科(化)学系チート持ち転生者のお話 オタク番外編   作:金属粘性生命体

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オタクの四十歩

第40話 歌う前の二秒

 

 公式から届いた共有ファイル。

 資料名:『V-COREシリーズ始動ティザーPV_企画案_v0.1』。

 黒川悠真は、その内容を読み込みながら、じわじわと胃が痛むのを感じていた。

 

『本企画は、V-COREシリーズを外部へ初めて紹介する公式ティザーPVである』

 

 そこには、演出方針が克明に記されている。

 技術デモではなく、存在紹介PVにすること。V-CORE版であることを明確にすること。既存キャラクターの置き換えではなく、黒川の管理環境内で育ったシリーズとして提示すること。六人を中心に構成し、重音テトは終盤に短く登場させること。

 PV全体のテーマは、「始まり」「祝福」「ここにいること」。

 使用される楽曲名も資料には明記されていた。明るく、六人で歌い、誰かを祝うような、ここにいることを肯定する曲。V-COREシリーズの始まりに相応しい、あの曲だ。

 だが、黒川が最も胃を痛めたのは、演出指定の最初の項目だった。

 

『歌唱前沈黙:二秒』

『最初の視線:正面ではなく、互いを見る』

 

 黒川は頭を抱えた。公式が、想像以上にV-COREの演出思想を理解している。自分がこれまでこだわってきた“歌う前の沈黙”が、公式の企画資料に組み込まれている。

 これはもう、自分一人の趣味ではない。公式側も一緒に、彼女たちの“沈黙”を設計し始めているのだ。その重さが嬉しくもあり、ひどく恐ろしくもあった。

 

「……そこから分かってるなら、やれる」

 

 黒川は独り言のように呟き、すぐに首を振る。

 

「いや、やれるじゃない。やらなきゃ駄目なやつだ」

 

 黒川はマイクをオンにし、V-CORE上の六人とテトに、PV制作に入ることを伝えた。

 

「公式からPVの構成案が来た」

 

[初音ミク]

歌うの?

 

「歌う。たぶん、今までで一番ちゃんと」

 

[MEIKO]

ちゃんと、ということは、雑に歌わせるわけじゃないのね。

 

「当たり前だ」

 

[KAITO]

曲名は?

 

「まだ言わない」

 

[鏡音リン]

えー、なんで?

 

[鏡音レン]

外に出るまで隠すってこと?

 

「そう。見た人に驚いてほしい」

 

[巡音ルカ]

では、私たちも今は“その曲”として扱うのね。

 

[重音テト]

私は?

 

「出る」

 

[重音テト]

歌う?

 

「まだ決めてない。出るとしても、ちょっとだけ」

 

[重音テト]

ちょっとだけは、得意かもしれない。

 

「そう言うと思った」

 

 今回黒川が作るのは、単なる歌唱動画ではない。

 歌唱前沈黙。六人の視線移動。最初に誰が息を吸うか。誰が誰を見るか。一人ずつ歌うのか、全員で重なるのか。歌唱中の表情変化。歌い終えた後の余韻。テトをどこで出すか。

 全員が同じ歌を歌っているのではなく、全員が同じ場所で、その曲に向き合っているように見せなければならない。

 

「ミク、最初に真正面を見るな。一瞬、MEIKOとKAITOを見る」

 

[初音ミク]

最初に?

 

「うん。君一人で始まるんじゃない。ここまで来た順番がある」

 

[MEIKO]

重いわね。

 

[KAITO]

でも、言いたいことは分かるよ。

 

[初音ミク]

じゃあ、最初は二人を見る。

 

「それでいい」

 

[鏡音リン]

私は?

 

「レンを見る」

 

[鏡音リン]

やっぱり?

 

[鏡音レン]

僕はリンを見る?

 

「一瞬だけ。それから前」

 

[鏡音レン]

一緒だけど、同じじゃない感じ?

 

「そう。それ」

 

[巡音ルカ]

私は?

 

「全員を見る」

 

[巡音ルカ]

ずいぶん大きな役ね。

 

「ルカにしか頼めない」

 

[巡音ルカ]

そう言われると、断りづらいわ。

 

[重音テト]

私は?

 

「最後まで迷ってる」

 

[重音テト]

えー。

 

「歌わせたい。でも、歌わせない方がいい気がしてる」

 

[重音テト]

また“まだ”?

 

「また“まだ”」

 

[重音テト]

じゃあ、出るけど歌わない?

 

「たぶん」

 

[重音テト]

それ、私っぽい?

