科(化)学系チート持ち転生者のお話 オタク番外編   作:金属粘性生命体

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オタクの六十三歩

 

 

 黒川悠真の自室は、もはや本来の用途を果たしていなかった。

 

 広めの机の上には、黒い金属箱である外殻演算機(ガイカク)試作零号が鎮座し、その横には透写台参型と空間眼参型のレンズ群がひしめいている。端の方には触覚腕輪の試作壱型、粒子制御リングの予備パーツ、そして精密ドライバーや六角レンチといった工具が乱雑に積まれていた。

 

 足元には太い電源ケーブルと冷却液のチューブが這い回り、小型真空チャンバーと安全粒子カートリッジの箱が床のスペースを容赦なく削り取っている。机の下からは、大型冷却装置の低い駆動音が絶え間なく響いていた。

 

 光学部品のケースと代理球のテストログが印刷された紙の束をかき分け、黒川は息を吐く。

 

「……部屋じゃないな、これ」

 

 ただの小型研究室だ。それも、無計画に機材を押し込んだせいで導線が完全に死んでいる。

 

 ため息をつきながら、黒川は透写台参型とガイカクの同時起動テストに踏み切った。

 

 スイッチを入れた瞬間、部屋のLED照明が一瞬だけチカッと瞬き、わずかに暗くなった。ガイカクの負荷が上がり、机の下の冷却装置が唸りを上げる。数分も経たないうちに、PCの排熱と冷却装置の熱交換によって、室内の温度がじわじわと上がり始めた。

 

 たまらずエアコンの風量を上げようとリモコンに手を伸ばすが、直前で動きを止める。

 

 透写台が机上に形成している繊細な粒子場が、空調の風でわずかに煽られ、表示されているLUMENの輪郭がブレ始めたのだ。空調を止めれば、部屋は数十分でサウナになる。かといって窓を開けて換気すれば、外の気流や埃が入ってきて空間眼の光学認識が狂い、さらに粒子場の安全管理上もよろしくない。

 

 おまけに、黒川が少し椅子を動かした際の床の振動で、透写台のレーザー補正が微細なエラーを吐いた。

 

【自室環境問題】

電力:不足気味

冷却:不足

排熱:室内に蓄積

空調:粒子場へ干渉

換気:粒子場へ干渉

防塵:不足

振動対策:不足

安全管理:家庭環境では限界

結論:自室での継続実験は非推奨

 

「技術じゃないところで詰まってる」

「もう、机の上だけじゃ足りない」

 

 問題は物理的な環境だけではなかった。

 

 作業を中断し、ブラウザで部品の調達履歴とメールボックスを開く。

 

 最近発注したもの、あるいは購入を検討しているカートの中身は、高精度光学台、小型真空チャンバー、特殊冷却液、微細加工用工具、精密センサー、高出力電源、磁場遮蔽材、クリーンブース用資材、粒子回収フィルタ。

 

 そのうちの一つの販売会社から、一通のメールが届いていた。

 

『個人利用としては特殊な構成のため、用途確認をお願いいたします』

『研究機関・法人名義でのご購入を推奨しております』

『高出力機材を含むため、安全管理環境について確認させてください』

『継続してご購入される場合、事業用情報の登録をお願いいたします』

 

 画面を見つめたまま、黒川は完全に固まった。

 

「……そりゃそうなる」

 

 趣味の電子工作の域は、とうの昔に超えている。用途不明の個人が、マンションの一室にこれだけの特殊機材や光学部品を運び込もうとすれば、販売側が警戒するのは当然だった。個人名義のまま、自室で買い集める限界が来ていた。

 

 限界を突きつけてくるのは、販売会社だけではない。

 

 夕食時、リビングに降りた黒川に、母親が言った。

 

「悠真、あの部屋の機材、本当に家でやっていいものなの?」

 

 非難というより、純粋な不安だった。

 

 コーヒーを飲んでいた父親も、新聞を置いて真剣な顔を向けてきた。

 

「趣味なのは分かった。動画や企業の手伝いで、お前の仕事になっているのも分かった。だが、家の電源と空調と、安全を巻き込む規模になるなら話は別だ」

「火災保険の規定や、近所への排気・騒音の影響まで考える必要がある。やるなとは言わない。ただ、普通の家でやる規模じゃない」

 

