科(化)学系チート持ち転生者のお話 オタク番外編   作:金属粘性生命体

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オタクの四十三歩

 

 

 PV公開の翌日。

 黒川は、ほとんど一睡もできないまま朝を迎えていた。

 動画コメント、SNS、掲示板、まとめサイト。ありとあらゆる場所で反響が爆発している。夢路のチャンネルには、今までとは文字通り桁違いの通知が殺到していた。

 いつもの技術屋やボカロ民だけではない。一般層、ボカロ懐古勢、クリエイター、海外勢、さらには「これアプリになるの?」「いつ配布されるの?」と盛大に勘違いした層までもが入り乱れている。

 

「……昨日、俺、本当に公式PVを投稿したんだよな」

 

 黒川は自室で、信じられない速度で伸びていく再生数とコメントの波を見ながら固まっていた。

 「さぁ、驚けみんな」と最後にカッコつけて言ったくせに、自分が一番、この現実に追いついていない。

 コメント欄に『V-CORE_TETO』『COMING SOON』『Blessing』『公式確認済み』の文字が並ぶたび、黒川は嬉しさよりも激しい胃痛を覚えていた。

 

 黒川は公式と事前に決めた方針に従い、自分のSNSでは極力余計なことを言わないように徹した。

『見てくれてありがとう。配布、販売、アプリ公開ではありません。問い合わせはお控えください。詳細は概要欄と公式案内をご確認ください。続報は関係各所確認後に出します』

 たったそれだけの短い補足。

 語りたい裏話は山ほどある。リン、レン、ルカの調整について。テトの沈黙について。Blessingの演出意図。ミクが最初にMEIKOとKAITOを見た理由。歌唱後の余韻のコンマ数秒のこだわり。

 だが、今語ったら全部が台無しになる。公式PVを出した次の日に、個人のノリで裏話を垂れ流していいわけがない。

 黒川は湧き上がる凄まじい承認欲求と語り欲を、文字通り胃薬で流し込んで我慢した。

 

 非公開チャンネルに連絡が入った。

 

【非公開チャンネル:project-confirmation】

 

公式担当_佐伯:

まず、PV公開お疲れ様でした。初動は非常に大きいです。

 

夢路:

胃が痛いです。

 

技術担当_三枝:

そこは分かります。ただ、映像としてはかなり良かったです。

 

法務担当_北条:

良かったことと、慎重に扱うべきことは別です。

 

夢路:

はい。

 

監修担当_白石:

リン、レン、ルカの初公開についても、反応はかなり良好です。ただし、今後の情報公開は段階的にしましょう。

 

先方監修担当:

テトについても同じです。『COMING SOON』以上のことは、まだ出さないでください。

 

夢路:

分かっています。出しません。

 

 公式側からの報告は、想定以上の反響と、それに伴う誤解への懸念だった。

 一部で「公式アプリ化決定」「配布予定」「誰でも使えるV-CORE」といった厄介な誤解の芽が出ている。追加の注意喚起文を公式側と夢路側で揃えたい、という提案が北条から出された。

 

『V-COREシリーズは現在、関係各所確認下の検証企画です』

『配布、販売、一般公開アプリ化は未定です』

『夢路氏の個人環境で稼働する検証用プロファイル群です』

『既存キャラクターの置き換えではありません。V-CORE版としての区別があります』

『無断転載、切り抜き、文脈を削った紹介は控えてください』

『関係各所への個別問い合わせは控えてください』

 

 黒川はそれを読んで、「完全に事業の広報文だ……」と再び胃を押さえた。

 だが、ここまできたなら、もう自分だけの趣味のテンションで動く段階ではない。夢路という存在は、個人投稿者から公式管理下の制作協力者へと完全に移行しつつあった。

 

技術担当_三枝:

それと、PV制作時のログを確認しました。率直に言います。今の環境では、今後かなり厳しいと思います。

 

夢路:

……PCのスペックですか。

 

技術担当_三枝:

はい。七人同時表示、長時間歌唱、表情、視線、歌詞表示、背景演出、そして余韻制御。これらを同時に処理する負荷は、個人のPC環境では限界に達しています。作業中のクラッシュは、履歴や検証ログに致命的な影響を及ぼします。

