喫茶リコリコの皆んなにとって桜井景和とは深い孤独を抱えた青年という認識だった。
彼と初めて会ったのは数年前の豪雨の中。千束が買い出しに行った際に路地裏で倒れていたのを見つけた。千束は意識を失っている彼を何とか担ぎリコリコまで運んだ。
「俺は……誰ですか?」
不幸なことに彼は記憶喪失だった。自分の名前すら分からず身分証明書すらなかったので、仮の名前をミカと千束、ミズキの3人で意見を出し合って決めた。
「桜井……景和。ありがとうございます」
青年は寂しそうに笑うとこれ以上は迷惑かけちゃうからと言って雨が降る外へ傘も持たずふらふらと歩き始めた。寂しそうな背中だった。その空虚な孤独に惹きつけられるように千束は彼の手を取ってリコリコに連れ戻した。
「どうしてそこまでしてくれるんですか?俺たち会ったばかりの他人なのに……」
「そんなの関係ないよ。困ってたら助け合うのが人間でしょ?ね、先生?」
「あぁ、よければ君の記憶が戻るまでここにいなさい。部屋はとりあえず、ここの和室を使うといい」
「まぁ、しょうがないか。その代わりにたくさん働いてもらうからね?」
「ありがとう……ございます」
それが桜井景和がリコリコに加入した始まりの日。最初は慣れない様子でバイトに励んでいたが要領を掴むと器用に何でも彼はやってのけた。
そんな彼に興味が湧いた千束はバイト以外の日は何をしているのか聞いたところ、何をすればいいのか分からずただぼーっとしていると言われた。そこで千束は思いついた。
「千束ちゃん、このチケットって?」
「景和さん、バイトばっかで遊びに行ったこととかないよね?よかったら次の休日一緒に映画でも観に行かない?」
「うん……ありがとう」
千束は景和の記憶がないのが可哀想だと思い、彼にたくさん楽しい思い出を作ってもらうために度々彼を遊びに誘った。景和は素直に了承した。
「あはは、楽しいね景和さん」
「うん、次はどこに行こうか千束ちゃん」
一緒に映画を観て笑って泣いて、ご飯を食べて、ショッピングをして……いつの間にか千束と遊ぶのが桜井景和の休日の過ごし方になっていた。そんな日々が1年続き、彼女たちの仲は深まっていった。
「千束ちゃん。君のおかげでいっぱい思い出が出来たよ。ありがとう本当に」
「えへへ。もっともっと楽しい思い出を作ろうね、景和さん」
千束は知らず知らずのうちに景和に恋心を抱くようになった。それは初恋という感情。初めての感情を知ってしまった。
景和という人間と関わった者は彼の孤独、虚でからっぽの心の穴に否が応でも引き寄せられる。千束も例外ではなかった。いつしか景和はリコリコにとってかけがえのない存在になっていった。
そして、更に時が経ちリコリコに井ノ上たきながDA本部から左遷させられた。民間人である景和に詳細は伝えることはできなかったが、彼は積極的にたきなと関わっていった。
「たきなちゃん、ご飯いつもそれなの?もし、よかったら俺弁当作ろっか?」
「いえ、ゼリー飲料が一番合理的なので構いません」
「それじゃ栄養が足りないよ。ほら、たぬき蕎麦作ったから食べて」
「い、いえ私は……」
「食べてくれないと捨てるしかないなぁ。悲しいなぁ、たきなちゃんは俺の料理食べてくれないんだね」
「……わかりました。食べますよ、はぁ」
「ほら、熱いからゆっくり食べてね」
「頂きます。……んっ、これは!」
「へへへ、美味しいでしょ。自信あるんだたぬき蕎麦」
それからたきなは毎日景和にお弁当を作ってもらうことになった。今では彼に胃袋と心をガッチリ掴まれ、たきなにとって景和は大切な人に変わっていった。
景和は天然の人たらしだった。常連客からも景和くんという愛称を付けられるほどに彼は人から好かれる好青年だった。
そんなある日、更衣室の景和のロッカーが空いていた。千束とたきなはいけないと思いつつも想い人である彼の秘密が知りたくロッカーの中を少しだけ見た。
そこから出てきたのはとあるクリニックの錠剤が何種類か入った袋だった。千束とたきなは心配に思い、クルミに彼が通っているクリニックと錠剤を調べてもらった。
処方されていたのは抗うつ薬と睡眠剤。どれも重度の患者が服用する薬だった。あり得ないことだった。彼は毎日ニコニコと笑って楽しそうに仕事をしていた。クルミにさらに調べさせると患者桜井景和には希死念慮と自傷の癖があるとの事だった。
彼が無理をしてるような感じは一切なかった。だが、もし何か誰にも言えないような事を抱えて自分たちの前では笑顔の仮面を付けていたのだったらどうだろうか。人知れず苦しんでいたのだとしたら……そう思うと彼女たちは胸が苦しくなった。動悸がし自分たちの無知蒙昧の愚かさに吐き気がした。
この件はクルミ、千束とたきなの3人の秘密にした。そして、これまで以上に彼に過保護になった千束とたきなは彼に次第に依存するようになった。
「景和さんは私たちが守るよ、たきな」
「えぇ、あの人は私たちにとって何よりも大事な人ですから」
千束とたきなは約束した。これから先、何があっても彼を支えると。
「景和さん、愛してるよ」
「景和さん、愛してます」
こうして2人のヤンデレが出来上がった。ちなみに景和はとんでもなく重いヤンデレが誕生したことに気が付いていない。なんなら、彼女たちの好意にすら全く反応してない。もし彼が好意に気付いた時は……全てが手遅れになっていることだろう。
どうでもいいけど、愛が重いヤンデレっていいよね(性癖展開)