──昨日のあれは一体何だったんだろう?
御厨楓は学園の下駄箱で靴を履き替えながら、先日あった出来事を振り返っていた。
いつも通りの何ら変わり映えのしない授業中に、綺麗な女性の声で『競輪! ガールズレース!』と教室に鳴り響いたのが始まりだった。
すぐに分かった。誰かが授業中にも関わらずスマホゲームをプレイしたのだと。
当然のように授業は中断されて犯人探しが始まったが、わりと早く見つかった。
だけど、様子がどうもおかしかった。
まるでスマホに憑りつかれているのでは? と思うくらいにはスマホをいじる彼はおかしかった。
教室を満たす空気が緊迫し始めて、周りが好き勝手に話し始める。
そう思っていたら、いつの間にか気を失っていたらしい。
起きた時にはクラスメイトみんなが気絶している中で、榎宏孝が一人立っていてなんか手に物騒な短刀を持っていたのだ。
意味が分からない。
改めて整理しても意味が分からなかった。
犯人に向かって迷いなく短刀を振るう姿には目が点になったし、空を切ったと思ったらなんか「きんっ!」って音が鳴るし、とりあえず今は見逃してくれと頼まれたので結局何が起きたのかも聞けなかった。
幸いなのかは不明だが、宏孝はあとでちゃんと説明してくれるらしい。
(宏孝くん、どこか変わってると思ってたんだよなぁ)
宏孝は友人だ。出会って僅か一か月とわりと短期間しか経っていないが、交友関係の中ではかなり親しい友人だった。
楓の容姿は結構目立つ。性別が判明するとさらに悪目立ちする。
楓には一つ年上に姉のような幼馴染がいて、同じ学園に通っている先輩でもあった。
彼女には大層可愛がられているという自覚があり、楓としても彼女には好意を持っている。
きっかけは楓が小学三年生の時だった。
当時も楓は女子と見紛う容姿をしていたのだが、それが理由で同級生にからかわれ始めたのだ。
楓は自分の見た目に関しては、正直なところ親と幼馴染に言われるがままにしていた。
しかし、楓も年頃の男の子。からかわれたくないという思いが強くなって、一念発起して髪をバッサリ切った。
そんな楓を見て幼馴染はショックで卒倒した。冗談抜きで倒れたのだ。ほぼほぼ事件だった。
この件を経て楓は今の容姿をキープすることになったのだが、周りの自意識が育つにつれて弊害はままあった。
そんな中で宏孝は良い意味でフラットであり、普通の男友達として接してくれていた。
楓にとってそれはとても新鮮であり、かつ心地良いものであった。
ただ、宏孝についてどこまで理解しているかと言われると首を傾げざるを得ない。正直なところ、プライベートな部分は謎に包まれていたのだ。
同い年とは思えないほど大人びていて、高校生にしてはどこか達観していて、それでいて社会人のようになんか疲れてる雰囲気があったのは知っていたが、実際のところ何も知らないに等しかった。
(これで宏孝くんが何をしてる人なのか分かるのかな?)
そう思うと結構楽しみだな、なんて考えながら楓は教室の扉を開けた。
「おはよー。……えっ?」
いつも通りの挨拶をしながら入室した楓を待っていたのは、かなり異常な光景だった。
『競輪! ガールズレース!』
『完璧なトレーニングをしましょう』
『やったー! 勝った勝ったー! えへへー、見てくれた、コーチ?』
普段であれば仲良しグループで集まって、わいわいがやがやとしているのが常である。
だというのに、今日は違った。
既に登校していたクラスメイトの全員が、誰とも一切喋らずにスマホをがん見しているのだ。
(……えっ、なにこれ?)
声を出してはいけない空気みたいなものに気圧されて、楓は黙ったまま自席へと向かう。
着座しているクラスメイトの後ろから不自然にならないようにスマホを覗き込むと、競技用二輪車をこぐ美少女キャラクターを後ろから追うアングルが映し出されていた。ぴちぴちに膨れ上がった張りのある臀部と太股がド迫力である。
通り道の何人かを確認したところ、どうやら陽キャ陰キャ男女問わず同じゲームをプレイしていることが分かった。
そのゲームは明らかに男性向けのゲームだった。
そう、先日の授業中に対馬がプレイしていたあのゲームなのだ。
(怖い怖い怖いっ!! なにこれなにこれなにこれ!?)