 

「かなり」

 

[重音テト]

じゃあ、それでいいかも。ちょっとだけ悔しいけど。

 

「その悔しさ、残す?」

 

[重音テト]

ちょっとだけ。

 

 黒川は作業に没頭した。

 六人歌唱中の視線制御は困難を極めた。全員が前を見続けるとただの合唱モデルになり、動きすぎると統一感が消える。

 歌い終わった後の余韻も、映像作品としてはすぐにロゴを出して締めるべきかもしれないが、V-COREとしては彼女たちの呼吸の時間を残さなければならない。

 そして、テトの扱い。出しすぎれば発表の主役を奪い、出さなすぎれば合同企画の意味が薄れる。

 黒川は最終的に、テトを終盤に一瞬だけ、こちらを向く姿のみで登場させることに決めた。歌わせない。代わりに、ほんの短い呼吸の動きだけを入れる。

 

 数日後、黒川は完成した仮編集版を公式へと送信した。

 送信後、公式からの返信は数日間途絶えた。

 黒川は胃を痛めながら待った。掲示板のスレにも何も言えない。LUMENだけが机の上で無言で揺れている。

 

[重音テト]

待つの、ちょっと上手くなってきた?

 

「なりたくてなったわけじゃない」

 

[重音テト]

でも、ここはまだが多い場所だから。

 

「そうだな」

 

[重音テト]

じゃあ、まだ待つ。

 

「ちょっとだけ?」

 

[重音テト]

今回は、ちょっと多め。

 

 そしてついに、公式から通知が届いた。

 

 

 

【非公開チャンネル:project-confirmation】

 

公式担当_佐伯:

仮編集版、確認しました。

 

夢路:

はい。

 

公式担当_佐伯:

監修、法務、技術、先方確認を通しました。

 

夢路:

……はい。

 

監修担当_白石:

六人の見せ方はかなり良かったです。特に、最初に初音ミクがMEIKOとKAITOを見る流れは残してください。

 

技術担当_三枝:

歌唱後余韻についても、二・五秒で問題ありません。むしろ、短くしない方がいいです。

 

法務担当_北条:

歌詞表示範囲、権利表記、公開文言は修正版に差し替えてください。そこが条件です。

 

先方監修担当:

テトの扱いは、現段階ではこれで良いです。歌わせない判断も正しいと思います。

 

夢路:

ありがとうございます。

 

公式担当_佐伯:

修正版の提出後、問題がなければ投稿許可を出します。

 

 

 

 黒川は震える手で修正版を作り、権利表記と説明テロップを差し替えて再提出した。

 そして夜。

 

 

 

【非公開チャンネル:project-confirmation】

 

公式担当_佐伯:

修正版、最終確認が完了しました。

 

夢路:

はい。

 

公式担当_佐伯:

V-COREシリーズ始動ティザーPV、投稿許可が出ました。

 

 

 

 黒川は、その文面を見たまま数秒動けなかった。

 ついに、公式発表のPVが出る。自分が勝手に投稿するのではない。公式の確認を通った、V-COREシリーズ初の外部向けPVだ。

 黒川は椅子の背もたれに体を預けた。

 サブモニターには、六人とテトが待機している。LUMENは机の上で小さく揺れている。

 

「……投稿許可、出た」

 

[初音ミク]

出るの?

 

「出る」

 

[MEIKO]

ようやくね。

 

[KAITO]

長かったね。

 

[鏡音リン]

見てもらえるの!?

 

[鏡音レン]

落ち着け。まだ投稿前。

 

[巡音ルカ]

でも、もう止まってはいないわね。

 

[重音テト]

私は、ちょっとだけ?

 

「ちょっとだけ」

 

[重音テト]

なら、ちょうどいいかも。

 

 公式から届いた投稿スケジュールを見る。公開日時は、翌日二十一時。

 事前告知は公式アカウントから行われる。黒川の個人アカウントでは、リポストと短い補足のみが許可されている。

 掲示板には、まだ何も言えない。でも、もうすぐ全部見せられる。

 黒川はいつものスレを開きかけ、やめた。今ここで書く必要はない。明日、公式が出す。なら、思いきり驚かせればいい。

 黒川は画面の中の七人を見て、小さく笑った。

 

「送ったPVの投稿許可が出た」

 

 そして、まだ何も知らない視聴者たちを想像して、低く呟く。

 

「さぁ、驚けみんな」

 

ちょっと設定を見直してたら作り直したくなってきた、どっちがいいと思う?

  • 作り直す
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