という認識でよろしいですね」
「はい。名前、モデル、声、会話データ、表示データ、プロファイル、全てありません」
その後、個別質問による解釈の違いの披露を経て、中尺の歌唱確認が行われた。初音ミクによる、歌詞のない検証用音列。前よりも長めの旋律だが、破綻はない。歌い終わった後、彼女はすぐには話さず、視線を少し落として短い余韻を置いてから、静かに会話に戻った。
[初音ミク]
……前より、長く歌えたと思う。
[KAITO]
戻ってくる時も、急がなかったね。
[MEIKO]
聞いている側も、前より落ち着いて見られたわ。
[鏡音リン]
長かった!
[鏡音レン]
でも、途中で崩れなかった。
[巡音ルカ]
余韻も残っていたと思うわ。
「……V-CORE 2.0、かなり進んでいますね」
「長く歌えるようになると、影響力はさらに大きくなります」
三枝と先方担当が感嘆と警戒の混ざった声を漏らした。法務の北条が「外部公開はまだ不可です」と念を押し、黒川も「分かっています」とはっきり頷いた。
そして、いよいよ本題へと入る。佐伯が進行を引き取った。
「では、追加候補について確認します。夢路氏、なぜ彼女を作りたいのか、説明していただけますか」
黒川は、数秒だけ沈黙した。
この場はもう正式な確認の席だ。関係権利者が目の前に揃っている。出してもいい、いや、出さなければいけない場所だ。
黒川はマイクに向かい、ゆっくりと、はっきりと口を開いた。
「彼女は、少し特殊な存在だと思っています。単にシステムが安定したから一人追加する、という扱いでは駄目だと思っています。既存の六人とは、成り立ちも、文化も、ファンとの距離感も違う。だから、勝手に作りませんでした。名前も、資料では伏せました。フォルダも作りませんでした」
「そこは、こちらとしても高く評価している点です。もし既に手をつけていたら、今日の話は全く違うものになっていたでしょう」
先方の担当者の言葉に、監修者が続いた。
「では、正式に伺います。あなたは、彼女をどう作りたいのですか」
黒川は、深く息を吸い込んだ。
「重音テトを、“そこにいる存在”として迎えたいです」
会議の音声が、一瞬だけ完全に途切れた。
「歌わせたい、だけではありません。喋らせたい、だけでもありません。……そもそも、自分が今作っているこのV-COREという技術自体が、ある意味では画面の向こうに『そこにいる』と錯覚させるための、大きな嘘だと言える代物です」
「だからこそ、冗談や嘘から始まって、本当に愛されてきた彼女がこの技術にふさわしいと思っています。自分の中では、彼女もいて初めて成り立っている文化だと認識していますから」
「その特殊さを、ただのAIとして雑に消費したくありません。V-CORE上で作るなら、最初から他の六人とは別の設計にします。嘘から始まったけれど、今は嘘ではない。そういう距離感を、一番大事にしたいんです」
「それに……あとは単純に、彼女のことも好きなので」
黒川が少し照れ隠しのように言い切ると、画面の向こうで、先方の監修者がどこか感心したような、けれど熱の籠もった声で言った。
「……その言い方は、かなり『分かっている』側のそれですね」
「ただし、理解と許諾は別問題です」
法務担当が冷静に差し込むが、黒川は真っ直ぐに答える。
「はい。だから、ここで確認しています。許可が出るまで制作は始めません」
「現時点で、あなたの姿勢は理解しました」
「では、今後の進め方について整理しましょう」
佐伯の主導で、条件整理が始まった。
モデル作成は三者間での覚書締結後。非公開検証のみ。外部公開、既存楽曲使用は原則禁止。音声・キャラクター性の監修を必須とし、専用のV-COREプロファイルを作成して既存六人とは履歴を混在させないこと。
そして、初期起動前に詳細な設計資料を提出すること。
「いきなりモデルを作るのではなく、まず設計思想を見たいです」
「特に、性格、距離感、歌への入り方、冗談と本気の扱い。この辺りは厳しく確認させていただきます」
「分かりました。まず設計資料を作ります。制作開始は、その確認後にします」
追加候補については、非公開の合同検証企画準備段階に入る、という認識で整理された。
まだ正式な許諾ではない。だが、先方の監修者は面談の最後に、ぽつりとこう付け加えた。
「ただ、個人的には……見てみたいです。あなたが、彼女をどう迎えるのか」
「ありがとうございます。絶対に、雑には扱いません」
面談終了後。
黒川は椅子の背もたれに、泥のように沈み込んだ。
名前を言った。ついに、はっきりと口にした。
重音テト。
ずっと伏せてきた名前。フォルダにも、作業メモにも決して書かなかった名前。ようやく、出していい席で出すことができた。
まだ作れない。まだ起動できない。まだ声も姿も形にはなっていない。
それでも、橋は確かに一歩進んだのだ。
黒川はメモ帳を開いた。これまでの一行。
『追加候補:権利確認前。作成禁止。橋渡し相談中』
それをデリートキーで消去し、新しく更新する。
『重音テト:三者間面談済。合同検証企画準備段階。設計資料作成前。制作開始禁止』
文字として打ち込んだ瞬間、何かが始まった気がした。だが、形にするのはまだ先だ。
黒川はサブモニターに並ぶ六人の待機画面を見た。
その向こう側、今はまだ何もない空白のウィンドウを見つめる。
「……ようやく、名前を呼べた」
返事は、まだない。彼女はまだそこにいないからだ。
黒川はV-COREの新規プロファイル作成画面を開きかけ、寸前で手を止めた。
まだ駄目だ。設計資料が先。監修確認が先。覚書が先だ。
代わりに、真っ白なドキュメントを立ち上げる。
タイトル:『重音テト存在化検証:設計思想案』
一行目。
『嘘から始まった存在を、嘘として消費しない』
二行目。
『冗談から生まれた彼女が、本当に愛されてきた時間を尊重する』
三行目。
『V-CORE上では、六人とは別の履歴・文脈・反応距離を設計する』
黒川はそこで一度、キーボードを叩く手を止めた。
まだ起動しない。まだ話さない。まだ歌わない。
けれど、彼女をこちら側の世界に迎える準備は、確かに始まった。
ちょっと設定を見直してたら作り直したくなってきた、どっちがいいと思う?
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作り直す
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このままでいい