明らかな異常事態に楓は動揺を隠せない。
冷静だったなら教室から逃げるという選択も思い浮かんだだろうが、自分の目で見たものが未だに信じられず、状況を把握しなければと気付けば自席に座ってみんなをきょろきょろと見回すしかできなかった。
『競輪! ガールズレース!』
『競輪! ガールズレース!』
『競輪! ガールズレース!』
だが、何度見ても現実は変わらず、なんなら新たに登校してくる生徒も無言で自席に座ってゲームする始末。
とんだ恐怖体験に身体が震えてきたところで、救いの声が舞い降りた。
「や、おはよう」
楓は思わずばっと顔を後方扉に向けながらこう思っていた、「普通の挨拶だっ!」と。
そこにいたのは、先日何事かをやらかしていただろう宏孝の姿だった。
「ひ、宏孝くん!」
「おはよう、楓。そんなに慌てて、どうかしたのかい?」
「この状況になんの疑問も感じないの……?」
「ははっ、冗談さ」
バックを机の脇にかけて座った宏孝は静かに教室内を見回して一言漏らす。
「まあ、軽傷かな」
「どのあたりがどう軽傷なの!?」
「ちゃんとみんな学校に来ているからね。呪染が酷いと家から出てこないこともある、だから軽傷なんだ」
「今の僕には色々と理解できないっていうのは分かったよ……」
何がどうしたらこの状況が軽傷になるのか。
しかし、宏孝の態度は決して冗談を言っているようには見えない。
(もしかしたら、想像以上に変なことに巻き込まれたのかも……)
楓が嫌な汗を感じていたら、始業のチャイムが鳴り響いた。
ほぼ同時に教室に入ってきたのは担任である森先生だ。
「はーい、ホームルームですよー。みなさんスマホは仕舞ってくださいねー」
教壇に立つ森先生はいつも通りの穏やかな声で、いつも通りの様子を見せてくれた。
クラスのみんながこうなっているのは、恐らく先日教室で起きていた無差別気絶事件が原因のはずだ。
思い出してみても、森先生もあの時気絶していた。
だから最悪、森先生もおかしくなっていると楓は思っていたが。
「よかった、森先生は普通なんだ」
「……いや、それはどうかな」
「えっ?」
安堵していたところで挟まれた宏孝の懸念。楓はものすごく嫌な予感がしていた。
咄嗟に視線を森先生に戻すと、目を疑うような光景が繰り広げられていた。
『競輪! ガールズレース!』
森先生の私物だろうスマホから鳴り響いた音に、楓は宇宙猫状態となった。
「……はっ!? 何をしてるんですか私はっ! 教師がスマホを出すなんてダメなのに……くっ!」
震える手を理性によって押さえつけているらしい森先生だが、はたから見るとシュールでしかない。
楓は控えめに前に指を指しながら宏孝を見る。
「ど、どうするの、これ?」
「大丈夫、数日で治るさ」
「結構長くない?」
下手したら自分もあちら側だったと思うとゾッとする。
彼ら彼女らの私生活に致命的な影響が出ないように。
楓は静かにそう祈った。
◇
昨日は本当に大変だった。
授業中に生徒のほとんどが気絶するという、外に漏れたら割とヤバい事態の収拾に駆けずり回るはめになった。
榎家の関係者という部外者を秘密裏に学園に誘導したり、呪染された人に繋がった呪物からの縁糸を伐採したり、すごく色々と聞きたそうな楓の視線から逃げたりと、とにかく頑張った。
気絶から目覚めたクラスメイトと先生の説得もなんとかした。
生徒側は簡単だった。気付いたら寝てたんだよ押し通した。たぶん大丈夫だろう。
先生の方は学園の協力者に対処をお願いした。こちらもたぶん大丈夫だろう。
呪念爆発で気絶すると、前後の記憶混濁が常だ。その後も個人差はあるが呪染によって精神に影響が出ている。
たぶん、きっと、おそらく大丈夫だろう。
あとはほとぼりが冷めるまでやり過ごすしかない。
本当に大変だった。
「昨日と今日と色々あったけど、説明してくれるんだよね?」
もっとも、楓には説明せざるを得ないが。
今は学園近くのファミレスでドリンク片手に向き合っているところだ。
「ああ、説明するのはもちろん構わない。だけど、あらかじめ伝えておきたいことがあるんだ」
「なに?」
小首を傾げる楓を前に、私はどうしても言葉が即座に出てこない。
……心苦しい。
今まで呪物を知らなかった相手に、呪物の説明をするのが心苦しい。
嫌な思い出が蘇ってきた。
一般的に呪物は知られていないが、一般人でも呪物を生み出し、なんと制御までできる人材は少なからずいる。
だがそいつはほぼ間違いなくキワモノだ。呪物も本人もキワモノなのだ。
そんな相手に呪物の説明をすると、まるで私の頭がおかしいみたいな目で見られるのだ!
