ヤンキーくんとひなーのちゃん 作:耳 a.k.a 腐れケバブ
VTuberの方の口調って難しいですね。違和感あったら教えて下さい。
同好会の教室は部活棟の三階、その端にあった。
橘は教室の前で立ち止まると、ようやく手を離した。
「あー、その、ごめんね。急に手握ったりして。馴れ馴れしかったよね」
あはは、と頬を少し赤くしながら、恥ずかしそうに橘は言った。
「……気付くのが遅せぇよ」
「だって君、こうでもしないと来なさそうだったし。って、そういえば名前聞いてなかった。名前、教えてよ」
「悪いが、ここで言うつもりはねぇ。名前なんて入らなかったら言っても無駄なんだ。無いとは思うが、実際に入った時で良いだろ」
刺々しく言い放つ。そんな、普通の奴なら気分を害しそうな物言いにも橘は動じず、ただ「えー」と唇を尖らせてるだけだった。
どうかしているとしか思えない。自分で言うのも何だが、こんな年下の男にかなり失礼な態度を取られているというのに、あまりにも対応が普通過ぎる。
「ま、いいけどね。それじゃ、紹介するから私の後に続いて入って。今は何人か呼び込みに出てるから多分三、四人ぐらいしかいないと思うけど」
ガラ、と教室の引き戸を慣れた様子で開け放つ。
橘がスタスタと入っていくのに合わせて、俺も後に続いた。
教室の中には数人の女子生徒の姿があった。
その数人の内、緑色の髪の女子生徒が俺達の姿を認めると驚きからか目を丸くした。
「ひなーのお帰り〜って、その人は?」
「私が捕まえてきた未来の同好会メンバー。ほら、こっち来て」
「おい。勝手にメンバーにすんな」
ぶっきらぼうに返して、促されるまま中央に置かれた席にドカッと座った。机の上にはモニターとキーボードとマウスが置かれている。モニターにはゲームのプレイ映像か何かだろうか、一人称視点で銃撃戦を行っている様子が映し出されていた。
実際にプレイした事はないが、プレイ映像ならばYouTubeのショート動画で見た事がある。
確かAPEX、とかいったか。
「この子は八雲べに。私のクラスメイトで、この同好会のメンバーの一人だよ。ちょっとうるさいけど、変な子じゃないから安心して」
「ちょ、新入生に変な紹介の仕方しないでよ」
「えーいいじゃん別に。遅いか早いかの違いでしょ、多分」
橘と緑髪の少女――――八雲べにはクラスメイトという事もあって仲が良いのか、お互いに冗談を飛ばしあっている。一頻りやり取りを交わした後、八雲の視線が俺に、俺の首筋に向けられる。
「……すご、これ本物のタトゥー? それともシール?」
「べ、べに。踏み込みすぎ……!」
八雲の純粋な疑問に、銀髪の小柄な少女が怯えたような反応を見せた。
俺は気怠げにゲーミングチェアへ体重を預け、八雲というらしい少女を軽く睨み付ける。
「……シールなんか使うかよ」
「って事は本物なんだ、すご、周りで入れてる人初めて見た。デジタルタトゥーは見慣れてる」
「待って。それ、私の悪口じゃないよね?」
デジタルタトゥーという単語に反応して、奥に居たオリーブベージュ色の髪の毛の少女が顔を出す。そして八雲と楽しそうに貶し合いを始めた。
「二人共新入生の前なんだから静かに。こっちの小さい子が三年生の花芽すみれで、騒がしいのは二年生の英リサね」
「ち、小さい……私、先輩なのに」
「騒がしいのはひなーのも一緒でしょ!」
橘の紹介に各々不満そうな反応を見せる。俺は意外そうに花芽を見つめた。橘の言った通り小柄な少女はとても三年生には見えない。リボンの色からして三年生である事は疑いようもないのだが、てっきり同級生か二年生だと思っていた。
対して八雲はどこか雰囲気が大人びており、一見、二年生には見えない。三年生どころか大学生と言っても差し支えない程の雰囲気を醸し出していた。
英はなんというか、騒がしい以外の感想が今のところ浮かばない。察するに橘とは仲が良さそうだが、今も橘に詰め寄ってお互いに罵りあいを始めている。
そんな様子を見て俺は一言、
「この部活、喧しいのしかいねぇのか?」
そんな感想を口にしていた。