 両親は、黒川の趣味や創作活動を否定しているわけではない。だからこそ、その現実的で真っ当な指摘には一切の反論ができなかった。

 

「ちゃんと寝るのもそうだけど、ちゃんとした場所でやりなさい」

「続けたいなら、続けるための場所を作れ」

 

 自室に戻った黒川は、PCの前に座り、メールソフトを立ち上げた。

 

 税理士の神崎に相談するためだ。

 

『外側技術の機材購入と、V─CORE関連の作業費が混ざり始めています。今のまま、個人事業の帳簿で一つにまとめて扱って大丈夫でしょうか』

 

 数十分後、神崎から即座に返信が来た。

 

『大丈夫ではありません』

 

 簡潔な一文の後に、理路整然とした指摘が続く。

 

『黒川さんは、すでに個人事業主として扱われる業務を行っています。ですが、現在の内容は大きく分けて複数存在します』

『1.動画投稿・広告収益』

『2.V─CORE関連の制作協力・検証協力』

『3.公式契約下の作業』

『4.LUMEN等の自主研究』

『5.外側技術の研究開発』

『6.将来的な法人向け貸与・展示事業』

『7.高額機材・研究設備の購入』

『これらを同じ感覚で扱うのは危険です。特に、公式契約下のV─CORE関連と、黒川さん個人の外側技術開発は分けて管理してください。専用口座、専用帳簿、機材台帳、研究費区分、収益区分を整理しましょう。屋号、または研究開発ブランドを分けることを強く推奨します』

『法人化は今すぐ必須ではありません。ただし、設備投資と外部貸与が進むなら、近いうちに検討対象です』

 

 画面をスクロールさせながら、黒川はため息をついた。

 

「税理士って、時々すごく現実を殴ってくるよな」

 

 メールには追撃のように最後の一文が添えられている。

 

『また、特殊機材の購入については、用途説明と安全管理体制も整理してください。趣味という説明では通りにくくなります』

 

「趣味なのに……」

 

 こぼした愚痴は、すぐに自分の中で反論された。

 

「いや、趣味を続けるためか」

 

 神崎の言う通りだ。分けなければならない。

 

 黒川は、デスクの端に置かれた公式貸与のワークステーションに目を向けた。

 

 あれはV─CORE用だ。公式確認下で使うためのものであり、契約範囲内の作業用だ。勝手にLUMENのホログラムテストや、外殻演算機の構築、生体核のテストに使っていいものではない。

 

『公式貸与環境:V─CORE関連専用』

『個人研究環境:LUMEN、外側技術、生体核、ガイカク』

『混ぜるな。ここを混ぜたら、全部おかしくなる』

 

「公式に借りた道具で、俺の別の夢を進めるのは違う。ここは分ける」

 

 公式は管理者ではない。V─COREという特定の夢を現実に繋ぐための限定された窓口だ。そして、外側技術の開拓は黒川個人の領域であり、公式を巻き込むべきではない。

 

 区分を整理するため、黒川は現在の資金計画と収支をスプレッドシートにまとめた。

 

 収入は、過去に作ったアプリの収益、動画の広告収益、V─CORE関連の契約収入や一部案件収益。

 

 支出は、PC機材、光学部品、電子部品、冷却装置、加工機材、安全設備、部品予備、研究用ソフトウェアライセンス、税理士費用。

 

 そしてこれから必要になる、倉庫やラボの賃料、電源工事、防塵・排気設備、特殊機材の試作費。

 

「足りるか足りないかじゃない。この先をやるなら、稼ぎ方を変えないと駄目だ」

 

 黒川は「版権なし技術で稼ぐ」方針を明確に定めた。

 

『絶対に売らないもの』

V─COREそのもの。既存キャラクター。生体核の裏開発データ。未来技術の核心。ガイカクの中身。粒子制御の中核。揺光セル。ポケモン三匹の研究データ。

 

『売れる可能性があるもの』

LUMEN展示デモ。机上ARフィールドの基盤。教育用インタラクティブ展示。科学館向けホログラム教材。イベント用小型空間表示装置。触覚腕輪の安全制限版。ARカード認識基盤。粒子制御を使わない低機能版の透写台。法人向け限定貸与。

 

『キャラクターを売らない。夢そのものを売らない。夢を続けるための周辺技術で稼ぐ。公開できる技術と、絶対に秘匿する技術を分ける』

 