生粋で、天然で、純粋培養でぶっ飛んだ奴らに、素の状態で頭の心配されたのだ!!
何度ぶん殴ってやろうかと思ったことか。
その点で言うと、楓は常識人。……常識人に呪物の説明をするのも、また違う心労がある。
楓は呪念爆発からの異常事態を目の当たりしているから、はぐらかすのも難しい。
「今から言うことはかなり突飛な内容だけど、決して冗談などではないということを理解してほしいんだ」
「……うん、分かったよ」
これで友達付き合いをやめられたら凹むな。
「じゃあ、早速本題に入ろう。あれは呪物と呼ばれるものが原因で起こった災害だよ」
「呪物? 呪物って、呪いの呪物?」
「その通り。ただ、必ずしも負の感情が原因というわけではないんだけどね」
そう前置きして、私は呪物に関する諸々の説明をしていった。
呪物とは、人間の強い感情や多くの想いが物に込められると発生しうる現象であること。
決して空想上のものではなく、古来より現実に存在していたこと。
それら呪物の暴走を抑えるのが解呪師であり、私がその解呪師であること。
「解呪師……。呪物の暴走はどうやって抑えるの?」
「簡単さ。呪いは呪いを持って屈服させる。要は呪物を使って無理やり押さえつけるのさ」
「へぇ……。あっ、じゃあ昨日宏孝くんが持ってたアレも……」
「これかい?」
さっと周りを見回して、私はブレザーの内ポケットに入れていた織代を取り出した。
鞘に入った状態だと平べったいただの木の棒にしか見えないので、楓にしか見えないように抜刀する。
「やっぱり短刀だったんだ。なんか、物騒だね」
「これが持ってる逸話は物騒の一言では片付けられないけどね。興味あるかい?」
「うーん、ちょっと怖いけど、聞いてみたいな」
話を振っておいてなんだが、いきなり織代のエピソードはかなり重いぞ。言わなきゃよかった。
……まあ、なるようになるか。
織代を納刀してから、内ポケットに仕舞い直した。
「これは近代呪物って呼ばれる括りでね、時代的には産業革命の頃に生まれた呪物だと思って聞いてほしい」
◇
──ある商家に、一人の娘が生まれました。
──その娘は母親に似て美しかったのですが、家族には虐待を受けていました。
──なぜならその娘は、商家の主である父が下働きの女性に手を出して生まれた不貞の子だったからです。
──実の母親は娘を守ってくれていましたが、物心ついた頃に正妻の手によってこの世を去ってしまいました。
──娘の記憶に刻まれているのは、正妻と腹違いの兄弟姉妹に暴力を振るわれる光景しかありませんでした。
──生きているのも辛い日々の中、心の支えは母が護身用にと残してくれた貧相な短刀だけでした。
──育ててくれている恩など微塵も持っていませんでしたが、娘は結婚適齢期まで成長しました。
──父は美しい娘を駒と思っていたので、いずれは商家のために嫁に出す考えだったのです。
──そして、娘は結婚することになりました。
──実の父よりも年上の、見た目も性格も最悪な男に嫁がされました。
──娘に拒否権はありません。
──やっと最悪な家族から解放されたと思ったら、さらなる地獄へと突き落とされました。。
──身も心もボロボロになり、使用人にもぞんざいに扱われる日々。
──娘からは段々と正常な思考が失われていきました。
──どうして私に構うのだろう。
──どうしたら私に構わなくなるのだろう。
──そう思えば、人と人は縁で結ばれていると聞いたことがある。
──その縁を切れば、私に構うのをやめてくれるのだろうか。
──切るといえば刃物だ。
──私が持ってる刃物は、母が残してくれたこの短刀だけだ。
──この短刀で縁を切りたい。
──切りたい、切りたい、切りたい。
──切りたい、切りたい、切りたい、切りたい、切りたい、切りたい、切りたい、切りたい、切りたい、切りたい……
──そしたら、気付いた時には、目の前で使用人の一人が血を流して倒れていました。
──使用人は動きません。
──私に暴言を吐いてきません。
──私に暴力を振るうこともありません。
──私に構うことがなくなったのです。
──すごい。
──すごいすごいすごい!!