「うわ、そんなゴミを見るような目で。辛辣だねぇ。そういえば君、名前は?」
「あ、それは入るってなったら言うんだって」
「えー教えてよー」
八雲と英が俺の名前を聞きたがったが、俺は無視して再びモニターの映像に視線を向ける。視点移動により目まぐるしく変わる風景と飛び交う銃弾。YouTubeで何本かプレイ映像を目にした事があるが、ここに映し出されているプレイはかなり上手い。
プロ並みとはいかなさそうだが、滑らかなコントロールと精確な射撃で戦場を駆け抜けている。
「……橘、Esports同好会とかいったか? Esportsってゲームだろ? 実際どんな活動してるんだ?」
「何って……ゲームして、たまにゲーム配信して……後は適当にお喋り?」
「なるほどな。部活じゃなくて同好会止まりな理由が良く分かった」
つまり、特に煩わしい事をする必要がない部活という訳か。そもそも精力的に部活動に励むつもりのない俺にとっては、割かし悪くない活動内容だ。
要はゲームするだけ。
俺が居ても居なくても良い部活なら、幽霊部員になっても文句は言われないだろう。そのまま一年過ごして二年に上がった時に退部すれば晴れて自由の身だ。
「えっと、ちなみにゲームの経験とかって、あるの?」
花芽が怯えた様子で聞いてきた。これが正常な反応だよな、と怖がられているのに妙な安堵を覚えつつ花芽の質問に答える。
「悪いが、こんな本格的なゲームの経験なんかねぇよ。精々スマホで出来る簡単なやつぐらいだ」
「そ、そうなんだ。でも大丈夫。勿論本気でやる事もあるけど、ゲームにあまり触れた事ない人にゲームを布教するっていうのも活動内容に含まれてるから」
「そりゃ大層なこって」
「ま、同好会設立の時に適当にでっち上げた活動内容だけどね。でも、女子だけだと色々不便な事も多いし丁度良かったんじゃない?」
「待て、女ばっか?」
英の発言にピクリと眉を顰める。あまり詳しくないが、ゲームの界隈というのはどちらかといえば男の方がその割合を占めている印象がある。
特にここまで本格的にゲームをするというなら尚更だ。
そんな俺の疑問を察したのか、八雲が口を挟む。
「本当なら女子だけの同好会なんだけど……ほら、男女特有の問題とか、色々あるしさ。けどメンバーが選んだ、この人なら信頼出来そうみたいな人なら入れても良い事になってるの。ゲームに男子も女子も関係ないしね。特に君はひなーのの人選だし、ゲームの経験とか気にせず入っても文句言われないと思うよ。……ちょっと見た目怖いけど」
「信頼出来る奴、だぁ?」
俺は思わず橘の方を見る。橘はバツが悪そうに頬を掻いていた。言うまでもなく、俺と橘はつい十五分前に会ったばかりの赤の他人だ。そんな信頼を得るような出来事など何も起きていない。
「おい橘」
「んう?」
橘は呑気にポッキーを齧りながら間抜けな声を上げる。
本当、どうしてコイツは俺なんかの事を勧誘しようとしているのか。
元々女だけの同好会のはずなのに、橘は何の関わりもない俺をさも当然のようにここまで連れてきた。
その理由が俺には分からない。
「んう? じゃねぇ。お前、俺をここに連れてきたんだ。信頼が置ける程関わってねぇだろうが」
「それはそうなんだけど……多分、これ言うと君怒るし」
「はぁ?」
橘は良く分からない事を口にして、立ち上がった。マウスを操作してAPEXの映像を消すと、デスクトップ画面に移動する。
「雑談は終わり。そろそろ活動内容の紹介に移ってもいい?」
「お、いいね〜何やる? エペ?」
「それは本人に決めてもらった方がいいんじゃないかな。この中で気になるゲームとか、ある?」
そう言われてもゲームの経験なんて数える程だ。唯一知っているのはAPEXぐらいだったので、APEXを指定する。手馴れた様子でAPEXを起動した橘は、俺が座るチェアの横にもう一つチェアを持ってくると、そこに腰掛けた。
「操作方法教えてあげるから、一回触ってみよっか。まず左手をキーボードのWとAとDに置いて――――」
追及を避けるかのように、橘はテキパキとゲームの準備を進めていく。こうなると俺もこれ以上追及する気にはなれず、溜息をついてからモニターに向き合った。