 稼ぐための基盤となる、黒川個人の新たな器。

 

 屋号の候補をテキストに並べていく。

 

 夢路工房。空想工房。LUMEN Lab。外殻工房。白紙工房。机上工房。

 

 カーソルが上下し、最終的に一つの名前で止まった。

 

「空想を作る場所、か。……分かりやすすぎるけど、悪くない」

 

 夢路という動画投稿者の名義からは少し距離を置ける。V─COREにも、LUMENだけにも縛られない。ARも、ホビーも、相棒の表示も、展示技術も包含できる。「本気の趣味」を詰め込む器としてはちょうどよかった。

 

 新しいフォルダを作成する。

 

【空想工房_設立準備】

 

 その中へ、事業区分整理、資金計画、機材リスト、安全管理、法人向けデモ案、秘匿技術リスト、公開可能技術リスト、ラボ候補物件、会計区分、公式契約環境との分離方針を次々と書き込んでいく。

 

 いきなり法人化するわけではない。現段階では黒川悠真の個人事業内に設ける屋号であり、研究開発ブランドだ。だが、これで対外的な説明がつく。

 

 手っ取り早い資金源として、黒川はLUMENを使った法人向け展示デモ案をまとめた。

 

【机上光反応体デモ(LUMEN展示基盤)】

内容:LUMENが机上に浮く。ARカードで移動し、HOME CARDで戻る。SLEEP CARDで低活動状態へ移行。触覚腕輪による体験はスタッフ限定とし、一般来場者は非接触反応のみ。発話なし、人格なし、版権なし。教育・展示・科学館向けに安全制限済み。

 

「子供が見て分かる。でも、危なくない。キャラクターじゃない。それでいて、そこにいるように感じる」

 

 LUMENは売らない。だが、LUMENを使って、外側技術の安全な部分だけを見せることはできる。

 

 黒川は机の上にHOME CARDを置いた。

 

 カードの上に、LUMENがふわふわと表示される。まだ、ここは自室の机の上だ。だが、この狭苦しい部屋で実験をするのも、これで最後になるかもしれない。

 

「お前、たぶん最初に引っ越すぞ」

 

 LUMENは何も答えない。ただ、カードの上で小さく、穏やかに揺れていた。

 

「……まあ、喋らないから助かる」

 

 黒川は少しだけ口角を上げ、ブラウザで事業用・倉庫物件の検索サイトを開いた。

 

 条件は厳しい。住宅地から少し離れていること。電源強化工事が可能で、換気設備や防音材を入れられること。小型加工機を置けて、大型荷物の搬入ができること。家から遠すぎないこと。防塵区画や粒子場実験用の隔離スペースを作れる広さがあること。

 

 絞り込み検索の結果、一件の古い倉庫物件が表示された。

 

 駅から遠く、外観は地味で、内装はコンクリート剥き出しの殺風景。だが、作業スペースは十分にある。換気ダクトは追加できそうだし、電源工事も相談可能とある。搬入口も広く、近隣に住宅は少ない。

 

 ただし、家賃は決して安くはない。

 

「……痛いけど、払えない額じゃない。いや、払えるようにしないと駄目か」

 

 設立準備フォルダの最後に、黒川は空想工房の定義を書き込んだ。

 

【空想工房】

位置づけ:黒川悠真の個人事業内に設ける、版権なし外側技術開発用の屋号/研究開発ブランド。

表向き:版権なしAR/ホログラム/机上表示技術の開発。

主な公開対象:LUMEN展示基盤、教育展示、イベント用小型空間表示、机上フィールド技術。

秘匿対象:外殻演算機、揺光セル、粒子制御中核、生体核、相棒AR、箱庭演算炉構想。

最初の収益源:LUMEN法人向け展示デモ。

最初の設備目標:倉庫ラボ。

 

 キーボードから手を離し、伸びをする。

 

「趣味のために、工房を作る。……だいぶ馬鹿だけど、俺らしい」

 

 掲示板では「夢路の沈黙は進捗の合図」と囁かれていることを、黒川本人は知らない。

 

 だが、事実としてその通りだった。黒川はスレを開くことなく、設立準備フォルダを保存してPCをスリープ状態にした。

 

 机の上に収まらなくなった趣味は、とうとう部屋の外へ出る準備を始めた。

 

ちょっと設定を見直してたら作り直したくなってきた、どっちがいいと思う?

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