──切れた! 本当に切れた!!
──これがあれば、縁を切ることができる!!
──私と繋がっている縁を、切ることができる!!
──そして、娘──織代は、大きな声で笑いながらこう言いました。
「なーんだ、こんなに簡単なことだったんだ!!」
◇
「……それで、どうなったの?」
「夫および織代と関わりがあった使用人三人を惨殺した後、実家に戻って家族全員を皆殺し。その後、当時の警察組織に包囲された状況で今際の言葉を残して自殺したんだ」
「……今際の言葉って?」
「そっか、この世との縁を切っちゃえばいいんだ! だよ」
これ実話なんだよな……。なんて救いがないんだ。
楓の織代へ向ける視線に恐怖が宿っているように見える。うん、当然の反応だろう。
「呪物、なんだよね? そんな逸話を持った。危なくないの?」
「もちろん危険さ。適正が無かったり、精神力が弱い人が使おうとしたら、殺人鬼が生まれるくらいにはね」
織代に呪染された場合、その人が縁を切りたいと思っている相手を問答無用で切りにかかる。
この短刀は呪物になった後にも何人かは切り殺している、本物の危険物なのだ。
「宏孝くんは大丈夫なの……?」
「私は問題が無いから安心してほしい。これでも解呪師としては名家の生まれなんでね」
「そ、そうなんだ……」
……完全に怯えられてる。
これ以上織代の話をするのはやめよう。
「じゃあ、今日みんながおかしかったのは……」
「呪物に呪われたからだ。使用者は当然、他人にも呪いは振りまかれ、感染する。この現象を呪染と呼んでいるんだが、今日の光景は正直に言うと一端に過ぎない。あの程度であれば、規模はまちまちだが解呪師をやっていれば割と頻繁に見られるからね」
「嘘でしょ……」
……自分で言っておいてなんだが、ヤバすぎる世の中になったものだよ、本当に。
「ともかく、昨日の一連の出来事は呪物の仕業なんだ。楓、これを黙っていてほしい」
「……うん、分かったよ。こんなこと、他の人に言っても信じてもらえないもんね」
小さく微笑み、緊張を解いて楓がそう言ってくれた。楓なら信じてもいいだろう。
それに楓の言うことは本質を射ている。
何も知らない他人に呪物のことを伝えても意味がない。下手に覚醒の条件などを知ってしまえば、呪物の発生はさらに加速する危険性だってあるのだ。
知らぬが仏、というやつである。
説明自体はこれで終わりだが、個人的に気になっていることがあった。
「ちなみにだが、楓は呪物と関わるのはこれが初めてかい?」
「えっ? そうだと思うけど、それがどうかしたの?」
「いや、ちょっと気になってね」
きょとんとしている楓の言葉に嘘は無いように思える。
だが、どうにも奇妙だ。
普通の人は、呪念爆発に耐えられない。
私のような呪物所有者か、普段からぶっ飛んでいる者か、はたまたこれまで呪物に触れ合ってきた者であれば耐性もあったりするのだが──
「僕も聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「もちろん」
「対馬くんが持ってたスマホが呪物だったんだよね? さっき聞いた織代さんの話と比べると、呪物になるほどとは思えないけど……」
「ああ、そこか」
思考を打ち切って、ひとまずは楓の質問に答えることにしよう。
「呪物にもランク付けがあるんだ。最高がレベル5で、最低が1。今回のスマホはレベル1だね」
「ああ、そうなんだ。じゃあきっと、織代さんはレベル5なんだね」
「いや、織代はレベル4だよ」
「えっ……」
驚くのも無理はないが、事実だ。
「世の中には、これよりもヤバい呪物がまあまああるんだ」
「それは、ゾッとする話だね……」
「現代呪物にスマホは多くてね。レベル5のスマホとかもあるよ」
「噓でしょ……」
嘘だったらどれだけ良かったことか。
レベル5まで突き詰められると、私でさえ呪染されると言えばその恐ろしさが分かるだろうか。
「ちなみにだけど、レベル5のスマホってどんなのなの?」
「それは説明が難しいな。基本的にオンリーワンの代物で、所有者はみんな使い熟しているからね」
「……うん? 呪物って使い熟すようなものなの? 適性がある宏孝くんみたいな人が、呪物をなんとかするために持ってるんだよね?」