どこまでいってもたかがゲームだ。適当に遊んで適当に帰るとしよう。
そう考えて、言われた通り左手をキーボードの上に置き、俺はマウスを握って橘の指示に従った。
――――三十分程経ったら適当に帰ろう。
そんな事を考えていた時もあった。
「ッ、クソ!! 何なんだコイツは!! 何でこんなに速く動きやがる!!!」
ダン!! と机の上に拳を振り下ろす。その弾みで倒れそうになったモニターを慌てて花芽が支えていた。しかしそんな花芽の行動も俺の意識の外にあった。俺の意識は完全に、撃ち合いに敗北したという結果にのみ向けられている。
しかも花芽が立て直したモニターに視線を戻すと、俗に言うフィニキャンと呼ばれる煽り行為を俺が操作するキャラが受けていた。
「……花芽。これ、敵にチャットとか飛ばせねぇのか」
「飛ばせないよ!? 何送るつもりなの!?」
苛立ちで握るマイクがミシミシと音を立てている。
八雲と英がどうどうと俺を宥めているが、それも苛立っている俺には聞こえなかった。そうこうしている内に味方もダウンし、全員がダウンした事により部隊壊滅の文字が表示される。
ガクンと項垂れる俺の肩に、ポン、と手が置かれた。橘だった。
「その苛立ちが、悔しさがAPEXプレイヤーの証……ようこそ、こちら側へ」
「橘……」
「……もしかしてこの子、ちょっとバカ?」
師匠と弟子のようなやり取りを見た八雲がじとっとした視線を向けているが、これにも俺は気付く事なく、妙な連帯感から抜け出した時には既にロビー画面へと戻っていた。
ふとスマホで時間を確認する。
時刻はPM4:11。
あまり意識していなかったが、4時間近くプレイしていたのか。
「マジか。もうこんな時間なのかよ」
「本当だ。時間、大丈夫だった?」
「別に予定もなかったし、それは構わねぇけど」
引っかかる部分があるとしたら。
それは、三十分だけと決めていたのに4時間も経過していた事だろう。
ゲームに敗北した時とは別種の悔しさが鎌首を擡げる。そんな俺を、不安そうに四対の瞳が見つめていた。
……クソ、そんな目をするなよ。
そんな目をされたら、いつもの自分を見失っちまいそうになる。
俺は凝り固まった首をぐるんと回して、思考する。
部活動への強制加入。
運動部はタトゥーが入ってるような奴は冷遇されるだろうし、何より練習に行かなくてはいけないのが面倒だ。
かと言って文化部に入るのも、居心地が良いかと言われれば微妙だろう。
ならば――――
「いや、やめだ」
そんな最もらしい理由をあれこれ捏ねくり回す必要なんてない。
きっと、桜の木の下で俺を見つけた少女も、似たような理由で俺をここまで連れてきたのだから。
「や、やめ……そうだよね。こんな女ばっかの同好会だと……」
四人が同時に肩を落とす。
――――本当、何なんだコイツら。
最初こそ、特に花芽を始めとして怖がってたクセに、勘違いとは言え俺が拒否する意思を見せると落ち込んでやがる。
この四時間で俺の何を推し量れる訳でもないだろうに。
「……悪い。やめだって言ったのは個人的な話だ。この同好会にはお前らさえ良ければ、入れてくれ」
慣れない真似をしたせいか、少し早口になってそう言うと、全員が一斉に俺の方を向いた。
一瞬、沈黙が流れる。
そして、
「ほ、本当っ!?」
「嘘言ってどうすんだ。……ムカついたが、ゲームはそれなりに楽しめたしな。どうせ強制的に入れられるんなら、まだ楽しめる方がいい」
「……男のツンデレは可愛くないよ」
「殺すぞ英」
「言葉強っ。一応私たち先輩なんだけど……」
茶々入れてきた英を黙らせてから、俺は四人に向き直る。
「そういう訳だ。ゲームに慣れちゃいねぇが、よろしく頼む」
「こちらこそ! ……で、そろそろ聞いてもいい?」
「あ? 何を」
俺が聞くと、橘が不満げに唇を尖らせた。腕を組んで俺の事を見下ろしている。
「名前! まだ聞いてないでしょ? そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