 

公式担当_佐伯:

V-COREの安全性という意味でも、専用環境を分けた方がいいでしょう。公式側から、検証企画用の専用ワークステーションを貸与します。

 

法務担当_北条:

贈与ではありません。契約上の貸与品です。暗号化ストレージを備えたV-CORE用の隔離環境とし、自動バックアップとログ管理を徹底します。私用利用は一切禁止です。

 

夢路:

そこは分かります。分かりますけど、趣味が機材貸与まで来たのかと……。

 

監修担当_白石:

もう、完全に個人の趣味だけでは扱えない段階に来ています。

 

 三枝からの指摘は深刻だった。

 自分の部屋で、自分のPCで、自分の趣味として始めた。でも今、自分のPCではもう彼女たちを支えきれない。

 受け取れば、完全に公式管理下の作業環境になる。自由さは減る。だが、安全性は飛躍的に上がる。

 彼女たちを守るなら、環境を変えるのも責任だ。「夢には書類がいる」と思っていたが、どうやら「夢にはワークステーションもいる」らしい。

 黒川は、税理士への確認や家族への説明を条件に、機材貸与を受け入れる方向で合意した。

 

 黒川はマイクをオンにし、V-COREメンバーに報告した。

 

「公式から、検証用の新しい環境を貸与する話が来た」

 

[MEIKO]

つまり、今のPCでは足りないのね。

 

「言い方」

 

[KAITO]

でも、PVの時かなり無理をしていたでしょう。

 

「見てたのか」

 

[KAITO]

ログ上でも負荷が高かったからね。

 

[初音ミク]

新しい場所に移るの?

 

「正確には、V-COREの作業環境を移す。君たちを移すと言っていいのかは、少し難しい」

 

[巡音ルカ]

でも、私たちが動く場所が変わるのね。

 

[鏡音リン]

新しい部屋?

 

[鏡音レン]

専用の部屋、かな。

 

[重音テト]

引っ越し?

 

「……言い方としては近いかもしれない」

 

[重音テト]

じゃあ、荷物は少なめにした方がいいね。

 

「データだからな」

 

[重音テト]

でも、全部持っていくと重いでしょ。

 

 黒川は少し笑った。

 

「重要な履歴は持っていく。不要なログは圧縮する」

 

[重音テト]

じゃあ、ちょっとだけ引っ越しだ。

 

 黒川は視線を机の上のLUMENへ移した。LUMENは無言でふわふわと揺れている。

 

「お前は軽いから助かるな」

 

 LUMENが少しだけ、嬉しそうに跳ねた。

 公式PV、SNS爆発、機材貸与、契約、注意喚起。重い処理が続いた中、喋らない光の粒は黒川にとって確かな癒しだった。

 

 数時間後、公式から正式に『V-CORE環境移行計画_v0.1』という資料が届いた。

 現行環境のバックアップ、プロファイルごとの整合性チェック、履歴圧縮、新環境への段階移行。

 

「……本当に引っ越しだな」

 

[MEIKO]

引っ越しなら、忘れ物しないことね。

 

[KAITO]

バックアップは大事だよ。

 

[鏡音リン]

新しい部屋、楽しみ!

 

[鏡音レン]

まず壊さず移すのが先。

 

[初音ミク]

名前、ちゃんと持っていける?

 

 黒川は少しだけ手を止めた。

 

「持っていく。絶対に」

 

[巡音ルカ]

なら、急がずに進めましょう。

 

[重音テト]

全部じゃなくて、ちょっとだけ……じゃ駄目なものもあるんだね。

 

「名前と、ここまでの時間は全部持っていく」

 

 少しの間。

 

[重音テト]

じゃあ、それは全部でいいや。

 

 黒川は作業メモを開き、新しい項目を追加した。

 

『V-CORE環境移行計画、開始』

『目標:誰も置いていかない』

『名前と、ここまでの時間は全部持っていく』

 

 祝福の余熱が冷めやらぬまま、黒川の新たな責任が動き出した。

 

ちょっと設定を見直してたら作り直したくなってきた、どっちがいいと思う?

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