「間違ってはいないが、大事な部分の説明が抜けていた。呪物には、現実を書き換える力があるんだ」
「完全にフィクションの話になってきたね」
確かに中二病でも無ければ素面で言えるセリフではないが、本当にあるのだから仕方がない。
「例えばだが、この織代は縁を切ることができる。人と物はもちろん、人と人の縁も強制的にぶった切れる代物さ」
「すごくヤバいやつだ……」
そう、織代は呪物の中でも随一の能力を持っている。はっきり言って、現代呪物のレベル5と比較するなら織代の方が遥かに有能だしヤバい性能をしている。この力は解呪師として見ると本当に便利なのだ。
呪物との縁を強制的に切れるので、処理が簡単になる。私が解呪師として第一線を走らされている要因でもある。
おかしい、縁を切りたいと心から願ったからこそ織代に認められたというのに、その織代の所為で呪いと切っても切り離せない縁が生まれたなんて。
縁切りを願った一番の原因は母さんなのだが、今は置いておこう。
「呪物として覚醒するまでに込められた想いや執着が、そのまま能力になる。レベル5までいくと、普通に考えたらありえないことのオンパレードさ。興味あるかい?」
「あはは……。え、遠慮しとこうかな」
織代よりもヤバいと聞いて引いた楓の判断は正しい。
レベル5の現代呪物の性能を聞いてると頭がおかしくなるからな……。
「楓もスマホの使い過ぎには気を付けてくれ」
「……スマホって、そんなに危険なの?」
「中毒性という意味ではピカイチさ」
様々な有識者が、たくさんの本を出版してスマホの危険性を訴えているくらいだ。有名な著書を読めば、少しは戒めようと思えるだろう。
解呪師の立場からしても、スマホが恐ろしい媒体だと断言できる。近年の呪物発生頻度とその対象物の統計を取れば、スマホが圧倒的一位に君臨するのだから。
「対馬のように、ソシャゲ依存が呪物として覚醒することはままある。ソシャゲも闇が深いからね」
「たしかにそんな話もよく聞くね」
「課金という仕組みは本当によくできてるよ。あれを考え付いた天才は、もっと違うところに才能を使ってほしかった」
サンクコスト効果という心理現象がある。有名な実話からコンコルド効果とも呼ばれるそれは、要は「もったいない」という心理から生まれるものだ。
例えば、お金を支払って映画を観るとする。
だが期待していた内容と異なり、その映画はつまらなかった。
そうなると人間はどうするのか。
この話を部外者の立場で聞くと、さっさと見限って席を立つと言う人もいるかもしれない。
しかし実際は違う。多くの人が最後まで見てしまうのだ。
せっかく支払ったお金がもったいないからと。
早くに決断すれば時間を無駄にせずに済むというのに。
これがサンクコスト効果。
過去に費やしたお金や時間、労力を惜しみ、今やめればこれ以上損をしないというのに「もったいない」という思いが邪魔して結局やめられないという心理現象である。
ソシャゲ自体および課金文化がまさにこれだ。
ソシャゲに興味ない人からすると、この行動が理解できない。
──さっさとやめればいいのに。
──そのお金で旅行に行けるのに。
──生活費を削ってまでゲームに費やすなんてどうかしてる。
──あり得ない。
──気持ち悪い。
身近にこうした考えを持つ人がいたらもうお終いで、気付いたら呪物が発生している。
中毒性が高過ぎるスマホが悪いとすら思うが、SNSしかり、ソシャゲしかり、自身の生活と切っても切り離せないファクターに上り詰めているスマホを手放すのはもはや自己意識だけでは不可能なのだ。
人間がスマホに支配されているというのも、あながち間違っていない。
飲み終えたグラスの中で氷がからりと音を立てる。
窓から見える景色は、オレンジ色が目立つ時間帯だった。
「さて、もういい時間だね。今日は解散しようか」
「そうだね。ありがとう、色々と教えてくれて。絶対内緒にするから安心してね」
「助かるよ」
そうして楓とはその場で解散した。
これで片付ける案件はあと一つだ。
今から私は学園にとんぼ返りして、協力者に会わなければならない。
……あぁ、憂鬱だ。
元々この作品を書こうと思った理由は、今回の話を書きたかったからです。なんと言っても、私の20代はソシャゲで消えたといっても……
みなさんもほどほどに!