「……ああ、そういや言ってなかったな」
自己紹介は同好会に入ってからと橘には告げていた。この様子を見る限り、ずっと聞きたがっていたのかもしれない。もう先輩になった気でいるのか、最初は少し控えめだった物言いも今は後輩に向けるようなフランクな物に変わっていた。
「……岩瀬柊斗。一年三組だ。いつまでか知らねぇが、よろしく頼む」
何となく気恥ずかしくなって、顔を横に向けながら自分の名を告げる。
おおーと英、八雲、花芽の三人が拍手と共に歓迎してくれた。しかし三人共何か含みのありそうな表情で、もっと言えばニヤニヤと笑っている。
「……何だよ。俺の名前何か変だったか?」
「いや、べっつにー。岩瀬くんはツンデレだなって思っただけ」
「うんうん。意外と可愛げあるよねー」
「…………」
先程の敗北を上回る苛立ちが脳天に注がれる。
愉快な事をほざいた英と八雲の頭を鷲掴みにし、林檎を潰すイメージで握力を全開にした。
「ギャー!」
「い、イダダダダダダ!!!」
二人がジタバタと悶絶するのも構わず、きっちり六秒経過してからパッと両手に掴んだ空っぽの頭を解放する。
「六秒経過したら怒りが消えるってのはどうやらマジらしいな。これがアンガーマネジメントってやつか」
「多分違うよ!? 怒りが消えたのアイアンクローの結果だから!」
花芽のツッコミが教室に響く。俺の両手の餌食になった二人は呼吸を荒く乱しながら、頭を抑えて震えていた。
その時。そんな、和やかとも取れる雰囲気を裂くかのように、カタンと、乾いた音がした。
音の発生源は橘の足元からだった。どうやらスマホを落としてしまったらしい。しかし、いつまで経っても橘は落としたスマホを拾おうとしなかった。
落とした事にさえ気が付いていないのか、その場で立ち尽くし――――呆然と、幽霊でも見たかのような表情で呆然と俺を見つめている。
「……何だよ」
訝しむ俺の声にビク、と橘の身体が跳ねる。その様子は尋常ではなかった。
他の三人も橘の異変に気が付いたのか、声をかけるが橘は反応を示さない。
そしてゆっくりと、確かな足取りで俺の方に近付いてきた。
橘が立ち止まった時、互いの距離は30cmもなかった。
俺は戸惑いつつ橘を上から見下ろし、橘は十色の感情を滲ませた瞳で俺を見上げている。
――――ジクリ、と。
タトゥーの下に隠された古傷が輪郭を思い出す。
見下ろす側と見上げる側、互いの立場は逆だが、それは、いつかの記憶と重なって、
「しゅーくん、なの?」
橘の懇願するかのような声に脳が揺さぶられる。
知っている。
俺をそんな恥ずかしい呼び方で呼ぶ少女を、俺は知っている。
忘れるはずがない。
それはいつも頭の片隅にあった思い出で。
忘れたくても忘れる事の出来なかった、忌々しい古傷だったのだから。
「……そっか」
きっと、一目見た時から予感はあった。
見た目が丸っきり変わってしまった俺とは違い、橘の容姿は記憶の中の少女の面影と重なっていた。
あの時は髪色が桃色だけで黒色は入っていなかったはずだが、そんな事は些末な事だ。
そう、成長した事もあり多少の容姿の違いを除けば、少女――――橘ひなのはあの時のままだった。
ころころと良く変わる表情、少し強引でお節介焼きな所、そして他人を気遣う優しい所。
少女はあの頃からの地続きに居た。
――――俺は何もかも変わってしまったというのに。
少女は少女のまま、在り続けてくれたのか。
それは俺にとって喜ばしいのと同時に、あまりにも残酷な事実だった。
「同好会に入る話、やっぱやめだ。俺には合わねぇ」
万感の思いに固く蓋をして、鞄を持って立ち上がる。
「っ、ま……」
橘が俺の腕を取ろうとするが、その手を躱し、顔すら見ずに教室を横断する。後ろから花芽、八雲、英の制止の声が聞こえたが、それも無視して教室を出た。
昇降口を抜けて校門に向かう。
先程は澄んだ蒼色だった空は、既に夕刻の闇に染まっていた。
「……バカか、俺は」
もう必要以上に他人に関わらない。
その信条を自分から、一時の感情だけで曲げてしまった。あまつさえあの同好会に入っても良いとさえ思ってしまった。
桜の木の下で、何故か目を奪われた少女に誘われたというだけで。
幼少期、誰よりも大切だと思っていた少女その人だったのだから目を奪われてしまったのは仕方の無い事だったかもしれない。
だがそれでも、俺は一時の感情だけで自分の信条を曲げてしまった事を深く後悔していた。
初めから断っていれば。
湧き上がった感情に蓋をして、いつものように跳ね除けていれば。
――――俺も橘も、傷付く事などなかったのに。
「っ、クソ!!!」
拳を校門に打ち付ける。ゴン、と鈍い音と骨に響く痛み。こんな事をしても意味はない。ただ行き場のない感情を、閉じた蓋から溢れそうな感情を、少しでも抑える為の自傷行為だった。
荒く乱れた呼吸を整えて、少女を見つけた時と同じように桜の絨毯を踏み締め、校門を出る――――寸前。
「……待って!!!」
後ろからローファーの軽い足音。声の主が誰かなど、振り返るまでもなかった。
俺はその声を振り切るように無視し、僅かに乱れた歩調を正す。
「だ、だめ……!」
片足が校門の境界線を踏み越える。
それを逃がすまいと、橘は俺の手首を掴んだ。そこで、俺はようやく首だけ橘に振り向いた。
――――目元に涙を溜めて、橘ひなのがそこに立っていた。
「……」
あの時の面影を残したまま成長した少女は、可愛かった。
だが俺にはそう思う事すら許されない。その少女に涙を流させているのは他でもない俺なのだから。
「……離せ。お前と喋る事なんざ俺にはねぇんだよ」
いつも通り、街中で絡んでくる阿呆共にそうするように、ドスの効いた声と鋭い眼差しで橘を睨み付けた。ビクッ、と橘の身体が震えた。一瞬その手が緩み、しかし縋るように再び強く握られる。
「どう、して? どうして私を避けるの? せっかく久しぶりに会えたと思ったのに、こんなの……」
涙混じりの声は、それこそ俺を突き刺す筵のようだった。
「俺は二度と会いたくなかった。それだけの話だろ」
冷たく言い放つ。先程までのただぶっきらぼうだった物言いとは異なる、相手を突き放すためだけの言葉に橘は表情をより強張らせた。それでも目元に涙を湛えたまま、橘は毅然とこっちを見つめ返す。
その瞳は負けないと、言外に告げていた。
「……やだ。私は、ずっとずっと会いたかった。離したくない。はなしたく、ないよ」
「……」
その言葉で、俺の胸に湧き上がった感情は筆舌に尽くし難い。
覚えてくれていた。俺とは違い、想い出を大切な物として、胸の中に仕舞ってくれていた。
――――俺にはそれすら、過ぎた贈り物だ。
認めよう。俺にとって過去の記憶は橘と同じく大切な物であり、手放したくない物だった。
しかし手放さなくては生きていけなかった。
決して会いたくなかった訳じゃない。
俺はただ合わせる顔がなくて。
そんな弱い俺が、橘ひなのに関わる事など許されない。
「邪魔だ」
「きゃっ……!」
手を振り払う。
その拍子に橘が尻もちをついて倒れ込んだ。
それをただ見下ろして、
「俺はもうお前と関わる気はねぇ。……だからこれ以上近付いてくんな。目障りなんだよ、お前」
冷然と告げる。そのまま俺は足早に校門を抜けた。
――――背後から、聞きたくない音を聞いた。
その音の正体から逃げるように歩を早める。
身体が冷たい。心音は嫌な軋みを上げて、粘つくような発汗に吐き気を催す。
自室に帰るや否やトイレに駆け込み、胃の中の物を全て吐き出した。
「っ……」
頭が痛い。
鼓膜に、先程の音が噛み付いて離れない。
あの時、俺が振り払った瞬間。
――――橘は、泣いていた。
「ほんと、何やってんだ……俺は……!!」
ガン、とトイレの壁を殴り付ける。
あまりにも情けない。
大切だった人を傷付け、泣かせ、苦しませて。
俺は一体、何がしたかったんだろう。
胃の内容物を全て吐き出し終わった後、そのまま俺は崩れ落ちるようにトイレの床にへたり込んだ。
朝になるまで、ずっと。
永遠とも思える時間、ただ天井を眺め続けていた。
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